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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第一章 神官グレイスの章
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6.月下の盗賊<2/4>

 本当なら村の墓地の、親族のそばに埋葬してあげるのがよいのだろう。だがさすがに荷車も人手もない状況で、離れた墓地に新しく穴を掘って人一人運ぶのは難しい。

 家のそばの、元は畑だった場所の土が軟らかかったので、そこに場所を決めた。

 木片に簡単な墓碑を刻み、自分の剣の柄に埋め込まれた煙水晶のひとつを取り外す。それにはあらかじめ糸が通せるだけの穴があいていて、グレイスはあり合わせの紐で簡単な首飾りを作った。旅先で送り出すことになった死者にしてやれる、カーシャムの神官達のささやかな贈り物だった。

 万一墓碑が失われ、事情を知らぬ者に遺体が掘り起こされたとしても、煙水晶があれば、それがきちんとカーシャムの祝福を得られたのだと示すことができるのだ。

 元が畑で土のきめこまかな場所だったところに、溶けた雪が土をゆるませて、穴を掘るのは比較的容易だった。棺の代わりに寝台用のシーツでくるんだ、細い老人の体を横たえる。

 ランシィは最後に老人の頬を撫で、手を握っていた。なにを語りかけるでもなく、涙をこぼすでもなかったけれど、それでもいいのだとグレイスは思う。

 死者を弔うのは、残された者が前を向いて生きていくために、なにより必要なことなのだ。

 土も小山の前に立てられた墓碑の前で、グレイスが見上げた空を、しばらくランシィも同じように眺めていた。

 天気のよい日でよかった。この青空がいずれ、ランシィを支える記憶のひとつになりますように。

 それから二人は、泥だらけになった体と服を洗うために、また新しい作業に取りかからなければいけなかった。生きていく者は忙しい。



 久々に湯を使って体を洗い、一緒に洗った服を暖炉の前で乾かす頃には、また村の上に夜が近づいてきていた。

 昼の疲れのせいだろう。二人きりの夕飯を済ませた後、グレイスが干した服の乾き具合を見ていた間に、ランシィは長椅子の上に丸くなって寝息を立てていた。夕飯の片付けが済んだら、地図を見ながらこれからの作戦会議をしようと約束していたのに。

 作戦会議といっても、地図がこの村から王都ラウザへと示す道は一本しかない。計画を立てるというより、ランシィと自分はこれから同じ旅の仲間になるのだと、心構えをさせる儀式のようなものだった。

 まぁ、それは朝起きてからでもいいことだ。

 気がつけば、暖炉の前の揺り椅子には粗末な熊の人形が、老人の膝掛けをかけられて座っていた。いきなり空席になるのは、ランシィも辛かったのだろう。

 グレイスが暖炉の前で温めてあった毛布をランシィの体にかけてやると、不意に薪がはぜる音が響いた。思わず目を向けると、暖炉の炎が室内を揺らがせ、揺り椅子に強い陰影を作った。

 もし、自分がいないまま老人が息を引き取ったら、どうなっていたのだろうか。ふと考え、自分が思い浮かべた光景に、グレイスは改めて胸を突かれた。

 もし雪深い時に老人が亡くなっていたら、ランシィは春が来るまで一人きり、もう喋らない老人を乗せた揺り椅子の影を、毎晩こうして眺めて過ごすことになっていたのか。

 それが雪が本格的に積もる前だとしても、誰も守る者がないまま、ランシィは雪がいつ閉ざすか判らない道を一人歩いて町に向かうことになっていたのか。

 どちらにしても、まだ一〇歳ほどの子供には過酷すぎる。

 グレイスはふと、昨日の夜老人が言っていたことを思い出した。葡萄酒の棚の奥に、万一のためにと騎士オルネストから預かったものがあると。

 今が万が一でなくてなんなのだろう。

 老人に指図されるまま開けた棚の下段には、古い葡萄酒の瓶が何本か、箱に入ったまま手つかずで横になっている。今改めて見ると、その棚の奥行きが、外から見るより妙に浅かった。

 中のものを取り出し、棚の奥の板を押すと、どうやら外れるように出来ているらしい。その奥にあったのは、布に包まれた一振りの剣と小さな革袋だった。

 剣は、グレイスの持っているものよりも若干短い。大人の男なら、片手で扱えるくらいのものだ。全体に美しい彫刻が施された柄に、上質の鞘。そして柄の、(つば)に近い部分には、特徴のある紋章がはめ込まれていた。

 向かって左に傾いた天秤と剣を形取ったその紋章は、グレイスもどこかで見た記憶があったが、詳しく思い起こすことができなかった。

 少し鞘から抜いてみたが、剣身には錆も曇りもない。どうやら老人は、体の自由が効くうちは定期的に手入れをしていたのだろう。本当に聡明で、なんでもできた人だったのだ。

 グレイスはひとつ息をついて剣を布で包み直し、一緒に出てきた革袋をあけてみた。重さからして中身が硬貨なのは察しがついていたが、中には袋いっぱいに銀貨が詰まっていた。

 金貨でないのは、より実用性を考慮してのことだろう。時折相場の変わる金貨よりも、銀貨のほうが貨幣としての価値は安定している。

 銀貨の数に驚くよりも、やりきれなさの方がグレイスには先に立った。どうして老人は、これを使って、もっと早いうちにランシィのために手を打たなかったのか。

 もちろん老人にも、いろいろな事情があってのことなのだろう。ランシィが成人するまでは元気でいるつもりだったかも知れない。

 これは、持って行ってやらなければいけないだろう。いずれランシィが自分のために使えるように。もちろん剣は、なにか証が必要になったときのためのもののはずだ。ランシィ自身が使えなくても、きっと役に立つ。

 棚を元に戻し、明日持ち出す荷物の中に剣と革袋を加えたら、もうすることは思いつかなかった。グレイスは毛布を抱えて、ランシィが眠る長椅子の前の床に座り直した。

 ランシィは、相変わらず穏やかに寝息を立てている。

 グレイスはランシィの前髪に手を伸ばし、そっとかきあげた。

 左目の周りは傷跡らしいものもないし、そのまぶたの下は確かに虚ろでもなさそうだった。

 ただ、夢でも見ているのか右は時々まぶたの下で眼球が動くのに、左目の方は全くそれにあわせた動きをしない。体の一部として血は通ってはいるが、目としての機能は失われているのだろう。

 しばらくその様子を眺め、グレイスは撫でるようにランシィの髪を整えてやって、また床に座り直した。

 ……たまたま今の時期に人が募られて、たまたま自分もアルテヤに向かうことになった。たまたま計画とは違う道を通ってこの村に来ることになった。そして、たまたま自分が訪れた日に老人が亡くなった。

 偶然は三つ続くと必然だと、どこかで聞いた記憶がある。カーシャムか、レマイナか、それともほかの神の手による采配かは判らないけれど、ひょっとして自分はランシィのためにここに遣わされたのだろうか。

 そう考えるのはさすがに感傷的に過ぎるかも知れない。でも、多少なりともそんな使命感を持っていたほうが、自分にもランシィにも良いような気がした。

 グレイスは自分も毛布にくるまり、床に横になった。先の心配で目が冴えてもおかしくない状態だったが、昼間体を動かしたおかげで、きちんと眠れそうだった。


 自分がランシィのためにここに来たのなら、大丈夫、きっとなんとかなる……

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