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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第二章 騎士タリニオールの章
31/71

12.見えない未来と小さな手<3/4>

 急ぐことはないとはいえ、やはり頼まれたことにはちゃんと応えたいものだ。

 タリニオールや登城や市街を視察する合間に、ディゼルトや町の知り合いに、子どもでも出来そうな手伝いを求めているところはないか、声をかけて回っていた。

 偉ぶらず人の良いタリニオールの頼みを無下にする者はいなかったのだが、条件のいいところはたいがい埋まっている。空きが出来たら思い出してくれるように、言っておくくらいしか出来ないのも現実ではあった。

「……ランシィの仕事先の話はどうなってるんだ?」

 半月ほど経った頃、例によって館まで冷やかしに来たディゼルトに話を振られ、タリニオールは首を横に振った。

「いろいろ声をかけてはいるのだがな。教会に出入りしている人たちのつてで、たまに手伝いにいくところがあるようだけど、定期的にとなると難しいようだ」

「雇う方も、時間に融通が利く者の方が重宝するであろうからな。まぁ、差し迫った必要がないなら、焦ることもなかろう」

「ああ」

「ところで、卿はランシィがどれくらい剣術の実力があるか、試したことはあるか?」

 言われてみれば、タリニオールはランシィに助けられた時以外、彼女が実際に剣を振るうところを見たことがなかった。あまりにもあの時の手並みが鮮やかで、それ以上確かめる必要を感じなかったというのも大きい。

「実は先日、俺の部下の何人かを、カーシャムの道場に体験入門させてみたのだが」

「……またどうしてそういうことを思いつくんだ」

「まぁそう言うな、俺はランシィが実際に剣を扱うところを見たことがないから、ちょっと興味があったんだよ。いくら卿のお墨付きとはいえ、あんな少女に直接手合わせを願うのは、俺だって気が引けるじゃないか」

 確かにまだ一二歳になったばかりのランシィは、背は伸び始めたものの、肉付きが追いつかず、見た感じはどうにも華奢な印象を受ける。いかにも軍人らしいディゼルトと並ぶと、それこそ大人と子どもほど体格に違いがある。

「道場の指導者にこちらの正体は明かして、入門にあたって実力を見てもらうという名目で、生徒の何人かに手合わせを頼んだのだ。その中にランシィを入れてもらって、俺は外から見てたんだが、……どうなったと思う?」

 ディゼルトの部下なら、それなりに訓練を受けた軍人ばかりだから、いくらなんでもランシィにボロ負けということはなさそうだ。タリニオールの表情をどう受け取ったのか、ディゼルトはにやりと唇の端に笑みを乗せた。

「ランシィの全勝だ。それも圧勝」

「へぇ……?」

「もちろん、道場の規定(ルール)の中でのことだから、実戦となるともう少し力がないと難しいだろうが、あの瞬発力と判断力は凄まじいな」

 自分の部下が惨敗したというのに、ディゼルトはなんだか愉快そうだ。

 確かに体が細い分身軽だろうし、状況を見定めるとランシィは迷いがない。だがそれだけで、本職の軍人がそうそう後手をとるものだろうか。

「卿、知っていたか。ランシィは、ものすごく耳がいいそうなのだよ」

「耳……?」

「言われてみてやっと思い当たったんだが、片目が見えない分、ランシィは人より視野が狭いはずなんだ。卿も右と左の目、交互に使ってみるとよく判ると思うぞ、同じ位置から見ているのに、右と左ではもの位置が違って見えるし、見える範囲も違うのだ」

 敵はいつも正面から攻撃してくるとは限らない。視野が狭いのは、確かに不利な要素だ。

「ランシィは幼い頃から左目が使えなかったから、聴覚がその分を補ってきたのだろうな。足の重心が変わって床がきしんだり、剣を振りかぶるために持ち直すときの鍔の音なども、敏感に聞き分けているらしい。相手の動きを音で読むんだな」

「そんなことが……」

 言いながら、タリニオールはふと思い出した。馬泥棒から助けられ、孤児院の一室に運ばれた翌朝、タリニオールが窓を開けようとした微かな音が聞こえたかのように、外にいたランシィが自分に向けて視線を動かしたことを。

「そういうわけで、隠れて見ていたのもすっかりばれていた。陰で不甲斐ない部下に呆れてひとりで呟いていたのが、全部丸聞こえだったらしい」

「それは……」

「『そんなに気になるならおじさんも試してみよう』と言われて、慌てて頭を下げてきた。卿に報告されて、また怒られる前に知らせておこうと思ったのだ」

「手合わせしてもらえば良かったじゃないか」

「部下の前で負けたら、さすがに格好がつかないだろうが」

 かといって、謝って逃げてくるのもどうかと思うが。タリニオールに露骨に呆れられているのを誤魔化すように、ディゼルトはやたらと真面目な顔つきになった。

「あれはまだまだ伸びるぞ。もう一年もしたら、カーシャム教会のほうが熱心にランシィの獲得に乗り出してくるのではないか」

「そんなになのか」

「正直言うと、俺が勧誘(スカウト)したいくらいだ。しかし、なんの後ろ盾もなく軍に入っても、ランシィにはかえってやりにくいかも知れん」

 いつもの通り、真面目な顔でふざけているのかと思えばそうでもないようで、タリニオールは反応に困ってしまった。

「なぁ、ランシィが急に、国からの援助が打ち切られる時のことを心配し始めたのは、一五歳になって完全に援助がなくなったら、孤児院に迷惑がかかると思っているからなのではないのか」

「ああ……」

 もちろん、レマイナ教会が運営する孤児院だから、援助が打ち切られたから即出て行けとは言われないだろう。だが、ランシィ一人分の枠がふさがったままだと、次の子どもが入れないという心配もしているのかも知れない。ひとりだちするために、ランシィなりに将来を考え始めているのだろう。

「しかし、女人で剣を使った仕事など、やはり限られてくるだろうなぁ」

「いや、女人で今からあれほどの腕となれば、逆に欲しがる所は多いと思うぞ。貴族の娘御の警護など、男では気を遣うからな。オルフェシア姫の近衛など適任かとも思う」

「ああ……」

 オルフェシアはサルツニア王の長女で、筆頭の王位継承権を持っている。来年は一五歳になるから、歳の近いランシィは、確かに護衛役にうってつけかも知れない。

「オルネスト殿と我らの推薦があれば、宮廷側も文句はなかろう。ランシィが嫌だと言わねば、それも道だと思うのだが……」

 どうやらディゼルトは、ランシィの実力を直接目にしたことで、今まで以上にランシィに関心を強めたらしい。いきなり現れた選択肢に、タリニオールは少々戸惑いながらも頷いた。

 いや、タリニオールが思い至らなさすぎだったのだが、これがもとは商人の息子のタリニオールと、根っからの軍人であるディゼルトの、感覚の違いというものなのかも知れない。タリニオールは、ランシィの剣術をあくまで趣味の延長のように捕らえていて、それとは別に市井の娘としての、ごく普通の人生を漠然と想像していたのだ。

「卿は心底ランシィを気遣っているようなのに、やはり変なところで頭が固いのだよな。ランシィが剣の腕を頼りに生きていきたいと願うなら、身近にいる者で一番手助けができそうなのは、卿なのだぞ」

「私が?」

「卿は、自分がどうやって騎士になったのか忘れたのか」

 言われてやっと、タリニオールははっとした様子で目を丸くした。

「ランシィを、騎士見習いとして私が育てるというのか? 確かにもとの身分は関係ないが……」

「騎馬と槍は改めて学ばねばならぬだろうが、剣の腕は申し分がないからな。本来はもっと幼少の頃から作法を学ぶと言うが、卿が見いだされたのも今のランシィとそう変わらない年頃だったろう?」

「ああ……オルネスト様が頼んでくださった貴族の館で、少しの間形ばかり奉公して、すぐに騎士見習いとしておそばにつかせて頂いたよ。あの頃は、アルテヤ出兵も絡んで国全体が慌ただしかったから、そのどさくさに紛れたような形だったなぁ」

 まともに幼少の頃から騎士を目指して奉公している者が聞いたら、槍でも投げつけられそうな話ではあった。

「ランシィについては、騎士の剣を証に残したことを含めて、オルネスト殿が王に報告しておられるだろう。ランシィもそうだが、卿がその気になれば、女騎士誕生も難しくはないぞ」

 確かに、軍に兵卒として仕官するよりは、王の騎士となった方が剣の腕もより生かされるというものだ。

「オルネスト殿に後ろ盾になっていただき、話が判る貴族の誰かしらの所で少し奉公させて、一五歳になったら卿がランシィを弟子として面倒見るというのはどうだろうな。あの歳の子どもなら騎馬もすぐに身につくだろう」

「しかし、私の弟子として騎士を目指すというのは、サルツニア王の騎士になるということなんだぞ」

 問題は、一度もランシィがサルツニアの地を踏んだこともなければ、当然サルツニアへの愛国心や王に対する忠誠心もなさそうな点である。タリニオールの心配を見て取ったのか、ディゼルトは笑みを浮かべてタリニオールの肩を軽く叩いた。

「なぁに、一度その気になれば、形式も忠誠心も後からついてくるさ」

「お前もたいがい、いい加減だなぁ」

「型にはまらないのは卿も同じだろうが」

 それを言われると、タリニオールも返す言葉がない。

 確かに、これからのことを考えると、ランシィを身寄りのない孤児のままにしておくのはいろいろと不安がある。いくら才能に恵まれていても、なんの後ろ盾もない子どもがひとりで、自分の思い定める未来を掴むのは容易いことではない。

 歌姫や神官の青年は、身を立てていくのに知恵を使うようにとランシィに教えていた。自分達が援助の手をさしのべて、それが自分の目的に沿うものなら、ランシィはそれをひいきや甘えとは思わず、与えられた機会だと判断して全力で取り組むだろう。ただ楽をして生きていこうと思うような子どもなら、この町に着いた時にさっさと、駐留するサルツニアの部隊に名乗り出ていたはずだからだ。

「まぁ焦ることはないが、卿も少し考えてみるといい。あれだけの才能、カーシャム教会にそのまま持って行かれるのも惜しいからな」

「あ、ああ……」

 剣を志すきっかけが、カーシャムの神官である青年との出会いだとすれば、ランシィにとってはそれもひとつの道なのかも知れない。そう思う一方で、自分達の娘が剣を携えて生きることをランシィの両親や祖父は想像したものかと、ふと考えてしまい、タリニオールはただ曖昧に頷いた。

 少年だった自分の指を握った赤ん坊の小さな手に、ランシィの両親は何を掴んで欲しいと願っていたのだろうか。

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