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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第二章 騎士タリニオールの章

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第七話 共にあること、そして 1

 孤児院で生活するランシィは時間に正確で、生活はとても規則正しい。
 あの年頃の女の子だと、学校が終わった後、友達とお喋りなどもしたいのではとも思うのだが、やはり周りの子ども達も家業を手伝っていたりとそれなりに忙しいらしく、学校と道場の敷地を出てまで友達と遊ぶ習慣自体がないようだ。
 それだけに、託児施設に仕事として通う時折、夕飯に招かれるひとときはランシィにも楽しいらしく、タリニオールもよほどのことがなければ、週の一日は必ずランシィが来るのにあわせて休みを取って、揃って夕食をとれるように努めるようになった。時にはディゼルトの部下達も交えて晩餐めいた場を設けることもあり、大人の中でも物怖じしないランシィには良い気分転換になっているようだ。
 そういった日々が続いてくると今度は、
「一度、みんなで演劇でも見に行って、その後外のお店で食事でも出来ればいいなと思うのだけど」
 タリニオールはそんなことまで、エリディアに相談するようになった。
「そうすると、夕飯に招くだけとは違ってくるのかな。孤児院にも聞いてみた方がいいだろうか」
「劇場に入るとなると、それなりのお洋服も必要になって参りますわね」
「そういうのを買ってあげるとなると、ほかの子どもたちの手前もあるだろうし、どうなのかなぁ」
「洋服の保管はこちらでして、必要なときに着せてあげるような形が望ましいのかも知れませんわ」
「貸してあげる形にするなら、問題はないのかな」
 結局この話は、ランシィが丸一日も予定をあけられないということでお流れになった。
 かと思えば、
「ディゼルトが一度、自分の部隊の訓練をランシィに見せたいと言い出してるんだけど」
「職場見学の一環と思えば構わないのではございませんか」
「そうなんだけど、荒っぽい男達ばかりの訓練なんか見せたら怖がったりしないかな」
「ランシィは、その荒っぽい殿方達に引けをとらない強さなのですから、大丈夫でございましょう」
 自分がランシィに助けられたことなど、すっかり忘れているらしい。
 とにかくタリニオールにとって、ランシィが可愛くて仕方がないらしいのは、誰の目にも見て取れた。だからこそ孤児院の大人達も、ランシィとタリニオール達の付き合いが深まっていくのを、温かく見守っていたのだろう。
「ずっと、考えていたことがあったんだけど」
 長い秋がそろそろ白い冬に姿を変えるかというある日の夕方、タリニオールは改まった顔つきで、エリディアに切り出した。居間の暖炉にそろそろ薪をくべようか思案していたエリディアは、タリニオールのいつにない真剣な表情に気付いて、いつものようにタリニオールのはす向かいに腰を降ろした。
「……ランシィを、いずれ、養女に迎えられないかと思って」
「タリニオール様が、ですか?」
「うん、家柄とか考えたら、オルネスト様に引き取って頂いて、この国にいる間は私が後見人になるというのが、ランシィには望ましいのかも知れないんだけど」
 エリディアの視線に、タリニオールは珍しく視線をうつむかせて頷いた。
「みんなで夕食をとるのが多くなって、その後のお茶の時間のお喋りも楽しいし、これが週に一回とかじゃなくて、これから先も、ずっと、こういう日が続けばいいなって、……私が館に帰ってきたら、エリディアとランシィがいつもいてくれたらいいなって思うんだ。それで、……エリディアがランシィのお母さんになってくれたら、いいなぁって」
「……私が?」
「ああ違う、こういう順番じゃないんだ、えっと、その」
 言っているうちにだんだんと収拾がつかなくなってきたのか、タリニオールはひんやりした夕暮れの空気の中で一人汗をかきながら、意味もなく両手を振り回している。
「その、ランシィを娘にしたいっていうのはほんとうに本音だけど、そっちが先じゃないんだ。エリディアにまず、私の妻に……」
 口にしてから、自分が雰囲気もなにも整えないまま求婚プロポーズに突入していることに気がついてしまい、タリニオールはとうとう言葉を失った。赤くなっているのか青くなっているのかよく判らない表情のまま、必死で言葉を探しているらしいタリニオールの手を、エリディアは励ますように穏やかに包み込んだ。
「落ちついてくださいませ。私は大丈夫です、ちゃんとお伺いしますから」
「う、うん、すまない……」
 タリニオールは何度か大きく息を吸って吐き出し、目をそらしたくなるのを堪えながら、必死でエリディアに目を向けた。
「そのぅ……、エリディアに一緒にアルテヤに来て欲しいって言ったあれは、求婚のつもりだったんだ。ただその、言葉が足りなくて、単純に、一緒に来て世話をして欲しいって意味に受け取られた感じで、婚約の段取りとかつけていいものかと、いろいろ考えていたら、ずるずる一ヶ月二ヶ月過ぎて、こんなことになってしまって……」
 結局、それまでの関係の延長に過ぎないままだったから、不完全燃焼ながらも、タリニオールはそれなりに満足してしまっていたのだ。
「でも、ランシィを養女に迎えるとか考えたら、それより先にエリディアに結婚を申し込まないと話にならないし、でも、孤児院の子を養女にしたいって考えているのを伏せたまま申し込んでもずるいんじゃないかと思って、とにかくそのあたりを順を追って話したかったんだ。でも、結局順番を間違ってしまった……」
 語尾がもう消え入りそうになっている自分を必死で励ましているような、そんな声色に、エリディアは思わず笑みをこぼしそうになった。それでも表情だけは真面目に、タリニオールの目をのぞき込む。
「……お伺いしてもよろしいでしょうか」
「うん」
「もし、私が結婚を承諾しても、ランシィを養女にするのは嫌だと言ったら、どうなさるおつもりですか?」
「それは……」
 タリニオールは少し間を置いたものの、きっぱりと答えた。
「一番大事なのはエリディアだから、エリディアが嫌だというならそれはあきらめるよ。今までどおり、友達としていろいろ援助することは許してくれるよね」 
「……では、私の話を聞いて頂いてよろしいですか?」
「う、うん」
 タリニオールは硬い表情で頷いた。あまりにも緊張していたので、エリディアの手がタリニオールのそれをずっと握っていることにも気がつかないでいる。
「もし今、ランシィの方が大事だから結婚はしないと言われたら、すぐにでもお暇を頂こうかと思っておりました」
「え……」
「タリニオール様は、女が好きでもない殿方の世話をするために、別の国にまでついて来るとでも思っておられたのですか」
「あ、それは、その……」
 言葉に窮したタリニオールを拗ねたように見上げ、エリディアはすぐに微笑んだ。
「私もランシィが大好きです。あんなまっすぐなよい子と家族になれるなら、それは素晴らしいことだと思います。でも、それは、タリニオール様に先ず私を一番だとおっしゃっていただかないと、受け入れられないことです」
 今ひとつ返答を間違っていたら、タリニオールはエリディアを失うところだったのだ。改めて冷や汗をかきつつ、タリニオールは必死で腹に力を込めて、エリディアを見返した。
「エリディアがそばにいてくれることにすっかり甘えてしまって、きちんと形を整えることをおろそかにしてしまっていた。改めて、私の妻になることを、承諾してもらえるだろうか」
「はい」
 エリディアの答えは、いつだってためらいがない。そうだった、今までもこうやって、エリディアはずっと、自分のそばにいてくれたのだ。タリニオールはやっと、エリディアが自分の手を握っていてくれていたことに気がついた。
「ただ、ひとつお願いがございます」
「な、なんだろう」
 柔らかな緑色の瞳に取り込まれそうになっていたタリニオールは、はっとした様子で問い返した。
「タリニオール様の妻に迎えていただくのも、ひょっとしたらランシィを養女に迎えるかもしれないことも、異存はございません。でも、その前に、私も世間並みに、恋人気分というものを経験してみとうございます」
「あ、ああ、うん」
 間の抜けた返事に、タリニオールは自分で情けなくなった。ここまで話を進めておいてなんだが、エリディアは自分のような冴えない男のどこがいいと思ってくれているのだろう。だがエリディアがそれまで座っていたはす向かいの席から、恥ずかしそうに自分の隣に移ってきてくれたおかげで、そんな野暮な質問はしなくて済んだ。
 ひんやりとした秋の夕暮れの空気は、ひと組の新しい恋人同士が寄り添って座るにはちょうどよいくらいだった。ぎこちなく肩に回したタリニオールの腕の中で、エリディアは嬉しそうに微笑んでまぶたを閉じた。
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