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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第一章 神官グレイスの章

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第三話 1-4

「あれ、なぁに?」
 指さした先には、殺風景さを埋めるためか何枚かの絵が飾られている。さっきまでは壁際まで人がいっぱいだったのだが、人が減って隙間ができて、ランシィの目からでも見えるようになったのだ。作風も主題も統一性のない絵が並ぶ中で、一枚だけきわだって大きく見事なものがあった。
 月と太陽が同時に輝く戦場で、岩に足をかけて勇ましく剣を抜いた、美しい女の絵だった。足下には女に打ち倒されたたくさんの兵士達が転がっているが、それらは人間の姿のようでいて皆どこかしら異形の生き物だった。人の欲望や、悪い心を象徴したものたちだ。
 血のように赤い髪をなびかせて立つ女は、宝石を散りばめた眼帯で左目を覆っていた。そしてその右手が持つ剣の柄頭には、女の髪と同じ色をした人間の目玉が、高貴な宝石のように埋め込まれていた。
 唐突に、グレイスは思い出した。騎士オルネストがランシィの為に残していった美しい剣。あの剣の柄にはめこまれた、傾いた天秤と剣を模した紋章の意味を。
「あれは……女神ジェノヴァだよ」
「じぇのば?」
「戦いと、裁きの女神でね。カーシャムの双子のお姉さんっていわれてるんだけど……」
 そうだった、紋章自体は各教会に認定されていないのですっかり失念していた。グレイスは歌姫の声でまわった酔いを醒ますように、大きく頭を振った。
 一般的にジェノヴァは、死と眠りの神カーシャムの半身といわれている。ジェノヴァが裁いた罪深い者に、カーシャムが死の慈悲を下す。ただ、神の公正すぎる目で人間を裁こうとしたら、地上に人はいなくなってしまう。
 ジェノヴァは自分の左目を取り出し、それをはめこんだ剣を人間に預けたのだ。それは神が人の罪を「裁く」力を人間に貸与するという意味を持っている。司法が人を裁く事を許されているのは、ジェノヴァからその力を預かっているからにすぎない。
 それだけに、裁きの力を行使する者にはより慎重で公正な判断が必要になる。利己的な目的で濫用する者には、逆にジェノヴァからのより厳しい裁定が下るだろう。
 カーシャムの神官は、ジェノヴァの後ろ盾を持っているから、非常時に死の神カーシャムの慈悲の指を務めることが許されているのだ。
 と、ここまでは、どの教会でも認めていることで、実際に各神官学校の履修内容にも入っている。問題は、ここから先の話だ。
 王国サルツニアの建国の伝説には、女神ジェノヴァが関わってくる。自分の目をはめ込んだ神剣「ジェノヴィア」を、ジェノヴァが預けた人間。それこそが、サルツニア建国の始祖だったというのだ。
 そのため、サルツニアには大陸内で唯一ジェノヴァのための神殿がある。そこには授かった神剣ジェノヴィアが収められ、新国王の即位や、騎士叙任の際に用いられるのだという。
 その神殿で用いられているのが、左に大きく傾いた天秤と剣を模した紋章なのだ。
 剣はもちろん神剣ジェノヴィアを、傾いた天秤はジェノヴァの両の目を現している。秤の左皿の傾きは神の大きな慈悲が置かれた様を表し、右皿には人の罪が乗る。あらかじめ傾いた天秤なのに、その傾きすら無にするような重い罪を犯した者の上には、必ずジェノヴァの裁きが下されるのだ。
 その紋章は、ジェノヴァがサルツニアの守護神である証ともいわれ、騎士達が王から賜る剣にも同じ紋章が埋め込まれていた。
 ジェノヴァ神殿自体がサルツニア国家の管轄下に置かれて、カーシャム教会とは独立しているため、この話は教会側からは公式には認められていない。
 各教会は、女神ジェノヴァの神殿というよりも、神剣ジェノヴィア(と呼ばれる剣)の保管施設、即ちサルツニアの宝物庫のひとつと解釈していて、崇拝の場所とはとらえないという姿勢を見せている。なので、ジェノヴァ神殿は表向き、どの教会とも無関係な国家の一般施設に過ぎなかった。
 神剣ジェノヴィアはあくまで、サルツニア内の儀式で使われるだけのもので、カーシャムを含めた各教会の教理的には意味を持たない。
 ランシィには、左目のない女神と、その目が剣にはめられている構図の印象が強烈なのだろう。怖がっている様子はないが、もう歌姫の歌など聞こえていないようで、じっと絵に見入っている。
 左目を失った少女に与えられたのが、左目のない女神の紋章を持つ剣だった。その女神は、グレイスの神カーシャムとも関わりがあり、そしてその自分が今こうして少女と供にいる。
 偶然は三つ重なれば必然という。あまりにもできすぎていて鳥肌が立つくらいだ。
 だが、なぜこんな絵がこんな所にあるのだろう。ジェノヴァはサルツニアの守護神といわれるだけあって、その紋章はもちろん、ジェノヴァを讃えるような絵画も、サルツニア以外の国ではあまり見かけないのだ。
「えーっと……一〇年くらい前かしら、戦争が終わった年だったと思うけど」
 歌姫の舞台を邪魔しないよう、客達のあけた杯や皿を下げにまわっていた宿の女主人は、グレイスの問いに、記憶をたどるように目を細めた。
「灰色っぽい服を着た男の人が持ってきたのよ。大きくて運ぶのが大変だから引き取ってくれっていわれて、ただ同然でもらったのだけど……そういえば、運ぶのは大変だっていいながら、どうやってこんな所まで持ってきたのかしらね」
 言いながら、初めて気がついたというように女主人は首を傾げた。それから、
「あなたの服に似た形をしてたわね、あの男の人の服」
 グレイスの服は神官の法衣だ。各教会、法衣の形はほぼ変わらない。色だけがその神を象徴するものに染められている。
 しかし、灰色の法衣とは聞いたことがない。白ならレマイナ神官なのだが。
 ランシィの関心はもう、歌よりも絵に移っている。あまり露骨に、歌を聴いていないような素振りを見せたら、歌姫にも観客にもあまりよく思われないだろう。絵は明日改めて見せてあげることにして、とりあえずランシィを休ませるために一度食堂を退出することにした。
 女主人は、この歌姫の舞台が終わったら、食堂の最後の片付けをしたいから、グレイスにはまた戻って来て欲しいという。どうせ自分はしばらく寝付けそうにない。
 情熱的な愛の歌はいつの間にか終わって、今度は静かに過去の思い出を語りかけるしんみりとした曲になっている。
 グレイスは、少し不服そうなランシィの背中を押し、歌姫の声から逃げるように食堂を出た。最後まで歌姫の歌を聴いていたいのはやまやまだが、これ以上聞いていたら、今度こそあの声に心を持って行かれてしまいそうで、グレイスは少し怖い気がしたのだ。
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