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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
8/65

chapter8 彼の情報

 今日は本当に、学校なんか来なければよかったと後悔している。

 昨日の図書室での出来事は目撃者が致命的に多かった。七月に入り、期末テストも目前に迫っていたから、あの時間に図書室を利用していた生徒は三十人ほどはくだらなかっただろう。噂が広まらない方がおかしい。

 俺もあの直後は浮き足立っていたので、後のことを何も考えていなかった。図書室が閉まって、依子と原村と自転車置き場に行く途中、部活をする生徒たちの視線がやたらと気になるな、とは思っていた。もうあの時点でそこそこに広まり始めていたんだ。



 朝、登校して一番に、三人の女子生徒に囲まれた。鍋島とその仲間たちだ。その三人の勢いに、俺は訳も分からずたじろいでいた。

「平野と付き合ってるってマジ?」

 開口一番そう訊いてきたのは、鍋島より少し背の低い女子だ。ショートカットで赤縁眼鏡、活発そうなきりりとした目鼻立ち。名前は、忘れた。

 俺がどう答えようかと逡巡していると、間髪入れずにまた横やりが入ってくる。

「その情報は間違いだよ村瀬ちゃん。中学のころ今泉くんが平野さんに告白して、それでふられちゃったもんだから昨日無理矢理平野さんにキ、キスをせまって……だよね、ね?」

 変な噂の広まり方になっている。そもそも俺と依子、中学違うし。

 しどろもどろに語ったのは先ほどの女子よりさらに小さい、まるで小学生のように華奢な女子。いかにも大人しそうな小さな口で、とろんとした二重瞼が控えめに俺をとらえている。この女子の名前も忘れた。

 いや、思い出した。たしか鈴木。

「その前に二人は親戚同士なんですよ。間違ってるのは城川さんです!」

 全然違った。鍋島はじれったそうに友達二人を押しのけ、切迫して俺へ詰め寄ってくる。

「どうなんですか今泉くん。いとこの上、付き合ってるなんて、異常です。それに、それならそうとどうして私に教えてくれなかったんですか」

 鍋島、村瀬、城川の中、小、極小トリオに三包囲を塞がれた俺は、自分の席を立つことも出来ずに三人の好奇と期待と憤怒の視線にさらされた。気付けば、すでに登校している生徒みんなの目もこちらへ集中していた。恐らく入学以来最も俺が注目された瞬間だろう。

 俺は額に冷や汗を浮かべ、目だけで教室内の様子を追う。どこを見ても誰かと視線が合って気持ちが悪かった。

「ねぇ由多加、どちらにせよ、平野と今泉、図書室の面前でキスしたらしいじゃん。風紀委員として注意してあげなよ」

 茶化すように鍋島の背中をつつくのは村瀬だった。鍋島が風紀委員だとは知らなかった。城川がおずおずと小さく手を上げる。

「いとこって本当? 全然似てないけど、というか、正反対みたいな……」

「本当らしいよ。隠してたんだよね、今泉も平野も。ますます怪しいよねー」

 村瀬はケタケタと笑い城川の肩に手を回す。城川が慣れた手つきで村瀬の手をどかした。村瀬はスキンシップの多い女子らしい。

「や、隠してたわけじゃ」

「付き合ってたことをですか?」俺の言葉に即座に反応する鍋島の顔は、どこか怒っているようだった。

「そうじゃなくて」

「じゃあどういうこと?」村瀬。

「親戚だってことを隠してたわけじゃなくて」

「隠してたわけじゃ、なくて?」城川。

「ともかく、付き合ってはないってこと」

「じゃあどうしてキスなんてしたんですか」鍋島。

「知らねえよ。その場の流れで」これは説明するのが面倒だ。

「今泉って場の流れでキスするようなやつなんだ。うっわー」城川。いや、これは村瀬か。

「俺からしたわけじゃなくって」

「平野さんからだったの……?」城川。

「まぁ、うん」

「そっちの方が、ますます信じられません。あの平野さんが、絶対あり得ません」これは……村瀬じゃない。城川でもない。鍋島だ。

「本当なんだよ。流れでやむをえず。やむをえずってのはおかしいけど、とにかく依子から」

「うっそだー。どうせ今泉が無理矢理やったんでしょ。言い訳しないで正直に言いなよ。ほら、あそこで密かな平野ファンが泣いてるよ。土下座した方がいんじゃねー?」

 だんだん三人の顔の見分けがつかなくなってきた。恐らく村瀬だと思われる女子が後方の席を指した。

 彼女の指す席には、長めの黒髪をジェルでぴっちり固めた男子が座っていて、そいつは耳を塞ぎ、机に突っ伏して肩を震わせていた。名前は確かロベルトだったと思う。俺の覚え違いだったらいいけど。

 俺もロベルトの真似をして机に突っ伏した。耳を塞ぎ、鍋島ら三人の詰問から逃れる。そうしていたら三人から身体を揺すられたり頭を軽くどつかれたりしたが、俺は必死に耐えた。

 そのうち依子が教室に入ってきて、その瞬間、教室内は水を打ったように静まり返った。少し顔を上げて依子を確認してみると、彼女は扉を開けたまま教室内の不穏な様子に首を傾げたが、すぐに自分の机へ向かい、すぐさま参考書を広げていた。

 静かな教室でただ一つ聞こえてくるのは、ロベルトのすすり泣く声だけだった。



 昼休みになって気づく。早川は今日学校を欠席していた。早川を中心に取り囲んでいた女子グループは今日は大人しく弁当箱をつついている。

 相当なショックだったのだろう。俺も早川の立場だったらと想像を巡らせてみるが、俺は早川ほど誰かを好きになったことがないので、いまいち真に迫る感覚は掴めなかった。

 期末テストが来週に控えていた。俺は例の図書室事件とテスト勉強のため、しばらく図書室へ行くことは止めた。そして依子ともあまり関わらないようにもする。依子には母ちゃんの自転車を借りさせたままだったし、俺が図書室に来ずとも彼女にはなんら影響はなかったので、つまり少し前までの俺たちに戻ったわけだ。

 図書室事件の翌日は学校中の生徒からの視線に晒されていたが、そんな慎ましやかな生活を経て、日を追うごとに騒ぎは鎮火の一途を辿った。結局、依子と付き合っているという話は嘘情報として認識されつつあったが、一部の生徒ではまだ疑いを持つ者がいたようだ。



 ある日、男子トイレに行ったらロベルトと鉢合わせすることがあった。そのとき、そのトイレに居たのは俺とロベルトだけだった。

 ロベルトは俺を認めると、敵意を含んだ目をしていきなり俺の胸ぐらを掴み上げたのだ。

「お前が平野をたぶらかしたんだな。平野はお前みたいな不良とは釣り合わないんだ」

 ロベルトの髪は今日もてかてかに固められていて、俺はゴキブリの表皮を思い出した。歯をかちかちと鳴らして、今にも噛みついてきそうだった。

「なんとか言え! よくも、よくも平野の初チッスを」

 言い回しの古臭さに思わず笑ってしまった。ロベルトは、何がおかしい、と俺の身体を揺すって怒り出した。そのうち「援交の噂もお前が流した」とか「平野の上履きもお前が隠したんだ」とか支離滅裂な言いがかりをつけてきたので、俺はだんだん腹が立ってきた。

「校舎裏に行くぞ! ぼこぼこにしてやる」

 そうロベルトが言うので、そんな面倒なことはせずともここで叩きのめしてやる、とばかりに拳骨をロベルトの頭に振り落としてやった。するとロベルトは鼻水を垂らしてその場で泣き崩れてしまった。

 他の男子がトイレに入ってきて俺たちを気にするように見てきて、流石にばつが悪くなった俺は「悪い、大丈夫かロベルト?」と声を掛けたが、俺の伸ばした手はロベルトによって弾き返された。

 それから涙声で「俺は曽根本だ!」と一喝されてしまった。覚え違いでよかったと俺は安心した。

 その翌日。曽根本は学校を欠席した。理由は早川と似たようなものだろうが、彼のことはどうでもいいのでフェードアウトする。

 問題は早川で、彼女はまだ学校に来ていない。

 早川が登校してきたときのことを考えると憂鬱で仕方がなかった。出来れば夏休みが始まるまで登校してこなければいい、とも思った。



 しかし、期末テスト二日前になって、早川は学校に来た。朝、容態を心配する友人らに迎えられた早川だったが、早川は生気の抜けた声で「大丈夫よ」とだけ返して自分の席に座った。俺はぞっとした。目がすわっていて、以前の早川とは一線を画しているような、そんな印象を受けた。

 早川はクラスメイトに話しかけることもなく、一日中席に座ったままだった。依子以上に近寄り難い雰囲気を発散していた。



 昼休みになって、煙草を吸いに屋上へ向かった。

 原村が流れるような手つきでスケッチブックに絵を描いていた。ほとんど街の風景を見下ろすこともなく。多分、何度も何度も描いているうちに覚えてしまったのだろう。そんな原村を眺めながら、あることについて考える。

 先月終わりに起きた、図書室での一件のことだ。あれで一時、学校中でさまざまな諸説が飛び交っていたようだが、一つ気になることがる。

 話の中で、早川沙樹の名前が出ることがあまりなかったことだ。あのとき確かに早川はあの場にいたし、そもそも早川が騒ぎの元を作った。泣きながら図書室を出て行くところを何人もの生徒が見ていたはず。

 それでもあの件について直接訊かれるのは俺と依子のことで、早川の名前は、出るには出るのだけど、彼女については誰もが曖昧に濁した。

 最初は、振られた早川に気を使っているのかな、と思った。それとも、あの場でキスをしたことが生徒たちにとってあまりに刺激的だったからとか。だから話の中心は俺と依子で、早川についての噂はほとんど広まらなかった。

 そういう解釈であっているならいいけど、どうしても俺には作為的に思えてしまう。

 そんなこと、本当は気にしたくもなかったけど、どうしてももやもやしてしまって、俺はそのことについて原村に相談してみた。

 すると原村はヘッドフォンを外し、一度街並みを見下ろした。

「そういやあいつって、今日登校してきたんだよね」

「早川のことか? よく知ってるな」

「まぁね」

 原村は柔和な笑みを浮かべる。

「そうか、今泉は知らないんだな。早川沙樹ってさ、やばーい奴らとの付き合いがあるんだぜ」

 原村がおどけるように言うので、俺は愛想笑いを返した。

「やばい奴ら。ヤクザとか?」

「そういうんじゃないけど、詳しくは言えないなぁ。ま、みんなそれを恐がって早川沙樹のことを口にしないんだと思うよ」

「なんだよ、詳しく言えないって」

「詳細を知りたいなら、そうだな、僕の絵を買うことだ。よっしゃ今泉。君には特別価格、一枚五万円で売ろう」

「ぼったくりじゃねえか」

 原村が拳を振りかざして怒る真似をし、俺は大袈裟に身構えた。それから馬鹿みたいに笑い合う。はたから見ると気色悪い光景だろうな。

 俺は煙を吐いて貯水タンクに背中を預け、お絵描きを再開する原村の背中を眺めた。

「五万で売るほどなんだから、よっぽど厳密な情報を教えてくれるんだろうな」

「そうだね。なにせ、この学校で早川沙樹のことを一番知ってるのは僕だから」

 新しい煙草に火を点けようとして、俺は手を止めた。引っかかる言い方に、俺は懐疑的な視線を原村の後頭部へ飛ばす。ライターを持ったまま言葉を詰まらせていると、原村はこちらを振り向き、いつものように笑った。

「五年前に生き別れた妹なんだよね、あいつ」

 いとこだと打ち明けたときの鍋島の気持ちが分かった気がした。

「複雑なんすね、原村先輩も」

「いやいや、今泉君ほどじゃないさ」

「いやいやいや」

「いやいやいやいや」

 二人でいやいや言い続けてたら、昼休み終了のチャイムが鳴った。

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