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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
7/65

chapter7 疑心と急転

 俺の横を歩きながら、早川はひたすら前髪の位置を気にしていた。

 対して変わらないのに、何をそんなに気にする必要があるのだろう。早川は髪を後ろで一つにしばっており、後れ毛が微妙にあったので、むしろそっちの方をなおした方がいいんじゃないかと思ったが、本当に数本ほどだったので指摘するのは止めておいた。

 でも、俺もトイレ行ったときは一応鏡で髪型気にしたりするしな。そんなもんか。



 俺は早川に連れられて、駅に隣接しているマルイに向かった。本当は断って、さっさと帰ってCD聴きながら漫画でも読みたかった。

 世の中には、悪い意味での誘い上手って奴がいる。誘う対象に予定がないと分かれば、何が何でも誘いこもうとするあれだ。断っても意味はない。「でも予定ないんでしょ?」で押し切ってくる。相手の気持ちを汲む気はないようだ。

 それとも俺に主体性が足りないせいかもしれない。早川の方を流し見ると彼女と目が合い、煮えきらないような笑みを向けられた。

「どうした?」

「んーん、なんでもない」

 これはただの推測で、俺の勘違いだったら恥ずかしいのだけど、もしかして早川は俺に気があるんじゃないだろうか。だとしたらすごく面倒なことだ。だって俺は早川をそんな目で見ることはないのだから。というより、あまり彼女のことをよく思っていない。はっきり言って。

 俺の勘違いだといいなあ。



 日曜日というだけあって、マルイの店内も混んでいた。

 人混みはあまり好きじゃないので外で煙草でも吸って待っていたかったが、それを言えば早川に怒られてしまいそうだ。

 早川は水着売場へ入って行った。夏休みに友達と海水浴やプールに行く予定があるのだという。ならば何故俺と来る必要があるんだ。

 俺は売場前で待っていた。

 しばらくして早川が水着を三着持ってきて「どれがかわいいと思う?」と訊いてくる。かわいいという基準で考えて、三着とも俺には違いがないように思えた。でも、「どれでもいいよ」という言葉は女子には禁句だとどこかで見聞した覚えがあるので、「全部かわいいと思う」と答えた。

 早川は俺の返答が不服だったようだ。なるほど、どれも同じくらいかわいい、という回答は求めていないらしい。要はどれを選べばいいか意見が欲しいと。

 早川が水着を買い終えたのは四十分ほど経ってからだった。

 水着一つで、結構人生損している。

 これでやっと帰れるな、と安堵していると、今度はすぐ近くの映画館に連れられた。

 観たい映画があるという。

 早川が受付で示した映画はピクサーアニメの最新作だった。

「高校生が観るようなもんじゃなくね?」

「なめてるわね、ピクサー」

 ポップコーンを一粒口に放ってから、早川は小さく笑う。俺はチケットを見つめた。

 映画を観終わった結果から言うと、俺は不覚にも泣いてしまった。

 最近の映画は3D映像を楽しめるようになっているのだが、あまりに心打たれるシーンがあったため画面を観ることができなくて、下を向いたら3Dメガネにぼたぼたと涙が落ちてしまった。それで顔上げたら視界が水中のようになった。

 映画館を出て、早川が俺の顔を指して笑う。

「今泉目ぇ真っ赤。おっかしー」

 などと嘲笑してくる彼女の鼻頭も赤かった。しかし俺ほどの号泣ではなかったので、俺は恥ずかしくなって顔を背けた。

 次にマックへ行って、それから帰ろうと早川が言う。俺は心の中でガッツポーズをした。早く済ませて家でCDを聴こう。



 マックへ行くのは久しぶりだったので、奮発してビックマックを注文した。俺がビックマックの食べ辛さに苦戦している横で、早川はひたすら学校の話をしていた。

 あの話題を振ってきたらどうしよう。そんな風に考えた矢先、謀ったかのように早川はその話題を出してくる。

「そうそう、この前平野がね」

 陰口ってやつだ。依子は根暗だとか、話しかけても無視するし感じが悪いとか、実は男好きだとか、そういう内容を山もなく落ちもなく早川は延々と語り続けていた。

 やっぱり俺はこれが苦手だ。フェアではない。

 ビックマックの味が途端に薄れた気がして、食べるのが辛くなってきた。俺は食べかけのビックマックを置き、煙草を吸おうと思ったが、ここが禁煙だということに気付いて、出しかけた煙草の箱を乱暴にポケットに戻した。

 早川がそんな俺を見て話を止め、少休止を入れるようにストローをくわえた。

「なんか、怒ってない?」

「いや、全然」

 舌打ちをしそうになる。原因は様々だが、最近精神的に不安定だ。

「この前、図書室にいたじゃない?」

 早川の声は低く、小さかった。視線だけ向けると、早川は遠慮がちに口を開いた。

「平野と仲良くしてたみたいだけど、どういう関係なの」

「いとこ」

 そうやって即答してみたら、早川は唇を歪め、じっと俺を睨んできた。

「ふざけないで」

 冗談だと思われたらしい。

「ねぇ、付き合ってるんだよね、平野と。だから平野の悪口言うと怒るんだよね」

「違うよ。俺はただ陰口が嫌いなだけ」

「なら最初からそう言えばいいじゃない。おかしいよ、だっていつもは優しくしてくれるのに、平野の話のときだけ素っ気ない。隠してるんでしょ、付き合ってること」

 俺、早川に優しくしたことなんてあったっけ。言い淀んでいると、早川がだんだん確信を持った顔をしてくるので、なんだかもう、俺はやけくそになってきてしまった。

「だってお前、依子のこといじめてんだろ。そりゃあそんなやつの陰口直接聞いたら嫌な気分にも」

「依子、って呼び捨てなんだ」

 早川は俺の言葉を遮って、問い詰めるような表情をつくった。

「……いとこだしな」

「へぇ、そうなんだ。ふぅん」

 何を言っても通じない雰囲気だ。人と対話している気がしなくなってきた。

「つか、なんでそんなこと気にすんの。まさか、まだ俺のこと気になってたり?」

 冗談混じりに笑いながら言ってみた。早川は我に返ったような顔をして、視線を落とす。ぶつぶつ何か漏らして、それっきり黙ってしまった。

 そんな早川の反応に俺は愕然とした。なんだか、俺の勘違いとは言えなくなってきた。

 場に流れた空気が一転する。全身の毛を逆撫でするような気持ちの悪い感じ。

 その雰囲気はマックにいる間中続き、帰り別れるときでさえ、ほぼ無言の状態だった。本当に明日が心配になる。できればほとぼりが冷めるまで学校をサボりたかった。



 翌日。悩んだ挙げ句、サボることに決めていたのだけど、五時くらいに依子の電話で叩き起こされた。自転車で迎えに来てくれ、という用件だった。

 さすがにそこまで面倒は見きれないと断ったが、例のごとく依子は食い下がってくる。土曜日の朝と同じ流れだったが、そういえば今日は弟の小学校が休みなのを思い出した。週末に修学旅行があるため、その振替休日なのだ。

 弟に頼んでみたところ、あっさり了承してくれた。昔からこいつは依子に懐いていたので、楽な交渉だった。多分弟は自転車なしで歩いて帰ることを計算に入れていないのだろう。馬鹿め。

 弟は母ちゃんの自転車を一日だけ借り、依子の家へ派遣された。八時になり、俺は自分の自転車で悠々と学校へ向かったのだが、学校に着いて「今日も微妙に遅刻しちまったなぁ」と一人呟きながら、ようやく気づいた。

 あれ、俺サボってねえ。



 放課後になって、俺は図書室へ向かった。昼休みは生徒指導室に呼び出されていたので行っていない。理由は言うべくもないな。

 いつも通り依子は受付をやっていて、宮下先生も不在だったが、今日は何故か原村が居た。原村はパイプ椅子に座ってバガボンド十七巻を読んでいた。俺がこれから読もうと思ってたやつ。

「僕、図書委員長だからね」

 原村はヘッドフォンを外し、へらへらと笑いながら言う。彼がここに漫画があることを知っていたのにも合点がいった。俺はパイプ椅子をもう一脚出して原村と向かい合うように座った。

 原村が十七巻を読み終わるまで携帯をいじって待っていたんだけど、この日、結局俺が十七巻を読むことはなかった。

 受付に、早川沙樹が来たのだ。

 昨日のマックのような空気が再来する。俺は受付の影に身を隠そうとしたけど、あっさり早川に見つかって、ばっちり目が合ってしまった。

「今日も二人っきりで受付番してるんだね」

 俺はぽかんと口を開けた。原村居るんだけど。

 見ると、原村は壁に隠れるように寄り添っており、何か面白そうに口元を緩めていた。どうやら早川からは彼が見えていないらしい。

 早川は和英辞書をカウンターに置き、「返却」と高圧的に言った。しばらく場が沈黙する。そうだ、俺の学生証使ってたんだっけ。慌てて財布から学生証を出し、依子に渡した。

 早川が睨むように依子を見下ろし、俺がげんなりとした表情でそれを見守る中、依子だけはいつもの無表情で作業をする。雰囲気でなんとなく分かるだろうに、依子の神経の太さが羨ましくなった。

「ご利用ありがとうございました」

 にべもしゃしゃりも無く言ってシャーペンを取ろうとする依子の頭上に、早川の突き刺すような言葉が降りてくる。

「平野さん」

「なに」

 依子はもう片手間に数式を解き始めていた。早川は憎々しげに依子を見下ろしていて、今にも怒声を張り上げそうだった。携帯を操作するふりをしてやり過ごそうとした俺だったが、もはや早川が何を言おうとしているのか先読みしてしまったので、非常に迷ったが、やむを得まいと携帯を閉じた。

「付き合ってねえって昨日言ったろ」

 すぐに早川がこちらを見てくるので、俺は目を逸らした。逸らした先に原村の顔があって、彼はにやけ面を余すところなく顔面に晒していた。ちくしょう、人の気も知らないで。

「いとこなんだって。なぁ」

 耐えきれず、事実確認を依子に振ったつもりだったが、依子は気づいていないのかうんともすんとも言わなかった。どころか、この話にあたしは関係ないですよと言わんばかりに参考書に目を落としている。俺はその呑気な頭に手刀を振り下ろしたかった。

「いとことか、関係ないわよ。私の友達にいとこと付き合ってる子いるし」

 知るか。

「それに私、見たのよ」

「何をだよ」

 何を見たのか知らないが、早川は破滅的に声を震わせていた。

「この前、あんたたち仲良さそうに二人乗りしてたでしょ」

「だからなんだよ。依子の自転車が盗まれてたから仕方なかったんだよ」

「知ってる。私が盗んだんだもん」

 ぶっちゃけてんなぁ、予想通りだけど。

「それに、それに、一昨日なんか、相合傘してた」

 こいつは依子か俺をストーカーでもしているのだろうか。

 早川はもう泣きそうになっていた。自分で自分の言葉にショックを受けているようだった。原村がそれを聞いて七福神のえびすのような笑顔をした。今だけは笑えない。

「それで?」

「それで確定じゃん。違うっていうの?」

 俺は後頭部を激しく掻いて立ち上がった。立ち上がったはいいものの、何と返せば信じてもらえるか分からなかった。

 妄想が一人歩きしている。ここで俺がどう弁解しても、早川はきっと信じないだろう。苛々してくる。煙草を吸いたい。

「ねぇどうなの。黙ってないでなんとか言ってよ」

「付き合ってねえよ。俺は誰とも付き合ってねえし、誰のことも好きじゃない。ただな、」

 言いかけて、息を呑む。続きを言ってしまえば、予想も想像もできないけれど、何か悪いことになりそうな気がする。しかし早川の顔を改めて見つめたら、どうしても俺は鬱憤を晴らさずにはいられなかった。

「ただ、俺はお前が嫌いだ」

 早川の表情が蝋で塗り固めたように硬直する。

「聞こえなかったか? 俺は、お前が――」

「もういい」

 依子だった。シャーペンをノートに叩き、依子は椅子を蹴るように立ち上がっていた。音に反応して、図書室内の生徒全員の目がこちらへ集中する。

 深いため息をついたかと思うと、依子は唐突に俺の方を向いた。

「付き合ってるとか、付き合ってないとか、本当にくだらない」

 依子が一歩一歩、俺へと近寄ってくる。俺は反射的に後ずさったが、すぐに背中が本棚にぶつかった。

 引っぱたかれると思った。もしくはぶん殴られるのかと。理由は分からないし、過去に依子から暴力を振るわれた経験もあるっちゃあるのだけど、とにかく彼女の表情の裏には確かな怒りが宿っていた。

 依子が俺の肩に手を置き、俺は思わずびくりと震え上がってしまう。誰かがはっと息を呑む。俺も息を吸いたかったけど出来なかった。

 依子が少し背伸びをして、俺と唇を重ねていた。依子の髪の香りが鼻腔をくすぐる。

 ひゅう、と原村が口笛を吹く。短いキスで、俺は呼吸すら出来ずに固まっていた。唇が離れた直後、依子の顔がすぐ目の前にあって、こんなにも接近して彼女の顔を見たことがなかったから、少しだけ新鮮だった。

「こんなものに意味なんてない」

 依子は早川の方を振り返り、突き放すように言い捨てる。早川はまた、さっきの泣きそうな顔をした。



 早川がすすり泣きながら図書室を出て行ったあと、原村は勉強を再開した依子に向かって「かっけえ、まじかっけえよ平野」とたえず賞賛の拍手を送っていた。俺はパイプ椅子にうな垂れて座り、ぼうっと天井を見上げる。

「なんてことしてくれたんだよ依子。二重の意味で」

 キスしてきたことと、早川を再起不能並に傷つけたこと。後者は俺の言えたことじゃなけど。

「ごめん」

「何気に初だったんだけど。初がお前って」

「ごめんってば」

 依子は苛立たしげにノートに数式の解を書き殴る。いつしか原村は拍手喝采を止め、嬉しそうにバガボンド十八巻を開いていた。もう十七巻を読む気は起きない。

 ふと依子が手を止め、未だざわつく図書室内を見つめる。

「なんであの子、あんなにしつこかったの」

 この場合、依子へのいじめではなく、俺のことを指しているのだろう。

「中学、早川と一緒だったんだよな」

「それがなに」

「昔、あいつに告られたんだよ。振ったけど」

「そうなんだ」

 俺は再び顔を伏せ、目頭を抑えた。胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸をする。本当に、心臓に悪かった。 

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