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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
60/65

chapter59 畏怖/天秤/叫喚

 文化祭がすぐそこまで迫っていた。

 その日、授業は行われず、全クラスが文化祭の準備をするための時間に充てられた。

 昼休み。生徒会室を抜け出し、弁当を取りに行くために二組の教室におもむいた。教室の脇にはプラネタリウムのドームに使う竹ひごや材木が並べられていて、生徒たちは教室後方で机を固めて昼食をとっていた。

 自分の弁当箱を取って教室を出る。

 東棟を歩いていると、最奥の空き教室内で早川と吉岡が弁当箱をつつき合っているのが見えた。そこは二組の仮の作業場で、主に看板や木材の加工をする場となっている。そのとき室内にいたのは、その二人っきりだった。

 早川が俺に気づいた。扉を開けると彼女は笑いかけた。

「ここシンナーっぽい臭いがするし、木くずでほこりっぽいのよね。なんか食欲なくなっちゃう。他にいい場所知らない?」

「屋上来る? 旧校舎のだけど」

「行かない」

 と、きっぱり言ったのは吉岡だった。

「沙樹と二人がいい」

 幼児後退したような口調で断られた。どうすればいい、と早川を見る。彼女は意を決して言う。

「美野里、午後の看板作り、サボっちゃおうか」

「えー! なんで?」

「だって、またあいつらの相手するのダルくない? 午後はずっと屋上にいようよ。たぶんお兄ちゃんもサボってるだろうし。みんなでトランプでもしよう」

 吉岡の笑みは虚仮に見えた。細められた瞳は静かで暗い。早川はすこし怖じ気ながら、椅子を立って吉岡の手を取った。

「行こってば美野里。もう頑張ったじゃん。疲れたでしょ、もう」

「疲れたって?」

 吉岡は引かれる手を引き戻した。

「頑張るとか疲れるとかってなに。私、ぜんぜん疲れてないんだけど」

「私にはそうは見えない」

「疲れてるのって、沙樹の方でしょ」

 吉岡は取られた手を振り払って箸を持ち直した。

「そんなに今泉たちのとこに行きたいなら、一人で行けばいいじゃん。無理して一緒にいてくれなくていいよ。今度は沙樹が目つけられちゃうかもしれないし。それに、私さぁ、もう誰かと馴れ合う必要なくなっちゃったんだよね」

「なにそれ。美野里、なに言ってるのよ」

「転校しようかなって考えてるんだ。この学校、進学系のくせに見ての通り馬鹿ばっかりでしょ。アキラと一緒に遠くへ引っ越して、もっとレベルの高い高校に通いたいなぁ」

 凍てついたように早川は固まり、頬を緩ませて斜め上を見上げる吉岡を見つめた。その手はスカートの端を掴み、生地に爪が立って食い込んでいた。俺は、早川がそのまま吉岡の頬を叩いてしまうのではないかと心配した。

 しかし、そうはならなかった。早川は俺の方を振り向き、自然に作った笑みで「ごめん、二人にさせて」と言った。



 旧校舎屋上へ行くためには図書室を通らなければならない。図書室入り口付近には、立ち話をする三人の女子が居た。俺は声をかけられないように足早に廊下を進んだ。

 しかし、俺のそんな行動も徒労に終わった。

「また屋上ですか、今泉くん」

 鍋島に呼び止められ、残りの二人も俺に気づいた。城川と、依子も居た。俺はとっさに依子から視線を逸らした。

「たまには図書室で食べませんか。積もる話もあることですし」

「ねえよそんなもん」

 もう行ってしまおうとすると、依子が俺の前に立ちはだかってきた。驚きで首筋に冷や汗が浮かぶ。

「きて。原村先輩も呼んでいいから」

 一昨日みたいに突き飛ばしてしまいたかった。だけど今は他の者の目もあるので止めておく。それでもこいつの無神経さがいやに鼻についてしまって、構わず歩を進めながら肩をぶつけて依子をどかした。

 ここまで潔さを欠いた情けない男も、なかなか居ないのではないかと自分でも思う。



 屋上に原村はいなかった。

 隠れているだけかもしれない。貯水タンクの裏側を確認してみたが、やっぱり居ない。一昨日の依子との一件を話しておこうと思っていたのに、肝心なときに神隠しを決め込むのだ。

 正真正銘の一人ぼっち。

 原村の定位置である段差に腰掛ける。弁当箱を広げると、とんかつソースの匂いが解放された。

 すると、屋上扉がゆっくりと開かれた。期待してそちらを見遣る。

 屋上にあらわれたのは原村ではなかった。鍋島と城川が弁当箱を提げ、こちらへと歩み寄ってくる。幸いなことに、今度は依子はいなかった。

「また平野さんと喧嘩したんですか? 平野さん、今泉くんとなにがあったのか全然教えてくれないんだから」

 鍋島の鈍感さを今ばかりは有り難く思った。鍋島が隣に座ってくる。さらに彼女の隣に城川が座る。

「本当おせっかいだな。そっとしといてくれよマジで」

「今泉くんのために来たわけじゃありません。私たちもたまたま屋上で食べたくなっただけです。ね、城川さん」

 城川はあわてて首をぶんぶんと縦に振った。

 サンドイッチを食べる。鍋島は前口上通り、城川にばかり話を振った。二人が半分も食べないうちに俺は食事を終えて、さっさと立ち上がって煙草を取り出した。

「そういえばこの三人の組み合わせって、あのとき以来じゃないですか?」

 鍋島が俺を話題に入れたのは、そんな瞬間だった。

「あのとき?」

「夏休み前の、あの放課後のことです。忘れたとは言わせませんよ。今泉くん、教室で城川さんを泣かせていたんです。そこで私が助けに入った」

 もうかなり昔のことに思える。依子をいじめるよう、城川は周りから強要されていた。ある日の放課後、俺がそれを問いつめた。梅雨ごろのことだっただろうか。ぶっちゃけ忘れかけていた。

 城川はたどたどしく弁護する。

「あれは、今泉くんがわたしのために怒ってくれただけで、わたしが勝手に泣いちゃっただけで、そういうんじゃないよ、由多加ちゃん」

「でも泣かせたことは事実ですよ。女の子が泣いているのに、なおも嬉々として責め立てるだなんて。そんなの、なまはげか絶叫マシーンか今泉くんくらいのものです」

 意味分からん。いや、反省してるけど。

「城川は知らないと思うけど、城川が行ったあとの鍋島、俺の前で号泣してたんだぜ」

 仕返しに言ってやると、鍋島は口に含んだものを吹きかけて、城川の興味深げな反応に首を振って否定した。あまりの必死さに笑えた。

 それをきっかけに、三人の記憶をたよりにして、今までの出来事を語り合っていた。

 当時の俺が人の名前を間違えまくっていたこと。鍋島と一緒に廊下に立たされたこと。城川が吉岡にあっかんべーしたこと。鍋島が依子から避けられまくって相当苦労したこと。俺が女子更衣室を覗こうとしたなんて疑惑をかけられたこと。誰と誰が喧嘩して、くっついたり離れたりして。俺と依子が殴りあって、村瀬が川にDS投げて、城川と雀の墓作って、叔父さんと依子の故郷に行って。そのうち、だんだん空気が重くなっていくのを感じた。

 徐々に口数が少なくなっていき、誰ともなく口を閉ざす。城川がもともと小さい声をさらに小さくした。

「由多加ちゃんは、」

 怯えながら目を伏せる。


 ――後悔なんかしないでよっ! 後悔するくらいなら、最初から助けないでよっ。わたしまで、後悔しちゃうよっ……。


「わたしをいじめから庇ったこと、まだ後悔してる?」

 鍋島ははっとして、城川の横顔を見た。城川は身体まで小さくしてうつむき、神からのお告げを待つように黙り込んだ。

「私は……」


 ――城川さんがああして恐がる気持ち、なんとなく分かる気がします。逃げたくなる気持ちも、よく分かります。実際、私も逃げちゃいましたから。

 ――弱いものいじめは大嫌いだし、見るのも嫌だけど、でも、されるのはもっと嫌だったから。

 ――どうして今、城川さんが私に普通に接してくれるのか、正直、よく分かりません。


 長い長い沈黙が続いていた。いつまで経っても返事ができない鍋島に、その答えがあるように思えた。

「私は、本当に成長しませんね」

 それっきり、俺たちの間に会話はなかった。



 昼休みが終わる。三人で屋上を出て、無言で廊下を歩いていく。

 そのまま何事もなく教室に戻ることができれば、どんなによかっただろう。

 カーテンが閉じられていた。東棟の最奥の部屋。まさに、さっきまで吉岡たちが居た空き教室だった。それを思い出さなければ、カーテンの閉じられた空き教室など見向きもしなかっただろう。

 足を止める。後ろの二人も不思議そうに立ち止まった。空き教室に目を向ける。廊下側から見えないように閉じられたカーテン、その奥から聞こえてくるかすかな嘲笑が耳に届いた。

 普通なら、中で生徒たちが仲良く騒いでいるだけだと思う。だけど脳裏に走る直感はその可能性を否定した。

 窓のカーテンが少し開いていた。注意深く近づき、そこから中を覗く。

 第一に、水を滴らせた灰色のモップが視界に映り込んだ。次の瞬間、それは床で頭を抱えて座り込んでいた吉岡の後頭部に押しつけられる。吉岡は十人ほどの女子に囲まれていた。ある者から髪を掴まれ、ある者からは足蹴にされていた。その中に居た村瀬は、雑多に置かれた机の上に座り、足をぶらぶらさせてその様子を眺めていた。

 何故かそこに早川の姿はなかった。

「どいてください」

 肩を押され、俺は扉の前から退いてしまう。鍋島の手だった。

「今泉くんと城川さんは、先生を呼びに行ってください」

 扉の取っ手に指をかけ、一度動きを止める。深呼吸をして、手の震えを止めようとしていた。

「俺が行くから、無理するな」

「うるさい!」

 鍋島の怒号が廊下中に鳴り響く。俺と城川がびくりと身を揺らした直後、扉は開かれた。

 中にも声が届いていたらしく、吉岡を囲んでいた女子たちが一様にこちらに注目した。そのうちの一人が慄然と後ずさる。吉岡の背中に濡れたモップを押しつけていた女子だった。見れば、鍋島は彼女を睨んでいた。

 鍋島は瞳を動かし、また一人睨み据える。今度は髪をつかんでいた女子の手が離れた。そこで吉岡は顔を上げる。唇の端に血がにじみ、なにも考えていないような、無気力な表情をしていた。

 鍋島は教室の中に入って進んでいく。取り囲んでいた女子たちがそれに合わせて後ろに退がった。村瀬が机から降りる。

 息づかい。誰かが上履きで床を擦る音。細かな衣擦れ。

 抱き寄せる。吉岡はぼうっと宙を見上げたまま、鍋島の腕の中に収まっていた。庇うようにして彼女の頭を胸に抱きなおす。

「貸せ」

 村瀬がそばにいた女子からモップを取り上げた。足音を強くして、床で座り込む二人のもとに来る。彼女はその勢いのまま鍋島を吉岡から引き剥がした。

「こいつが今までなにをしてきたのか、分かってんのかよ由多加」

 モップの持ち手を鍋島に押しつける。

「やれよ。このクラスでいじめが始まったのも、みんながぎくしゃくし出したのも、全部こいつのせいなんだ。ほら、やれ」

「吉岡さんが全部悪いから、私も吉岡さんをいじめればいいんですか」

「そうだよ。由多加もやれば、由多加が今やったことは見なかったことにしてやるから」

「私がいじめれば、見なかったことにする」

「あぁ、黙ってやれば、由多加がいじめられなくて済む」

 村瀬は鍋島の肩を押し、さらに吉岡から引き離そうとする。ここで村瀬の表情が曇った。モップの柄を両手で握った鍋島は、腕で彼女の手を押し返していた。

「私がいじめられなくて済む。それなら確かに、そうした方がいいかもしれませんね。私は、いじめられることが何よりも嫌です。いじめを見過ごすのも、助けられないのも確かに嫌だけど、自分がいじめられるのは、もっと嫌だからです。でも」

 モップが宙を舞い、からんと音を立てて床に転がった。

「私は、誰かをいじめるのは嫌」

 村瀬を押し退け、また吉岡を庇う。指が食い込むほど強く抱いて、ぎゅっと目を瞑る。

「誰かをいじめるのは、もっともっと嫌!」

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