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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
58/65

chapter57 てのひらがえし

 九月も中旬に差し掛かるころ。旧校舎の屋上へと続く道すがら、軽音部や合唱部などの音楽系部室がやけに騒がしいなと思っていたら、どうやら文化祭が近いらしい。


 次に文化祭のことを意識したのは、その日のHRでのことだった。

 宮下の説明のあと、クラス委員長である鍋島が教卓に立ち、二組の出し物のアイデアを募った。消極的に席でうなだれ、他力本願に徹する俺とは反対に、教室内では様々な意見が飛び交った。

 真っ先に切り落とされた意見は曽根本の『仮装喫茶』で、逆に指示率が圧倒的だったのは添野が提案した『プラネタリウム展示』だった。鍋島によると、プラネタリウム展示は偶然にも他クラスでは出なかったアイデアらしかったので、添野の出した案はあっさりと採用された。

「出し物も決まったようなので、他に部活や委員会などから伝達事項があればお願いします」

 鍋島が事務的に言うと、やや間を置いて依子が手をあげた。

「図書委員会では、図書室で漫画喫茶をすることになっています」

 依子の声を聞くのは、俺含めクラスメイトたちも久しぶりだっただろう。

「いま、図書委員で漫画をあつめているんですけど、喫茶店を開くには委員会だけでは十分にあつめられないみたいです。なので、それぞれ誰かから漫画をかしてもらえって、このまえ会議でいわれました」

 若干要領を得ない伝達を終え、依子は席に着いた。言われたからなんだというのだろう。つまり依子が言いたいのは、このクラスの中に漫画を貸してくれる者はいないか、ということだろう。鍋島はタイミングを計りかねたようにワンテンポ置いて、教室を見渡した。

「えっと、そういうことなので、貸しても構わないという方、ぜひ平野さんに声をかけてくださいね」

 なにか触れてはいけないものに触れてしまったような空気がおとずれ、教室内が一気に静まり返った。

「では、他に伝達があれば……」

「あ、あの」

 ためらいがちに城川が挙手した。

「どういう漫画を、あつめればいいんですか?」

 依子は席に着いたまま、軽く城川を振り返った。一度口ごもって答える。

「図書委員は男子が多いので、少年漫画と青年漫画はだいぶあつまってる。でも、少女漫画がすごくすくないです」

 その発言のあと、クラス中がざわざわと沸き出した。気のせいではなく、クラス間の空気が少しだけ和らいだようだった。女子の一人が気さくに声をかける。

「ねぇ平野。私、NANA最新刊まで全巻持ってるけど、どうする?」

「なな」

「そうNANA。うそ、知らない? 明日持ってきてあげよっか」

 依子は意外そうな顔をしてうなずいた。

「もってきてくれたら、うれしい」

 今度は依子の隣の男子が話しかけてきた。

「オレ、けっこー漫画オタクだからさ、今度いい感じの持ってくるよ」

「ありがと」

 素っ気ない返事に聞こえなくもないが、そもそも依子が素直にお礼を返す姿が珍しかった。彼女の態度に気を許したクラスメイトたちが、次々と依子に話しかけていく。微笑ましいというより、俺はむしろその光景が不思議でならなかった。もう二度と見られないのではないのかというくらい、二組の生徒は依子を中心に話題を広げていた。

「あんまいっぱい持ってきても逆に困らない?」

 不自然さを払拭できず、俺は教室後方から教卓を見た。出し物の意見を募ったときより盛り上がるクラスに鍋島は戸惑い、しかしどこか楽しげにまとめ役を努めた。

「漫画喫茶ですから、漫画の数が多いに越したことはないと思います。でも、あんまり多すぎると平野さんが図書室に運ぶときに大変ですよね。じゃあ、こうしませんか。持ってきてくださった方は平野さんや私に一言伝えて、ご自身で図書室に運ぶようにしましょう。委員会の人たちも助かると思います」

「暇つぶしに、漫画読みに図書室いっていい?」

 ある男子の脳天気な質問に、鍋島は苦笑した。

「文化祭の準備に支障が出ない程度でなら、いいんじゃないですか」

 教卓横でパイプ椅子に座る宮下がご満悦そうに言った。

「この機会に皆さん、どんどん図書室に遊びにきてください。井上雄彦漫画なら宮下が一冊残らず用意してるからね」

「漫画喫茶って、もしかして宮下先生の案じゃねーの?」

「当然です」

 ささやかな笑いが巻き起こる。皆が楽しげにざわめく中、一人煮えきらない表情を浮かべていた吉岡が直接依子に話しかけた。

「平野さん」

 隣の男子の漫画談義に耳を傾けていた依子が、ふと顔をあげた。吉岡と依子を挟んだいくつかの席の生徒が一瞬沈黙する。

「喫茶店って言ったけど、つまり、お客さんに飲み物やお菓子を出すってことかな」

「うん。コーヒーとか、紅茶とか、クッキー」

「なら、私たちが貸す漫画が汚れるかもしれないよね」

 俺の位置からは彼女らの会話は耳を澄ませなければ聞こえないが、吉岡の小姑じみた突っ込みはたしかに耳に届いた。依子はうまく答えられず、視線を天井へと泳がせた。

 二人の会話に横やりを入れたのは村瀬だった。

「んなこと、わざわざ言わなくてもみんな分かってると思うけどな。その上で貸してやるっつってんだろ」

 和気藹々とした空気の中で、村瀬の口調には棘があって浮いていた。生徒の大半が歓談を止め、彼女たちに視線を集めた。

「分かっていない人もいそうだから、私はそのわざわざを言ったの」

「あ、そう。つくづく抜け目ないっていうか、なさすぎっていうか。ていうか美野里さ、さっき『私たちが貸す』って言ったよね。美野里もなんか漫画持ち寄ってくれるわけ?」

 吉岡は不快そうに村瀬と視線を合わせた。

「それは、分かんないけど」

「そっか。言葉のあやってやつね」

「ねぇ彩音ちゃん。それとこれとは今関係なくない? 私は、漫画を集めるにしても図書委員からの説明が足りないんじゃないって、そう言いたいだけで」

 村瀬は失笑気味に言い返す。

「スカしてんじゃねーよ。どうせ平野に協力する気なんかないんだろ。また下らないいちゃもん、あれこれ考えてたんじゃないの」

「なにそれ。なにを根拠に言ってるの」

 この頃には、余計なお喋りをする者はいなくなっていた。主に、不信感を露わにした女子たちの目が吉岡へと向けられていた。それは今までにない異様な光景で、裏でなにか意図的な力が働いているとしか思えなかった。

 再び静寂する中、鍋島が感情を抑えた声色で場を制した。

「いま二人が話し合っていたように、貸した本が汚れることも考えられるので、それでも構わないという人だけ、協力してください」



 HRが終わり、教室を出て図書室に向けて廊下を歩いていると、とある二人組の女子に呼び止められた。

「今泉くん。最近、平野さんのお父さんが亡くなったって本当?」

 ショートヘアーの女子から尋ねられ、特に隠す必要もないので俺はうなずいた。

「吉岡が平野さんの私物を隠したから、そのせいでお父さんの最期を看取ってあげられなかったって聞いたけど」

 吉岡が、という言い方を俺は不審に思った。まるで、吉岡の単独犯だとでもいうような物言いだ。もう一方のセミロングの女子が間髪入れず言う。

「それは本当らしいよ。問題はそのあとで、平野からパクった思い出のストラップ、平野の目の前で踏みつぶしてみせたって話。それもマジなの?」

 真偽を問う視線を浴びせられ、俺は疑心暗鬼に答える。

「ストラップ潰されたのはマジだけど、でも、依子の物隠したのって……」

「ほら、実話だったじゃん。あーあ、やっぱ吉岡って頭イカれちゃってるよね」

 俺の後半の台詞は故意にさえぎられた。女子二人組はひそひそと陰口を応酬しながら俺の横を通り過ぎていく。俺は、二人の背中から後ろめたさのようなものを感じ取った気がして、あの二人も依子の物を隠した犯人だったのではないかと疑った。



 クラス展示の準備が始まって間もないことだった。

 教室にプラネタリウムのドームを作る作業に、二組全体が没頭していた。俺もその一人になるはずだったが、俺だけ生徒会やその他委員会が担当する模擬店を手伝わされる羽目になってしまった。ドーム作りを抜け出して煙草を吸いに行くところを鍋島に見咎められたのだ。

「ちょうど良いところでサボってくれましたね、今泉くん」

 屋上の隅っこで屈んで喫煙している俺の後ろから、気配もなく鍋島の声がかかってきた。

「意味不明なこと言うの止めてくんない。これ吸ったら作業に戻るから」

「いいえ、もう来なくて結構です。いま戻っても皆からブーイングを食らうだけですよ。その代わり、今泉くんにはもっと忙しい場所を手伝ってもらいます」

 模擬店をやるには、もともと生徒会と委員会だけでは人員が足りなかったらしい。全クラスから一人ずつ手伝い要因を選出するそうだ。運悪く、この一件で俺が選ばれてしまった。

「それより、早川さんと吉岡さんはここには居ないんですか?」

「なんのこと」

「あの二人も、作業抜け出しちゃってるみたいなんですよ」

 鍋島は難しい顔をして、指でおさげをいじった。



 模擬店の準備は旧校舎側で行われる。放課後、東棟と旧校舎をつなぐ渡り廊下を歩いていたところ、ふと俺は足を止めた。

 視線の先には中庭と、そこに設置された屋外用の手洗い場があった。鍋島の捜していた二人は、その手洗い場に居た。

 早川は手にしたタオルを蛇口につけて濡らし、それで吉岡の顔や髪を拭いていた。九月中旬と言ってもまだ日差しが強い。しかし、彼女たちは決して避暑のためにそんなことをしているわけではなかった。

 本来なら素通りすべきかもしれなかったが、老婆心に駆られ、俺は二人のもとに近づいた。早川が手を止めて俺を見つめた。吉岡は彼女の手からタオルを奪い、再び水を含ませて髪を拭った。彼女の髪にへばり付いていた青いペンキは、中途半端に乾いたまま白いタオルを汚した。

「空き教室で看板作ってたら、美野里、いきなり女子のみんなに囲まれて」

 そこで早川は言葉を切ってうつむいた。彼女はポケットから、吉岡の携帯電話を取り出した。デコレーションされた派手な二つ折り携帯は無残にも逆側に開かれ、所々ペンキで汚れ、折れた箇所からは剥き出しの基盤が覗いていた。割られたディスプレイには靴跡らしきものが残っていて、そこには早川の泣きだしそうな顔がいびつに映っていた。

 吉岡は既に体操服に着替えており、ひたすら顔に付着したペンキの残骸を落としていた。しだいに汚れていくタオルに、俺の心は複雑に痛んだ。彼女は布の端で目と口元を隠した。

「ほんと下らないよね。うちのクラスって」

 声の調子だけは、いつものように高飛車に繕われていた。

「誰かの言葉に流されるだけの指示待ち人間ばっか。自分の意志も主張出来ないくせして、周りとの連帯感ばっかり意識して、それで強くなった気でいるんだから。虎の威を借る狐、素知らぬ顔で手のひら返し、おててつないでみんなでゴール。中身の無い人間がやりがちなことだよね。ほんと、見下しちゃうなぁ」

 タオルを首にかけ、吉岡は東棟校舎を見上げる。その瞳には悪意から生じる歪みはなく、ただ純粋な哀れみだけが込められていた。

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