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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
57/65

chapter56 背信

 夏休み明けの全校集会を終え、教室で一時限目を終えたあと、鍋島からの恨みがましい視線に俺は耐えかねていた。仕方なく後ろを振り返ってみる。

「どうだった、シーパラ」

「どうだもこうだもありませんよ」

 鍋島は顔をうつむかせた。

「二人っきりでしたよ、城川さんと」

 それっきり黙りこくってしまう。例の誘拐監禁のことは、鍋島たちには何も教えていない。ただ、ただならぬ事情だけは察したように、俺の包帯に包まれた親指を見つめていた。

「ごめんってば」

「別に、もういいですけど」

 俺は右手をポケットに差し入れながら、鍋島から視線を逸らして前に向き直った。

 教卓の方では、早川や吉岡を含む女子グループが談笑しあう姿があった。その中に居た村瀬彩音が、時折こちらをうかがっているのに気づいた。



 昼休み、久しぶりに旧校舎屋上へ出向くことにした。九月の空は灰色に覆われ、うねった巻き雲が不気味に映えた。

 屋上にいたのは、一学期同様に貯水タンク際でスケッチブックを広げる原村と、フェンスを背にして座りこむ村瀬だった。二人はちょうど対面する位置取りで、ひと雑談を終えた余韻に浸るように互いに曇った空を見上げていた。

 煙草に火を灯してコンクリートを見下ろす。シーパラダイスのチケットの破片が、しわを寄せたまま乾いて地面にへばりついていた。

「おっす今泉」

 村瀬が手招きをする。俺は彼女の隣に座り、錆びたベンチに背中を寄せた。原村がスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。

「今さら何の用だよ」

「今さらって、まだあのこと根に持ってる?」

 チケットを返してきたことを言いたいのだろう。俺はかるく首を振った。

「そうじゃなくて。ここってさ、俺と原村の縄張りみたいなもんだから」

「うっわ、ホモくせー」

「レズに言われたくない」

 あたしはレズじゃねえ、そういう返答を期待していた。しかし肯定も否定も返ってこず、村瀬はなにか意味ありげに煙草の先端から噴出する煙を目で追っていた。

「なんだよ」

「あたしも煙草吸う」

「お前、この前駄目だったじゃん」

「いいから、黙ってよこせ」

 俺はここで初めて村瀬の顔を見た。彼女はとくにこれといった感情を露わにしておらず、俺の目は自然と、トレードマークの赤縁眼鏡と前髪を全開にした自己主張の激しいおでこにいった。村瀬に従い、黙って煙草とライターを差し出す。彼女は箱から一本引き抜き、口にくわえた。火を点けようとするが、風のせいでうまく着火できないようだった。

 ライターを奪い返し、代わりに点けてあげることにした。着火源に掌をかざし、手の甲を防風壁にすると、なんとか火は灯った。

「ありがと」

 軽くせき込みながら村瀬は無理して煙草を吸った。なんとなくその姿は痛々しく見えた。

「男っていいよな、煙草似合うし。女が吸っても嫌われるだけだ」

「うん」

「煙草吸ってる今泉、かっこいいよ」

「どうも」

 雲が細く割れ、昼間の太陽が覗いた。俺はその光を見守った。煙が目にしみたのか、村瀬の目元には涙が浮かんでいた。それを指でこすって彼女は言う。

「あたし、男に生まれてくりゃよかった。超めんどくせーんだぜ、女の付き合いって。あいつはどんな奴だとか、あの子が最近調子に乗ってるとか、うざいだのなんだの、色々。そんな気が滅入るような陰口ばっかで、平気で盛り上がれるんだぜ女って。一触即発、お世辞と差別の応酬で、評判第一。あたしもうかうかしてたら揚げ足取られるかもって、ここんとこ心配でならないよ」

 最近、村瀬が女子の誰かに抱きついたりするスキンシップを控えてるような気がしていた。村瀬は頭の後ろで両手を組み、俺と同じく、くわえ煙草で空を仰いだ。

「あたしが男だったら、絶対、今泉やアッキーと友達になるのになぁ。ねぇ、アッキー」

 原村は一瞬だけスケッチブックから顔をあげ、にこやかに手を振った。俺は村瀬の横顔に話しかける。

「意外だな。村瀬が男だったら、もっと喧しい男子のグループに入りそうだけど」

「そうでもないよ。あたしは女だから、わざとこういう風に姦しくしてんのさ。もしあたしが男だったら、今泉みたいな冷めた野郎共とつるみたいね」

「意味分かんねえ」

「だって、楽ちんそうじゃん」

 俺らは俺らで関係保つの大変なのに。

 あーあ、そう村瀬はぼやいて、地面に灰を落とした。

「夏休み、終わっちゃったね」

「だな」

「ねぇ、今泉」

「なに」

 返事が来ないので、俺は村瀬の顔を再度仰ぎ見た。村瀬の煙草に火は点いていなかった。火種ごと灰を落としてしまったらしい。地面に落ちた灰が赤く熱を帯びていた。それが燃え尽きるまで、彼女は消えゆく火種を見つめ続けた。

「あたしと付き合わない?」

 俺は何も言えなかった。

「やっぱ、平野がいるから駄目か」

 若干苛つきながら煙草を吸う。村瀬がポケットから出したものに気づくと、俺はさらに絶句した。

「駄目でもいい。付き合わなくたっていいから、一回だけ、相手になってほしい」

 煙草を地面に押しつけて、村瀬が手にするコンドームから意識を逸らした。目頭を押さえてため息混じりに訊く。

「どうしたんだよお前……」

 村瀬の顔つきは真剣であり、やはり痛々しくもあった。

「こうして他の連中に必死こいて着いていくばっかりだとさ、だんだん分からなくなるのさ。誰が本当の友達だったのかとか、性別の区切りとか、恋とか愛とか友情とか。もしかしたらあたし、何も分かってないのかもしれない。あいつらが夢中になる恋愛やセックスって、友情なんて簡単に蔑ろに出来るくらい、本当はすごく良いものなのかもって」

 ゴムを押しつけられた。指でつまんで、嫌々ながら手の中でぶら下がる四角い袋を見遣る。

「すっかりビビっちゃってさ、あたし。美野里や沙樹や、由多加や平野も、何考えてんのか全然分かんなくて。ほんと恐い。知らないでいること、すげえ不安っていうか。訳分かんなくなって、思わず誰か攻撃したくなる。これビョーキだよな、もう」

「だから、とりあえずやってみようってこと? 好きでもない男と」

「よく分かんない。してる間に、今泉のこと好きなるかもしれないじゃん」

「安く見られてるな」

 つまんだものを後方へと放る。それは音もなく屋上の下へと落下していく。もしも今、下を歩いている者に見られていたらどうなるだろう。空からゴムが振ってきたって、一種の怪奇現象として話のネタにされそうだ。

 あっ、と短く声を上げて、村瀬はフェンスの間からはるか下の地面を見下ろした。

「なんで受けてくんないの。あたしも恥を忍んで頼んでんだぜ」

「童貞の無駄遣い」

 村瀬はむっと顔をしかめて、おもむろに立ち上がった。いきなりフェンスを蹴りつけられ、俺はびくりとして彼女を見上げる。村瀬は俺を睨み据えていた。何か罵倒がくるかと構えたが、結局彼女は何も言わなかった。ため込んだフラストレーションを足踏みに変え、荒々しく屋上出口へと歩いていった。

 ばん、と鉄扉が閉められる。

 原村は全く動じず、我関せずで絵の世界に入り込んでいた。

「どう断ればよかったんだよ、俺」

 原村は鉛筆を動かせ続けたまま答えた。

「僕は、『非常に嬉しいお申し出ですが、ご遠慮しておきます』みたいな感じで、丁重にお断りした」

「お前も誘われたのかよ」



 それから数日後の放課後。真っ先に教室を出て自転車置き場に行くと、そこには激しく口論しあう二人の女子がいた。吉岡と村瀬だった。

 自転車通学ではない二人がそこにいるのは珍しく、しかも放課後開始からまもなくという時間帯だったので、俺は不審に思いながら自転車小屋の陰に身を隠した。

「話はそれだけかなぁ。私、教室に沙樹待たせてるからそろそろ帰りたいんだけど」

 吉岡は小屋の柱に寄りかかり、だるそうな目つきで村瀬を見返していた。村瀬は今にも彼女に掴みかかりそうにしていて、その手を抑えるようにそばの自転車のハンドルを握っていた。一体なんの偶然なのか、俺の自転車だった。

 何も言えないでいる村瀬に呆れ、吉岡はその場を後にしようとする。村瀬が吉岡の腕を捕まえて止めた。

「待ってっつの。ちゃんと答えていけ。なんでいじめのこと、先生にチクったんだよ」

「だって、もう平野さんと心結ちゃんが可哀想だよ。私もだんだん嫌になってきちゃった。沙樹だって言ってたし。もう止めさせようって」

「だったら、どうして美野里と沙樹だけはやってないことになってんだよ。五時限目のあとで宮下先生に呼び出されたよ。美野里から相談受けたんだって。こんなの、絶対おかしいじゃんか。美野里たちだけいい子ちゃんぶってさ」

 吉岡は捕まれた手を振りほどき、唇の端をゆがめて笑った。

「当然でしょ。私は直接、平野さんたちをいじめたことはないんだし。沙樹は昔やってたかもしれないけど、ちゃんと平野さんに謝ったこともある。皆の前で、もう止めようって言ったことだってあるじゃん。いまだにいじめ続けてるのって、彩音ちゃんたちだけでしょ?」

 村瀬は耳を疑うように、飄々と言ってのける吉岡を呆然と見ていた。

「彩音ちゃんも、今のうちに止めといた方がいいんじゃない? やっぱさぁ、高校生にもなっていじめなんてダサいし、いき過ぎると内申にも響いちゃうかもよ」

 吉岡はくすりと笑って、村瀬の横を通り過ぎていく。俺は後ずさり、前方を通り過ぎていく彼女を見送った。

 再び自転車置き場へと目を向けた。村瀬はうつむき、両手を震わせていた。

 突然、勢いよく俺の自転車が蹴られる。自転車は耳障りな音を立て、地面に倒れた。

「ふざけんなっ……」

 村瀬の瞳が憎悪に染まっていることを知り、俺は自転車について言及するタイミングを失った。地面に置いた学生鞄を肩にかけ、その後ろ姿に黙って近づいた。

 倒れた俺の自転車を二、三度蹴りつけていた村瀬だったが、俺が後ろに居ることに気づくとすぐに足を止めた。赤くした目を伏せ、そっぽを向く。

 掛けるべき言葉を迷っているうちに、彼女は校門へと駆けていった。


 次の日から、依子と城川へのいじめはぴたりと止まった。しかしそれは、クラスの女子たちが吉岡をいじめるための前触れでしかなかった。

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