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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
56/65

chapter55 トライアングル

 いとこ二組と兄妹一組という数奇でトライアングルな状況下で吉岡だけが平坦にはやし立てる様は滑稽だった。

「どうしたのアキラ。早く犯しちゃってよ」

 焦れたように俺たちを振り向く。クーラーの風はちょうど真下に流れてきているのに身体の芯が火照って暑い。背後で物音一つ立てない依子からの視線を感じると、浅海さんは止めかけた煙草を吸いなおした。

「いや、流石にそれはまずくね?」

「まずいかな」

「まずいっしょ。純一ブチ切れるよ。どう見てもできてるじゃん、こいつら」

 吉岡は鼻で笑った。

「だからやるんでしょ」

 行動が起こる前に、俺は浅海さんの腕をつかまえた。

「待てって、前提がおかしいだろ。そもそもなんでこの人にさせんの。お前ら付き合ってんだよな。吉岡はいいのかよ、浅海さんにそういうことさせて」

「だから、最初からアキラとは付き合ってなんかいないの。ただのセフレ。アキラは私のためならなんだってしてくれるんだよ」

 いつか聞いたようなこの台詞。浅海さんも俺の手をふりほどきながら、「一応、そういうことになってる」とかほざいてる。一人、状況についていけない早川は俺たちのやりとりに狼狽するだけだった。俺は顎で吉岡を指し、困惑する早川をほとんど非難するように言った。

「早川、そいつどうにかしろよ。どうかしてるよ、お前の友達」

 早川は唇を噛んでうつむいた。

「無駄無駄。沙樹だって見たいんだよ、平野さんが傷つくところ」

 俺にはそうは思えないのに、こうして流されていくだけの状況が全てを物語っていた。灰皿にハイライトが押しつけられる。浅海さんの口から最後の煙が吐き出された。

 原村を流し見る。彼は期待するような目つきで右手を差し出した。深く息を吐き、その要領で深呼吸をする。この場にまともなやつはいない。あるいは、俺だってその一人か。脳みその血とか逆流して鬱血しそうな感じ。せめて何か抵抗してやろうと、そう思った。

 奥歯を噛みしめ、頭を鉄球にでも見立てて浅海さんの顔面に叩き込んだ。額のあたりが鼻梁にぶつかり、何かがへし折れる感覚が伝わってくる。俺も経験のある痛みで、つい最近依子にかまされたばっかりだから分かるけど、これがまた何のやる気も出なくなるくらい痛い。浅海さんは上げかけた腰を地面に落とし、言いかけた台詞を閉じて鼻を手で覆った。指の間から止めどなく流れ出る血に、誰もが蒼然として閉口した。

「あー、鼻折れた」

 感慨もなく言うと彼は半身立ちし、俺から遠ざかった。鈍いようで鋭い感覚が額に残る。何故か俺はそのとき、中学時代の部活帰りの夜を思い出していた。かなり鮮明に、閃光が瞬くように前触れもなく。ずっと疑問にして、目を背けていたことだった。

「そうやって、今までずっと吉岡の使いっぱしりにされてたんだな」

 浅海さんは何も言わなかった。代わりに、吉岡が今更気づいたのかという風にいやらしく笑った。

「昔、バットで俺の足ぶっ叩いたのも、浅海さんだったんだよな」

 中学の頃、初めて早川を振って間もないあの夜のこと。無差別だと思っていた原付の通り魔は、その実裏に目的があったわけで、無差別だなんて俺の思いこみに過ぎなかった。浅海さんはテッシュを鼻に押し当て、顔を口元ごと隠した。そして、昔の思い出でも語るように、

「そんなこともあったな」

 と、細かく鼻をすすって顔を上に向け、何事もなく止血措置にいそしんだ。

「自分の意志とかねえのかよ」

「いや、あんときゃ、半分自分の意志もあったな」

 上へと傾けたままの冷たい目が向けられると、身が凍るようだった。

「あんときのお前、すげえ目障りだったよ」

 睨みつけるような目とか。常に斜に構えた感じとか。ガキのくせに分かりきったような説教吐くところとか。聞いてるこっちが恥ずかしくなるような青い台詞とか。薄っぺらい思想とか。なのに、全力出してないですよみたいなスカした態度で自分を守ってるところとか。

「見てるだけで苛々したわ。ま、全部昔のことだけどな。今はそうでもないし、安心しな」

「私は今でも十分ムカつくけどね」

 かつての通り魔の首謀者はなんの悪気もなく言った。俺は、昔の自分がまるで生き恥の塊にでも思えてきて、憤るどころか逆にひどい憂鬱感に苛まれた。だが、自己嫌悪に浸るくらいならもっと出来ることがある。

「原村、ポジション交代するか」

 原村は差し出した右手を引っ込めて、顎に手を当てて考えた。

「つまり、逆に僕が君の手を潰すってことか」

 物わかり良すぎて怖い。

「でも待って。僕にそんな恐ろしいことは出来ないし、小さい頃から虫一匹殺せなかった」

「その恐ろしいことを俺に頼もうとしたお前が一番恐ろしい」

 俺は膝立ちになって、右手をベッドの柱にあてがった。手錠の輪を鉄パイプに固定して手が動かないようにする。手のひらに腰を当て、体重を乗せた。手錠から抜ける方法なんて、なにも原村だけが考えていたわけじゃない。俺だって策の一つや二つは練る。といっても本質は原村と同じだけど。

 枝葉みたいな無防備な手のひらが恐れのせいか震え、無言で柱に身を預けていた。腰を浮かす。顔中に脂汗がにじんできた。自分の身体を傷つけるのって、こんなに緊張するものなのか。

 さっさと覚悟を決めて、せーのの掛け声一つで右手に向けて体当たりする。親指を中心に圧迫感と粉骨感が中途半端に押し寄せてきて、痛みがくる寸前に「やっちまった」みたいな見誤りを直感した。

 固定されたはずのベッドが頼りないくらい大きく傾いだあと、俺は激痛に負けてうずくまった。親指が変な方向に曲がっただけで、手錠の円周を下回るほどに潰せなかった。腰骨辺りの固い部位をぶつけるつもりが、思いのほか軸がぶれて尻肉を押しひしいでしまい、圧迫される力だけが余計に荷担されたようだった。さっきより濃厚な汗が全身から浮き出てきて、そのたびに折れた骨に染みた。

「大丈夫か、今泉」

 枕に「頭は」とつけられそうだった。俺は憔悴して首を振る。

「そこまでやったんだ。もう一発いけ」

「ごめん、やっぱもう無理」

 自分でも情けないと思うが、予想以上に痛かった。痛いものは痛い。依子からの白けた空気を感じた気がした。黙って右手を震わせながら下を向く。

 長い静寂を破って浅海さんが発したのは、まるで拍子抜けするような言葉だった。

「ていうか俺、いとこちゃん犯すなんて一言も言ってないからね。手錠外すとか、手潰そうとか、俺が頭突き食らう意味だって分かんねーんだけど」

「は?」

 そんな間延びした鼻抜け声を出したのは吉岡だった。

「なんで。なに言ってんの」

「だって、もう精子切れ」

「嘘。一日最高四回までしたことある」

 ほんとに下品。

「あと、後輩のツレ犯すとかマジ後味悪いっつーか」

「ねえ、つまんない嘘はもういいよ。それとも何、あの子はタイプじゃないとか? いいじゃん、平野さん絶対処女だよ」

 これは失礼すぎるだろうと思った。好き放題に言われて可哀想に、とベッドの方を見遣ったが、依子はぴくりとも反応せず無表情を維持していた。一度でいいからこいつの恥じる姿を見てみたい。

「ほんっとつまんない。ここまできて、マジありえない。ねえ、なんとか言ってよ」

 浅海さんは言い合いにだれてソファにどかんと腰掛けた。くせっ毛茶髪を苛立たしげに撫でつけると、その辺の路地裏にいそうな野良猫のような毛並みになった。それに感化されたアンジェリーが膝の上に寝そべってくると、彼は不動の置物みたいになった。

 俺は一方の異変にも気づいた。早川と原村の奇妙な目配せだった。立ち往生する吉岡と澄まし顔の依子の睨み合いとは対照的に、原村と早川の目配せの意図は読みとれない。

「いい気なもんだな、沙樹。昔みたいに高見の見物か」

 突然、原村が何か揶揄したように言った。

「僕も一緒だって言いたいんだろ。家族から逃げて、隠れるように暮らしていたんだって、そう言いたいんだろ」

「違う」

 早川は首を振った。原村が吉岡に目を向けると、彼女はさらにうろたえる素振りを見せた。

「吉岡、君は本当に、沙樹のためにこんなことをしているのかな。違うだろ。ただ、楽しかったからじゃないか。そうだよな、いじめるのって、本当はすごく楽しいことなんだ。そうだろ。誰かをいじめてるときの君、すごくいい顔してたぜ」

 原村は鎖を引いて吉岡にぐんと近づいた。細く堅牢な柱が悲鳴を上げる。吉岡の顔がゆがんだ。

「おら、言えよ。いじめるのは楽しいですって。一本の手錠にもがく姿とか、スタンガンでバチバチやられたときの不細工な顔とか、友達を傷つけられて怒り狂う様とか、見ていてすごく楽しいですってさ」

 吉岡は一歩後ずさった。原村の引きつった右手首が赤くなり、やがて血がにじんだ。

「結局自分のためじゃんか。証拠に沙樹の顔を見てみろよ。ぜんぜん楽しそうじゃない。むしろ異常者を見るような目つきだよ。なにが沙樹のためだ。こういうの、吉岡論で何て言うんだっけ。人を思いやることに真剣じゃない?」

 次の瞬間、吉岡は堅く握った拳を振り抜いた。乾いた音が鳴り、原村の青たんが切れ、赤い液体が一筋伝った。

「ずっと、沙樹のこと見捨ててたくせに」

「で、君があいつのこと見ていてあげたんだな」

「当然。友達なんだから」

「それ、本当に友達だったの」

 吉岡がポケットからスタンガンを抜いた。原村は即座にその手をつかんで止めたが、彼女は蹴足で彼の足をすくって転倒させた。

 原村の腹に膝が落とされる。そのまま上に乗しかかると、むき出しの首もとにスタンガンを押しつけた。

「何が言いたいの? このまま殺してあげてもいいんだよ」

「じゃあはっきり言うよ。君には最初から友達なんかいなかったんだ。そっちで煙草ふかしてる君の親戚がいい例だな。誰一人として、君を心の底から信頼してくれる人なんかいなかった」

 トリガーに指がかかる。

「美野里」

 躊躇うような声が上がった。早川は手元で合わせた手の甲に深く爪を突き立て、すり潰すようなおぼつかない声色で言った。

「私を使って、誰かを痛めつけるの、もうやめてよ」

 吉岡は振り返る。早川を凝視するその目は、驚きに見開かれていた。

「これ以上、お兄ちゃんや平野になにかしたら、」

 友達、やめるから。

 早川は消え入りそうに言った。言葉の端が聞き取れないくらいだったが、吉岡の瞳が失意や焦りに替わるにはそれで十分だった。

 スタンガンが床に落ちる。原村の首にかかった手が放されると、吉岡は一度よろけて立ち上がった。早川は絡ませた両指を外し、両手をぶらさげた。頬を緊張させ、彼女が歩み寄るのを黙って待った。早川の腕をとり、吉岡は甘えるような上目遣いですがった。

「何もしなかったら、友達でいてくれる?」

「うん」

「もしかして、原村くんが言う通り、こういうの沙樹は嫌だった?」

「嫌に決まってるじゃない」

「ごめんね、私、なんか勘違いしてた」

「私もごめん。美野里があんまり怖いから、今まで何も言えなかったの」

 吉岡はもう早川の胸に顔を埋めていた。まるで母親のように彼女の頭を撫でる早川の姿は、この場の雰囲気には全くなじまず俺たちを置いてけぼりにした。

「ぶっちゃけ、もう疲れたでしょ? 美野里、いろいろと頑張ってたもんね」

「うん、疲れた」

「じゃあ、もうひどいことするの止めよ」

「うん、止める」

 早川の、半ば呆れたような微笑みが俺たちに送られた。あまりのあっけなさに肩の力が抜ける。その途端、思い出したように壊れた右手が悲鳴をあげた。小さくうめきながら、俺は抱き合う早川たちを眺めて首をひねった。

 吉岡の幼児化したような笑えてくる挙動より、むしろ早川の変貌ぶりを不思議に思った。原村から肩を叩かれる。彼の意味深な笑みと立てられた親指がこちらを向いていた。

「あらかじめ沙樹に魔法をかけておいた」

 あまりに意味不明で気持ち悪い発言。さりげなく無視して、今度は最後まで一言も発しなかった依子を見た。

 依子はぼんやりと口元を開いて、まばたきもせず早川と吉岡を静観していた。



 ふとしたきっかけからあっさりと幕を閉じた監禁事件の直後。

 原村は、今までのことが嘘みたいに早川を連れ立って帰路に着き、浅海さんと吉岡とアンジェリーは謝罪も挨拶もなしにセダンに乗ってそのままどこかへ出かけていった。

 俺は依子を連れ、共働きで両親が家を出払っている俺の家に招き入れた。シャワーを貸して身だしなみを整えさせ、旅行出発前となんら変わりない状態で家に帰した。俺は納戸に籠もり、折れた親指に添え木を当てて包帯を巻いた。この怪我のことを家族にどう言い訳するか悩んだが、依子にぼこられて顔面ゾンビ状態になったときも誤魔化せたから、どうにかなるだろうと楽観して家族の帰りを待った。

 三日振りに開いた携帯には、鍋島と城川からのメールや着信が鬼のように届いていた。後半はほとんどがシーパラダイスを無断でばっくれたことへの心配事だったけど、最新のメールでは鍋島の殺意を剥きだしにした文面が目についたので、俺は申し訳なく思いながらも返信をあきらめて携帯を閉じた。



 夏休みが終わるまで、漫然とした不安を抱えながら残りの休日を過ごした。

 あれからテレビや新聞をこまめにチェックしていたが、一文たりとも、あの誘拐監禁を記事にしたものはなかった。みんな考えることは同じなのか、野暮に吉岡たちを通報するような者は、あの場にはいなかったようだ。

 本当にそうなのか。俺たちは別に、彼女たちを許したわけではない。謝罪を聞いていないのだから、それは当然と言える。夏休みが明けるまでに何かしなくてはならないと、俺は天からのお告げよろしくひしひしと感じていた。しかし何も思いつかず、特別に誰かに連絡を取るわけでもなく、ついに二学期が始まってしまった。

 依子や城川へのいじめは、二学期開始とともに自然消滅することとなる。主犯の吉岡が一時的に息を潜めていたからかもしれない。

 しかし、このクラスのいじめがそれで終わるわけがなかった。いじめの矢面が、予想だにしない所に向いた。

最終回までカウントダウンとなりました。

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