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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
55/65

chapter54 窮鼠

 誘拐犯二人がいちゃつき出したのは深夜を回った頃だった。

「アキラ、喉ぼとけ触っていい?」

 さっきまでうたた寝していた吉岡は起きた瞬間、急に目を爛々とさせて、彼の返答も待たずに手を伸ばした。首筋全体を撫で付けられ、浅海さんは黙って煙草を吸っていたが、それほどまんざらでもないように吉岡の髪を優しく梳き始めた。

 二人のそういう表情を見るのは初めてだった。吉岡はよっぽど喉ぼとけが好きなのか、十分近くは撫で回していたように思う。

 目がとろんとし出したところで、吉岡は浅海さんに唇を押しつけ、そのまま彼をソファに押し倒した。当然の流れというようにランニングウェアの上を脱がせ、タンクトップ一枚させる。浅海さんの程良く筋肉質な腕が吉岡の背中に回される。その一部始終は、俺たち三人がばっちり目撃していたにも関わらずの奇行であった。

「おい、せめて電気消せ」

 原村が弾かれるように俺を見た。それでいいのか、とでも言いたげな顔をして。分かってる。全然いい訳ない。

 俺の言葉に反応したのは浅海さんだけで、吉岡はまるで聞こえていないみたいに、むしろ彼の首筋に噛みつくので忙しいようだった。

 浅海さんの冷めた目が部屋中をさまよい、俺たちが身を寄せている二段ベッドに止まった。

 首もとに顔を埋める吉岡をその体勢のまま、お姫様抱っこに近い形で抱きかかえると、彼らはベッドの二階へと忙しく上っていった。直後、室内に甘い囁き声がさざめいた。

 ベッド上段を見ないよう視線を泳がせると、俺と同じく挙動不審の原村と高頻度で目が合った。依子は両手で耳を塞ぎ、彼女のちょうど頭上で巻き起こる物音に嫌悪感いっぱいな表情を浮かべていたが、やがて腕が疲れたのか、布団を頭まで被り外界とのシャットアウトを計った。

「雑談でもしよう」

 原村がえらく明るい声で提案した。答えないでいると、彼は右手の手錠を示した。

「せっかくこういう状況にある。僕たちは自由を切望する身でいるべきだ。じゃないと不自然だろう。さぁ今泉、自由になったらまず何がしたい」

「外で思いっきり深呼吸する」

「実に野生的な答えだ。平野は?」

 引きこもり状態の依子に問う。返答はなかった。ただ、盛り立った布団の膨らみが静かに佇むだけだった。

「平野は?」原村がもう一度訊く。依子はサイレントモードを維持する。

「おい依子、なんか喋れ」

 ついに俺が半ギレ気味でけしかけると、布団がかすかにもぞりと動いた。

「お風呂はいりたい」

 原村がほっとしたように微笑んだ。

「実に現代人らしい答えじゃないか」

 吉岡が短くあえいだ。



 夜が更ける。

 聞こえてくる寝息は三つ。ベッド一階の布団から中途半端に顔を露出させて目を閉じる依子と、二階で仲良くアンサンブルする誘拐犯二人のものだった。

 鼠色のスウェット姿の原村が床で寝たふりをする姿は、どこかホームレスのようで、端的に言えばみすぼらしかった。

 しばらく三人の寝息に耳を澄ませて煙草を吸っていると、原村が所作音を最小限に上半身をあげた。首の骨を左右に鳴らして、音もなく息を吐く。手錠の鎖が限界まで伸びる位置まで俺へと体を寄せると、彼はほふく前進のような体勢でささやいた。

「ちょっと考えたんだけどさ」

 灰皿に火種をすり付けて消すと、俺は原村に向き直った。

「なんだよ」

「夜明けまでに、いや、せめて明日までに逃げ出さないと、色々まずいことになると思う」

「まずいこと」

「ただの憶測だけどね。今泉、ちょっと耳貸せ」

 戸惑いながら、恐る恐る原村の耳打ちを聞く。その憶測とやらを聞き終えると、俺は半信半疑に彼と顔をつき合わせた。

「そこまでするかな、あいつらが」

「だから憶測だってば。だけど、ありえなくはないだろ」

 俺はあることを尋ねる。

「早川は、今どこにいる?」

「今、お袋と二人で田舎に帰ってる。こっちに戻ってくるのは明日だ。僕らの都合と併せて考えても、吉岡たちがそれを決行するには明日がちょうどいい」

 明日、つまり八月二十五日。俺たちが八景島シーパラダイスに行く予定を立てていた、まさにその日だった。吉岡はとことんそれが気に食わなかったらしい。それで俺たちの浮かれた行楽を妨害してやろうと、この監禁は突飛もない子供じみた動機からだったのかもしれない。

 それは俺も薄々感じ取っていたし、お互い口にしないまでも、依子も感づいていただろう。しかし、本気でそれだけならほとんどサイコパスだ。だからこそ俺たちは違和感を感じてしまう。

 原村はその上で、更なる悪い予感を感じていた。

「それが本当だったら、二人してマジで頭おかしいって。ていうかさ、浅海さんがこんな計画に本気で協力すると思ってんのかよ」

 原村は首を振った。

「君は、彰くんを知らなさすぎる」

 確かにそうかもしれないが、俺は原村の言葉を信じたくなかった。彼の言うとおり、もし俺の中の浅海さんが実際の浅海さんとかけ離れた人物だと考えると、俺は純粋に信じたくなかったのだ。

「絶望するのはまだ早い。一個だけ、この手錠から抜け出す方法を思いついたんだ」

 考え込む俺に、原村がしたり顔で笑いかけた。俺はうなずき、その方法とやらに期待した。

 手錠付きの右手を床に仰臥させ、原村はその手をじっと見下ろした。

「今泉、僕の手を踏め」

「お前、やっぱそういう趣味あったの?」

「違う。手をぺしゃんこにしろって意味だ」

 俺の冗談は空中で叩き落とされる。原村の真剣な横顔が、かすかに汗ばむのが分かった。

「それ利き手だろ。絵、描けなくなるかもしれないよ」

 彼は口元だけで笑った。

「いい。僕はもう、二度と絵は描かないから」

 自己犠牲が原村なりの処世術なのだろうか。歪んでやがる。本心からそうするつもりならさっさと自分の足で潰せばいいものだが、原村はそうしない。自傷を知り、恐れているから、俺に頼もうとしているのだ。それが卑怯であろうと、そうでなかろうと、俺は従うつもりはなかった。

「そんなに潰したいなら、自分でやれ」

 冷たく言い放つと、俺は床に転がった。



 翌朝の二十五日。

 吉岡は携帯を閉じ、俺たちに向けて意地悪く笑んだ。

「スペシャルゲストを呼んだから、楽しみにしててね」

 ゲストの正体など俺と原村は昨晩で見抜いてしまっていたので、吉岡の期待するような反応はできなかった。依子は最後までシーパラダイスのことを口にしない。気持ちはなんとなく分かる。依子は、あの海辺の町から少しだけ変化した。

 煙草の箱を開ける。昨日の時点ですべて吸いつくしたことは知っていたが、暇なので何度も箱のふたを開け閉めしていた。ポケットの中のビスケット法則で一本くらい出現してくれてもいいのにな、と思った。

「んだよ、無くなったんなら言えよな。フツーに分けてやるっての」

 浅海さんが俺の正面に腰をおろし、ハイライトを俺の口に挟んできた。ドンキで売ってそうな風変わりなジッポで火を灯してくれる。この状況下で接待されているような気分を味わうのも中々奇妙だった。



 三時間後、部屋の扉を押し、おずおずと顔を出してくる者があった。早川沙樹だった。チャコールブラウンのカットソーにカーキ色のボトムスで、まさに今駆けつけて来ましたというラフな格好だった。

「なに、これ」

 早川は歓迎しようとする吉岡を押し退け、俺たち三人を前に立ちすくんだ。依子と俺を交互に見て躊躇し、最終的に原村のもとで腰をかがめた。彼女にとっての優先順位は、なにがなんでも原村が一番らしい。

「どうしたの、お兄ちゃん。目の上、たんこぶ出来てる……」

 原村は困惑して視線を斜め下に落とした。早川がさっと振り返る。

「美野里、これって……」

「原村くん、私たちのこと邪魔しにきたみたいだから、仕方なかったんだよ」

「邪魔って、いったい、何の邪魔なのよ」

 俺は、すぐ目の前で煙草を吸う浅海さんを流し見た。小首を傾げる彼を見て、この人は本当に何も知らされていないのだなと改めて思った。

 早川は吉岡の座るソファへと歩み寄る。

「手錠の鍵はどこ? せめてお兄ちゃんは外してあげてよ」

「まだダメだよ。これから、沙樹に面白いものを見せてあげるんだから」

 吉岡は、まぁ座りなよ、と早川をなだめて両肩をつかみ、隣に着座させた。

「じゃ、そろそろ始めよっか、アキラ」

「なにを?」

 吉岡は、嗜虐的な目を依子に向けた。

「平野さんを犯して」

 きた、と俺は思った。眼前すぐで唖然とする浅海さんを目に留めて離さないようにする。俺と彼との間で挟まれたビンテージ灰皿の位置を確かめる。それと同時に、原村が手錠付きの右手を俺に差し出した。

「今泉、平野を助けたいか」

「助けたくないっつったら、それこそ鬼畜だろ」

「だったら僕の手を踏め。早く」

 原村には一目もくれず、俺はゆっくりと首を振る。浅海さんを睨みながら、まだだ、と言った。

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