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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
54/65

chapter53 脱出計画

 眠りから覚めると、身体の節々が軋んで痛んだ。カーペットが敷いてあるとはいえ、床でじかに寝るのは辛い。横たわった状態から右腕を見るとまだ手錠は繋がれたままで、俺はなんとも言えない深いため息をついた。

 半身を上げる。

 おはよ、と声が聞こえた。風呂上がりらしい吉岡がタオルで髪を梳きながら、棒アイスを食べていた。退屈そうにテレビに向けていた目が一瞥だけ俺に送られる。

「よく寝ていられたね、そんなところで。もう十一時だよ」

 後ろを見ると、依子が柱に寄り添って体育座りになり、何をするでもなくベッドの天井を見ていた。

 昨日、床の寝心地の悪さに俺が苦戦していた横で、依子はずいぶん先に眠りに落ちてしまった。いくらベッドの中だからって、所構わず熟睡できる依子の神経の太さをうらやましく思ったものだ。

 俺の目の前をアンジェリーが横切っていく。暇つぶしに部屋中を徘徊してまわっているようだった。はぁはぁ言いながら。その音を聞いていると、俺までのどが渇いてくる。

「吉岡、水」

「平野さんからもらって」

「は?」

 背後からとんとんと肩を叩かれる。見ると、依子が飲みかけの2L烏龍茶を手にしていた。腕をうんと伸ばして差し出してくる。

「依子と共用かよ。扱い悪すぎ」

 ペットボトルを受け取りながら悪態をつく。

「扱いだなんて、監禁にしてはかなりマシでしょ」

 烏龍茶を一気に喉に流し込んで宙を仰ぐ。たしかにそうかもしれない、と思ってしまう自分が嫌だった。

 便所に行きたいと言えば行かせてくれるが、もちろん厳重に拘束された上だ。手錠を両手に繋ぎなおされ、どれだけ用意がいいんだか、脚用の手錠までかけられる。そこで初めて部屋のトイレ使用を許可されるのだ。

 飯の方は、キッチンの冷蔵庫にあった食材で吉岡が作ってくれた。海老チャーハン。あらかじめ、彼らが食材を買い貯めていたらしい。

 ただ、目的の見えないこの監禁に俺は不条理を覚えずにはいられなかった。誤魔化されているように思えるし、俺自身もなにか忘れている気がしてならない。

「もう、アキラは優しすぎるんだよ」

 吉岡の不満を聞き流そうとして、あることに気づいて部屋を見回す。

「浅海さんは?」

「バイト行った。休めばいいって言ったのに、二人もバイト居なくなったら店が回らないって」

 その説明だけでソレイユのことだと分かった。たしかに俺は物理的に行けないし、今の時期だとあそこは忙しい。

「俺もバイト行きたいんだけど」

 冗談で言ったつもりだったが、吉岡は思いのほか不快そうな目で俺を睨んだ。



 吉岡がレンタルDVDをレコーダーにセットした。

 暇を持て余していた俺もベッドの梯子に背中を預けて座りこみ、画面に現れるワーナーのロゴを見つめた。

 吉岡がどんな映画を観るのかちょっと興味があったが、映画ではなく、海外の長編ドラマだった。無人島に漂流してどうのこうのという内容で、不親切なことにシーズン三の第四巻からだった。俺はいきなりストーリーから置き去りにされてしまう。

 それでも惰性的に画面を眺めていた。依子は位置的にテレビを見られないようだが、彼女にとって興味のある内容とも思えないので、取り立てて不憫に思うこともない。ときおり、吉岡にこの監禁の目的を訊いてみたりもしたが、一切のシカトを通されるばかりだった。

「あ、アキラ帰ってきた」

 第七巻を観ていたところ、吉岡がテレビの音量を下げつつ言った。施設の外から、かすかにエンジン音が聞こえてくる。

「よかったぁ。借りてきたDVD、ちょうど全部観終わる所だったし、TSUTAYAに連れてってもらおっと」

 吉岡は立ち上がり、おもむろにこちらに近づいてしゃがむと、俺の自由な方の手を取った。

「なに?」

「ちょっとお留守番しててね」

 新しい手錠を取り出し、俺の両手を背中で拘束しようとする。彼女一人ならここで暴れることも出来たが、たとえ抵抗したところで、すでに柱と繋がれた方の手錠を外してもらえるわけではない。ここは大人しく従っておくべきだと諦めた。

 両手の自由を奪われ、黙ってあぐらを掻く俺を観察して、はたと吉岡が手を打った。

「そうだ、口もふさいであげる」

 彼女は部屋の用具棚からガムテープを引っ張りだした。どうして口までふさぐ必要がある、そんな顔をしていると、吉岡はガムテープを適度に切り分けながら言った。

「私たちがいない間に、平野さんと逃げる算段でも付けられたら困るからね。ちゃんといい子にしてるんだよ」

 吉岡の舌ったるい声でそんな台詞を吐かれると正直きもかった。口に何重もテープを貼られ、依子の両手と口にも俺と同じようにさせると、吉岡は部屋を出ていった。扉が閉じられる音を最後に、言語伝達法を失った俺たちは途方に暮れてお互いの顔色をうかがい合った。



 しばらく、カーペットの床を虚ろに見下ろしていたが、アンジェリーのあまりの騒々しさにふと顔を上げた。そして俺は目を見張る。

 アンジェリーが、依子のショルダーバッグをくわえて遊んでいたのだ。一体どこから持ってきたのか。

 正面に置かれたソファの端からは、俺のバックパックも頭を出していた。どうやら俺たちの荷物は、ずっとあのソファの背中に隠されていたらしい。焦ってアンジェリーを呼ぼうとしたが、今はうめき声程度しか出せないのだとすぐに気づいた。手招きすることも出来ない。それは依子も同じだった。

 俺は足に力を込め、地面を踏んだ。

 カーペットと踵がぶつかる、どん、という音にアンジェリーがびくりと反応し、こちらを向いた。依子のバッグをくわえたままだ。

 こっちに来い、そういった念じを込めて顎を引く。怖がらせないように頬をほころばせて、顎だけでこっちに来るよう合図する。

 固まるアンジェリー。全然伝わってなさそう。

 依子を見ると、彼女も俺の行動を不可思議そうに見るばかりだった。彼女にもアンジェリーを見るよう顎で指し示す。

 依子は曖昧にうなずいた。こいつには大体伝わったようだ。かくして俺たちは、硬直するアンジェリーに向け、二人して熱い視線を送りつづけたのだった。



 長い奮闘の末、ようやくアンジェリーをおびき寄せることに成功した。アンジェリーはどうやら俺たちの視線が怖いのだと気づき、今度は努めて目を逸らすようにしたのだ。すると、アンジェリーは俺の伏せた顔を舐め始めた。相変わらず俺に似て面構えの凶暴な犬なので、身の危険を感じざるを得ない。

 その際、地面に落ちた依子のバッグを引き寄せ、繋がれた後ろ手に中身を探った。中はポーチやデジカメ、文庫本数冊が主だった。

 やがて依子の卵型携帯を探り当てた。しかし、あまり喜んでいる暇はない。顔をうんと後ろに向け、背中で拘束されたままの手で携帯を開いた。

 だが、俺は絶望で頭をうなだれてしまった。

 数字ボタンが全て壊されていたのだ。キリかドライバーでも突き立てたのか、巧みに0から9までが外され、剥きだしの基盤にも傷を入れられていた。これでは110番を押せない。

 ただし、十字キーと決定ボタンは生きているようだった。キー破壊は念のための工作だったのだろうが、吉岡たちもまだまだ詰めが甘い。

 メニュー画面からメール欄を開き、返信メールで助けを呼ぶ文を打とう、そこまで考えたところで、そういえば数字キーがないということは、文字すら打てないのだと思い至る。絵文字はなんとか打てるが、それだけで誰かにSOSを送れるだろうか。ドクロマークでも送りまくるか?

 すると、俺の背中に何かが触れた。依子の足だった。細い足を伸ばし、親指を俺の背中に立て、ひたすら何かをなぞった。何度も何度も、同じ形を描き続けている。

『でんわちょう』

 それは六文字のひらがなだった。電話帳。依子に携帯機能の新たな可能性を気づかされるとは驚きだった。単に俺が忘れっぽいだけかもしれないが。

 幸いなことに電話帳のキーも機能した。110番が登録されていれば言うことなしだが、もちろん依子がそんな番号を都合よく登録しているわけがなかった。だけど十分だ。だれか一人でも電話に出てくれれば。

 次々と電話帳のページを表示させていき、通話相手を選定している最中、ある不安点が浮上してくる。

 今、俺や依子の口に固く貼られたガムテープの存在だ。依子の知り合いの誰かにつながったとして、この状況をどうして伝えることができるだろう。

 唇や頬の筋肉をめちゃくちゃに動かしてみる。何重にも貼られたテープに剥がれる余地はなかった。それは依子も同じようだった。

 足で地面を叩いてモールス信号でも送ってやりたかったが、俺にはその知識がないし、通話相手がその信号を解読できる可能性も限りなく少ない。こういう予期せぬ緊急事態のため、モールス信号を義務教育化してほしいものだ。

 開いたままの携帯を床につけ、依子と顔を見合わせた。どうすればいい。無言の視線交差会議が始まった。

 依子は自分の腰あたりを見下ろした。柱に固定された両手で不自由そうにスカートのポケットを探った。使える道具がないか探しているようだ。藁にもすがる思いで、俺も依子の真似をした。

 俺のポケットから出てきたのは、ぐしゃぐしゃのレシート、iPod、煙草、ライターだけだった。

 いや違う、ただのライターじゃない。原村からもらったシーサーライターだ。手汗まみれの指で顔の形をした蓋を押し上げる。首のへし折れたシーサーが、耳障りなキンキン声を上げた。

『イーヤーササー、ハイーヤ』

 これだ。

 床に転がった携帯を手探りで拾い、もう一度電話帳を開く。『原村先輩』の欄を開いた。携帯番号はだめだ。彼のiPhoneは以前、俺が誤って屋上から投げて壊した。

 縋る思いでさらに下へとスクロールしていく。すると、原村の自宅の電話番号が画面に映り込んだ。



 電話越しの原村は、猛獣のようにうめく俺と、絶えず鳴らされるシーサーライターの間抜けな歌声に終始爆笑していた。

「なに、どうしたの平野。あ、この音、僕があげたライターだよね。だったら今泉? なんの暗号さ。いたずら電話にしちゃ難易度高すぎるだろうよ」

 どうして俺は、今まで腹話術の習得を怠っていたのだろう。こういう予期せぬ緊急事態のため、腹話術を義務教育化してほしいものだ。いや、もうこれ以上余計なこと考えるのはやめよう。

 助けに来い、痛切なうめき声で何度も叫んだ。

「読めたよ、その暗号」

 しばし沈黙していた原村がそう言った。

「僕がそのライターをあげた場所は、たしか僕の秘密基地だったね。つまり君らは今、あの廃墟の施設にいる。どうだ、正解だろう」

 原村の声が神の啓示のように聞こえた。ライターの蓋を開ける。シーサーも原村の正解を祝し、心なしかオクターブ高めな歌声を披露した。

「なに、正解でいいの? で、僕はどうすりゃいいのさ。正解者特別サービスの豪華賞品はもらえるのかね」

 それに返答する術は俺たちにはなかった。とりあえずシーサーを鳴らす。原村は明らかに困惑していた。

「まぁいいや。訳分かんないけど、とりあえず行けばいいんでしょ。でもちょっと待っててね。四日間お風呂に入ってないから全身から雄の臭いが漂いまくってんだ。シャワー浴びてから行くよ」

 ベッドの柱を蹴って怒りを現してみたが、通話はすでに途切れていた。



 一時間と十五分後。

 俺は、隣の柱で手錠につながれた原村を睨みつけた。瞼の上に青あざを作った彼は、いまだに意味が分からないという顔をして、ベッドに並んで一息つく浅海さんと吉岡を見上げた。

「これが君らの用意した豪華賞品か。なかなかディープなプレイだけど、残念ながら僕にこういう趣味はない」

「もういいよそのネタ」

 原村がここに到着したのはおよそ十分前。俺がシーサーライターをもらったのは正確には施設の屋上だった。シャワーを浴びてのうのうと廃墟にやってきた原村は、騙されたような気分で屋上を探し回ったのだろう。この部屋の扉を開けた原村は、半ば諦めたような表情をしていた。扉の鍵がかかっていなかった事に、また吉岡の中途半端さが窺えた。

「なんだ、こんなところに居たのか二人とも。で、それは何の遊び?」

 開口一番彼はそう言った。あろうことか、原村は俺たちの無様な姿をむしろ面白がり、「ちょっとデッサンさせて」と手のひらサイズのスケッチブックを広げたのだ。口のガムテープすら剥がしてもらえずに。

 そして三分ほど前。扉を開けた浅海さんと吉岡に、原村はスマイル満開で挨拶をした。直後、吉岡にスタンガンを当てられ、浅海さんからは顔面への強烈な右ストレートをもらったのだった。

「わりいな昭文。びっくりして思わず殴っちまった」

 浅海さんがソファに深く腰を沈め、ハイライトを吹かした。吉岡は半分眠たそうにしていて、原村侵入の件についてはノーコメントだった。片手の自由を許された俺は十数時間ぶりの煙草を味わい、千切れそうなほど腕を伸ばしてテーブル上の灰皿に灰を落とした。

「思わず殴って、思わず拘束しちゃうんだな」

「仕方ねーだろ。見られたもんは捕まえとかなきゃ」

 俺は本日何度目かの憔悴し切ったため息を吐く。口の周りがガムテープ型にひりひりと疼いた。

「ほんと、原村って役立たねーのな」

「反省してる」

 アンジェリーの方がよっぽどいい仕事してくれる。依子が烏龍茶を飲み干して、しみじみと言った。

「原村先輩、きてくれて、ありがとうございます」

「どうも。最近の平野は優しいなぁ」

 聖母だよ本当。

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