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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
53/65

chapter52 誘拐、スタンガン

 爆音のレゲエに目を覚ます。

 目の前にあったのはガラス越しに流れていく町並みだった。ただし、夜中の上にガラス自体が曇っているのもあって、ゴーグル無しで真っ暗な水中を遊泳するかのような不透明さだった。

 遊泳、と例えてはみたものの、やけに身動きが取り辛い。両手が背中に回っていて、手首にも違和感がある。意味分かんねえ。

 とりあえず、くしゃみを一つ。

「あ、今泉起きたよ。ねえアキラーっ」

 右方向を見ると、眼前すぐに吉岡が居た。大音量のBGMに負けないように声を張る吉岡。どうやらここは車の中らしく、俺は後部座席で胎児のような体勢で座らせられていた。

「はえーなおい。ま、ほっとけばよくね。どうせすぐに起きてもらうんだし」

 これは運転席から、浅海さんの声。

 吉岡が助手席の座席ヘッド部に腕を回し、俺の顔をのぞき込んできた。

「大丈夫? 目、焦点合ってないけど」

 いや、大丈夫とか言われても。って声出ねえし。喉の奥で鉄っぽい味がする。

 無造作に手を喉へと持っていこうとしたが、やはり背中に回ったまま動かせない。後ろを見ると、見慣れた後ろ姿があった。依子だった。俺と同じような姿勢でシートに肩を預けている。

 嫌な汗がにじんできて、依子の背中からゆっくりと視線を落とす。二つの手錠によって、俺たちの両手は背中合わせで拘束されていた。俺の右手首と依子の右手首で一セット、左手首も同じようにされていて、二本の鎖がちょうど俺たちの間でクロスしていた。

 吉岡のきょとん顔に目を戻す。

「ねぇ、なにこれ。誘拐?」

「え、なに? 聞こえなーい」

 騒々しい車内BGMが俺たちの会話を妨げる。首が筋肉痛を起こしたように引きつるが、我慢して大声を上げる。

「犯罪じゃねえのかっつってんの! なにお前、捕まりたいの?」

「犯罪じゃないもん。ただの誘拐ごっこだよ」

「馬鹿だろお前」

 そのとき、脊髄に直接届くような激痛が走った。視界が白黒反転したようになって、俺は身をよじらせて変な声を上げる。

「やめとけっての美野里」

 浅海さんの暢気な声が意識の外から聞こえた。

「だってこいつ、私のこと馬鹿って言ったぁ」

 聴覚が戻ってくる。次に感じたのは、脇腹の焼けるような痛みだった。やっぱりスタンガンかまされたらしい。

 吉岡は口を尖らせ、不満そうに手の中のスタンガンを見つめた。その先端を俺の眼前に突きつける。煙草の箱より二回りほど大きく、黒いボディの先に二本の電極、さらに内側にも二本で、合わせて四本ある。吉岡はトリガーに指をかける。先端がばちりとまたたいた。

「さっきのやつ、半分しか電圧出さなかったけど、それでも痛い?」

「すげえ痛い」

 いまだに脇腹が熱を帯びている。

「もうやめてほしい?」

 速攻でうなずく。うなずいたのに、今度は太股にスタンガンを押しつけられた。とっさに息を止める。すぐさま浅海さんの声がかかった。

「美野里ー」

「はいはい、分かってるってば」

 親に叱られた女子小学生のような返事をして、吉岡はスタンガンを離した。もっと使いたいのに、そんな顔をして前を向き、助手席に座りなおした。

 俺は首が痛くなるくらい顔を後ろに回した。依子はぴくりとも反応を見せず、さっきからずっと座席に身体を預け続けている。背中をぶつけてみても反応なし。

「おい、こいつ動かねえぞ!」

「生きてるから大丈夫だよ」吉岡が前を向いたまま答える。「気絶してるだけだから平気平気ー」

 平気って。気絶してること自体がもうやばくね? あ、でも俺もさっきまで気絶してたのか。そういう問題でもないけど。

 ある地点から、車のスピードが少しずつ落とされていく。

 スモークガラス越しに見ても、周囲には建物の陰すらないことが分かった。手入れの為されていない畑、空き地、その先にはアパートらしき建造物も見えるが、それだけの寂しい場所だった。

 そして、なんだか見覚えがあるような。フロントガラスへと顔を向け、目を凝らしてみる。やっぱりそうだ。暗くて印象が違うけど、いつか原村に連れてきてもらった廃墟のアミューズメント施設だった。

 セダンがゆるやかに徐行し、廃施設の低木際に横付けされる。ここでレゲエ曲が強制終了された。

 運転席と助手席側の二つの扉が開く。吉岡と浅海さんは二人とも黒のランニングウェアを着ていて、気持ちよさそうに互いに背伸びをしていた。吉岡が車の向かいに回っていく。

 依子側の後部ドアが開かれた。吉岡の顔が月夜に照らされる。

「そろそろ起きてもらおうっかなぁ」

 右手のスタンガンを、さっと依子の足首にかざした。

「おいやめろ――」

 俺の制止は依子の小さな悲鳴によって遮られた。依子は呻き、上半身をかがめる。すぐに手首の違和感にも気づいたようだった。

「これ……」

「二人の愛を手錠という形で繋いでみましたー、みたいな?」

 吉岡が全く笑えないことを言って、依子の前髪を鷲掴んだ。

「さっさと動いてくれない? こんな場所でも、人が通らないって保障はないんだし」

 スタンガンをかざす吉岡に戦慄し、俺は背中で依子を押した。依子は聞こえるか聞こえないかという矮小な声量で、うごくからはなして、とささやき、俺の押し出しに身を任せた。吉岡が身体を避ける。

 二人まとめて、車から強かに転がり出た。



 俺は依子をおぶって歩いた。さっき足首にスタンガンを当てられたため、依子は歩くことすら困難だった。ただし、俺たちは両手同士で手錠につながれていたため、お互いの手首をくっつけたまま依子の尻の下に回して負ぶる形となっていた。

 施設に入ってさっさと歩いていく浅海さんと、後ろからスタンガンを突きつけて急かす吉岡。施設内は暗くて一向に視界が開けないが、ここには学校の体育館が平気で入りそうなほど広大な空間が広がっている。薄ら寒い気味悪さを禁じえない。

 依子を背負いなおし、重い足を踏み出す。

「依子、体重何キロ?」

「41」

「骨かよ。もっと食った方がいいよ」

 別に期待してないが、依子はもう何も返してくれなかった。吉岡が後ろから押してくるので、俺は危うく転びかけた。

「やけに落ち着いてるじゃん今泉。足の方もちゃんと動かしてもらえると嬉しいなぁ」

「ごめん」

 謝りたくないのに謝ってしまうのは吉岡の手にある凶器のせいだろうか。彼女の調教のもとに敷かれるのは本意ではない。

「お前ら何がしたいんだよ」

 重要な疑問点だったが、吉岡は無言を貫いた。

 階段を上がると、二階のある扉の前で浅海さんが足を止めた。いい加減息切れしてきた俺は浅海さんの後ろで座り込み、背中の依子を荒っぽく地面に降ろした。額から流れ出る汗が不快だったが、両手が不自由なために拭うことも出来ない。

 薄暗い中、扉の隣に掲げられた表札を見る。『従業員宿泊室』とある。かつての一般利用者用の部屋ではないようだ。

 浅海さんは扉を前にもたついていた。ジャージをまさ探って首をひねっている。吉岡がなにか思い出したようにポケットに手を入れた。

「私が持ってた」

 吉岡は人差し指でリング付きの鍵を回した。

「なんでそんなの持ってんだよ」

「アキラからのありがたーいコネだよ。ちなみにここ、半年後に取り壊されるから、これがラストチャンスってわけ」

 彼女の声はこれからテーマパークにでも行くかの如く楽しげな調子だった。錆び付いたような嫌な音を立て、鍵穴がぎこちなく回った。



 従業員宿泊室と表された部屋の扉を開けると、中からクリーム色のゴールデンレトリバーが迎えた。相当目つきの悪い犬で、浅海さんがいつか散歩に連れていた犬だと分かった。たしか名前はアンジェリー。

 吉岡がアンジェリーと戯れる横で、浅海さんが部屋の電気を点けた。

「すごくね? いまだに電気通ってんの」

 彼の軽い問いかけにうなずく元気はない。蛍光灯が一本切れてはいるが、しかし部屋はなんなく照らされた。

 広さは十二帖ほど。灰色のモノクロタイルカーペットが一面に敷かれており、部屋の中央にはテーブルが一脚。テーブルの手前には布張りのカウチソファが配置されている。左を見るとキッチンがあり、角には薄型テレビが床高に取り付けられていた。全体的に埃かぶったように見えるが、たしかに宿泊室らしき面影がある。

 浅海さんが奥のパーテーションを引くと、そこには部屋と一体化したような金属パイプの二段ベッドがあった。

「ここが二人の愛の巣でーす」

 唐突に吉岡が俺たちを引っ張って歩いた。俺はなんとかついていくが、依子は足首の痛みをうったえるように小さく呻く。

 浅海さんの手にはこれまた一対の手錠があった。まず俺の右手首に取り付け、もう一方をベッドの柱につなぐ。ここで、依子と繋いだ二本の手錠は外された。突き飛ばされ、俺は床に尻もちをつく。

 依子はベッド下段の隅へと追いやられ、俺と同じく、奥の柱に片手を繋がれた。俺たちは唖然としたまま、彼らの手慣れた拘束を奇異に思うのだった。

「一件落着ー」

 浅海さんと吉岡がハイタッチして自分たちの犯行劇を喜び合う。依子はベッドの上に座りなおしながら、ぽかんと彼らの様子を眺めていた。

「じゃ、今日のところは帰るか」

「待て待て」

 何事もなかったように部屋を出ていこうとする浅海さんたちをあわてて引き留める。片手はベッドの足に繋がれているため、半立ち程度でしか立ち上がれない。

「どうするつもりなの、俺らのこと。これ監禁だろ。飯とかないの?」

「すげえな純一。もう監禁って割り切ってるし」

 浅海さんが感心したように言って、思案顔で顎をさすった。

「飯なら明日持ってくるけど、我慢できる?」

「いや、できると思うけど……」

 なんだこの緊迫感を欠いたようなやりとり。もっとお互い心配することとか、そう、たとえば。

「便所とかどうすりゃいいの。俺らここで垂れ流し?」

 これも違う。今聞かなきゃいけないのはそういうことじゃない。

「あー、たしかに。それは可哀想だわ」

「いいじゃん垂れ流しちゃえば」

 吉岡が真顔でとんでもないことを言った。浅海さんが部屋中を見回した。

「トイレにキッチン、シャワー室まである」

 それを聞いて、吉岡が嫌そうな顔をした。

「俺らもしばらく泊まるか、ここに」

「やだ、こんな汚いところ。ほっとけばいいよこんなやつら」

「でもさ、よく考えてみ? 俺らここまでほとんどノープランだろ。ほっといて目離してる隙に逃げられでもしたら事だよ。しばらく見張っとくべきだって」

 二人は押し問答をしながら時折こちらを指さし、たまに視線を投げてくる。さながらケージの中のペットの処遇でも話し合うように。依子が柱に繋がれた右手をのばしてベッド際に移動し、やけに冷静にローファーを脱いでたもとに並べた。

 俺はベッドの構造をたしかめた。金属製ベッドの柱は地面と一体化しており、柱上部も頭上まで伸び、天井とボルトで固定されている。柱か手錠を壊さない限り逃げ出せないだろう。俺は一旦床に座り込み、浅海さんたちの決断を待った。

 吉岡が憮然としてソファに腰掛けた。どうやら密談は終わったらしい。浅海さんが俺の前にかがむ。

「トイレ行きたい?」

「べつに」

「あっそ。いとこちゃんは?」

 依子は無言で首を振った。意外なことに、依子がここで質問を切り返す。

「なんであたしたちに、こんなことするんですか」

 浅海さんははっとしたように固まって、眉をひそめながら吉岡を振り返った。どう見ても吉岡に返答を求めている。俺の思い違いだといいが、もしかして浅海さんはこの誘拐の目的を知らないんじゃないだろうか。いや、そんなまさか。

「なんでだっけ、美野里」

 俺にはもう何も言えない。吉岡はリモコンを取ってテレビを点けた。物静かな部屋の雰囲気がバラエティの笑い声によってかき消される。

「それは今後のお楽しみ」



 およそ一時間後。誘拐犯二人は悠長にソファでくつろぎ、テレビを眺めていた。アンジェリーはすでにソファの下でうたた寝している。無駄だと分かってはいるものの、手錠が外れないかと俺は奮闘していのだが、もし外れたところで無益な乱闘騒ぎになることは必至だし、なにより依子は全てをあきらめたようにベッドの隅で柱に寄りかかって、さっきから眠たそうにうつらうつらとしている。危機感持ってるのは俺だけである。

 ここで誰かの携帯が鳴った。もちろん俺や依子の携帯は没収されているので、浅海さんか吉岡のものだろうが、流れ出す着メロに聞き覚えがあった。久石譲の一曲だった。

「これ、依子のじゃないの」

 しかし、音源はどうも他所から聞こえてくる。見ると、吉岡がポケットから白い卵携帯を取り出していた。依子の携帯だった。吉岡は当たり前のように通話ボタンを押し、携帯を耳に当てた。

「平野さんのお母さん? お久しぶりです、美野里です」

 吉岡は専業主婦よろしく変わり身の激しい猫なで声で応対した。俺は緊張して吉岡を睨めつけた。

「私たち、今日からしばらくアキラの所に泊まることになったので。すみません、突然で。今泉が遊び足りないって聞かなくて」

 なんで俺なんだよ。吉岡が人差し指を唇に当て、ふっと笑った。静かにしてろ、という意味。俺はむしろその仕草に反逆心が沸いてしまって、軽く身を乗り出して大声を張り上げた。

「道子叔母さん、俺ら誘拐されてるから! 警察呼んで警察!」

 吉岡が電話越しの叔母さんと談笑しながらソファを立った。「今泉、テンション上がりまくっちゃって」とか言いながら部屋の奥まで遠ざかっていく。知恵を借りようと依子を見るが、彼女は無駄だと言う風に首を振るだけだった。なんでこいつは端っから諦め腰なんだ。洒落でこんな状態にされるわけがないのに。

 吉岡が戻ってきた。右手に携帯を、左手にスタンガンを持って。彼女はベッドに膝をたてて乗り、依子に身体を寄せた。依子は身を反らせて逃げようとしたが、吉岡が即座に依子の首に手を回し、耳元に口を寄せた。

「おばさん、平野さんと話したいんだってさ。ちゃんと口裏合わせてね」

 吉岡の手が依子の腹部へ伸びる。ブラウスをスカートからはだけさせ、白い腹が露出する。スタンガンがへそ付近にかざされた。

「今泉も、分かってるよね。口出ししたら即、バチバチーってするから」

 そう脅しかけると、携帯を片手で操作し、依子の耳元に近づけさせた。依子は腹に当てられたスタンガンを凝視し、首筋に汗を伝わせた。あの依子でさえ、スタンガンの痛みに怯えきっている。

 やがて依子が上擦った声を上げた。電話がつながったらしい。

「ママ。いま、純たちと一緒。さっき、吉岡さんが言ったと思うけど――」

 通話が終わると、依子は深く息を吐き出した。吉岡が鷹揚にうなずき、スタンガンの矛先をシフトさせた。依子の繋がれていない方の手、左の二の腕だった。

「なんでだよ。依子、口裏合わせたじゃん」

 抵抗する気も起きないのか、依子は当てられた左腕を震わせるだけだった。吉岡の吐息で依子の前髪が揺れる。俺は手錠を張り、ベッド内へと身体を伸ばしたが、うまい具合に吉岡たちに届かない。

「困るんだよね、もっとちゃんと演技してもらわなきゃ。怪しまれたら大変でしょ? だめな子にはお仕置きしないとね」

「ごめんなさ――」

 直後、ベッド下段内で青白い光が二回瞬いた。一度目は依子がとっさに腕を引き抜いたために直撃をまぬがれ、それを察した瞬間、吉岡がすぐさまスタンガンを下方に向けた。奇しくも依子は日に二度、右足首に電流を打たれたのだった。依子はうずくまり、肩を震わせて足首をぎゅっと握った。悠々とベッドを出ていく吉岡へと左手を伸ばしたが、俺の手は虚しくも空を掴む。

 信じられないことに、浅海さんはソファで横になり、アンジェリーと一緒にいびきをかいていた。

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