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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
52/65

chapter51 十センチ/虚偽

 新幹線で静岡から出ると、電車で地元駅まで寄り道なしで直行した。駅に到着し、北口広場に設けられた時計台を見上げる。もう夜の九時を回っていた。

 ここで、浅海さんからの着信。

「南口から二百メートルちょい歩くとローソンがあるっしょ。そこに車停めてるから。シルバーのセダンね」

 とのことらしい。何の目的があって俺たちを送ってくれるのかは知らないが、時間も時間だし、ここは甘えさせてもらおう。もしかしたら飯にでも誘われるのかもしれない。もし奢られそうになったらちゃんと断らなきゃな。

 駅のコンコースを通って南口に出る。北口側はそれなりに店舗で栄えているが、南口からだと、風景のほとんどが一般家屋で占められている。

 バスロータリーを横切り、路地に入る。依子は俺の半歩後ろ、振り返ればすぐの位置を歩いていた。

 目が合うと、依子は口を開いた。

「たよってる」

 主語抜きでそんなことを言ってくる。

「なにが?」

「あたしは、純のことたよってる」

 今日の昼間といい、依子はここのところ、言われるこっちが恥ずかしくなるような台詞を平気で吐いてくる。しかも、依子にしては口数の多い一日だった。これも進歩なのだろうか。それとも、それだけ必死こいてまで伝えたいことがあったのか。

「あ、そう」

 せっかく依子が頑張って言ってくれたのに、素っ気ない返事しか出来ない。だって、まともに答えるのだって恥ずかしいし。

 依子が俺の腕を取ってくる。腕というのはつまり、二の腕の肘に限りなく近いあたり。ちょっとくすぐったい。

「純もこれからは、あたしのこと、もっとたよっていい」

 妙な新鮮さ漂う空気になってきた。たよる、たよられるって、依子としては清志叔父さんの言葉から引き出して使ったつもりなのだろうが、なら、この掴んでくる手は何なんだ。何の意味があってのスキンシップなんだ。

「じゃあ、勉強方面でなら頼らせてもらうよ」

 思考不能に陥る前にそう答える。依子が小さくうなずいた。

 青く光る看板がマンションの影から覗く。浅海さんの指定したローソンだった。駐車場はまだ隠れているので、当然、彼のセダンはまだ見えない。

 ここで俺は足を止める。

 物音一つしない閑散とした住宅路。人影も気配も全くない。

 数メートル先に電柱がある。電柱には外灯が取り付けられていて、丸く照らされた光源に羽虫が寄り集まっていた。

 首を巡らせ、俺と同じく立ち止まる依子を見る。軽く目が合う。

「さっきからなに? この手」

 あくまで冷たく指摘する。依子がそっと、俺の腕から手を離した。離した左手は地へとぶら下がる。右手は肩にかけた荷物の紐に。依子は自然体で立ち尽くす。

 一歩だけ、依子に近づいてみる。バックパックが遅れて背中につく。接近したことで、思いっきり依子を見下ろす形になった。

「じっとしてろよ」

 俺は不審さ満点なことをほざいて、依子を抱き寄せた。どうしてこうなるのか自分でも分からないけど、単純にそうしてみたいと思って、やってみた。

 悲鳴でも上げられるかと心配したが、依子は黙って俺に引き寄せられた。嫌がる素振りもないし、それどころか、全てこちらの為すがままだった。一応、自分の足で立ってはいるけど、体重をずっしりと俺に預けてくる。人型等身大のぬいぐるみでも抱いてるような感覚だった。

 こうしてみて、改めて分かる依子の細さ。この体格で俺をぼこぼこに出来たのだから頭が上がらない。

 依子の頭頂は、俺の鼻の下あたり、ちょうど口か顎付近にあった。お互いの身長差を実感すると共に、依子の髪の匂いがばっちり鼻孔をついてくる。

 どこかで嗅いだことのあるシャンプーの香りがした。椿かラックス? 俺は基本的に無香料のシャンプーやコンディショナーを使うけど、母ちゃんがこの前買ってきたものになんとなく似てるような。

 もちろん、依子独特の匂いもする。匂いは人によって多種多様で、好き嫌いもかなり別れる。こいつのことだから、本や文房具や食材の匂いなんかが染みついていそうだ。俺にはあまり馴染みのない物ばかりだが、依子本人の匂いは意外と鼻に合う。

 で、何故俺がこんなどうでもいい事をねちっこく考察したのかというと、なんと俺、気づかぬうちに依子の髪をじっくり嗅いでいたらしい。音も立てずにこっそりと。なんか変態みたいで嫌だ。

 逆に俺の匂いは、依子的にどうなんだろ。やっぱ煙草臭いのかな。そう思われているなら無性に申し訳ない。

 それ以前になんで俺、依子のことを抱きしめようと思ったのだろう。あと、どうして依子は黙ってこっちに寄りかかったままなんだ。

 ずっとこうしてみたかった。それも心のどこかにあったのかもしれない。いや、決して変な意味ではなく。

 家族で例えてみれば、弟だって、もう少し生意気じゃなかったら月一で抱きしめて頭撫でてやってもいいかなって思うし、もし犬か猫でも飼ってたら毎日抱っこしてやりたい。母ちゃんと親父は、悪いけどちょっとご遠慮したい。ていうか、親父に抱き着いたら柔道と間違われて一本背負いされそう。

 依子はもともと、家族の延長みたいなものだ。妹みたいだとか、たまに姉っぽい所もあるとか。そこまで考えた事もあるくらいだから、それは間違いないと思う。だからこその抱擁で、これは家族愛に近いものだ。

「ちょっと、目閉じてくんない」

 いや、そのはずなんだけど。何言ってんだよ俺。依子の両肩に手を乗せたまま、少し身体を離す。

 依子がマジで目を閉じていた。馬鹿じゃないの。

 自分の頬が火照るのが分かった。変な汗までかいてきた。

 とりあえず依子の頬に触れてみる。人差し指と中指が滑るよう頬を顎下まで撫でていく。産毛の感触はほとんどなく、気体を撫でるのに近いほど滑らかな感覚。依子は眉をぴくりと反応させるが、やはり目は開けない。軽く唇のすぐ真横をつまむ。柔らかい、というより、弾力がある、と表現する方が適切だった。伸ばしてみると、ぽっ、という音を立てて口の端が微妙に開いた。面白い。

 それでも瞼は閉じられたまま。

 俺が今から何をしようとしているのか、依子は本気で理解できないのだろうか。早く気づいて欲しいってのと、終わるまで気づかないで欲しいってのが、両極端で渦巻いていた。

 つーか、今更自分がこんな気持ちになるのだってよく分からない。既にこいつとは二回しているはずだ。どっちもドッキリだったけど、でも、たしかに事実だ。

 依子に近づく。死に際のじじいレベルのスローモーションで、ゆっくり近づく。

 あと十センチくらいの距離で止める。

 うわ、顔ちけえ。やばい笑いそう。近過ぎ。

 相変わらず目を閉じたままの依子。息づかいまで聞こえてきそうだし、その逆もまた然り。いい加減気づけ。そして目開けろ。

 でも、と心の中で思考のベクトルを変えてみる。

 そもそも、俺がこんな風になったのって、全部依子のせいじゃないのか。バスの中でもたれかかってきたし、さっきだって、意味もなく腕掴んできたし。それよりなにより、やっぱりあれだ、こいつに二回もドッキリかまされたんだ。それなのに、今まで依子のことを意識してこなかった俺の方がどうかしていたんだ。依子が俺に対して、必要以上に思わせぶりに振る舞ってきたことが原因なんだ。

 なら、一回くらいやり返してもいいだろ。ここまでくるともう、そう思えてならない。

 お前だってしてきたんだから文句ねえだろ、って言えばいい。そうだよ。そうやって突っ撥ねてしまえばいい。

 いいのかな。

 なんか俺、すげえ卑怯。

 ていうか、超情けない。

「拒否れよ馬鹿」

 依子の肩を押し、顔を離す。やがて、依子がゆっくりと目を開けた。外灯も届かないこの場所で、開かれた瞳に映る感情はうまく読みとれなかった。

 彼女の両肩から手を離し、ため息を吐き出すように俺は言った。

「もう行こう。浅海さんも待ってるし」

 しばらく、二人で硬直して向かい合う。依子が踵を返し、コンビニへと歩き出した。

 少し遅れてこちらも一歩踏み出す。しかし、俺はそれ以上進めなかった。

 依子が身を震わせ立ち止まる。外灯の明かりに侵入し、吉岡美野里が姿を見せたのだ。

「みーちゃったぁ」

 吉岡は闇に溶けそうな黒いランニングウェアを着ていた。彼女は、左手に持ったものを掲げる。デジタルカメラだった。

「恋愛感情、無いんじゃなかったっけ?」

 口角を上げて笑い、左手のデジカメを下げる。すると唐突に、吉岡は依子へと歩み寄っていった。右手は何故か、背中に隠されていた。

 依子の眼前まで迫るが、彼女は歩みを止めない。

 やがて、吉岡が前のめりに依子とぶつかった。ここで、青白い光が辺りに閃く。瞬間遅れ、バチッという空気を切り裂く音がした。

 依子がその場にうずくまった。肩から荷物がずり落ちる。彼女は膝を着き、両手で腹を抑えた。瞳を見開き、口をだらしなく開けたまま絶句した。

「おっかしいなぁ。お腹に当てたら一発で気絶しますよーって、ネットで見たんだけど」

 吉岡は右手に収まるスタンガンを不思議そうに見つめる。

 俺は一度よろめき、二人のもとへ駆け寄ろうとした。吉岡が腰を屈めた次の瞬間、再度、閃光が瞬く。次に狙われた部位は首筋だった。依子は一度びくりと全身を跳ね上げ、悲鳴も上げずにアスファルトへと倒れ伏す。

 俺は猛然と吉岡の右手首を捕った。

「何やってんだお前。洒落になってねえんだよ」

 吉岡は意に介さない。魔性的な笑みを浮かべ、

「もういいよぉ」

 そう言い放った。

 突如俺の首元に、細く筋肉質な腕が回ってきた。背後に誰か居る。横目で、必死にそれを確認した。

「ごめんな純一。ちょっとだけ、寝ててもらうわ」

「浅海さ……」

 もう片方の手で頭部を固定された直後、一気に気道を締め上げられる。それ以上の言葉は切り捨てられた。視界が徐々に白んでいく。鬱血していく頭には、まともな思考は浮かんでこない。

 吉岡が見せる笑みすらも判別出来なくなった頃、意識は完全に脳から切り離された。

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