表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
51/65

chapter50 海辺の町(下)

 その女性は首を傾げ、依子を挟んだ先から俺を覗き込む。

「花田恵美です。あなたは、依子ちゃんの親戚さんだそうですね。今朝、息子から聞きました」

 柔らかく丁寧な言葉遣いに俺は柄にもなく恐縮し、小さく会釈をする。

 彼女は、あの子――花田夏菜と昨日の男子中学生の母親だという。そうすると、彼女の年齢は四十前後ぐらいのはずだけど、外見は二十代で時を止めたかのような若々しさがあった。それとは逆に、落ち着いた雰囲気と話し方だけは実年齢に見合っているのだろう。

「ご旅行はどうでした? 本当に何もない田舎町ですけれど」

「いや、俺はいい町だなって思いました。変に喧しくないし、波の音とか、虫や動物の鳴き声聞いてるだけで心が和むっていうか」

「あら、まだお若いのに。お爺さんみたいこと言いますね」

 花田さんが口元に手を当ててやけにお上品に笑うので、俺は上手く笑い返すことが出来ず、不格好なはにかみ笑いで顔を逸らした。なんかやりにくい。鍋島と初対面で挨拶をしたときもこれに近い感じだったような。今でこそ憎まれ口だって言い合えるようになってはいるけど。

 母親ですらここまで似てるんだ。依子が今まで、鍋島を花田夏菜に重ねて必死になっていたのも分かる。

「夏菜が死んで、もう半年も経つんですね」

 花田さんは膝を抱いて墓石を見上げながら、世間話でもするように言った。

「あの子は幸せです。なかなか友達も出来なかったし、悩みの多い子でしたけど、こうして依子ちゃんや親戚さんにお墓参りに来てもらえて」

 花田さんは依子の横顔へと微笑みかける。依子はずっと、手を合わせて目を閉じていた。涙が止まり、その代わりに、額に汗の玉がにじんでいた。

 依子に向けられる笑みには皮肉も敵意もない。花田さんは純粋に、感謝と敬意を込めていた。

「ありがとうね、依子ちゃん。こんな素敵なお花までお供えしてくださって」

 依子が強く唇を噛み、小さく首を振る。

「ありがとうだなんて、やめてください」

 言うと、依子は片膝をつき、パイナップルの髪を揺らしながら花田さんを見た。傾いた両肩が頼りなく上下する。

「ゆるさないでください。あなたは、全部しってるはずです。あたしをゆるさないでください」

 花田さんは驚いたような顔をした。唇をぴたりと閉じ、斜め下を見下ろす。

 俺はそれを静観しつつ、軽く足元に力を入れた。万が一依子に手を出すようなら止めるつもりだった。

 やがて、花田さんは無理に口元だけで笑う。

「もういいですから。そのお気持ちだけで充分です。そうやって悔やんでいただけるだけで、私は充分ですから」

「そんなの駄目です。お墓参りにきたぐらいで、簡単にゆるさないでください」

「反省した人にそんなことは出来ません。ねぇ依子ちゃん。お願いですから、もうそんなこと」

 依子が息を荒くして花田さんに詰め寄った。

「ぶったり、蹴ったりしてください。だってあたしは、夏菜ちゃんをいじめて……」

 嗚咽に続きが遮られ、罪悪感に苛まれた依子の背中が揺れる。過呼吸のように吐き出される息の中に、細かく刻んだ言葉が漏れていく。

「あたしのせいだから、こんなの、絶対おかしいから、だって、だってあたしが……」

「お願いですから、聞いてください」

 花田さんが慈しむように依子の手を握る。依子は怯え、取られた手も一瞬震えるが、徐々に彼女の掌の中にゆだねられていく。

「自分のせいだなんて、もう思わないでください。あなたと私は同じなんです」

 もう依子は何も言い返さず、黙って握られた手を見つめた。

「あのときああしていればよかったとか、こう言えば誰も傷つけなかったとか、どうすれば助けられたとか、そう思う気持ちはみんな一緒なんです。なのにみんな、終わってしまってから気づくんですよね。私も、あなたと同じだけ夏菜を傷つけたし、助けてあげられなかったし、あの子の気持ちに気づいてあげられなかった。だとすれば今、夏菜に対して後悔する気持ちは、私も依子ちゃんも同じじゃないですか」

 依子の右手の上に、もう一つの手が重なる。重ねた手が依子の右手を丁寧に撫でた。

「だから、あなたがそうやって悔やんでくれるだけで、私は満足です。それに、あなたを許すのは私ではなく夏菜です。でもあの子、もう話せないでしょう? 依子ちゃんがいくら求めたって、夏菜はもう戻ってこないでしょう。それでも、どうしても後悔が抑えられなくなったら」

 依子の右手が持ち上がる。花田さんの両手にぎゅっと包まれると、依子がかすかに顔をあげた。

「自分のことと、周りの人たちのこと、もっと大切にしてください。今、夏菜に対して込めた気持ちと同じくらい、自分と誰かのことを想ってあげてください。私がお願い出来るのは、それだけですから」

 依子はうなずく。花田さんの手を握り返し、依子は小声で、たいせつにします、ともう一度うなずいた。

 花田さんが俺にも微笑みかける。

「あなたも、依子ちゃんのことを大切にしてあげてくださいね。優しそうな人だから、大丈夫だとは思いますけど」

「優しそう……」

 恐いってのは一日一回くらい言われるけど、優しそうは言われ慣れていない。感激を通り越して恥ずかしい。

「頑張ります」

 俺は照れ笑いでそう答えた。

 そのあと、改めて三人で墓石に拝みなおした。蝉を押し退け、しだいにひぐらしの音が辺りを包み始める。目を閉じ、耳を傾けてそれを聴く。その音色は、いつか依子と神社に行ったときのものとよく似ていた。依子が俺を許してくれたとき、俺はこれに癒された。きっと依子も、あのときの俺と同じように、このひぐらしの音に癒されるのだろう。



 民宿で荷物を受け取り、平塚夫妻にお礼を言って町を出る。坂を何度も曲がって上り、国道の先に沈んでいく夕日を目指す。

 振り返ると、薄暗い空と海が見えた。境界線が曖昧になり、それらのボーダーはもう見分けられない。

 バス停に着くと、一台の自転車がバス停小屋の前に停まっていた。そして、聞き覚えのある下手くそなギター音が孤独に飛び交っていた。

 小屋の中を覗く。やはりあの男子中学生だった。持参したらしいパイプ椅子に腰掛け、俺たちの到着と同時に弾く手を止める。浅黒い顔面に爽やかな笑みを浮かべ、俺たちに向けて軽く手を上げた。

「なにしてんだよ」

「見送りにきた。ずいぶん遅かったな」

 遅かったもなにも、こいつには帰る時間なんて教えていないはずだ。いつから待ってたんだろう。ていうか、もう来年まで俺らには会わないんじゃなかったのか。

 依子は半分、俺の後ろに隠れていたが、もう逃げるような素振りは見せなかった。

「バスが来るまで、オレ渾身の一曲を聴かせてやるよ」

「遠慮しとく」

「よっしゃ、まずはそこのベンチに座んな」

 聞いてないよこの人。俺たちは黙ってバス停小屋奥の木製ベンチに腰掛ける。男子中学生がベンチのはす向かいにパイプ椅子を置き、その上で足を組んでギターを持ち直した。

 ピックを構えたところで、彼は思い出したように手を止める。

「そうだお兄ちゃん。あの手紙、今渡していいぜ」

 そう言われて、俺はとっさに膝に抱えたバックパックに目を落とした。躊躇し、男子中学生を見返す。

「もういいのかよ」

「おう。オレの歌聴きながら読んだ方が、雰囲気出るだろ」

 どんだけ自意識過剰なんだ。

 しかし、俺としてはいつ渡しても問題はないので、バックパックの外ファスナーを開き、ミッキーマウスの封筒を取り出した。一人だけ話についてこれない依子は首を傾げるばかりだった。

「花田夏菜が最後に、お前に宛てて書いた手紙らしいよ」

 依子に手渡す。自分の手にこじんまりと収まる封筒を前に、依子は固まった。

「平野先輩、今読んでやってくれ」

 言うやいなや、男子中学生が弦を鳴らし始めた。意外なことに、その音は今までと違い、迷いなく軽やかに弾かれるものだった。すると男子中学生は、聞いてて恥ずかしくなるくらい気障な口調で言う。

「we are the world。世界平和を謳った超有名な一曲だ。ぶっちゃけこれ、オレが一番練習した曲だからな」

 彼は歌い始める。しかも結構まともに、英語の発音もしっかりしていた。俺は依子に目で合図をする。依子は躊躇いがちにうなずき、封筒を開けた。

 中から出したのは、三枚の真っ白な便箋だった。依子はそれを手に、瞼を閉じて息を吐く。俺は便せんの内容を見ないようにして、そっと男子中学生へと顔を向けた。依子と花田夏菜の二人きりの時間を、これ以上邪魔しないように。

 男子中学生は目を閉じて歌う。弾き慣れた弦を今一度確かめるように弾き、世界平和を歌った。



 曲が終わり、男子中学生は疲れで頭をうなだれる。隣を見ると、依子が前を見据えていた。丁寧に折りたたんだ便箋を膝の上に添え、国道の先の暗い雑木林を見つめる。涙の伝ったあとが頬に残っていたが、依子は静かにベンチの上で佇んでいた。泣き声が聞こえてこなかったのは、曲を邪魔しないためだったのだろうか。

「上手だった」

 依子が言うと、男子中学生は朗らかな笑みを見せる。そして彼はギターを降ろし、居住まいを正した。

「卒業のときにした告白の返事、今聞きたい」

 彼はよく届くよう声に気勢を入れ、依子と正対した。まばたきもせず、依子の返答を待つ。

 依子が腰を浮かし、ベンチ上で斜めに座った。彼女も男子中学生を真正面に捉える。俺が視界に入ってちょっと邪魔かもしれない。ここは空気を読んで退くべきかなと考えあぐねているうちに、依子が口を開いた。

「ごめんなさい」

 依子が流れるような所作で頭を下げた。下げたまま彼女は言う。

「でも、とても大切な後輩です」

 一言一句を丁寧に言い切り、依子は顔を上げる。遠くからバスの走行音が聞こえた。

 男子中学生は脱力したように頬を緩めた。身体の中のものを全てを出すかのようなため息を吐き、膝の上で両手を組む。

「よかった。ちゃんとフラれて」

「よかったって。変なやつだな、フラれたのに」

 空気が和らいだのを見計らって、俺は男子中学生をからかう。男子中学生は、こっちまで力が抜けてしまいそうな声で笑った。

「いや、オレって今、付き合ってるやつがいるんだけどさ」

 くそが。

「彼女のこと好きなはずなんだけど、先輩のこと、ずっと忘れらんなかったんだ。でも、やっと吹っ切れた」

 男子中学生は頭の上で手を組み、小屋の屋根の合間から、すっかり暗くなった空を見上げた。つられて、俺もそちらを見る。星の大群がくっきりと闇夜に浮き出ていて、俺は純粋に、綺麗だと思った。

「おかしいよな。平野先輩のこと恨んでたはずなのに、それと同じくらい、オレは先輩のことが好きだったんだ」

 バスが到着する。車体が星空を隠し、アイドリング音が静寂を破る。

 荷物を手に、俺たちはベンチを立った。それと合わせるように、男子中学生がギターの腹を太ももに置いた。

「ありがとな。来年も絶対来るから」

 俺のかけた別れの言葉は、ギターの音色によって返された。



「あの手紙、なんて書かれてた?」

 バスの車内、他に客が居ないのをいいことに、俺はそう尋ねる。

 俺たちは、後ろから三つめの二人用の座席に座っていた。窓際に座る依子は前方を見つめたまま戸惑う。戸惑うとってもかなり微妙な仕草で、開きかけた口を閉じ、もう一度開けて、その状態でぼんやりするだけだった。その顔がおかしくて仕方がなかったが、真剣な質問をした手前、俺も茶化すことは出来なかった。

「いろんなこと、書かれてた」

 大ざっぱ過ぎて何一つ情報を得られない。

「色んなこと?」

「いろんなこと」

 依子はそれっきり口を閉ざす。俺もそれ以上尋ねるのは止めておいた。依子だって、言いたくないことくらいあるのだろう。

 肩に重みが掛かる。見ると、依子の頭が俺の右肩に乗っていた。パイナップルヘアーのへた部分が頬をくすぐってくる。

「どうしたの」

 反応がない。気絶したのかとちょっと焦ったが、荒く吐かれる彼女の吐息がそれを否定した。そんな息遣いのまま、依子が言う。

「いじめられるのは嫌だったけど、大切な、友達だったって」

 潤んだ声に胸が痛くなる。依子が俺の服を掴む。顔を胸元に埋めてきて、半ば無理矢理に言葉を発した。

「嫌いだったけど、それ以上に、大好きでしたってっ……」

 依子の右肩を軽く叩くと、彼女は声も無く泣き始めた。そのまま肩を撫で下ろす。

「あたしも、あの子のこと、本当は大好きだったはずなのに……」

 依子が涙もろくなった、とは何度も思ったけど、こればっかりは仕方ない。ていうか俺も結構泣くし。

 依子も、花田夏菜も、男子中学生も、あの母親も、こうして相反し合うジレンマに頭を悩ませ葛藤する。

 もし花田夏菜が自殺なんかしなければ、依子とやり直せていたのだろうか。きっと出来たはずだ。でも、今そんなことを考えても誰も救われない。

 あのときああしていれば、こう言っていれば、もっと考えていれば、たしかに後悔も必要だけど、それより、これからのことをもっと大切にしてほしい。それが花田恵美さんなりの許しだったんだと思う。

『若いねー』

 バスの運転士が車内マイクで空気の読めないことを言ってきた。俺たち、バックミラーで丸見えらしい。

 依子はそれでも俺の胸から離れない。だから俺も動くわけにはいかないんだけど、これじゃ普通にカップルに見える。心臓の方も無駄に高鳴ってきた。

 俺はもう言い訳する気力も沸いてこず、えへへうちの連れがお恥ずかしい、みたいな愛想笑いをミラー越しの運転士にしてみせた。

『おじさんも君たちみたいな時代があってね。いや、ほんと凄かったんだからね? そりゃもう紆余曲折の波瀾万丈な純愛活劇ってやつでさぁ――』

 そこから四十分、運転士のどうでもいい武勇伝を聞かされた。いや、でもちょっと面白かった。

海辺の町編は終了です。次回より最終章?みたいなものに入ります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ