表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
50/65

chapter49 海辺の町(中)

 せっかくの港町なんだから海で遊びてえんだけど、と俺は駄々をこねた。

 なので、民宿の平塚お爺さんから釣り道具一式と餌を借り、朝っぱらから依子と二人で防波堤の上に座り込んで釣り糸を垂らしつつ、東方向斜め五度くらいに位置する朝日を拝みながらウキの反応を待っていたのだが、わずか三十分ほどで依子が「釣れない」と言って竿をほっぽり出した。

「付き合いわりーなおい」

 爽快と去っていく依子の背中に嫌みを飛ばしてみたが、何も返してくれなかった。

 というわけで、一人っきりで早朝の海辺をやり過ごすことに。八月らしくない海の冷気と塩気にやられ、瞼と鼻の奥がつんとして涙が出そうだった。別に依子に冷たくされたからとか、決してそんなセンチメンタルな理由からではない。

 と思ったら、依子が文庫本と日傘を手に舞い戻ってきた。俺の隣に腰掛け、文庫本を開いて日傘を頭上で構える。終始、言葉を発さず黙々と。

 それでも俺はなんだか温かい気持ちになって、優しく清らかな気分にもなって、昨晩俺を完全に拒絶して押入れに立てこもられたことも記憶の彼方に飛んでしまって、心なしかテンションを取り戻した俺は気分上々で依子に話しかけまくった。

 「今日もいい具合に晴れそうだなぁ」とどうでもいいことを言ってみたり、「お前最近髪切った?」とタモさんみたいなことを訊いてみたり、「うわ全然釣れねえ。なぁ依子、俺魚にモテなさ過ぎじゃね?」とヘラヘラしながら尋ねてみたり、とにかくここ数ヶ月で俺が最も饒舌になれた瞬間だったんだけど、依子は結局一言たりとも返事をしてくれず、どころか徐々に不機嫌オーラを発散していき、挙げ句の果てに「だまれ」と暴言を吐き捨てて民宿に戻っていった。

 結局、魚は一匹も釣れなかった。



 朝九時、民宿で朝飯を食べる。

 平塚さんの奥さんが作ったという海の幸料理が部屋に運ばれてきた。奥さんの世間話を聞きながら朝食に舌鼓みを打つ。

 美味いことこの上ないのだが、この旅行に来てからというもの、一切肉類を食べていない。美味いのに物足りなく感じてしまうのは、俺はとことん育ち盛りだからに違いない。

 今日の予定は観光と、そしてもう一度、墓参りに行ってから帰ることにする。

 制服に着替えてから部屋で一息。すると、俺の携帯に浅海さんから着信があった。通話ボタンを押し、いつもの寝起きっぽい彼の声を聞く。

「よう純一。いとこちゃんとのラブラブ小旅行はどーよ。ミッチーも心配してたよ。ちゃんとあの子たちラブラブしてんのかしらねー、つってな。ははは。冗談冗談」

 いきなりすごい勢いで冷やかされた。テンションたけえ。ちなみにミッチーとは道子叔母さんのことだ。

「ラブラブって、浅海さんたちと一緒にしないでくんない」お返しに浅海さんと吉岡のことを揶揄しておく。「で、なんの用すか」

「いや、お前いつ帰ってくんのかなって。駅から家まで送ってやるよ」

 他人に興味なさそうな雰囲気出しといて、浅海さんはいつも面倒見がいい。流石に吉岡から気に入られるだけはある。

「わざわざそんな面倒な事までしなくても。ていうか、本当は何か他に用事があるんじゃないの」

「えー、なんでそんな細かく突っ込んでくるかなぁ」

 浅海さんは少し悩むように小休止を入れて、

「あ、そうだ。俺の分の沖縄土産まだあげてねーんだった。それやるついでに帰り送ってやるってことで」

 今考えました、みたいな理由をつけてきた。釈然としないものの、送ってくれるのはありがたいので、明日帰ってくる時間帯を伝えてお礼を言った。

 電話を終え、後ろを見ると、依子が早くも出掛ける準備を始めていた。準備とはつまり身だしなみのセットで、しかも今日は土曜日なので、依子は髪をパイナップルに結わえようとしていた。たとえ旅行先とはいえど、土曜パイナップルは依子の中で確固たるマイルールとなっているようだった。

 携帯でこっそりパイナップルを撮影した。



 朝っぱらからモチベーション上がりまくりな俺は依子を置いていく勢いで砂浜に直行し、砂のお城を作り、依子をビーチボールに誘って断られ、町をだらだらと歩き、お土産を買いあさり、それから一度、民宿に戻って昼寝をした。

 起きると、午後三時を過ぎていた。

 依子が不機嫌だった。

 寝起きで気分が落ち着いてきた俺は、依子の様子にひどく反省してしまった。いくら名目上が旅行だからといって、今朝から舞い上がり過ぎたかもしれない。

「ごめん。なんか俺、無神経だったな」

 茶木製のテーブルを挟み、依子と座椅子で向かい合って座る。部屋の雰囲気は一気に重くなっていた。依子は湯呑みを細かく傾け、さらに細かな動作で首を振った。

「あたしも、暗すぎたかもしれない。せっかく、純につれてきてもらったのに」

 依子から気遣いの言葉をかけられるのは、実は俺にとって結構辛いことだった。俺と依子は基本的にお互いに無関心で、行動するにしてもどちらかがどちらかを振り回すだけのような、かなりがさつな間柄だったはずだ。依子に謝られたり気遣われたりしたら、俺は途端に何も言えなくなる。多分、依子も同じような心境なのだろう。

 俺は、部屋の隅に置かれた自分のバックパックを見る。あの荷物には、昨日男子中学生から渡された手紙が入っている。男子中学生との約束通り、依子にはこの町を出てから渡すつもりだ。

 正面から依子の声が聞こえる。

「パパのこととか、吉岡さんとか、原村先輩たちと、色々あったから、純はあたしを元気づけようとしているんだよね」

「そういうの、わざわざ言わなくていいよ」

「いつも暗くて、ごめんなさい」

「だから……」

 黒のバックパックを見つめたまま言葉が詰まる。本当にこいつらしくない台詞ばかりだ。返すべき言葉を迷って閉口していると、依子が膝を立てて移動し、俺の視界に入ってきた。

「ほんとうに、いつもありがとう」

 しかも、やたらと熱のこもった声で。表情がないのが非常に惜しいけど。

「お前らしくないよ。なんなの、さっきから」

「ごめんなさいと、ありがとうって、純にはいつも、ちゃんと言えなかった気がしたから」

 この瞬間、やはり依子のキャラは崩壊していた。何か言いにくそうに口を開け閉めして、ぎこちのない声色で言う。

「身近なひとにさえ言えないままなのに、遠くはなれたひとに、ちゃんと伝えられるはずがないとおもったから」

 視線を突き合わせたまま互いに硬直する。よく分からんけど、俺はえらい勢いで感動していた。泣けるってほどじゃないけど、何故だろう、極悪人がたまに見せる優しさに心動かされる現象に似てるなぁ、とは思った。

 こんな依子もたまにはいいかもしれない、そう思い始める。いや、ずっとこんなんだったら付き合いにくいけど。

「そろそろ墓参り行くか」

 この湿っぽいような空気に終止符を打つべく、俺は出来るだけ明るく笑ってみせた。



 町を歩き回って花屋を見つけた。ちゃんと墓花を供えたい、と依子が強く希望したのだ。

「かわいらしくしてください」

 依子がそうお願いすると、花屋の兄ちゃんが威勢の良い返事をして、てきぱきと花を見繕ってくれた。カーネーション、白菊、黄菊など。ピンクと白と黄色が主で、なかなか鮮やかにまとまっている。こういうのはあんまり詳しくないけれど、素人目にはいい腕してると思う。

 寺の敷地に入り、住職に掃除用具を借りて墓周辺を掃除する。もともと、花田家の墓石には苔のひとつも生えていなかった。全体的に汚れが少ないのは、遺族が頻繁に訪れているからだろうか。

 手桶で水をかける。じゅう、と鉄板のお好み焼きみたいな音がして、かすかに石から湯気が立つのが見えた。

「ちょーすずしい」

 墓石が喋った、とありもしないことを妄想してみる。普通に考えれば隣から。依子って、ちょーとか言えるんだな。びっくりするからやめてほしい。

 墓花と線香を供えて、昨日と同じように並んで合掌。

 しばらくして目を開く。依子の希望通りに可愛らしく生けられた花たちが、墓前を控えめに彩っていた。依子の息遣いが少し荒くなったのに気づいて、俺は静かに声をかける。

「そういえばさ、さっきのあれ。ありがとうとか、ごめんとか、俺に言ってきたやつ。実は俺、結構ビビってたからね。お前もかなり勇気出したんじゃないの」

「うん」

「頭悪い俺にだって伝わったんだしさ。もしお前の友達が許してくれなくたって、依子が謝ってんのは、ちゃんと伝わったはずだから」

「うん」 

「だから、もう泣かなくていいよ」

 透き通るような夏空の下。波音も、うみねこの鳴き声も、こんなところにまで届く。今日は蝉もおとなしい。

 依子はもう何も言わず、手を合わせたまま顔を下に傾ける。瞼の間からこぼれるものが光を通して刹那に瞬き、渇いた地面に浸った。

 ふと、依子の隣に、一人の女性が腰をおろす。年齢は二十代にも三十代にも見える。もしかしたら四十代かもしれない。涼しげな水色のキャミソール風ワンピースの上に、白のレース編みカーディガンを羽織っている。一つにまとめた三つ編みを片胸の前に流していて、その横顔は、誰かに似ていた。

 鍋島由多加。しかし、実際は鍋島の姉でも、母親でもないだろう。雰囲気が似ているだけだ。

 そうか、と心の中で納得して、俺は墓石に目を向ける。そのとき、女性がささやきかけた。

「依子ちゃんが来てくれて、夏菜も喜んでいると思います」

 依子は目を閉じ、うつむいたまま下唇をかんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ