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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
49/65

chapter48 海辺の町(上)

 町に到着する。この地域は坂が多いらしく、ここに来るまでずっとなだらかな下り坂だった。

 俺たちはある民宿に入った。

 叔父さんの知り合いの平塚とかいう爺さんがやっている民宿らしい。道子叔母さん経由で連絡してもらい、タダ同然で一泊させてもらうことになっていた。

 平塚さんは小太りで、真っ黒だった。性格のことではなく、肌的な意味で。

「依子ちゃん、べっぴんになった。えれぇ、べっぴん」

 平塚さんは片言みたいな話し方だった。お世話になります、と依子が頭を下げると、俺たちは二階の一室に案内された。六畳一間の和室。廊下とは襖一枚で仕切られていて、一応トイレと洗面台はあったが、普通の民家の一室のようだった。

 まだ昼を過ぎた頃なので、部屋でのんびりしてから出かけることにする。

 窓を開放すると、海辺独特の磯の香りが部屋に入り込んできた。見ると、民家の先に青い海が広がっていた。遠くでうみねこがミャーミャーと鳴く。すぐ近くからは、子供の笑い声が細々と届いてきた。初めて来た場所なのにどこかノスタルジックで、ぼうっと眺めていると思考が止まってしまいそうだ。

 窓の縁に灰皿を置き、煙草をくわえる。原村からもらったシーサーライターで着火する。

『イーヤーササー、ハイーヤ』

 雰囲気崩れた。ここ沖縄じゃねえし。

「いいとこじゃん、ここ」

 振り返ると、依子は座椅子に座って本を読んでいた。こちらに顔を向けようともしない。久々の地を懐かしもうという気は一切ないようだ。



 外に出ると、依子が折りたたみ式の日傘を広げた。

 縁にレースの入った白い日傘。高校の制服姿とはアンバランス。この町で暮らしていたとは思えないほどの日差し対策っぷりだ。

 海で砂遊びでもしたい気分だったが、あいにく目的地は山側にある。そこには寺があり、俺たちはそこで墓参りをすることにしていた。

 町には市場通りがある。

 漁業が盛んな町なのか、商売の中心は魚貝類だった。果物や野菜などもそこそこに売り出されている。炎天下のもと、精力的に飛び交う売り文句を聞き流し、のろのろと歩きながら通りの様子を見物する。

 通りを抜けると、そこからはささやかな住宅地帯になっていた。ここから上り坂に入っていく。

 どこからか、下手くそなギターの音色が聞こえた。すると何故か、依子が俺の背中に隠れた。

 音のする方を見る。そこには空き地があり、その入り口付近で、中学生くらいの男子がパイプ椅子に足を組んで座り、ギターを弾き鳴らしていた。やり過ぎなくらい切り詰めた短髪。健康的な小麦肌。将来、海の男にでもなりそうな風貌だ。

 彼の前には手作りらしき木製の台が置かれていた。その上には白梨の入った袋がいくつかと、梨の値段表らしき紙が張り付けてあった。

 男子が演奏を止め、じろりとこちらを見た。依子がさらに俺の後ろに隠れる。

 彼は空色のTシャツの裾を肩までまくり、ギターを持ち直した。

「お兄ちゃん、演奏聞いてけ。後ろのお姉ちゃんも」

 江戸っ子みたいな喋り方。こちらの返事を待たず、男子が演奏を始めた。演奏はやっぱり酷かった。でたらめに弾いてるとしか思えないし、ずっと聞いていると精神崩壊を招きそうな旋律だった。イントロが終わると、これまた耳が痛い感じの声で歌詞を乗せてくる。

 うわべばかりをなでまわされてー。

 なんか聞いたことある歌詞だなぁ、と思ってよくよく聞いてみると、ミスチルだった。知ってる曲なのに歌詞に入ってやっと気づいた。ギターも歌声も音外しまくり。

 いーまぼくのいるばしょがー。

 やっとサビに入った。どうしよう帰りたい。だが聴き始めてしまったものは仕方なく、曲が終わるまで直立不動の無表情で待機する。やがて演奏を終えた男子中学生は、自信満々な笑みを浮かべた。白梨の袋を取り、ずいっと差し出してくる。

「梨五個入り。演奏料込みで二千円だ」

「行くぞ依子」

 依子の背中を押して早歩きで進む。

「あっ、せめて演奏料払ってけやドロボー!」

 無視して進む。後ろを流し見ると、男子がギターを椅子に降ろし、全力で俺たちを追いかけてきた。恐ろしくなって俺たちも足を早める。

「ていうか待って、平野先輩じゃないの! おい止まれーっ!」

 はっとして足を止める。依子は俺を待たず、さっさと走っていく。

 男子が俺の隣で立ち止まった。膝に手をついて息を吐き、去っていく依子の背中を上目遣いで見上げた。

「お兄ちゃん、平野先輩のなんなの。彼氏?」

「いとこ」

「そっか。どことなく似てるもんな」

 俺と依子が似てるだなんて、何気に言われたの初めてかも。

 依子は民家の角を曲がり、姿を眩ませた。そうだ、俺は寺の場所を知らない。今すぐ追いかけなければ。

 走り出そうとすると、すぐに男子から引き留められる。

「待てお兄ちゃん。アンタら、ここに何しに来た」

「墓参りだよ。あいつの友達の、」逡巡し、曖昧にぼやかして答える。「いや、色々と事情があって」

 すると、男子が真剣な目をした。

「オレの姉貴の墓だろ」

 俺は戸惑い、依子の去った場所から、完全に彼へと目を向けた。男子中学生は確信めいた口調で言う。

「答えなくても分かる。この近くに姉貴の墓があるんだ。わざわざ先輩が訪ねてくるってことは、それしかないだろ」

 男子は少し悩むようにして頭を掻き、続けて尋ねる。

「いつまでここに居る?」

「明日には帰るけど」

「そうか。じゃあ今日の夜、またここに来い。渡したいものがある」

 年下のはずなのに、かなり高圧的に命令してくる。しかも夜に来いって。またいい加減な。

「何時ごろに来りゃいいの」

「いつでもいい。オレは夜明けまであそこに居る。とにかく来い」

 男子は一度、依子の行った方を睨む。そちらを指さし、「寺はあそこの角を曲がって、道なりに行けば見えてくる」と言って、先ほどの空き地入り口付近へと歩いていく。

「オレは趣味に戻るけど、お兄ちゃん、絶対来いよ」

 男子は念を押して言った。つか、あれ趣味だったんだ。

 シーサーライターで煙草に火を着けると、突如鳴り出す沖縄伝統曲に、男子がぎょっとして振り返る。煙草を吸う俺にも若干引いていた。しかし結局何も言わず、彼はギターのもとへと静かに歩み寄っていった。



 寺の敷地内に入る。

 狭い敷地の中、依子はすぐに見つかった。彼女はある墓の前で腰を屈め、じっと手を合わせていた。近づくと、供えられた線香の匂いが鼻孔をついた。

 寒いほど人の気配は感じられない。ちょうどお盆だし、墓参りも正装がいいかなと思って制服で来たけれど、住職の姿すら見当たらないと虚しいものだった。

 依子の隣に屈み、俺も線香を立てる。墓石には『花田家の墓』と刻まれていた。

 蝉が喚く。依子と同じように手を合わせ、目をつむっても、その喚きが耳に張り付いて離れない。蝉が俺たちを追い出そうと躍起になっているように思えた。

 合掌を解き、目を閉じる依子の横顔を見る。頬の筋肉一つ動かさず、依子はその体勢で固まっていた。心の中で、懸命に声をかけているのかもしれない。あの子がちゃんと依子の謝罪を聞いてくれているのか、それだけが心配だった。

 潮風がやってきて、辺りの木々を揺らす。いったん鳴き止んだ蝉も、また数秒後に呻き始めた。

 依子は動かない。もしかしたら、こんな事のためにこの町に来ても、なんの意味もなかったのかもしれない。死人に口無し。何をどう足掻いても、依子は二度とあの子の声を聞けない。怨恨も、赦免も、依子には一切届かない。

「ゆるしてもらえない」

 依子が囁く。

「あたしには、あの子の、怒った顔しか見えない」

 依子が瞼を開け、立ち上がる。蝉がいっそう喚きを強めた。

「あの子の弟からも逃げた。ゆるされないことが怖かった。だからあの子も、まだ怒ってる」

 俺は腰を上げ、黙って寺の出口へと向かう。背後で、依子が折り日傘を開く音がした。俺の後ろを着いて歩く、依子の足音を耳にする。

「明日も来るか」

 見えないけど、依子は多分うなずいた。



 民宿まで続く坂を下りながら、空と海とを隔てる水平線を見つめた。

 どちらも、俺たちの住む町では決して見られないほど濃い青をしていた。空は吸い込まれそうなほど幻想的に着色され、海は波がうねる度に色を変え、防波堤に当たって白い飛沫をあげる。どちらも濃厚なのに、絶対に混じり合うことのない青同士。俺たちが水平線を見分けられるのは、空と海のそれぞれが、己の存在を示そうとせめぎ合っているからなのか。

 それとも、片方に拒絶されてしまったのだとしたら。片方が歩み寄ろうとしても、もう片方が頑なに拒んでいるのかもしれない。

 離れずに繋がっていてほしい。水平線なんて見分けたくない、とふと思った。


 民宿には、宿泊客用の風呂すらないという。その代わり、民宿のすぐそばに銭湯があると聞き、さっそく俺たちはそこへ向かった。

 サンダル履きで、お互い寝間着姿のまま暗い道を歩く。街灯などあるはずもなく、平塚さんから渡された懐中電灯で夜道を照らす。依子は紺のパジャマで、俺は黒のスウェット。遠くから見れば、二人とも闇に溶けて、頭と手足だけで動いているように見えそうだ。怖いな。

 銭湯から戻り、民宿二階の部屋に入る。

 依子が露骨に布団を離したので、頭にきた俺も壁際まで布団を遠ざける。今までそんな素振りなんか見せなかったはずなのに、どうも信用されていない。

 依子は基本的に自分から挨拶をしない。俺からでなければ、おやすみも言ってくれないのだ。お互い無言で布団に入った。

 寝たふりをして、布団の中で携帯をいじって待つ。約一時間後、携帯の充電残量が一本になったところで、おもむろに布団から起きあがる。そろそろ男子中学生の所へ行かなければ。

 忍び足で近づき、依子の寝顔を確認。目と口を自然に閉じ、寝顔までいつもの能面だった。それにしても、よく出来た顔だなと改めて思う。さすがにモテていただけはある。本当に俺のいとこ? なんて言ったら、親父と道子叔母さんの似てなさ具合の方がすごい。

 まじまじと観察していると、突如、依子がばっと目を開けた。普通に起きてた。枕に頭をつけたまま、死ぬほど驚いた俺を見上げる。

「さっきから、なに」

「いや、寝たかなと思って」

「ねてない」

「そうみたいだな」

 俺は咳払いをする真似をして、必死で言い訳を考える。依子の刺すような痛い視線を我慢して、俺はやっとの思いで口を開いた。

「眠れないから散歩でもしようかなって。でもお前のこと起こしたくないじゃん? だからちょっと確認してただけなの。分かる? お前が想像してるようなことじゃないからね」

 なにこの言い訳。これじゃ余計に怪しまれる。

「わかった。はやく散歩いけ」

 やっぱり怪しまれてるし、キレてるときの口調だった。俺は「いやマジだからマジ。お前なんかに興味ねえんだよバーカ」と、さらに疑われるような駄目押し文句を残して早々に部屋を飛び出した。



 地味に傷心した俺は海沿いの夜道を散策し、波の音で心を癒した。真っ黒でどろどろな海を眺めていると、だんだん気持ちが落ち着いてきたので、改めて市場通りに向かった。

 通りを抜けると、約束通り、空き地の入り口には男子中学生が居た。昼間のように白梨の台はなかったが、彼はパイプ椅子に腰掛けてアコースティックギターを弾いていた。

 男子中学生に近寄るが、彼は演奏を止めない。弾くのはやっぱりミスチルで、曲は旅立ちの唄だった。うるさいしイライラするし、煙草でも吸って待とう。

『イヤーササー、ハーイヤ』

 こっちもうるさい。

「おい深夜だぞ。そのライター、近所迷惑だから」

 早口で注意して、歌に戻る男子中学生。お前の騒音ギターのが近所迷惑だよ、と言いたかったけど止めておいた。引くくらい下手なので逆に突っ込めない。

 演奏が終了すると、彼は椅子の下に置いたペットボトルの水を取り、少し傾けて口を潤した。

 やっと用件とやらが始まるな、と思ったら、男子中学生は二曲目を弾きだした。今度は何の曲なのか本気で分からなかったけど、よく聞くとバンプだった。しかもラフメイカー。鼓膜破れそう。

 結局彼が口を開いたのは五曲目のあと、スピッツのおっぱいを歌い終えてからだった。

 きみのおっぱいはせかいいちー。

 コードの残響が鳴り止む。男子中学生は息を吐き、満足そうに笑った。

「よく来たな、お兄ちゃん。今度こそ演奏料払え」

「嫌だ。つか、おっぱいが締めってどうなの?」

 男子中学生は俺の切実な疑問を無視し、傍らに置いたギターケースから一枚の封筒を取り出した。

「姉貴が、死に際に平野先輩に宛てて書いた手紙だ」

 煙草を口に挟み、それを受け取る。封筒には何も書かれておらず、真っ白な紙の端に、小さくミッキーマウスが描かれていた。

「平野先輩、反省してんだろ」

「多分な」

「じゃあ、これも先輩に伝えとけ。姉貴が許しても俺は許さない、ってな」

 男子中学生は立ち上がり、俺の胸を小突いた。イラッときたが、俺は黙って封筒に目を落とした。

 姉貴が許しても、俺は許さない。

 この手紙に書かれた内容への暗示だろうか。だとすれば、これはいつ依子に渡せばいいのだろう。

「その手紙は、帰りの新幹線ででも渡してくれ。ここに居るあいだで読まれるのは、なんとなく嫌だからな」

 俺は顔を上げた。

「明日、また会えるか。依子はさ、本当はお前にも謝っておきたいはずなんだよ。昼間に依子が逃げたのは、まだ心の準備が出来ていなかったってだけで」

「いいよ。オレなんかに謝らなくても」

 男子中学生は再びパイプ椅子に着き、弦全体を掻き鳴らす。

「オレ、一応先輩には感謝してんだよ。中学で世話になったからな。特に、生徒会なんかでは」

 手をぶらんと下げ、彼は寂しそうな目をした。

「平野先輩、なんか変わったな」

 俺は相づちをして、彼を見下ろす。

「昔の先輩だったら、絶対反省なんかしないのに。叩いたら叩きっぱなしで、いじめたらいじめっぱなしで。明るくて、傲慢で、乱暴で」

「そういうやつだったからな、昔は」

「あのさぁお兄ちゃん。オレさ、本当は」

 男子は眉根を寄せ、一度だけ口ごもる。

「平野先輩には、姉貴の墓参りになんか来て欲しくなかった。一生、反省なんてしてほしくなかった。ずっと恨んでいたかった。先輩に反省されたら、オレ、」

 彼は口を閉じ、顔をそむける。声の震えを必死で抑えようとしていた。

「もう、どうしたらいいか分かんないよ」

 俺は彼の頭に手を置く。海辺育ちだけあって、髪質がざらりとしていた。

「もう一回聞くけど、明日も会えないか」

「やだね」

 ばっさりと断られた。諦めて手を離し、封筒を手に歩き出す。

「じゃあ、来年もまたここに来るよ」

「おう、来てくれ。むしろ毎年来い。毎年罪を悔い改めさせてやれ。絶対来い」

 絶対来い、がこいつの口癖なのか。男子中学生は顔を逸らし続けており、俺も見ないようにして通り過ぎる。

 湿気を感じられず、さらっと乾いた風も気持ちが良い。足がもつれそうなくらい急な下り坂。平行感覚を確かめ、しっかりとした足取りで進んでいく。

「来年も、絶対来いよ!」

 男子中学生の声を背中に受けながら。



 民宿に戻る。部屋に入ると、依子が布団ごと居なくなっていた。しかし、なんとなく予測していた事態なので、俺は特に心配せず、布団に入ってすみやかに眠りに落ちた。

 そして翌朝。

 昨晩の予想通り、依子が寝ぼけ眼で押入れから出てきた。ドラえもんかよ。

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