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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
41/65

chapter40 コンフリクト/着信音

 六羽目の雀を埋葬し終えると、俺は顔を上げた。

 もう随分時間が経っていた。腕時計を見ると、六時限目の中程という時刻だった。

 隣では城川が体育座りで沈黙しており、俺はずっと一人で雀の墓を掘っていた。もはや授業どころではない。作業が終わるころには、日が暮れているだろう。

 そういった状況の中、俺がのんきに顔を上げたのは、目の前に宮下が立っていたからだった。

 射してくる日の光によって影になり、彼の表情はうまく確認出来なかった。俺たちの正面に座り、雀の死骸へと目を向けたとき、初めてその顔色が分かった。

 もの悲しい目をしていた。俺が初めて見る表情で、いつもの陽気な雰囲気が完全に取り払われていた。

 城川が斜め下を向き、俺もスコップの動きを止めた。

 無音がその場を支配する。

 代わりに、宮下は地面に放置された城川のスコップを手にして、無言で地面を堀り始めた。俺は途端にむずがゆい気分になり、宮下にならって穴を作る作業に集中した。城川は泣くのを止めて、黙って俺たちの動静を見つめた。

 ざく、ざく。校舎と壁に挟まれ、絶えず反響していく。

 七羽目の墓が出来上がった。

 俺は、死骸を素手で包むように袋から出した。腹部辺りの羽毛が黒い血で汚れている。そこから垂れ下がる内臓が手に張りついたが、さほど不快感はなく、むしろ雀に対する慈悲が増していくのを感じた。

 七羽目を埋めきったころ、宮下が八羽目の墓穴を掘りあげた。城川は変わらず、身じろぎ一つしない。

「この世に正義のヒーローが存在しないのは、仕方のないことなんです」

 無音の中、宮下が口ずさんだ。スコップの裏で地面を叩きながら、俺は灰色の砂粒をじっくり眺めた。

「人は、まとまりを作らずにはいられない。組織に属していなければ、人間はまともに生きていけない。なのに、ですよ」

 俺は手を休め、手首で額の汗を拭った。

 宮下は掘ったばかりの墓穴へと目を向けるばかりだった。

「誰かが善を主張しても、その善が、他の誰かの目には悪としか捉えられない場合もある。集団の価値観とベクトルを定めようとする一方、裏ではそれぞれが違う目標を持ち、ときには正反対の思想を掲げるんです。集団の中でしか生きていけないにも関わらず、人は理屈を無視したジレンマに頭を悩ませる。これが組織におけるコンフリクトの元凶です」

 宮下がビニール袋に手を入れる。彼も、素手で雀を包んでいた。

 沈んだ地面の窪みに入れると、しばらく、横たわる雀の様を見つめていた。

 彼が顔をあげたのは、それから一分近くも経ってからだった。俺は、その眼差しと真正面に向き合う。

「全ての人間に共通した正義なんてあり得ない。だからコンフリクトが生まれる。けれど、この状況から目を逸らしてはいけません。正義がないのなら、悪という概念だって考えてはいけない。したがって、君たちの不誠実で怠慢な対応が最悪を招くことだってある。このままでは、君たちはきっと後悔します」

「後悔」

 繰り返して言ってみると、言葉が余計に重く、肩にのしかかった。後悔の中で安易に死のうと考えた俺と、後悔の上で傷つくことに耐えられなくなった城川には、重すぎるくらいだった。

「どうしてだい、今泉くん。何故後悔するような道を選ばなきゃいけない」

 ふいに、宮下が俺の手を掴んだ。俺はたじろぎ、握られた手に目をやることしか出来なかった。

「今まで出会ってきた人たちを、よく思い出してみてよ。彼らの中に、本物の悪人がどれだけ居た? 理由もなく悪意を振りかざす人が、どれだけ居たんだ。もし居たとして、それは、君が後悔を選ぶほど許せない人なの?」

 そんなやつは居ない。本当はもう分かっている。俺自身が弱いから許せないのであって、大抵の場合、相手も俺と同じだ。

 あの夜の依子の姿が脳裏を占める。

 泣き出しそうな顔で、それでも涙を呑んだ依子。

 あれは何を意味していた? それすら分からないまま、俺は依子を見捨てた。彼女が本音を言わなかっただけではなく、俺自身も、聞く耳を持とうとしなかった。

 次に、宮下は城川の手も取った。これで彼の両手は、俺たちの手によって塞がった。顔を背ける彼女にも宮下はひたむきに視線を送る。

「城川さん、逃げるなとは言わない。ただ、不真面目にだけはなってほしくないんだよ。直接いじめに関わらなくたって、君にも出来ることはいくらだってある」

 相変わらず太陽を隠し続ける積雲。細い通路を涼風が抜けていき、頬に伝う汗を少しずつ冷却した。

「正義も悪も、一切考えなくていい。そんな身勝手な言葉、いまさら誰のためにもならない。ただ、後悔だけはしてほしくない。誰かに謝り忘れていないか、伝えきれなかったことはないか、本当の声を聞きそびれていないか、それだけを考えて、動いてほしい」

「いっぱいある」

 答えたのは城川だった。

「言いたかったことも、聞きたかったことも、謝りたかったことも、あり過ぎるくらい、いっぱいある」

 城川は、宮下の手にもう片方の手を添え、その上に額を乗せた。葛藤や思いを巡らせ、彼女の頭がその重みに耐えきれなくなったように見えた。

「あるのに、できない」

 俺はうなずき、少しだけ頭を垂れた。

 あり過ぎるんだ。俺たちはここに来るまで、多くの失敗を繰り返した。言いたいことも謝りたいことも、その分多くなってしまった。多すぎて、もう後戻りだって出来ないかもしれない。

「少なくとも宮下には、君たちのやりそびれたことが、人を傷つけるものだとは思えない。君たちだけじゃなく、みんなそうだよ。二人が考えているよりずっと、多くの人が優しさと思いやりを内に秘めている。なのに、それを上手く伝えられないなんて、虚しすぎるじゃないか」

 それっきり、その空間は無音に包まれた。

 うつむく俺たちに、宮下はそれ以上の言葉をかけなかった。あとは俺たちが決めることだから、彼は何も言わないのだ。



 十一羽すべての雀を埋め終えたのは、放課後に入って十五分ほど経ってからだった。俺と城川は宮下に連れられ、大人しく生徒指導室に向かった。中では、五頭が静かに俺たちを待っていた。

 午後の授業をサボったとはいえ、これまで真面目に授業を受けてきた城川は厳重注意だけで終わり、あっさりと帰宅を許された。

 問題は俺の方である。

 今日のことに加え、一昨日は教師や生徒に暴力を振るいかけた上、その後は原村と散歩に出掛けて丸一日を無断で欠席した。いつものように拳骨をかましてくれた方がいくらか楽だったが、今回の五頭は本気で俺の処分を考えているようだった。

 とはいえ、俺を停学させようにも、明後日から夏休みが始まってしまう。

「夏休み初めから登校日までの二週間、朝九時からの校内清掃に来い」

 それが五頭の下した処罰だった。

「毎日すか」

 念のため尋ねてみたが、五頭は鋭い眼光だけしか返してくれなかった。俺は諦めて、厳正な態度で粛々と謝罪を述べた。

 今日出す予定だったアルバイト申請は、当然のごとく却下されてしまうだろう。だから俺は、教師の目の届かなさそうなバイト先を静かに頭の中で模索した。



 二時間近くにわたる説教が終わる。

 五頭があらかじめ、教室から俺の鞄を持ってきていた。俺は鞄を受け取り、そのまま外に出た。

 自転車置き場には相変わらず、放置された自転車が大量に並んでいた。辺りは暗くなっていたが、そこだけ照明でうっすらと照らされている。もはや見慣れた光景なので大して気にも止めず、俺は自分の自転車を探した。

 俺の自転車は、前後両方のタイヤが見事にパンクしていた。

 かつて自転車を盗まれた経験のある依子のように平然とはしていられず、怒りにまかせて並べられた放置自転車を蹴り倒そうと試みたが、これ以上の不祥事は避けるべきだと思いとどまり、ぐっと我慢した。

 タイヤを確認してみる。穴を開けられたという形跡はない。しかしよく見ると、空気注入口のキャップとバルブがすっぽり無くなっていた。前後共に同じ具合で部品を抜かれている。

 周辺の地面を探したが見つかるはずもなく、俺は魂ごと絞り出るくらいに深いため息を吐き、徒歩で校門を抜けた。



 四十分ほど歩いたところだろうか。まだ営業しているかは疑問だったが、俺はいつもの廃れた商店街に入り、いきつけの煙草屋に立ち寄った。婆さんはやはり居眠りをしており、営業時間外にも関わらず、店を開けっ放しにしていた。

 いつものように婆さんを起こし、ハイライトを三箱購入する。

 自宅へ向けてさらに歩き、途中のコンビニに入った。適当に雑誌を読んで時間をつぶし、結局何も買わずに外へ出る。コンビニ前に設置された灰皿で煙草を吸いながら、なにげなく携帯を開いた。

 時刻はすでに九時近くを回っていて、携帯の画面を見た俺は、思わず眉をひそめる。

 着信二十一件。未読メール四件。

 親父と母ちゃんからの着信がほとんどだったが、その中には珍しく、道子叔母さんの携帯番号も混ざっていた。

 俺の携帯は、サイレントモードのままだった。だから今の今まで、着信に気づけなかった。

 不穏な空気を感じた俺は、メールを確認することもなく、最も多く着信があった母ちゃんの携帯にかけなおした。

 一度煙を吸い込み、呼吸を整える。コール三回。母ちゃんが電話に出た。

「純一、いまどこ?」

 第一声がそれだった。かなり座りの悪い、それでいて鬼気迫った口調である。俺が夜遅くに帰るのはよくあることだし、なにが原因なのか分からず、俺は声を低くして現在地を答えた。

 すると、受話口から苛立ったような金切り声があがる。

「依子ちゃんといるんでしょ?」

「いや、依子は」

「依子ちゃん連れて、いますぐ中央病院に来なさい」

 すぐには意図が分からず、しかし、俺の心臓は意識と離れて早鐘を打ちはじめていた。投げるように煙草を灰皿に放る。

「なんかあったのかよ」

 聞き漏らさないように、しっかりと携帯を耳に当てる。母ちゃんの声が短く、はっきりと聞こえた。



 通話を切り、すみやかに依子の携帯に電話をかける。彼女との不仲など、もはや気にしている場合ではなかった。

 さきほどの母ちゃんの話だと、依子も俺同様に、誰が電話をかけても出なかったらしい。俺のこの電話だって出ない可能性が高い。依子のことだから、いくら着信が来ても平気で無視してしまうのだろう。だが、それを踏まえた上でもおかしい。

 依子が、まだ家に戻って来ないらしいのだ。夜九時になったこの時刻にも関わらず。

 二回目のコール音。依子が電話に出ないことで、さらに焦燥が高まっていく。背後でやかましく鳴り響く音にさらに苛立ちを覚える。

 四回目のコール音。依子はまだ出ない。

 店内からの視線など知ったことではなく、俺は駐車場の車止めを思いきり蹴った。コンクリートのため、逆にこっちの足が痛むはずだが、その痛みすら気にならなかった。そして、いまだに後ろから聞こえる耳障りな電子音。

 十回目のコール音を聞く。

 ここで俺は携帯を顔から離し、背後を振り返った。俺のすぐ後ろにはゴミ箱が設置されている。

 プラスチック製の、どこにでもあるコンビニ用のゴミ箱。

 その中からだ。さっきからずっと、電子音がけたたましく鳴り響いている。コールを続行したまま、携帯を手元にぶらさげ、俺はそのゴミ箱へと歩み寄る。

 その中に、光るなにかを発見した。迷わず手を突っ込み、それを取り出す。

 音の正体は、一昔前に発売されたような卵型の携帯電話だった。いまどきこんな化石みたいな携帯を使うやつなんて、俺は一人しか知らない。

 その意味を理解した直後、俺は即座に学校に向けて走り出した。

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