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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
4/65

chapter4 二人乗り

 その日の放課後。

 帰ろうと自転車置き場へ行くと、そこには依子が忽然と立っていて、俺に一枚のわら半紙を手渡してきた。

 それには保護者だよりと書かれていて、俺は昼休みの依子との会話を思い出した。

 そういえば道子叔母さん来られないんだっけ。だからといって俺に渡されても、うちの親だってすげえ面倒臭がるだろうし、欠席に決まってるんだろうけど。

「よくそんなの覚えてたな。こんなとこで待っててくれなくてもよかったのに」

「一緒に帰ろうと思って」

 依子が言わなさそうな台詞ランキングというものがあったら、これは間違いなくランクインしそうだなと思う。

「あ、そう」

 依子といえばいつも一人で帰るイメージがあったから、誰かと馴れ合いを持とうとするなんて意外だ。でも、依子を相手にいちいち勘ぐっても疲れるだけだな。

 自転車にまたがる俺を、依子は黙って見つめていた。

「なに?」

「乗せて」

 何の冗談だよ。しばし沈黙するが、依子は明け透けな顔を保ったままで、ここは俺が事情を訊かなきゃ先に進まないんだろうなと腹をくくる。

「なんで乗せなきゃいけねえんだよ。お前、自転車あるだろ」

「ないよ」

「なんで。自転車通学じゃなかったっけ?」

「だから、ないんだってば」

 そこでようやく彼女の言いたいことが分かった。盗まれたか、もしくは自転車が再起不能になったか。誰がやったかは大体想像はつくけど、あえてここでは触れないようにした。

「なんで鍵かけてなかったんだよ」

「かけてたけど」

 依子が後方の地面を指さす。自転車置き場の片隅には自転車用のU字ロックが放置されていて、それはヤスリか何かで荒く擦り切られていた。ここまですんのかよ、といじめっ子の無駄な根気強さに薄ら寒いものを覚える。

「日にちをかけて切断されたみたい。一週間くらい前からずっと削られた跡が深くなっていってたし」

「なんだそれ。つーか、いじめられてるくせに無防備なんだよお前。気づいてたなら鍵買い換えろ」

「いいから乗せて」

「俺が徒歩になっちまうだろうが」

「二人乗りでいい」

 やっぱそうなるのかよ、後ろ髪を掻いてうなった。依子との二人乗りといえば、俺にとってはトラウマものでさえある。



 小学生の頃の話になるんだけど、俺の通っていた小学校は自転車登校を禁止されていた。いまどき自転車オーケーな小学校なんてあまり聞かない。

 自宅から学校まで割と距離があって、多分三キロくらいだったんだろうけど、小学生にとっての体感距離としては三キロメートルは計り知れないほどだるかった。そこで、俺は校則を破ることにしたのだ。

 隠れて自転車で通い始めた。他の児童に見つからないような通学ルートを普段から研究し、試行錯誤を重ねたオリジナルの通学路を作り上げた。自転車は小学校近くのバス停小屋の影に隠し、素知らぬ顔で校門をくぐる。

 自転車はもしかしたら人類英知の結晶で、恐らく未来永劫なくなることのない乗り物なのではないか。老若男女誰でも乗れるし、燃料もいらないし、なにより健康的だし。小学生の俺は真面目にそう思った。

 しかし、その自転車を隠す作業をしているところを、運悪く依子に見咎められた。

 あたしを乗せてくれれば告げ口しない、そう彼女は言った。それなら俺の真似をすればいいだろ、と反論したけど、当時依子は自転車を持っていなかった。

 俺は震え上がった。小学生にとって学校の先生とは絶対的な存在であって、たとえ俺ですら逆らうことはできないのだから。

 その日から毎日依子の自宅へ迎えに行き、通学途中の長い坂道と戦った。一人でなら耐えられる坂道も、二人分の体重を支えるとなれば地獄である。高学年になり、依子が遠い地へ引っ越すという知らせを聞いたとき、俺は心の中でひそかに万歳三唱をした。



 悪夢が蘇ったような気分だった。

 この高校に入学して依子と六年振りの再開をした瞬間もそうだったが、そのときよりも更に胃がもたれた。

 幼少期の嫌な思い出とは、すべからく誇張されて人生の足を引っ張るものである。

 依子は俺の返答をじっと待つばかりで、こっちがいくら嫌そうな顔をしてみせても退かないし媚びないし省みないしで、俺はもう諦めるしかなかった。

「分かったよ。でも、校門出てからな。恥ずいから」

 こくりと頷く依子を背後に、俺は自転車を押してさっさと歩き出した。

 学生鞄を肩にかけ直して、じっと前方を見て歩く依子の横顔をあおぎ見る。

「引っ越しで思い出したけど、お前いつここに戻ってきたの」

「引っ越しなんて言葉、出たっけ」

「出なかったっけ?」

 俺の気のせいかな。

「パパが入院するからって、その関係で半年くらい前にお祖母ちゃんの家に越してきたの」

「へぇ、そうなんだ」

「知らなかったの?」

「うん、自分でもびっくり」

「適当に生きてるって感じ、純って」

 俺は笑いを浮かべ頬をさすった。思い返してみれば、母ちゃんがちらりとそんなことを言っていたような気がする。言っていなかったような気もする。だめだ、忘れた。

「あ、乗せて」

 気づけば、もう校門はとっくに越えていた。依子が前に乗ってくれないかな、と意地汚い期待を込めて依子を見つめたが、彼女には意味が伝わらなかったらしく、ぴたりとも動かずに待っていた。諦めてサドルに跨り、親指で荷台を指して「乗れよ」と指示する。

「それ、ナンパするライダーみたい」

 依子でも冗談を言うのか、と意外過ぎて俺は絶句した。しかし表情が冗談を言うにはそぐわない鉄仮面ぶりだったので、笑えばいいのかどうなのかしばらく逡巡してしまう。それからようやく、「早くしろ」と俺は口を開いた。



 十分ほど自転車をこいでみて、ようやくある疑問に思い当たった。

「祖母ちゃんちってどこだったっけ」

「それ、いつ聞いてくるのかと思った」

 依子は後ろで横向きに座り、後ろ手に荷台の端を掴んでいた。小学校の頃は普通に荷台に跨っていたのに、今はやけにフェミニンな乗り方をするんだなと違和感を覚える。しかもかなり不安定で、彼女を落っことさないか不安で仕方なかった。

 後ろから、依子が口頭で道順を指示してくる。適当に走っていたものの、どうやら方向はあっていたらしく、流れるように二人乗り自転車は進んでいった。

 それにしても蒸し暑かった。額に前髪がへばりついてくる。俺は六月下旬が嫌いになった。

 学校周辺の街道を抜け、二十分ほど進んでいくと、どこか見覚えのある道に出た。畑や田んぼが眼前に広がっており、民家の数などは目視で確認ほどである。右を見ると、山の裾野から海の青がちらちらと除いており、かすかに潮風の臭いを感じた。

 祖母ちゃんの家へ行くのはどれくらい振りだろうか。随分と久しぶりなので、はっきりと思い出せない。祖母ちゃんがうちへ来ることはたまにあったが、祖母ちゃんの家へ行ったことなど数えるほどしかない。

 しばらくして、右前方の畑の間を抜ける道を依子が指示してくる。

 そこは車一台がようやく通れそうなほどの細いあぜ道だった。あぜ道には車の(わだち)が伸びており、二本の轍の間には雑草が無造作に生えていた。

 整備されていない道のためか、自転車はがたがたと不規則に上下する。俺はタイヤの状態を案じた。こんな道を毎日通学すればすぐに傷んでしまいそうだ。

 前方に、見るからに古そうな日本家屋が見えてくる。祖母ちゃんの家だ。

 そのとき、いきなり依子が俺の腹に手を回してきたので、思わずむせてしまった。

「暑苦しいんだけど」

「もっとゆっくり走ってくれないと落ちる」

「分かったよ」

 速度を落としてみるが、不安定さは変わらなかった。むしろ速度が落ちたためにふらついてしまいそうだった。余計疲れるし、喫煙習慣と運動不足で痰咳は出るしで、ここ数日で最も気分が悪かった。

 依子の顔を見ると、彼女はどこか不満そうな顔をしていて、俺はまた腹が立った。そんな顔をするならお前が前に乗れと言いたかったが、でも祖母ちゃんの家は目前だから言い出せなかった。

「ほれ、着いたぞ」

 玄関前で自転車を止める。

 祖母ちゃんの家は俺の曖昧な記憶と比べればやけに小さく感じたが、田舎に立地されているためか、それなりに広さはありそうだった。

 俺は少しずつ息を整えながら、胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた。

 依子は聞き漏らしてしまいそうなほど小さな声で、ありがと、と呟く。疲れたからもっとちゃんとお礼言ってくれ、と返してみたが、依子はふてぶてしくも押し黙った。

「道子叔母さんと祖母ちゃんはいねえの。挨拶していこうかな」

「今の時間は多分パパのとこ行ってる。ほら、扉閉まってるし」

 言って、依子は学生鞄から鍵を取り出し、玄関を解錠する。玄関の戸を開きかけて、ぼうっと突っ立って家を眺めている俺を一瞥した。

「帰らないの?」

「えっ、俺、帰るの?」

「うん、もう帰っていいよ」

「んだよ、人をこき使っておいてそりゃないだろ。お茶くらい出してけばーか」

 ブーイングを漏らすと、依子はふぅと息を吐いた。

「いいけど、本読むから邪魔しないでね」



 依子は二階の自分の部屋に籠もってしまった。

 仕方がないので台所でひたすら携帯をいじりながらお茶菓子を食い荒らした。一時間以上そうしていると、やがて夕飯を作りにきたという依子がやって来て、「食べ過ぎだよ」と言って俺の手からかりんとうの袋を取り上げた。

 暇を持てあまし過ぎて、俺は家中を回って懐かしんだり、依子の調理する姿を覗きに行ったり、最後にテレビのお笑い番組を見て笑い転げていたりなどしていたが、そうしていると依子がポテトチップスの袋を持ってやってきた。

「これあげるからもう帰って」

「夕飯にありつけそうだから待ってたんだけど」

「正直だね。用意してあげようかと思ったけど、騒ぐ人は嫌いだから早く帰って」

 依子は嫌悪感を目だけで表現してくる。しぶしぶ、ポテトチップスを受け取り、鞄に押し込んだ。そのとき、依子から貰った保護者だよりが見えて、それはところどころ破れてしわしわになっていた。でもせっかく貰ったし、とりあえず親には渡しておこうか。

 俺は家を後にした。

 辺りはもう暗み始め、腕時計を見ると午後七時を回っていた。髪が汗でべたついてたけど、それでも海の方からやってくる風は気持ちが良い。一度深呼吸をしてみる。煙草を吸いながらキックスタンドを蹴り上げ、自宅へ向けゆっくりと自転車をこぎ出した。

 あ、結局祖母ちゃんと道子叔母さんに挨拶できなかったな。

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