chapter37 夏草と線路と犬
二時限目が始まるのを見計らい、原村と共に学校敷地の裏出口から抜け出す。
俺たちはあてもなく歩いた。
今まで一度も通ったことのない住宅街で、原村も知らない場所らしい。人の気配すら感じられず、そこら一帯が死んだように静まり返っていた。一応、俺たちの住む町だとはいえ、どこか別の国にでも迷い込んだ気分だった。
知らない道を通り、知らない風景を拝んでいく。住宅に挟まれた道の中で、俺たちは軽く圧迫されたような感覚を得ていた。
「僕らは、この町のことだってよく知らない」
原村の口調はこちらの返答を求めていないかのようで、俺は答えず、黙って彼の隣を歩いた。
だんだん、家と家の間隔も広まっていき、前方には、蝉の巣窟かと思えるほど小五月蠅い山があった。一言も言葉を発さず、俺たちはその山道に入る。
荒っぽい舗装の道路をこつこつと進み、頭上から責め立てるように鳴き喚く蝉たちに辟易としながら、俺たちは黙々と歩いた。
時間の感覚すら忘れてしまいそうなほどに、足を動かすことだけに神経を注いだ。
木々が開け、見覚えのない田舎町に到着したころ、気づけば俺たちは汗だくで、腕や足を蚊に刺されまくっていた。
右方向を見ると、一面に田んぼや畑が広がっており、その先にぽつぽつと民家を確認できる。さらに先には、目に優しい、健康的な色をした山々があった。
左を見ると、山の間から、太陽の光を一身に浴びる海を望めた。祖母ちゃんの家とよく似た風景だ。こことは逆の方角だけど。
見ると、原村が俺を置いて、ずんずんと先を進んでいた。俺はそれを追い、隣に着いてから声をかける。
「なぁ、ちょっと休まない? 暑いし、さすがに疲れたよ」
「嫌だ」
原村は断固として拒否を示す。
「無心で身体を動かせば、なにもかもを忘れられる」
俺は首筋を流れていく汗を拭い、道の先を見つめた。何も考えずに身体を動かす。
知らない場所で、いじめも、喧嘩も、痴情のもつれもない田舎町で。
確かに、忘れられる気がした。
どこまでも続いていそうな畑の中、向日葵が背丈を競い合っていた。
入道雲が太陽を隠し、和らいだ夏の光が一面を覆う。
コンバースのスニーカーの中、蒸れた足がむず痒い。
もう涙を出さないように、とことん汗を流そう。俺はそう決める。
隣を歩く原村の横顔。唇をだらしなく開き、絶え間なく流れ出る頬の汗を拭い、クマのできた虚ろな目をひたむきに前へと向ける。
どっちが死にそうな顔なんだか、と俺は言った。
無視されたけど。
個人経営らしき駄菓子屋を見つける。店の前で、ガリガリ君ソーダ味を原村と二人でガリガリやる。美味すぎた。
駄菓子屋の正面には、これまた見知らぬ線路があった。くたびれた木の柵。その下に、棘みたいに尖った夏草が伸びていた。
ガリガリくんを食べ終え、俺たちは線路沿いをさらに歩いた。背中を撫でるような追い風により、少しずつ汗が引いていく。
「鍋島のことなんだけどさ」
原村がぽつりと切り出し、俺は相づちを打つ。しかし、いつまでも話を始めない原村を不審に思い、彼の顔を確認する。
原村は、隣を通る線路を見つめていた。顔がよく見えなかった。
「鍋島が、どうかしたの?」
こちらから尋ねてみると、原村は少し逡巡したように間を置いて、
「沙樹のことを話せなかった代わりに、もう一つの懺悔くらいはしておこうかな、と」
原村が歩みを止め、俺も立ち止まる。
微妙に落ちた目線をして、彼は木の柵に歩み寄り、そこに背中を預けた。俺は煙草を吸って、その懺悔とやらを待つ。
「先週の木曜日。例の、根性焼きパーティーのあとの話なんだけどさ」
また嫌な言い方しやがる。
俺はその日のことを思い出した。たしかあの日は、屋上を出たあと、図書室を閉室させた依子と電車に乗り、一原駅前のドトールに入った。
「夜になって、鍋島が僕の家に来てね」
俺はてっきり、鍋島はあの日、村瀬や城川と別れたあと、すぐ家に帰ったものと思っていたが、それは思い違いだったようだ。
「鍋島って、原村の家知ってんの?」
「うん。たしか、あれで来たのは三回目。あ、家っていうか、安いボロアパートの一室なんだけどね。実は僕、一人暮らしなんだけどさ」
驚愕の事実。鍋島がたまに原村のアパートを訪れていて、しかも、原村が一人暮らし。
「いや待って、引くにはまだ早い」
謎の注意点を提示する原村。
「別に変なこととか、今まで全然なかったよ。ただ遊びに来ただけだったし。お互い絵を描き合ったり、ゲームしたりしてただけ。今までは、それだけだったんだけど」
「だけど?」
「あの日、連絡もなしに、しかも夜だよ。鍋島が突然僕の部屋に来てさ、しかも、すっごく落ち込んでる感じだったのね」
「あぁ。あの日のあいつ、村瀬や城川と一悶着あったもんな」
俺は出来るだけ動揺を隠すべく煙草を吸った。あんまり気分は変わりそうもなかったけど、思いっきり吸った。
原村が、足下に生えている草をいじった。恥ずかしさを隠すように、ブチブチちぎっていた。
「んで、僕は鍋島の悩みを聞いてみたわけ。友達を見捨てたとか、酷いこと言っちゃったとか、そんなこと話してたっけ。僕の方も、その日は今泉といざこざがあったわけじゃん。鍋島にえらく共感してしまってね」
気まずくなって、俺は頷きもせずに黙り込む。
「あらかた話が済んで、それでまぁ、いい雰囲気になるよね?」
「……なるかもな」
それ以上は聞きたくないが、俺は腹を決めて話を促した。原村は座り込み、草を根っこからむしり始める。
「まぁ、それで、チューしちゃったんだけど」
「へ、へぇー」
語尾を上げて、ものすごく余裕ぶって応えた。ちょっと膝笑ってるけどさ。
本当のことを言うと、俺にとっては、鍋島も原村もそれなりに仲がいいわけで、どういう奴なのかも大体知っているわけで、その二人がそういう状況になってしまったということが、逆にリアル過ぎて引いた。
「引いた? まだ付き合ってもないのにチューって。ねえ引いた?」
「別に。全然引いてない」
とりあえず嘘を吐き、耳を塞ぎたい気持ちを堪え、修行僧のような面持ちで俺は待つ。
大丈夫大丈夫。俺なんか依子と二回もしてるし。お互い好きでもない上、親戚なのに二回もしてるし。俺らのが異常だし。全然大丈夫だし。
「それで?」
「それでまぁ、チューした後はどうなるか、分かるよね?」
「全く、いやちょっと、微妙に分かんない」
なんか日本語おかしいな俺。
「お互い、別々にシャワーを浴びて、先に浴びた僕は布団の上で待っていたんだけど」
どうしよう。ちょっとそこの木の柵に両耳打ちつけて鼓膜破りたい。
「でも、これは不味いだろ、って僕はふと思ったのね。我に返ったのね」
「はいはい、それで?」
そろそろ限界だが、やはり俺は余裕ぶっこいて話を聞く。
「で、シャワーから上がった鍋島に、僕はこう言ったわけ」
「なんて言ったわけ?」
「やっぱり、もう帰った方がいいよ。時間も時間だし。明日は学校だし。そもそも僕ら、まだ付き合ってすらいないし、って」
「で、鍋島はなんて?」
「両親には、友達の家に泊まるって言ってあります。なんなら、明日は休みます。それに、付き合ってないなら、今から付き合えばいいです。私は昭文くんが好きです、って」
普段の鍋島からは想像出来ないくらい強引で、理不尽過ぎた。
「それ、本当に鍋島?」
「違ったら誰だって言うんだ」
もはや鍋島がいつどんな言動をするのか、俺には予測出来ない。
二本目の煙草着火。上手く点かない。すげえ手震えてる。
「原村はなんて答えたの、それに」
原村は頭を垂れ、地面に着かんばかりに顔を下げて、渇いた地面に指を這わせていた。
「すごく動揺しててさ、そのときの僕。こう言っちゃったの。鍋島のこと、好きなのかどうか、まだ自分でもよく分からないので、考えさせてください、みたいな」
やっと点いた煙草の煙を肺に入れ、そのまま呼吸を止めた。煙も、身体の中で動きを止めていただろう。
原村の話を整理すると、どこかに矛盾点があるように思えた。なので彼の発言をさかのぼっていくと、やっぱりその疑問にぶち当たった。ここで煙を吐く。
好きかどうかも分からないのに、なんでキスしたんだよ。
「で、鍋島はこう言ったわけ。じゃあ、どうしてキスしたんですかって」
余計なところでシンクロしなくていい。ここで黙り込む原村。俺は充分の間を置き、当たり前のことを恐る恐る尋ねる。
「本当だよ、マジで。なんでキスしたの?」
「いや、かわいいから」
「かわいいから?」
「あと、いい匂いだったから」
「いい匂いだったから?」
俺は惜しげもなく、はぁ、という顔をして、喉をつっかえらせて訊く。
「なに、その気持ち悪い理由。かわいくていい匂いだったからって、お前、マジでそう言ったの?」
「うん。動揺してたから、本音がつい」
「本音って、お前……」
俺は絶句し、煙草を吸うことすら忘れて、原村のマッシュルームカットのつむじを凝視した。
風が線路沿いの道を吹き抜け、自分がまた汗をかいていたことに気づく。制服がびっしょりなくらい濡れており、独特の不快感に身を包んでいるようだった。
原村は、枯れ果てたような情けない声で、
「ちょっと泣かれて、軽くビンタされて、で、さいなら」
そう言って、頭の上で手を挙げ、力無く左右に振った。
挙げた手が草の中に落ちると、痛々しい沈黙が俺たちを取り囲んだ。
五分ほど、その沈黙を味わう。煙草が根本まで燃焼されていることに気づき、地面に転がして、かかとで踏んで火種にとどめを刺した。
鍋島があそこまで人が変わったように見えたのも、これも原因の一つだったのだろうか。俺は遅蒔きながらも気づく。
でも、少しでも分かっただけマシだ、俺は無理矢理そう思うことにした。そして、話題を変えようと思った。鍋島のことより、実はもっと重要かもしれないことに。
「なぁ、早川が手首切って病院に運ばれたこと、知ってるよな」
原村は、なにも反応してくれなかった。だが俺は続ける。学習もせず、俺がまた原村を追い詰めることになっても、早川から相談を受けてしまった以上、こちらも引くわけにはいかない。
「あいつのお見舞い、行かないの」
「行かないよ」
早すぎる冷めた返答に寒気がした。俺は唾を飲み込み、ため息を吐く。
「なんかお前、知れば知るほど最低だな」
本当に俺が言えた義理じゃないんだけど。
原村は肯定せず、否定せず、ただただ顔を下げて押し黙る。
さきほどとは違う方向からやってくるという奇妙な風を受け、吹き止むと、俺は一歩前に出た。日が傾き始めている。俺はこれ以上、原村になにも言うことは出来ない。あとは黙って帰路に着くだけだ。
すると、ふいに原村が立ち上がった。それがあまりに唐突だったため、俺はとっさに出しかけた足を引く。
なにをするつもりなのかと見ていると、おもむろに原村が木の柵をまたいだ。柵の向こうは、線路だ。
俺は冷静に柵へ近づき、その間にも原村は線路の上へと到着する。そして、その上で寝そべった。線路の上で、軌条を枕みたいにして、大の字に天を仰いだ。
俺は柵に手をかけ、それを見下ろす。
「なにしてんの」
「電車が来るのを待っている」
この局面での回りくどい言い方に、俺は無性に癇に障った。一度口を閉じ、奥歯を噛んで、後頭部をがさつに掻きむしった。
「そっかそっか。あー、そういうことね。はいはいはい。つまり逃げるわけだ。なにもかもが気まずくなって、自己嫌悪でいっぱいで、謝ることも悔やむことも面倒臭くて、で、結局最後は逃げるわけだ。はいはい、そういう奴だったのね」
原村の無言にまたいらついて、俺は声を荒げる。
「おいざけんな。俺だってまだ死んでねえぞ。俺もお前ぐらいか、それ以上に最低なんだよ。でも生きてるし、つーか、恥晒しながらだって生きる気まんまんだよ。なのにお前は逃げるのかよ」
本気でなにも答えない原村。ただ表情を固めて、青空一点を睨む原村。くそったれ原村。
地団太を踏みたいくらいだったが、それを我慢して俺は言う。
「あ、マジで逃げるんだ。分かったよ、じゃあお前の好きにしろ。言っとくけど俺は助けないからな。死にたいならさっさと死ね。このクソキノコ」
俺は柵から身を乗り出し、線路の先を見据えて叫ぶ。
「おい電車まだかよっ。早くこのキノコ潰せよっ。ダイヤ遅れてんのか? じゃあ俺が鉄道会社に電話してやる。早く電車来させろってな。くそっ」
ポケットから携帯を取り出し、知りもしない番号を一心不乱に打ち込んでいく。そのとき、やっと原村が言葉を発した。
「今泉も、さっきまで死にたがってたよね。なぁ、今泉もこっち来ない?」
「は?」
携帯片手に固まると、原村が顔だけをぴょこっと上げ、気持ち悪い感じのうるんだ目をした。
「一人で死ぬのは恐いよ。僕らの友情、もう復活しただろ? なぁ、僕は、一人で死ぬのは恐い」
言って、彼は再びレールに頭を乗せた。言いたいことは言った、あとは今泉次第だ、とでも言うように。
本当に最低だ。どこまで罪な男なのだろう。男の俺にとっても罪作りな男。それが原村昭文なのか。
携帯のディスプレイを見ると、時刻は午後三時ジャストだった。手汗のせいか、携帯を持つ指がぬめついた。気分が悪いので、開きっぱなしの携帯をアスファルトに放り投げる。音を立て、携帯の角が欠けた。
「わかったよ」
俺は五歩あと退り、助走をつけて柵を跳び越えた。普通にまたいでもよかったのだが、ともかく、俺はまともな精神状態ではなかったのだ。
一度立ち止まるが、覚悟を決めてレールを一本越える。原村と同じように、もう片方のレールに頭を乗せ、背中を枕木に預けた。頭は鉄で、背中は木。両方とも地味に痛い。
「天国、行けるといいな」
「行けないよ。地獄にも行けない。世間から見れば、僕らの罪なんてまだまだショボいし、中途半端だ」
じゃあ、あとは現世に残って地縛霊にでもなるしかないな。確かに、俺たちにはそれがお似合いだと思った。今死んだら、きっと後悔だらけなのだから。
場所と状況と心境によって、空はいくらでも見え方が変わる。今見上げる空は、俺の人生でもっとも青く、広かった。
十分後。
相変わらず線路の上で大の字になって、二人で電車が来るのを待っていると、原村が暇つぶしのようにこう言った。
「頭悪くて、エロくて、融通が利かなくて、頑固で、気持ち悪くて、なのに無駄に爽やかなのが、男なんだと思う」
「それ、原村だけじゃね」
半分笑いながら言うと、原村が気持ちよさそうに高笑いした。
「男はみんなそうだよ」
言って、物憂げな表情をしたかと思うと、
「あぁ、うんこみたいな人生だった」
と、また笑った。
また十分後。
暇過ぎて、俺たちはしりとりをしていた。中々決着がつかないので、しりとりの遊び方を変えてみた。
適当な単語を出して、どっちが先に『ん』で終わらせる言葉を引き出せるか、という天の邪鬼的なしりとりだ。
三回やってみたが案外つまらなくて、速攻で終わるので間が持たなくて、しかも、お題を出す側が圧倒的に有利だということが判明し、結局、天の邪鬼しりとりも中止になった。
さらに十分後。
「電車まだ来ないねー!」
「さっさと来いやぁ! ビビってんのか俺らによぉ!」
俺たちはシャウトしまくっていた。
あれからどれほどの時間が経っただろう。
俺は線路の上で横になったまま居眠りをしていたらしく、突如、誰かに顔を舐められる感覚がして、はっと覚醒して半身を上げた。レールに乗せっぱだった後頭部に軽い鈍痛が残る。
俺は生きていた。そして、顔面が臭い液体でびちゃびちゃだった。
夕日が射し、周囲を澄色に染めている。ふと、獣のような臭いと息づかいに気づき、すぐそばに目を落とす。
クリーム色のゴールデンレトリバーが、枕木の上でお座りしていた。雄か雌かは知らないが、そいつはとにかく悪そうな目つきをたたえており、舌を出してはぁはぁ言いながらこっちを見つめていた。俺は、食べられてしまうのだろうか。
「ん、どうしたの、その犬」
原村が目尻をこすりながら上半身を起こした。こいつも寝ていたらしい。
「分かんない。すっげえ顔舐めてきたけど、俺のこと食うつもりなのかな」
すると、原村が口笛を吹き、両の手のひらを差し出してゴールデンレトリバーを呼んだ。人間に慣れているのか、犬はすぐに原村のもとへ近づき、彼の胸あたりを嗅ぎ出した。よく見ると、犬には赤い首輪とリードが付いていた。
原村はあぐらをかき、犬を抱いて頭を撫でる。
「なんかこの犬、今泉に顔似てない?」
「そう?」
俺は犬の顔を覗き込んだ。犬に似るって信じられない話だけど、本当に似てるかもしれない。原村が、猫撫で声ならぬ犬撫で声で犬に話しかける。
「おいボク、名前はなんて言うの。今泉? 今泉純一なの?」
「アンジェリー」
犬が喋った、と思った。でも違った。俺たちのすぐ後ろで、人間の男の声がしたのだ。
二人同時に、ついでに犬も同時に振り返る。
そこには、柵に肘をかけ、煙草を口にくわえた男が居た。切れ長の目にパーマがかった茶髪。服は、ランニングでもしていたのか、アディダスの紺色ジャージだった。彼はイヤフォンを片耳だけ外し、心底どうでもよさそうな目をこちらに向けてくる。
俺はその目に見覚えがあって、というか、たぶんその男を知っていた。しかし、喉のあたりまで出かかっているのに、名前が出てこない。
すると、男が原村へと視線を移す。
「ボク、じゃないよ。アンジェリーは女の子だから」
「あ、すみません。ごめんね、お嬢ちゃん」
原村がアンジェリーと顔を突き合わせて謝罪する。男はその様を見て、よしというように頷いた。そして、彼はジャージのポケットに手を入れる。
「で、お宅ら、こんな所でなにしてたの?」
「自殺だよねー、アンジェリーちゃん」
原村は一体どういうノリで死ぬつもりなのだろう。男は一度ぽかんとして、ぽりぽりと茶髪を撫でた。
「あー、うん、死ぬのはいいんだけどさ。この線、十日くらい前に廃線になってるから。やるなら余所でやってよ」
またタイムリーな。
あ、待って、思い出したかも。
「分かった、浅海さんだ」
そうだ、たしか俺の四つ上で、中学のときのサッカー部OB。で、俺に煙草教えた人。
「そーだよ。つか、あんた誰」
「え、俺ですよ。今泉純一」
浅海さんは俺をじっと見つめて固まる。軽く首を傾げたが、やがて、あぁはいはい純一くんね、と言って、片手でポケットを探った。ほんとに覚えてんのかよ。
浅海さんがポケットから何かを引き摺り出した。いや、携帯なんだけど、携帯についていたキーホルダーが異様にでかかったため、引き摺り出した、と表現した方が正解だろうと思った。よくこんなもんポケットに入ってたな。
そのキーホルダーがまた邪魔くさそうな感じで、まるでタヌキの尻尾みたいで、長くて太くて茶色でふさふさで、何故こんなものを好きこのんで携帯に付けているのかと――
「浅海さんって、下の名前なんだっけ」
あれ?
「アキラだけど。えーと、さんづくりの方の、彰」
マジすか。