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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
33/65

chapter32 呵責

 家に入ると、ちょうど風呂から出てきた親父と廊下で遭遇する。

 親父はまさに、ぽかん、みたいな顔で俺を凝視した。

「どうした、純一。死人みたいな面して」

「野生のメスゴリラが襲いかかってきた」

 そう答えると、親父は十秒間くらい俺を見つめて、

「災難だったな」

 と言って廊下を歩いて行った。

 革靴を脱ぎ、靴箱へと叩き込んで納戸に向かう。押し入れを漁りつつ、居間に向けて声を張る。

「母ちゃーん、救急箱どこだっけー」

 すると、即座に襖から母ちゃんが顔を出し、俺はちょっとびっくりした。母ちゃんは納戸の明かりのスイッチを入れると、俺を見てかなり引いたような顔をする。

「純一、どうしたの。そのゾンビみたいな顔」

「野生のメスゴリラが襲いかかってきた」

 母ちゃんはちょっと吹き出してから、

「あー、そう。それじゃあ仕方ないわ」

 そう言って、タンスの上から救急箱を降ろした。夫婦だなあと思った。

 親父も母ちゃんも大して心配してくれないので、怪我も大したことないのだろうと思い、部屋の姿見鏡をちら見すると、やっぱり全然大丈夫そうじゃなかった。死人以上、ゾンビ以下の顔だった。

 母ちゃんに手伝ってもらい、傷の手当てを済ませ、風呂に入る。口ん中切れまくってるし飯を食うのも憂鬱なので、自分の部屋に戻り、ぐだぐだしつつ煙草を吸った。煙草の煙も傷に染みた。

 やがて、風呂上がりの全裸の弟がタオルを振り回しながら部屋に乱入してきた。水を十分に含んだタオルで俺をしばきに来たようだったが、俺の顔面の異常に気づいた途端、弟は鳩の糞でも見るかのような目つきを向けてきた。

 弟はその場に立ち尽くすばかりで、こっちもだんだん、鬱陶しくてたまらなくなってくる。

「いつまでも汚ねえもん見せんな。さっさと服着ろ」

 タオルで頭を拭きつつ弟は部屋を出て行く。俺はベッドに横になり、図書室から持ち出したリアル五巻を広げた。

 十分ほどして、全裸を卒業した弟が、再び俺の部屋に舞い戻ってくる。俺の隣に寝ころび、横たわったまま、俺の横顔を見つめた。

「依子姉ちゃんと喧嘩したの」

 どきりとして、変な汗をかく。流し気味に弟を見る。

「なんで分かんの。気持ち悪っ」

「だって、顔しか怪我してない」

「それがなんで、依子と喧嘩したことになるんだよ」

「依子姉ちゃん、兄ちゃんと喧嘩するときは、顔しか殴らない」

 たしかに、今日は顔面タコ殴りにしてきやがったけど、昔からそうだっけ。俺でさえあんまり覚えてないのに、当時物心つくかつかないかぐらいの弟が覚えてるなんて、俺らが兄弟なのが本気で怪しくなってきた。ちょっとだけでいいから記憶力分けてほしい。

「姉ちゃんは、兄ちゃんの顔が嫌いなんだよ。昔言ってたもん。いつも睨んでるみたいだし、見下してるみたいだし、とにかく殴りたくなる顔してるんだって」

 自分でもなんとなく分かるのが悔しい。

「だから俺って、よく人から殴られんのかな」

 既に鍋島からグーもらってるし、たまに五頭からげんこつ食らうし、親父は俺が文句言うたびに横っ面ひっぱたいてくるし、当の弟は、三日に一回のペースで理由もなく襲いかかってくる。

「優しいのって、顔に出てくるんだよ」

「なにそれ。もっと優しくなれってか。何なんだよお前、俺に説教しにきたの?」

「ぼくも一発殴っていい?」

「聞けよ」

 もちろん馬耳東風で、弟は横になった状態から、力士風の突っ張りをかましてきた。痛んだ頬骨が、みしりと鳴った気がした。何故、怪我人相手にこんな真似が出来るのだろう。

 呆然としたままでいると、弟はおもむろにベッドから起きあがり、無言で部屋を出ていった。

 弟の手の大きさ分だけ頬がひりひりとして、痛みと痒さが必要以上にまとわりついてきて、何故だか無性に悲しくなってきた。

 弟が覚えているくらいだから、親父も母ちゃんも、実は気づいてたんじゃないか。譲歩して、そこまでは勘付かれてもいい。

 どうしてなのか、俺が依子にしたこととか、言ったこととか、そんな知られるはずのないことまで見抜かれているような気がして、なんていうか、ものすごく胸が苦しい。そんなの、どう考えても俺の思い込みなんだけど、恥ずかしくて穴があったらダイブしたいくらいだった。あわよくば、穴の深さが四百メートルくらいあったらいいのになと思った。

 涙ぐんでいるのに気づいて、リアル五巻を壁に向かって投げつける。頭から布団を被ってうんうん唸り、一時間くらいそうしていたら、いつのまにか寝てた。



 翌日の土曜日。

 本格的にやることがなくなった俺は、昼を過ぎた頃、散歩に出かけることにした。

 なるべく顔を隠すため、マスクをして、サングラスをして、夏なのにニット帽を被った。完全に不審者だった。マスクとサングラスを外した。

 居間に降りると、母ちゃんが「出かける?」と訊いてくる。うなずくと、本が五冊入ったエコバックを渡された。

「それ、父ちゃんが図書館で借りた本。返してきて」

 俺は家を出た。自転車で行こうかと迷ったが、暇なので歩いて行くことにした。

 道すがら、エコバックの中を見る。料理の本が二冊、護身術の本が一冊、鉄道写真集が一冊、経済のハウツー本が一冊入っていた。親父の趣味はよく分からない。

 住宅路を二十分ほど歩くと人見川があり、川沿いの遊歩道を四十分ほど進むと、市の図書館に到着する。

 その近くには中央総合病院があり、俺は図書館の駐車場から病院を遠望する。あそこは、叔父さんの入院する病院だ。

 そういえばと記憶を掘り下げる。昨日の五頭の話の中に、早川の搬送先の病院名が出ていた気がする。たしかあの病院だったはずだ。まぁ、町で一番大きいところだし、偶然でもなんでもないか。

 暑いので、さっさと図書館に入ることにした。

 入り口の自動ドアが開くと、ほどよくきいた冷房にほっとして、俺は中へと入っていく。受付に本を返却するとき、受付係員が俺の顔を見てぎょっとしていた。気にしないようにする。

 適当に館内をぶらつく。

 フットサルマガジンを立ち読みして、それから求人情報誌コーナーに行く。ラックに無料配布があったので、適当に一冊持ち出した。

 この図書館は一階と地下に分かれており、一階の階段柵から覗くと、ホールのように開けた地下階を望める。柵に寄りかかって見ると、地下には自習スペースがあるようだった。

 あそこで求人読もうかな、と考えて逡巡する。目があまり良くないから分からないけど、自習スペースに依子らしき人物が居た。そうか、あいつって、土曜は必ずここに来るんだよな。

 念のため地下に降り、依子とおぼしき女の背後に近づく。背後五メートルくらいで、半分本棚に隠れながら、その後ろ姿を確認した。

 色白で細く、プライベートなのに、お行儀よく背筋を正して自習テーブルに着いていた。どう見ても依子だった。しかも、土曜日限定のパイナップルヘアースタイル。なんだかんだで気に入ってるんだろうな。

 逃げるように、静かに階段を上がる。どうして依子を前に、ここまでこそこそしなければならないのか、本当に情けなくて仕方ないが、俺はそのまま図書館を出た。



 帰りの遊歩道を歩いていて、河川敷の土手に見知った横顔を発見する。

 彼女は、オーバーオールの上半身部分を前後に垂らし、上は涼しげな赤銅色のタンクトップを着ており、キャップにリストバンドという、イメージ通りのボーイッシュな格好をしていた。土手に座り、例のレッドカラーのDSでぷよぷよをしている。

「暇そうじゃん、村瀬」

 彼女の隣に腰をおろす。斜面には土手草が生えており、あんまり尻も痛くない。村瀬はぷよぷよを停止させ、顔をあげる。

「おっす、今泉。相変わらずひでえ顔してんね」

「え、うん」

 相変わらずってなんだ。なんで傷だらけのこの顔を俺のデフォルトみたいに言うの?

 村瀬がまたぷよぷよを始めた。怪我についてはやっぱり突っ込んでこない。逆に助かるけど、なんだか釈然としない。

「今泉、その求人誌どうしたの」

 村瀬はDS画面を見つめたまま言った。俺は求人情報誌をパラパラとめくる。

「夏休み、バイトでもしようかなって。友達のスマホ壊したからさ、弁償しなきゃなんだよな」

 友達っていうか、元だけど。

「あたしも夏休みはバイトするよ。部活やってねーし暇だし金ほしいし。もうアルバイト申請も出したしー、バイト先も決まってるしー」

「なに、アルバイト申請って」

「いや、うちの学校、基本バイト禁止じゃん。長期休暇なら申請出せばオッケーみたいな。五頭せんせーが何度も説明してたでしょ」

「あー」

 そういえばそんなこと言ってた気がする。

「バレなきゃよくね? 面倒くさいし」

「いいんじゃね」

 すごくどうでもよさそうに返された。適当な話題すら浮かばないので、場しのぎ程度に煙草をくわえる。これ吸ったら帰ろ。

「病院行ってきた」

 村瀬が六連鎖を達成させつつ言った。病院と聞いて、叔父さんのことと、早川のことを思い浮かべた。村瀬が俺に振る話だから、早川のことだろう。とっさに返す言葉が浮かんでこなくて、火を点けながら黙っていると、村瀬が続けた。

「沙樹のお見舞い行こうと思ってさぁ、美野里と受付行ったんだけどね、面会謝絶だって。精神状態が安定するまでご面会できませーん、って。アポなしで行くもんじゃないよな、こういうの」

「……ふぅん」

 何故この話を俺にしてくるんだろう。もしや俺は責められているのだろうか。俺と依子のせいでこうなったんだぞって。

 しかし、村瀬の口調は淡々としており、ただ事実を単調に語るのみだった。ていうか、ぷよぷよやりながらだし。

 俺は辺りを見回した。まっさらな土手は青々としており、周囲には人の影すら見られない。

「吉岡とって言ってたけど、お前一人なんだな。あいつ、もう帰ったの?」

「うーん」

 気難しそうに唸って、村瀬は一度ぷよぷよをポーズさせ、日光を浴びてきらめく人見川を見つめる。キャップのつばを触って、またぷよぷよを再開した。

「それなんだけどさ、聞けよ、今泉。これがひでえ話なんだ。病院出たあと、美野里にね、これから二人で遊びいかねーって誘ったんだけど、なんと断られたんだ。せっかくの休日なのに」

 声のトーンが微妙に落ちてる。俺は紫煙を前方に吹き出し、彼女の横顔を見る。真顔なのか、落ち込んでいるのか、どちらとも取れるような表情をしていた。

「吉岡、そういうテンションじゃなかったんじゃないの。空気読み間違えたんじゃね」

「KYなこと言ったあたしもあたしなんだけど、でも、断り方がさぁ。いや、そもそも断られたっていうか、なんだろ……」

 村瀬は画面を見つめたまま、吉岡の甘ったるい感じの声真似をして言った。

「うけるね、それ。私が、彩音ちゃんと二人で遊びに行くの? ねえ、勘違いしないでほしいんだけど、私、彩音ちゃんのことなんて最初から友達だなんて思ってないよ? だってさ! ひどくない!?」

 俺は言葉を失って、そっと村瀬から視線を外した。安易に、「ひどいな」なんて返せるレベルではないと思った。

「しかも、美野里はこう言ったわけ。彩音ちゃん、いっつも人の身体触ってくるでしょ。うざいし、きもいし、私ね、あなたのそういう所、虫酸が走るくらい嫌なの。でもね、友達じゃなくても、仲良くすることは出来るでしょう? だって」

「……意味分かんないんだけど」

「あたしも最初は意味分かんなかったさ。でも、つまりはこういうこと。学校では友達の振りをしてあげるけど、他ではうざいから関わってこないでね、みたいな。馬鹿にしてんのかっ。お前誰だよっ。なに上からもの言ってんだよっ。お前は女帝か? お前は女王様にでもなったつもりなのかっ」

 半分笑いながら言う様がさらに痛々しい。黙って煙草を吸っていると、村瀬がしつこく、「ねぇひどくない!?」と尋ねてくるので、俺は声を低くして、「ひどいな」と答えた。

 閑散として、DSのBGMしか聞こえてこない。川の水面を魚が跳ね、波紋の消えていく様を眺める。儚い気分になって、途切れ途切れな雲が泳いでいく空を見上げた。

 ばたんきゅー。吐き出される息。

「ぷよぷよって、くっついたら消えるよな」

「なにそれ」

「いや、あたしみたいだなって思って」

 手に触れる草の感触をたしかめる。千切って、風に乗せて飛ばすと、空中でちりぢりになって視界から遠ざかる。手の砂を払い、またポケットの煙草へと手を伸ばす。火を点けて息を吐くと、煙も空気に溶けてなくなった。

「なに泣いてんの」

「……泣いてねーし」

 村瀬はDSを閉じ、それを片手に握りしめ、地面を蹴るように立ち上がった。俺はそれを静かに見守る。

 DSが彼女の手から放たれた。回転しながら飛んでいくレッドカラーは、やがて川の水面とぶつかり、さっきより何倍も大きな波紋をつくる。もとの穏やかな水流になるのを待って、村瀬がゆっくり腰を下ろした。

「あーあ、もったいね」

「あんなの、もう飽きちゃったし。飽きたもんは即捨てる。これ、人生をより無駄なく生きるための常識だぜ」

「よく覚えとく」

 村瀬はリストバンドで目をこすって、俺が吐く煙を目で追った。どんどん吐き出されて、どんどん消えていく。

 横を見ると、今度は体育座りで腕に顔を埋めていた。もっと素直に泣けばいいのに、と俺は思うんだけど。

「なんでさっきからキレてこないの。あたしに気ぃ使ってんのかよ」

「なんの話だよ」

「昨日はっきり分かったじゃん。あたしが平野をいじめてるってこと。いじめ、あの調子じゃまだまだ続くだろうし、あたしもやるよ」

 煙草を吸うか、携帯灰皿に入れるかを迷って、結局灰皿行きにして俺は答える。

「いじめりゃいいじゃん。俺、もう関係ないし」

「なにそれ。最低だね」

 いじめる側に言われるんだから、たしかに最低なんだろうな。臀部の砂を払い、土手をのぼる。遊歩道に乗り、百メートルほど進んで、さっき居た場所を振り返る。村瀬はもう居ない。

 代わりに、道の先から自転車に乗ってやってくる者がいた。目を凝らすと、依子だった。

 ニット帽を深く下げ、斜め下のアスファルトを見下ろす。自転車の車輪と、ペダルを漕ぐ依子の足が通過していく。そのあとも、十分ほどその姿勢で立ち尽くした。そろそろ頭が熱くて仕方なかったが、結局帽子は脱げずに終わり、後ろめたさを抱えるように俺は帰路についた。

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