chapter24 あの子
木曜日。
何かと慌ただしい毎日を送っている俺からすればこの日の午前は比較的平和で、朝っぱらから鍋島に寝顔写メ取られたり、その影響でクラス中からの嘲笑の的となったり、挙げ句の果てに現代文の授業中、鍋島と共にまた廊下に立たされたりと、まぁ思い返せばそこそこに災難だったんだけど、それでも微笑ましい程度の災難だった。
昼休み。
鍋島のグループから村瀬が一時外れているため、鍋島と城川は最近、図書室で依子と昼食を食べている。
つまり鍋島らが居なくなれば、昼休みに俺の席が彼女らにぶん取られることはなくなるわけだが、そうなると俺は完全に一人ぼっちで昼食をとらなければいけない。
みんながグループを作ってわいわいしている中での一人きりご飯タイムはかなり苦痛なもので、それはいくら孤独が好きな俺だって例外ではない。
しかし、俺にも友達がいないわけではない。旧校舎の屋上へいけば多分原村がいるはずなので、俺は屋上へ上がることにした。
鞄から出した煙草を胸ポケットに入れ、弁当箱を持って席を立つ。
依子の席には鍋島と城川が集まっていた。やっぱり今日も三人で図書室へ行くらしい。
俺は教室を出てのろのろ歩きだした。
俺たちの教室は西棟にあり、そこから東棟へ移り、そして東棟から旧校舎につながる。結構遠いけど、時間はあるのでゆっくり歩く。
東棟の廊下を歩いていくところで、俺の背中をとんと叩くものがあった。
振り返る。仏頂面を構えた依子だった。依子の後ろには、奇遇といった顔をした鍋島と城川もいる。
「どこへいくの」
依子の声のトーンは、依子が怒ってるときに出てくる、微妙に低音に落ちたものだった。
「どこって、屋上だけど。旧校舎の」
「図書室にきて」
「なんで?」
依子は何も言わず、じろっと俺を見つめた。
一応図書室も旧校舎にあるので、俺たち四人はそのまま廊下を歩き続けたけど、依子がどうして俺に図書室に来てほしいのか言わないと、俺もそのまま屋上に行っちまうんだけど。ぶっちゃけ、この三人の中に混ざるより原村とのんびりする方が楽だし。
依子は無言で俺を見続けた。意味が分からないし、ちょっと恐かった。鍋島と城川は、雑談しながら俺たちの後ろをついてくるだけ。
「ねぇ、なんでっつってんじゃん」
「いいからきて」
いつもの無愛想だけど、やっぱり怒ってるっぽかった。なんか知らんが、叱られるのかもしれない。
そもそも依子は、用事がないとき以外は俺と関わろうともしないのだ。そのくせ用事があるときだけはこちらの行動を無益に要求してくるし、その上その理由を自分から言ってくれない。かなり一方的で、はっきり言ってものすごく付き合いづらい。
図書室の前を通りかかるとき、俺はそのまま図書室を通り過ぎようとしたが、そうすると依子が小走りで追いかけてきて、俺の腕をがっしりと掴んできた。
「こい」
単調なくせにこの口の悪さなのだから、すごい威圧的だった。為すすべもなく依子に引っ張られていくと、鍋島と城川が図書室入り口の前で待っていて、鍋島の方がにやっとした。
「ほんと仲いいですよね、二人」
原村のまどろっこしい茶化し方に似てきてるな、と思った。
受付には宮下がいた。
宮下は受付につきながら、昨日持ち込んだばかりの井上雄彦のリアルを読んでいた。この司書がまともに受付をやっている様を見たことがない。
俺たち四人は受付の中に入り、奥の長机で昼食を取ることにした。
そのとき、宮下が漫画から顔を上げる。
「お、相変わらず悪そうな顔してるね今泉くん。今日はここでお昼?」
「そうっす。宮下先生は今日もアンニュイな感じっすね」
えへへ、みたいな感じで宮下は頭をかく。少年チックな笑顔はとても二十六歳のものとは思えない。
「今泉くんや原村くんは、いつも可愛い女の子たちに囲まれてますよね。どちらもそんなにモテそうな感じはしないけど、何か秘訣とかあるの?」
すごく失礼なことを言われているような。
宮下は別に顔が悪いわけではないと思う。むしろ整ってるっていうか、性格さえ治したら結構モテそうな気がする。
「宮下先生、彼女でも欲しいの?」
「先月までいたんだけど、母ちゃんに彼女紹介したら、この女が嫁いだら宮下家は終わりだって言われた。だから別れました」
「なるほど。じゃあまずそのマザコンを治した方がいいんじゃないすか」
「何言ってるんですか今泉くん。男はみんなマザコンだよ」
すげえ無茶苦茶な偏見振りかざしてるよこの人。
鍋島と城川が並んで長机に座り、それと対面するように依子と俺が座る。
俺の弁当は、またしても親父が作ったカツサンドと卵サンドだった。最近母ちゃんが全く料理をしない。もし作る気があったとしても、親父の方が格段に作る気まんまんだ。しかし、やる気はあるくせに何故いつもサンドイッチなのだろう。流石に飽きてきたんだけど。もしかしてこういう嫌がらせ?
一言も喋らずにサンドイッチを食べる。鍋島と城川の会話に依子は一切混ざろうとせず、しきりに俺の横顔を見つめて弁当を食っていた。
多分睨んでいるつもりなのだろうが、表情の変化に乏しいというのが依子の性分なので、本当にそれが不気味で仕方なかった。
俺は横目に依子の弁当箱を見る。
十五穀米と卵焼きが一つの箱に。里芋や人参などの煮物がいくつか、あとはメインの鮭の西京漬けの入った箱が一つ。和風一色で豪華。俺のとはえらい違いだ。
「美味そうだな。これ、依子が作ったの?」
フレッシュ満天な笑顔で尋ねる。
依子はうなずき、また無感情な瞳で俺を射抜く。俺は無言の笑顔でその視線と対抗する。鍋島と城川は二人ですごい盛り上がってるし、やっぱり俺は居心地が悪かった。
「なんか食ってみていい? 俺、依子の料理食ったことないんだけど」
依子は何も言わなかった。
「駄目? いやだって美味そうじゃん。ほら、この煮物とかさ」
やっぱり何も返してくれない。今の俺、普段と違ってかなり感じのいい話し方してんだけど。
ちょっと頭にきたので、俺は勝手に依子の弁当箱の煮っ転がしを素手でつまみ、口に放り込んだ。
「うめえなおい。なぁ依子、うめえよお前の料理。こりゃ将来いい嫁になるな」
俺が依子にお世辞言ってる。いや実際美味いけど、でも依子のこと褒めてる。すげえいい人みたいじゃん俺。
でもやっぱり依子は何も言わないし、喜ばないし、それどころか頬の筋肉一つ動かさずに俺を見つめ返すばかりだった。
「なにさっきからガンくれてんだてめえ」
軽い口調で、あくまでふざける感じで挑発してみた。
しかし、これでも反応なし。依子は西京漬けを二、三口食べ、穀米を咀嚼し、煮物を食べ尽くし、また俺を見つめた。
この熱すぎる視線は一体なんなのだろう。何の意味があるんだろう。羨望でもない、軽蔑でもない、嫉妬でもない、求愛でもない、とすると、やっぱり俺に怒りを伝えたいのだと思う。さっきの様子から、多分それしかないし。
「ごめん。俺、なんか悪いことしたっけ」
「新しいメールアドレス、昔の友達にも教えた」
依子は、もともと小さい声をさらに小さくした。それだけ言って、俺への視線ロックを解除し、それからじっと弁当箱へ目を向けて食事をする。
俺はそんな依子に声をかけることも出来ずに、黙ってサンドイッチを頬張った。
昨日の放課後、吉岡が受付を出ていったあと、俺は依子の携帯のアドレス変更をした。その際に、依子の電話帳に登録されているアドレス全部に、変更のお知らせメールまで送ってあげたんだけど、依子は多分、それが気に食わなかったらしい。
でも、この様子からすると、依子もあんまり強く俺を責め立てられないんだと思う。
俺がアドレス変更をしてくれたからってのはもちろん、恐らく、そのついでに依子は中学のときの友達と縁を切るつもりだったのかもしれない。それについて感情的に責めるのが恥ずかしいからなのか、それとも別の動機からなのか、俺にはそこまで分からないけど。
いつか母ちゃんが、中学時代の依子の話をしていた。
生徒会長だったとか、成績は常にトップだったとか、友達に囲まれていて、男子にもモテていた、とかなんとか。
この噂にも母ちゃんの誇張が混ざっていそうだけど、小学生時代の依子を考えればそれなりに信じることは出来る。でも、今の依子では及びもつかない噂話。
「お前、中学のときなんかあったの」
空中へと投げるように、俺はぽつりと問いかける。
依子は答えなかった。黙って弁当を食べ続けた。
何もないやつなんていない。俺だって、早川を振ったり、足を怪我したり、それでぐれて煙草を吸い出したり、そのくせ受験だけは無駄に頑張ったりで、色々あった。
俺らの正面で楽しそうにお喋りしてる鍋島や城川だって、俺同様に、多分それ以上に辛い目に合っているんだから。
人並み以上に活発だった依子が、どうしてここまでふさぎ込むようになってしまったのか。
依子は穀米を飲み込み、小さく口を開く。
「友達と喧嘩した。嫉妬されていたみたいで、あたしもかっとなった」
依子の友達。
――昔、鍋島さんみたいな友達がいたの。几帳面で、明るくて、根っからのお人好しみたいな子。話し方まで似てるから、余計被る。
鍋島を盗み見る。携帯を広げ、城川にそれを見せる鍋島の表情は明るかった。
鍋島たちに聞こえないような声で、依子は続ける。
「あたしは、あなたなんか何の取り柄もないくせに、って言った。そうしたら、あたしの悪口いっぱい言ってきて、もう絶交した」
依子の友達。
――あたしのちょっとした発言でね、あっという間に疎遠になった。
俺は耳を澄まし、依子の横顔をじっと見つめる。
「その子は、そのあとすぐにいじめを受けた。実はその子、すごく弱かった」
俺は黙って聞いた。
「その子は自殺した。知らないビルの屋上から飛び降りて、簡単に死んだ」
依子は瞼すら動かさない。
「本当に弱かったから、いじめられて、簡単に死んだ」
俺の手は無意識的に動き、依子の頭の上に乗る。枝毛すらない依子の髪の感触が手についた。
「辛かったな」
依子はさらに視線を下げる。
これは疎遠なのか。二度とやりなおせない疎遠。謝ることだって許されない死別。
依子は責任を感じていて、きっとその友達が死んだのが自分のせいだと思っていて、だから昔の知人との縁を切ろうとしていたのだろうか。罪悪感から、もう一切関わらないと決めたのか。
だけど、髪の間から覗く依子の目は、ひどく冷えていた。
どうしてこんなときくらい、依子は泣かないのだろう。
鍋島と城川へと視線を向ける。楽しそうに笑っていて、依子とは別の世界にでもいるような気がした。
依子が、頭に乗せていた俺の手の甲を握る。依子は俺の手を握り、肩の辺りまで下げてから、冷え切った目でこちらを見据えた。
握られた俺の手が、何故か震える。
「あたしがいじめた」
矮小で、歪曲していて、それは俺の耳に届く。依子のささやき。
「本当に弱かった。あたしには味方がいっぱいいた。いじめるのはすごく楽しくて、だからいじめた。そしたらあの子は死んだ。知らないビルから落ちて死んだ。周りは笑っていたけれど、あたしは」
クズはいじめくらい乗り越えなきゃ、周りと同じ環境に居てはいけないんだよ。
平野さんは一度くらい、黙っていじめられた方がいい人なんだよ。
「あたしは笑っていたのか、泣いていたのか、よく覚えていない」
もしあたしが早川さんをいじめても、あなたは何も口出ししないでね。
「お前」
「どうしたんですか? 二人とも、仲良く手つないじゃって」
唾を飲み込み、開ききった目を動かす。
鍋島は、やっぱり笑っていた。