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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
24/65

chapter23 善意、悪意

 そろそろ屋上を出るか、というときのこと。

「由多加とアッキー、どこに遊び行ったの」

 村瀬がそんなことを訊いてきたので、俺は無駄に勘ぐってしまった。

「なんで?」

「なんとなく」

 村瀬は地面に放ってあった学生鞄を拾いながら言った。さっきから俺と目を合わせようとしない。まぁ、俺も気まずいから合わせたくないけど。

 教えても教えなくてもいいんだけど、もう二人が一緒に出かけたことは村瀬も知っているわけだし、ここで不自然に答えないのもどうかと思えた。

「買い物行っただけっぽいよ。原村が画材買い込むからって、鍋島はその手伝い」

「ふーん」

 村瀬はぞんざいに相づちをして非常扉の方へ歩き出した。

「じゃ、また明日」

 背中を見せつつ手を上げる。あんまり急に帰っていくものだから、俺は「あ、あぁ」みたいな締まりのない声で村瀬の背中を見送る。

 結局、何を考えてんのかはっきりしないやつだった。



 時刻はまもなく六時というところで、そんな時間の図書室はまさにゴーストタウンみたいな雰囲気を醸し出していたんだけど、その寂しい空間でもやっぱり依子は置物のように受付に座って本を読んでいた。

 毎日写真を撮っても一ミリたりとも変化しなさそうな光景だなと思う。変化がないということは平和だっていう証拠なのかな。

 あくびをしながら受付の扉を開けると、奥の長机に茶色のボブカットヘアー女子が足を組んで座っていた。すごく当たり前のように。

 あくび後の涙を目元に残してドアノブを握ったまま、ボブカットの丸い頭頂ラインを凝視して固まる。

 ボブカット女子、つーか、もう面倒くさいのでぶっちゃけて言うと吉岡美野里なんだけど、吉岡はブルーの二つ折り携帯を膝あたりに下げ、俺を見てにっこりと微笑んだ。

「いらっしゃい、純くん」

 なにその気持ち悪い呼び方。鳥肌立った。なんでこの人、いちいち人の呼び名変えてくるんだろう。いや、どうでもいいんだけど、なんでここにいんの?

 とりあえず扉を閉めて、穏和な笑みをひたすら振りまいてくる吉岡を微妙な心境で見つめ返して、ふー、と深い息を吐いてから、俺は口を開いた。

「何しにきたの」

「彩音ちゃんから聞いたの。平野さんに言えば受付に入れてもらえるよって」

 理由になってないし。

「いやそうじゃなくて、なんか用?」

「ちょっと話したいことがあって」

 悪い予感しかしない上に、すげえ聞きたくない。

 俺は依子の後頭部を睨む。なんでこいつ、どいつもこいつも普通に入れちまうんだ。屋上と図書室受付は俺にとっての聖地だったのに。

 未だに困惑して立ち尽くす俺に、吉岡がまた慣れ慣れしい口調で声をかけてくる。

「座らないの?」

 急かされてる。俺はもう一度深くため息を吐き、嫌々ながらも足を動かした。途中で依子の背中を軽く叩く。

「依子、アド変してやるから携帯貸して」

 本当はそのためだけに図書室に来たはずなんだけど、どうしてこういうことになんのかな。

 依子は鞄を開き、無言で卵形携帯を渡してくる。腹立つくらい、いつも通りの無表情だった。こいつ、絶対なにも考えてなさそう。もっと今の状況を懸念しろよ。

 依子の携帯を受け取ると、携帯に変なストラップがぶら下がっているのに気づく。まりもっこりだった。

「なにこの趣味悪いストラップ」

 現実逃避気味に訊いてみると、依子は本へと目を戻しながら答える。

「最初は気持ち悪いと思ったけど、よく見るとかわいかったから、つけてる」

 魚っぽい着ぐるみを着た、ご当地限定らしきまりもっこり。じっと眺めてみる。だめだ、どう見ても可愛くない。

「純からもらった」

「俺? こんなんあげたっけ?」

「うん」

 携帯の下でぶらぶらと揺れるまりもっこりを見つめて、それから俺は長机に歩み寄り、どこに座ろうかと悩んで、結局吉岡の正面のパイプ椅子に落ち着いた。

 吉岡は本当になにが楽しいのか、自然に繕った笑みを俺に固定して向け、俺はそんな吉岡を避けるように手元のまりもっこりを見下ろした。

 あー、思い出した。たしか俺がノート忘れてきて、依子が使ってないキャンパスノートくれたから、そのお礼にあげたんだ。ちょっとすっきり。それから顔を上げると、吉岡が笑顔で小首を傾げた。やっぱげんなり。

「で、何の話?」

「んー、ふふ」

 ふふ、じゃねえよ。

 中学もこいつと一緒の学校だったけど、吉岡は昔から表情を作るのが上手かった。いつもこの作り笑いに毒気を抜かれてしまいそうだったから、毎回気分が悪い。

「その前に私、二人のために自販機でジュース買ってきたんだよね」

 吉岡は鞄からペットボトルの午後ティーを取り出す。二人のためっつったのに、一本だけ。

 一緒に飲めってこと?

 なんか地味に試されてる気がする。うぜえ。

 俺は午後ティーを受け取り、じっとりとした目で吉岡の顔を見つめた。吉岡は依子の方を振り返る。

「人全然いないし、平野さんもこっちに来たら?」

「嫌」

 即答する依子。一応、依子も吉岡を拒絶する姿勢らしい。

 俺もこいつのねちっこい計らいに苛つく。俺も依子もいちいちこんな細かいことを気にする間柄じゃないし、回し飲みぐらいならやぶさかではないんだけど、俺としては、吉岡にこの程度の小競り合いですら屈したくなかった。

「せっかくの差し入れで悪いけど、俺、のど渇いてないんだよな。依子にあげるわ」

「どうぞ、ご自由に」

 依子の背中に向け、投げるぞ、と声をかける。すると依子が半身程度にこちらを向いたので、俺は下投げで軽く午後ティーを放った。

 受け取り損ねて床に落っことす依子。くそ、今ぐらい取れよ格好わりい。俺は、原村と依子とした夜のキャッチボールを思い出した。依子、あんときもあり得ないくらいの運動音痴ぶりを露呈してたな。

 午後ティーを拾いなおす依子に、吉岡は一切のリアクションも見せず、そのまま俺へと視線を戻した。

「もういいかな、純くん」

「いいけどさ、その前にその呼び方やめてくんない? なんか気味悪いんだけど」

 俺の言葉に、吉岡は馬鹿にするように小さく吹き出す。

「うぶだよね今泉って。こういうの、いちいち意識するんだもん」

 何も言えなかった。マジで何しにきたのこいつ。吉岡ってこんな腹立つやつだったっけ。

 しかし、これでキレるのも吉岡にまた馬鹿にされるだけというか、さらに恥を重ねるだけなので、俺は慎重に声のトーンを落とす。

「早く話してくんない」

「もう、そんなに怒らないでよ」

「怒ってねえから。俺は常にこういう顔なの」

 そういえばそうだね、とまた笑われた。もう話聞くの止めようかな、と半ギレ気味に思う。

「ちょっとだけ、今泉に確認したいことがあって」

 内容に大体の予想がついた。

「沙樹のことなんだけど」

 やっぱり。吉岡の考えてることや目標って意外と単純なんだよな。この辺は村瀬より分かりやすくていい。

「早川がなに?」

「単刀直入に聞くけど、今泉って沙樹のことどう思ってるの?」

 深くパイプ椅子に座りなおし、腕を組んでから吉岡の顔を見返す。どんな気持ちで吉岡がこの言葉を投げかけてくるのか、彼女の表情からは読めなかった。

 それに、いつか吉岡から聞かれるのではないかと身構えていた質問だった。そろそろ、俺も無闇に早川を避けるばかりでは、やり過ごせないと思っていたし。これもいい機会なのかもしれない。

「別に。何とも思ってない。中学からの同級生で、今もただのクラスメイト。それだけ」

「中二の頃に沙樹から告られたと思うけど、本当になんとも思ってないの?」

 段飛ばしに突っ込んだところまで問いかけてくる。

 本当になんとも思ってない、そうあっさり答えてしまうのは簡単だけど、この話にも吉岡の企みがあるのではないかと勘を働かせた。

 そもそも吉岡は、早川を友達という枠組み以上に溺愛していそうだから、吉岡が何も考えていないはずがなさそうだ。

 六月の終わり頃、この場所で、俺は早川に向けてはっきり、『お前が嫌いだ』と言った。中学時代に早川を振ったときは、ここまで酷い突き放し方じゃなかった。そのときは、今は部活に集中したいから、そんな在り来たりでその場しのぎの理由で誤魔化したのだから。

 吉岡は心中を悟られたくないのか、顔色を明るくしたまま俺の返答を待っていた。

 吉岡は、あの図書室の一件をどこまで知っているのだろう。あのときの依子の奇行なら周知の事実だけど、俺の発言を知っているのは依子と原村と早川だけ、と今までは楽観的に捉えていた。早川と吉岡くらいの仲ならば、早川も一部始終を彼女に話しているのかもしれない。でなければ、吉岡がステップも踏まずに事の真意を確かめようとはしないと思う。

 とにかく、俺も正直に答えよう。

 やっと腹を決めたところで、吉岡が質問を重ねる。

「沙樹のこと嫌いって言ったの、マジ?」

 あくまで緩められた瞼の間から覗く吉岡の目は冷淡だった。やっぱり、吉岡は件の全てを知っていたんだ。その上でここへ押し掛けてきたのだから、彼女の心境は半端なものではないはず。

 軽い怖気をおさえながら、俺は答える。

「嫌いっつったのは、場の勢いで言っただけ。あんまり早川がしつこく依子との関係疑ってくるから、俺もカッとなって思わず言っちまったんだよ」

 吉岡は口を結び、探るように俺の顔を見つめた。

 そんなに観察するように見なくても、俺の本音はこうなのだから仕方ない。早川に対して、俺はただ苦手で好きではないというだけで、実際そこまで激しい感情を抱いていないんだし。近くに居たり、意識して思い出さなければ、本当に今は無関心。

「そうなんだ」

 納得したのか、吉岡は長机の上に置かれた携帯を手に取った。携帯を操作し始める吉岡を確認して、俺も依子の携帯を開く。

 吉岡はしばらく質問をしてこなかった。この質問のためだけに来たとは思えないから、小休止ということなのだろう。



 俺はアドレス変更の前に、なんとなくメール受信欄を開いて見ていた。依子の話から、嫌がらせメールが大量に送られてくるという話だった。内容を一応見ておきたい。勝手に見ても、どうせ依子のことだから気にしないだろうし。

 受信欄を開くと、一面に未読のメールが表示された。やっぱ、依子はメールを開くのすら面倒くさいようだ。

 送信者は不特定多数。女子数人でやったのだろう。でなければこれだけの量は送信出来ない。次々とメールを開き、流し見るように文面を追う。


「学校くんなってばぁ」「さっきの朗読全然聞こえんかったわ」「あれ、下着って白と水色しか買わないの?」「空気さん今日も存在感ないっすね」「シカトうぜえ」「明日一万持ってきてくださーい」「ていうか読んでますー?」「おーい無視すんなー」


 読まなくて正解だなと思った。下らないはずなのに、地味に腹立つし。

 まれに鍋島や城川からの普通のメールが届いていたが、他のメールと一緒に未読になっていた。携帯をいじるのに飽きたのか、嫌がらせのせいでうんざりしているだけなのか。

 ふと、ある未読一覧に、一件の画像付きのメールがあった。送信者は、未登録のアドレス表示のまま。躊躇いつつ、そのメールを開く。

 画像には、体操服の上を脱ぎかけた依子が写っていた。しかも依子、ばっちりカメラ目線。あ、ほんとだ、白のブラ。ってそうじゃなくて。

「依子」

「なに」

 受付からのんびりした声が返ってくる。吉岡が上目遣いで携帯から顔を上げた。

「ごめん、見ちゃったんだけどさ、お前盗撮されてるぞ。多分これ女子更衣室」

「知ってる」

 知ってるじゃねえよ。普通にカメラの方見てるからそうなんだろうけどさ。

「撮られそうになったら止めろって言え」

「いってるけど、そのときは油断した」

「他にもなんか撮られた?」

「たぶんない。それ撮られたときに、その子の携帯はたいて睨んだら、もう誰も撮りにこなくなった」

 何で最近の依子ってこんな血の気多いんだろう。つーか、そういう所ばっか俺に似るんだよな。

 俺はメールの受信日へとスクロールした。今から五日も前に送られてきてる。なのに俺がここで初めてこれを知ったのは、多分、鍋島もこの事実を知らないからなのだろう。知っていて、鍋島が俺に伝えてくれないはずがない。恐らく、いじめる側も俺や鍋島の前では極力行動を起こさないようにしているんだ。

 裏でなにが起こっているのか分からなくなってきた。依子は自分から話をするようなやつじゃないから、これからは俺から詳しく状況を聞いていくべきだ。


 選択削除で嫌がらせメールの部分のみを選び、全て消去してから顔を上げる。吉岡は頬杖をついて携帯の画面を眺めていた。

 そろそろこっちもぶっちゃけていいだろ。

「吉岡、俺も本当のこと言ったんだから、お前も真面目に答えろよ」

「ん」

「お前、依子のこといじめてんだろ」

「へぇ。平野さん、いじめられてるんだ」

 吉岡の目は携帯を向いたままだった。あぁ、椅子蹴り倒して正座させてやりたい。

「とぼけてんじゃねえよ。お前、昼休みに城川に言ってたよな。これはいじめじゃなくて抵抗なんだって。よくそんな下らねえこじつけ思いつくよ。こっちから見りゃ、こんなの普通にいじめなんだけど」

 吉岡は携帯からかすかに俺を見上げ、片まゆを下げてから怪訝に口を開く。

「そんなこと言ったっけ」

「は?」

「今泉の聞き違いじゃないかなぁ。たしかに心結(みゆ)ちゃんとは喧嘩したけど、私、平野さんの話なんてした覚えないし。ていうか、盗み聞きとかありえない」

「話逸らすな。俺にはそう聞こえたんだよ」

「あっそ。なら明日からテープレコーダーでも持ってくれば?」

 あ、やべ、キレそう。我慢だ我慢。

「ていうか、城川とのあれ、喧嘩だったんだな。カッターの刃投げつけるなんて、吉岡も結構過激だよなぁ。おい、じゃあ喧嘩なら明日城川に謝れよ。あいつ、あれで怪我してんだから」

「うん、了解。でももう友達には戻れないかなぁ。あの子、よく分からないけれど、すぐ人のこと悪者呼ばわりするんだよね。多分心結ちゃんって、ちょっと頭のおかしい子なんだよ」

 依子が吉岡の背中へと視線を送っていた。表情は普段のままだけど、城川を悪く言われて内心ご立腹なんだと思う。

「依子。気持ちは分かるけど、お前は黙っとけよ」

 また村瀬のときみたいに殴りかからないとも限らないし。

 依子はしばらく吉岡を見つめ、それからまた読書へと戻る。それを見届け、俺はまた吉岡を見る。吉岡はうっとおしそうに眉をひそめ、携帯を閉じて息を吐く。

「そんなにいじめ止めさせたいなら、いじめっこ探し、手伝ってあげようか」

 なんだ、また予想外のことを言ってきた。言葉を詰まらせていると、さらに吉岡が続ける。

「いたずらメールが来るんでしょ。私、ほとんどの女子のアドレス知ってるから、調べればすぐに送信者分かると思うけど」

 吉岡は携帯を開きなおし、俺の反応を待つ。

 俺はメールを読むとき、送信者アドレスに注意していた。中学のよしみで、俺は惰性的に吉岡と早川のアドレスを知っている。見たところ、依子の携帯にこの二人のアドレスらしきメールは届いていなかった。

 つまり彼女らは直接いじめに手を下さないということだ。吉岡たちがするのはただの煽動と誘導で、城川にしていたように、他の女子を動かすだけ動かし、自分たちはいつでも無実を装えるように構えておく。今日の昼休みは、たまたまその誘導を発見出来たに過ぎなかった。

 たとえメールの送信者を知っても意味がない。

 俺は黙って吉岡と視線を交わした。あれ、いつもよりまつげが長い気がする。マスカラ?

 やがて、吉岡は口元に性悪そうな笑みを浮かべる。

「今泉って、万が一教師にでもなったら、超うざくなりそうだよね。五頭先生みたいな感じ。目先のことしか考えない、あったま悪い偽善者」

「何が言いたいんだよ」

「ほら、たまにあるじゃん。いじめを乗り越えて成長しましたってやつ。すごいね、えらいねって、周りは馬鹿みたいに褒め称えるけど。あんなのさ、ヤンキーが更正して尊敬されるのと一緒じゃん。クズが普通になったからって、なに偉ぶってんの? 最初から真面目にやってる人の立場なくない?」

 俺は何も言わず吉岡を睨めつける。

「ふるいにかける行為なんだよ、いじめって。クズはいじめくらい乗り越えなきゃ、周りと同じ環境に居てはいけないんだよって、そういう、愛情を込めた行為なの」

「なるほどね。いじめる奴らしい屁理屈理論だ」

「私は、いじめなんて暇人みたいなことはしないけどね」

 吉岡は俺の言葉を柔らかく否定し、余力の有り余った笑みをたたえる。依子もここまで自然に笑えたら言うことないんだけどな。

「今泉って、戦隊シリーズとか水戸黄門とか好きそうだよね。正義のヒーローに憧れてたり」

「さぁ。俺はそんなもん、意識したこともないけどな」

「勧善懲悪って言葉は便利だよね」

 話の切り出し方が唐突だな。微妙にかみ合ってないし。

「善意を持って行動すれば誰にも否定されない、悪意は問答無用で正せるんだもん。悪者は全否定で、もはや人間扱いすらされない。怪人は大爆発。悪代官は打ち首獄門。やっつけるだけやっつけて、救いの手は一切差し伸べられない」

 吉岡は暗い瞳で、突き刺すように俺の目をのぞき込む。

「悪意の裏にある人間らしい心も、平気で踏みにじる。ほんと、いい気なものだよね」

 人間らしい心。いじめる原因。早川を傷つけたこと。

 頭の熱が引いていく。冷静な俺の思考に残るのは、それでも吉岡を否定する言葉ばかりだった。

「何が言いたいのか分かんないけどさ、要するに、無理に止めるなってことだろ、いじめ」

「うん、そういうこと。平野さんは一度くらい、黙っていじめられた方がいい人なんだよ」

 吉岡はそれっきり口を閉じ、満足そうに頬を緩めて俺を見る。

「それなら」

 依子は、身体を吉岡の方へと向けた。吉岡が振り返ると、依子は真正面から彼女の目を見据える。

「いじめを肯定するのなら、もしあたしが早川さんをいじめても、あなたは何も口出ししないでね」

 俺は唖然としたまま吉岡の横顔を流し見る。吉岡は、もう笑っていなかった。

「平野さんって、面白いこと言うんだね」

 そのとき、図書室入り口の扉が開いた。依子と吉岡は睨み合ったままだったが、俺は視線をずらしてそちらを見る。

 司書の宮下だった。彼は満面の笑みで黒いビニール袋を抱えていた。

「今泉くんっ! 井上雄彦のリアル、最新刊まで全部持ってきたよ!」

 嬉しいけど、今はちょっと笑えない。宮下は上機嫌で受付扉を開け、依子に軽く挨拶してから受付横の引き出しを開け、丁寧にリアルを並べ入れて、それから顔をあげる。宮下は間の抜けた顔で吉岡を見つめ、短髪をさらさらと掻く。

「えーと、たしか君は吉岡さん。今泉くんたちと同じ二組の、だっけ?」

 吉岡は外交的な笑みでうなずく。ついさっきまで依子と睨み合ってたくせに、本当に吉岡は感情表現の制御が上手いと思う。

「政経の授業でお世話になってます。私も遊びに来ちゃいました」

「うんうん、賑やかになるのはいいことです。ゆっくりしていってね。あわよくば図書室の仕事も手伝ってください」

 相変わらず何かと駄目な教師だ。そのうち、この場所が生徒のたまり場になりそうで物凄く心配。

「もっとゆっくりしていきたいところなんですけど、私、そろそろ帰って勉強しなきゃいけないので」

「そうなの? 残念」

 すると、吉岡が俺に謎のアイコンタクトをしてくる。彼女は鞄を手に持ち、何故かこちらへ歩み寄ってくるので、俺は警戒した。吉岡は俺の耳元に顔を近づける。

「左足、もう治った?」

 吉岡は意味深な笑みをたたえ、鞄を肩にかけてから扉の方へと歩いていく。その際依子を一瞥するが、何事もなかったかのように明るい挨拶をして、そのまま彼女は受付を出ていった。

 俺は視線を落とす。

 足。左足?

 俺は制服ズボンの布を掴み、裾を少し上げ、左足首を露出させた。ぼんやりとした思考のまま、自分の左足首を見つめる。

 そこに刻まれていたのは、中二の頃、通り魔にバットで打たれて骨折と裂傷を起こした、その手術痕だった。うん、もう治ってる。手術から半年足らずで、とっくに全快だったんだけど。

 それがどうして、今。

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