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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
2/65

chapter2 図書室

 放課後のこと。その日、俺が図書室に足を運んだのはほんの偶然のことで、この学校の図書室へ入ったのもそれが初めてだった。

 ぐるりと内装を見回してみる。去年まで通っていた中学の図書室に比べると、広さは二倍ぐらいあるだろうか。市の図書館ほどではないが、学校内の施設としては異例ではないかと思う。

 進学校を名乗っているだけあって利用者は多かった。テーブルは七割ほど生徒で埋められていて、一様に参考書やノートに向かっている。

 見回したところで、俺は受付カウンターの方へ目を向けた。

 平野依子(ひらのよりこ)が居た。

 依子は受付で教科書を広げて勉強しており、ときおり本の貸し出しや返却をする生徒の対応をしていた。対応は至って作業的で、終始無表情を崩さない。声もどこか機械的で単調だし、音声アナウンスでも聞いているような気分だった。

 受付に歩み寄ると、依子は眉ひとつ動かさずにこちらを見上げてくる。

「お前、ここの受付なんてやってたんだな」

 むしろ、依子が図書委員だったということすら知らなかった。

「今日は司書の先生がいないから、特別に」

 依子はひどくか細い声で言う。声自体小さいこともあるが、声質からして消え入りそうな色を持っている。

「用件は?」

「受付の奥にバガボンドがあるって聞いてきたんだけど」

「馬鹿ボンド」

「バガボンドな」

 依子はきょとんとして、沈黙した。

 それから無言の視線交差を続けること、一分半。やがて依子の口元がうごめいた。

「漫画だっけ、それ」

 それから受付横の扉を指した。

 ある、ということでいいのかな。なにせお互い言葉が足りないからよく分からない。でも、これは受付の中に入れてくれるということなのだろう。

 本当にいいのか、と依子を見たが、彼女は瞳すら動かさず俺を見つめてくるばかりだった。

 扉を開けると、受付内部は外から見るより奥行きがあって広い。奥のスペースは長方形のように広がっており、敷きつめられた本棚には見るからに古そうな本が蔵書されていた。

 依子が「そこにあるよ」と受付の引き出しを指す。開くと、まるで隠されているかのように漫画が何十冊も入っていた。

「ただの噂だと思ってたけど、本当にあるんだな」

「宮下先生がこっそり持ってきてるから」

 依子は教科書に目を向けたまま、お座なりに言う。宮下とは、司書の先生のことだろう。

 バガボンドの九巻から十五巻を手に取り、俺は壁際のパイプ椅子に腰掛けた。

 漫画を読み出した途端、依子との会話は完全に途絶えた。お互いのわずかな所作音、図書室内で誰かがページを擦りめくる音、そして依子が利用者の応対をする控えめな声だけが静かに響く。

 依子は教室のときと同じように姿勢を正し、カウンターを机代わりにして、変わり映えもなくノートや教科書に視線を落としていた。見ていても飽きるだけなので、俺はまた漫画を読み始めた。おっ、ついに柳生編か。



 十五巻まで読み終え、顔を上げると、夕日が受付カウンターに濃い澄色を落としていた。図書室内の音が極端に少なくなっている。もう残っている生徒はほとんどいないのだろう。

 十五巻を置いて、俺は一つあくびをした。

 依子は、やはり先程と同じ姿勢で勉強をしていた。いつもあの姿勢で腰は疲れないのだろうか、といつも思う。

「お前、エンコーしてんの」

 流れるように紙面を走っていた依子のシャーペンが、一瞬止まる。瞬きを数回していたが、事もなげに再度彼女の手は動き始めた。

「してたら、どうするの」

 否定されることを前提で質問したばかりに、俺はかなり戸惑った。

「えっ、してんの?」

「してないよ」

 起伏に乏しい声と表情は相変わらずで、そのせいか、依子の言葉は誰に向けたものなのか、瞬間分からなくなる。俺もぼうっとして、次の言葉を紡ぐのにちょっと時間がかかった。

「やっぱお前っていじめられてんのな」

「よく分からない。微妙」

「微妙って。たとえばほら、上履きに画鋲入れられたりとか」

 依子はシャーペンのノックを顎に当てて考える。やがて、ちらりと俺の方を一瞥して、ぼそぼそと話し始めた。

「それはないけど、筆箱や教科書隠されたり、ノートに落書きされたり、わざとらしくぶつかってきたりとか、そういうのはあるかな」

「そういうのをいじめって言うんだよ」

「そうなんだ」

「そうなんだよ。うん、多分そうだよ。いやおい待て」

 また視線を手元に落とそうとする依子を制止する。本人にそれらしい自覚はないのに、俺は何を必死になるのだろうと虚しくなってくる。だが、事実は事実なのだ。

「どうも思わないわけ? そういう嫌がらせ受けて」

「うざいとは思う」

「だろ」ようやくまともな感想が聞けて俺はほっと胸を撫で下ろす。

「できれば死んでほしいと思う」

「だよな」依子の言葉を受け流そうとして、留まる。「いや待て、ちょっと極端だなそれは」

 依子は息を吐き、シャーペンを置いてこちらへ向き直った。まさかこのタイミングで依子が俺を正面にとらえてくるとは思わなかったので、ちょっと身構えてしまう。

「どうして警戒するの」

「いや、依子が動くの久々に見たからさ」

「失礼だね」

 失礼、とは言うものの、依子はやはり頬の筋肉ひとつ動かさない。

「結局、純は何が言いたいの」

 下の名前を家族以外で呼ばれたのはかなり久しぶりな気がする。なんとなく恥ずかしい。いや、全く照れる状況じゃないんだけど。

「困ってるなら俺に言えよ。力になるから」

「見ての通り全く困ってないよ。偽善?」

 自分の耳が赤く染まるのが分かった。こんな奴に声なんか掛けなきゃよかったと後悔したが、俺は見栄を張ってパイプ椅子を蹴り、顔面にガキみたいな憤怒を浮かべて依子を見下ろした。

「俺がそんな風に見えるかよ」

「見える。純みたいに薄っぺらい自己満足で動いてるような人間、あたし一番嫌い」

「お前、久しぶりに喋ってみれば随分大人しくなってると思ったけど、全然変わってないのな。クラスでもそれくらい喋ってみろよ。だからいじめられんだよ」

 依子の表情に初めて翳りがさす。それは微かに眉をひそめるほどのものだったが、彼女が不快感を覚えていることは手に取るように分かった。

 何も言えないでいる依子に追い打ちをかけようとした、そのとき。

 ストップ、ストップ、と図書室の奥から女子の声が聞こえた。

「なんで普通に喧嘩始めてるんですか!」

 鍋島由多加が何か動揺したようにカウンターに詰め寄り、二度三度と、交互に俺たちの顔を見据えたきた。依子は不機嫌そうに眉を下げたままで、俺は深いため息を吐いてパイプ椅子に座りなおした。

「なんで鍋島がここに居んだよ」

「図書室で勉強するためです。平野さんがここに居ることは分かってたし、なんとなく気になったから……」

 なら最初から顔出せ。言いかけて、俺は腕組みをして口をつぐんだ。キレたとこ見られたの、結構恥ずかしかったし。

「二人は一体何なんですか?」

「何って?」

 憮然として聞き返すと、鍋島はもどかしそうに首を振った。

「二人は、話すの初めてじゃなかったんですか?」

「全然。俺ら、いとこだし」

「いとこ?」鍋島は唖然としたように聞き返す。

「お互いの親が兄弟関係にあることをいとこっつーんだけど」

「いや、それは知ってるんですけど」

 鍋島が頭を抱え始める。俺は依子と顔を見合わせたが、依子がすぐに嫌そうに目を逸らした。

「どうして教えてくれなかったんですか。多分、クラスの人誰も知らないですよ」

 依子は一切答えようとせずそっぽを向いているため、俺が答えるしかなさそうだった。考えてみたけれど、特に理由がない。

「言う必要もなかったからな。いとこなんて他人みたいなもんだし」

「三親等って、今泉くんにしたらもう他人なんですね」

 鍋島が呆れたような、それとも諦めたような息を吐く。

 依子は勉強を再開して、鍋島はカウンターに腰を預けつつ、じっとそれを眺めた。

 俺は読み終えたばかりバガボンド十五巻を開いて、気に入ったコマを何度も何度も見返す。佐々木小次郎の戦闘描写がやけに生々しくて、俺は吸い込まれるように次々と絵と文字を追っていく。

 そのうち依子が「四親等」と呟いて、俺と鍋島は同じタイミングで首を傾げた。

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