chapter11 携帯電話
原村のメール攻撃は凄まじかった。
一時間どころか二十分に一通というペースで、「今何してるの? 僕は今大河ドラマ見てまーす」と、どうでもいい身辺状況を報告してきたかと思えば、「今晩はチーズグラタンを作ったよ」と謎の黒焦げ料理画像が添付されていたりと、変化球ぶりにも枚挙にいとまがなかった。
公園の公衆トイレと思われる画像付きのメールで、「この壁面の削れ具合よくない?」と送られてきたときは、もう意味が分からなさすぎて腹が立った。俺はそのまま携帯の電源を切り、勉強をした。
翌朝。テスト二日目。
自転車置き場で偶然依子と出会う。
依子は母ちゃんの赤茶色のママチャリに鍵をかけていて、自転車をのろのろこいで到着する俺を認めると、鞄から携帯を出しながら歩み寄ってきた。
「これ、どうやったらメール来たときの音消せるの」
俺のいとこは挨拶を知らない。依子は、真っ白で傷一つない卵みたいな携帯を俺に突き出して、少し困ったような顔をした。
俺は自転車のスタンドを下ろし、学生鞄を肩にかけてから、依子の携帯を受け取った。
なんでマナーモードすら知らないで学校に携帯を持ってくるんだろう。授業中に鳴ったらどうすんだ。
思い返せば、依子の携帯が学校にいる間で鳴っているところを一度も見たことがない。
俺は無言で依子の携帯を操作して、律儀にサイレントモードにまでして返した。依子はそれを受け取って、不満を隠しきれない表情をする。
「昨日からピリピリうるさかった、これ」
十中八九原村のメールのせいだろう。この分だと依子はメールの打ち方も知らないだろうから、原村はかなり寂しい思いをしたんじゃないかな。俺も一通だけしか返信してないし。
それでもずっと送ってきやがったけど。
「今度携帯の使い方教えてやる」
依子は小さく頷いた。
今日のテストの出来は上々だった。原村の個人レッスンと、帰ってからの猛勉強の成果だ。
テストの三時限とHRを終え、俺は意気揚々と屋上へ向かう。
旧校舎側の無駄に長い階段を上がり、鍵の外れた非常扉を開けて屋上へ入る。灰色の剥き出しコンクリートは屋上全体に広がり、ひびが入った所からむら無く苔が生えている。
すぐ前方の足元に段差と、その上に塗装の剥げかけた貯水タンクがあり、原村はいつもこの段差に腰掛けて絵を描いているのだけど、昨日と同じく彼は居なかった。やっぱり先に図書室へ行ったらしい。
と思ったら、上から声がかかってきた。
「どうしてメールを返さない!」
見上げると、何故か原村が貯水タンクに上っていて、彼は仁王立ちで俺を見下ろしていた。原村は怒っていた。
「返したじゃん」
「一通だけな! しかも内容が『死ね』って」
原村が黄色い声で叫ぶ。俺は煙草に火を点けながら鉄柵の方へと歩み寄り、柵を背に寄りかかって再度原村を見上げた。鉄柵は俺の胸ほどの高さしかないから、ちょうど両肘をかけられる。太陽は真上にあって、雲もほとんどなかったから、それだけで紫外線にやられて目が痛かった。
「今泉からの返信が来ない度に胸のうちが荒んだ。寂し過ぎて三回泣いた」
「お前は俺の彼女か」
「そうか、僕が今泉の彼女になればいいのか」
あまり洒落にならない冗談だったので、俺は何も言わなかった。昨日勉強を教えてもらったお礼を言う雰囲気でもないから、原村のシイタケみたいな髪型をただぼうっと眺める。
「平野は十二回も返信をくれた」
「うそだろ」
あいつはまともに携帯を使えないはずだ。
「うそなんか吐くもんか」
原村はポケットから携帯を探り出す。それから手に持った携帯をふらふらと左右に揺らした。投げるからちゃんと受け取れ、という意味のようだ。俺は手に持った煙草を口にくわえなおし、両手を顔の前で広げた。
原村は右手に唾をつけ、その手で携帯をぐっと握る。きたねえ。俺は受け取るのを辞退しくなった。
原村は大きく振りかぶり、投げた。放られた携帯は、何故か剛速球。
躊躇する暇も与えられず、俺はなんとか体で受け止めるようにキャッチをした。
「今泉なら取れると思ってた」
「取れなかったらどうするつもりだったんだよ」
俺の後方は校庭がはるか下だし、屋上のコンクリートに当たったって完全破壊は免れない。中々デンジャラスなことをする野郎だ。
俺はいやに高鳴った心臓に不快感を覚えながらも、改めて原村の携帯に目を落とした。iPhoneだった。俺にはいまだに使い方が分からない。
原村に説明してもらいながら操作したけど、メール送受信欄を開くのに五分くらいかかってしまった。
画面上で、原村と依子のメールのやりとりが吹き出し形式でまとめて表示された。便利なもんだなぁと感心する。
確かに依子は原村のメールを返していたようだった。五、六通に一度くらいの割合で依子の返信内容が表示されている。依子の返信内容だけ追って見る。
「たいがどらまみた」「こげている」「おふろあがった」「けずれてる」「ねます」「うるさいです」「もうやめて」
なんだかシュールだった。これを見ると、依子は漢字変換の仕方を知らないのだろう。慣れてないから長文も打てない。
「平野の文、メールのやり方分からないけど一生懸命打ちましたって感じでかわいいよね。これ、もしかして狙ってやってる?」
「間違いなく素だと思う」
メール出来るの、実は嬉しかったんだろうな。朝の自転車置き場であんな風だったのは、原村の着信がしつこ過ぎたせいだろう。それがなければ珍しく上機嫌なレア依子を見物できただろうに。
今度、なんて曖昧に言ったけれど、このあと図書室に行ったら早速携帯の使い方を教えてあげよう。
「あ、ブックマークは見ないでね」
そう原村に言われて、俺は慣れない手つきでブックマークを開いた。一番上のおっぱいなんとかの項目を読み上げようとしたら、原村は耳を塞いで奇声を上げた。うるさかったので、もう返してあげることにした。
さっき剛速球を食らったから、こちらもそれなりの返球をしてあげるべきだろう。そう思い、原村と同じように深く振りかぶったら、太陽光が目を刺激して手元が狂った。
俺の投げたiPhoneは綺麗な弧を描き、原村の頭上高くを通過した。おぉ、飛んだ飛んだ、などと現実逃避をしていたが、一向にiPhoneの落下音は聞こえてこなくて、なるほど、屋上の下に落ちていったんだなと俺は把握した。
原村は後ろに首を回し、それから俺を見て、あり得ない、という表情をした。
「君とはもう絶交だ」
俺と原村の友情ははかなく散った。
図書室の受付内へ移動しても、原村は一切口を利いてくれなかった。その代わり、水浸しとなったiPhoneをこれみよがしに何度も見せつけてきた。プールに落ちたので、危ういながらも原型を留めていたが、完全復活は厳しいだろう。
謝っても謝っても原村は拗ねるばかりだった。バイトして弁償する、と言ってみたが、原村は歯を剥き出しにしてうなるだけだった。口は利かないが威嚇はするらしい。
原村のことは一旦諦めて、俺は依子に携帯の使い方を教えた。俺の説明を真面目に聞いていた依子だったけど、何度同じことを教えても覚えてくれなかった。勉強は出来るくせに、肝心な所で都合の悪い脳みそだ。
なにもかもが嫌になって俺は勉強に逃げた。原村との仲直りも、依子に携帯の使い方を教えるのも、テストが終わってからゆっくりやろう。
このとき、俺はこのまま平和に夏休みを迎える自信があった。この図書室の、もはや固定メンバーとなった二人の顔を眺めながら、なんとなくそう思ってしまったのだ。
翌日のテスト最終日、教室での出来事。
依子の棚入れから早川の上履きが見つかった。