そして旅立ち
モニカに連れられて、森を歩くことしばらく……俺たちは、木やレンガ造りの家がニ十戸ほどしかない小さな村、カルロック村に着くことができた。
≪Another World Online≫には存在していなかったカルロックという名の農村……そこで俺たちを待っていたのは、怪訝そうな目をした村人たちだった。
まぁ、いかにもよそ者は滅多に訪れなさそうな村に、胸当てやショートローブで身を固めた冒険者風の若者が三人も来たら不審に思うのも仕方がないと思う。
あの時はモニカがいてよかった。彼女が駆け付けた自警団の面々との仲立ちをしてくれなければ、絶対トラブルが起きていただろう。
その上、助けてくれたお礼だからって、晩飯までご馳走になって……更には、村長にかけ合って寝る場所の用意までしてくれた。まったく、モニカ様々だったよ。
んで、飯も食って、風呂代わりのサウナ(サウナバスタなんて初めて使った)にも入って、村長宅の行商人用の寝室でまったりしていた。
異世界に来たらしいということ、これからどうするのか、ということ……話したいことはいっぱいあったけど、風呂上がりに至るまでなかなか時間が取れずにいたんだ。
でも、そろそろじゃないかとは思っていた。
こういう話し合いになりそうな流れの時、いつも口火を切るのは優介だった。優介が「あのさぁ……」と切り出せば、俺たちはそこから話し合いを始める。それが俺たち、「フリーライフ」の常だった。
「あのさぁ……」
だから、ベッドに寝転がっていた優介が体を起こし、真面目な顔をして口を開いた時は、いよいよ異世界転移という異常事態について話し合うのだと思った。れんちゃんもそれが分かっていたのか、キリッと真面目な顔になる。
それで、俺たちが聞く体勢になったと判断したのか、優介はベッドの縁に座り直し、太ももの上に肘を付け、組んだ手で口元を隠しながらぼそりと呟いた。
「れんちゃんさぁ……モニカとやったの?」
「「ブフォ!?」」
あれには参った。予期せぬ言葉に、俺もれんちゃんも飲んでた水を思いっきり噴き出してしまった。けんけんと気管に入り込んだ水にむせながら、俺は突っ込んだね。
「気になるのはそこかよ!」
って。
「だってよおおお! れんちゃん、貴大がサウナ入ってる時にモニカと一緒にどっか行ってたんだぜ!? 気になるじゃんよ~!」
「ま~たどうでもいいことを……いいじゃん、れんちゃんがちょっと可愛い女の子としっぽりしようと……」
「ちょっと、貴大までそんなこと! やってないって! 誘われたから、ちょっとお話してきただけだって」
「はいはい、ピロートーク乙」
「だから違うって~!」
それから、「いーよなぁー! 俺も童貞捨ててえよ!」、「俺もまだ童貞だって!」と騒ぐ二人を落ち付かせるのにしばらく時間がかかった。
「は~い、じゃあ、これからのことについて話し合いするぞ~。いいな、お前ら~」
「りょ~かい」
「あいよ~」
任せているといつまで経ってもはしゃいでいそうな二人に代わり、珍しく司会役を務めることになった俺。現状整理のために、「フリーライフ」の備品であるホワイトボードを共有アイテム欄から引っ張り出して、黒ペンで大きく「これからどうするか?」と書き込んだ。
正直、どうして異世界に来てしまったかなんてどうでもよかった。あの時、俺が決めたかったのは、ホワイトボードに書き込んだとおり、今後どうするか、だ。
「ゲームそっくりな世界で、レベルカンスト、装備充実だなんてどう考えても勝ち組だろ! もう、定住しようぜ、定住! ドラゴンぶっ殺してお姫様と「ゆうべは おたのしみでしたね」しようぜ!」
優介は、テンションを上げてそう言う。
カルロック村の人に探りを入れたところ、カンストレベルだなんて勇者でもない限りあり得ないことが分かった。
高レベルになればなるほどレベル上げにも命の危険が伴うからな……死んだら若干のペナルティで済むゲームとは違うんだ。そりゃあ、カンストレベルの者は少ないわな。
だから、優介が言うように、レベルと装備を活かして充実した日々を送るというのも、一つの手ではあった。
「え~、俺は元の世界に帰りたいな……父さんと母さん、姉ちゃんたち、妹たちが心配するだろうから。異世界ってのに興味がないわけじゃないけど、家族にもう会えないなんて、俺は嫌だな」
れんちゃんは、しんみりとした様子でそう言う。
確かに、この世界で定住するとなると、それは元の世界を放棄することに繋がる。家族や友人、平穏な生活、俺たちが生きてきた世界……これまでの全てを捨てて、どことも知れない世界で生きるのは、確かに抵抗がある。
どちらの言い分も分かる。どちらを選んでも、それはそれで正解なんだろう。異世界で圧倒的な力を持って生きるか、元の世界で平穏な生活を送るか……二人が提示したのは、その二択だ。
でも、俺は……。
「え~!? 元の世界とか、クソゲーだろ! どうせ、このまま学校を卒業して、ストレスと金を貯めるためにどっかの会社に勤めるんだぜ? つまらんって、そんなん!」
「でも、やっぱり家族と離れ離れになるのは嫌だ」
司会役の俺が口を挟む暇もなく、二人はああしよう、こうしようと意見をぶつけ合う。これは長続きするかな……そう思われたその時、れんちゃんが決定的な一言を放った。
「でも、優介……こっちに定住すると、セシルにもう会えなくなるよ?」
「ううっ!?」
その言に、「こっちで生きよう! 絶対それがいい!」と主張し続けていた優介が、初めて言葉を詰まらせて黙り込んでしまった。まぁ、セシルの名が出たらそうもなろうというものだ。
セシル。優介ん家で飼われている茶色いトイプードル。やたら人懐っこい犬で、誰彼構わずしっぽを振りたくって、ちょっと撫でればお腹を見せちゃうような番犬には絶対向かないわんこだ。
優介ん家に遊びに行くと、必ずこいつが「撫でて! 撫でて!」とばかりにきゃんきゃん吠えながら擦り寄ってくるんだ。
このわんこを、優介はとても可愛がっている。家にいる時はいつも膝の上に乗せているし、休日に仮想現実で遊んでいると、「そろそろ散歩の時間だ」とあっさりログアウトする。目に入れても痛くないと言わんばかりの溺愛っぷりは、なんだかとても微笑ましい。
だから、優介ならどんなメリットがあろうと、セシルがいない世界なんて選ぶはずがない。事実、先ほどまで欲望全開! という感じだった優介が、あっさりと掌を返していた。
「そう、だな……あいつがいないと、寂しいもんな……あ~、やべえ、セシルに会いてえ……」
そう言って、しんみりとした様子でベッドに仰向けに倒れ込む優介。きっと、セシルのことを忘れて「勝ち組! 勝ち組!」と言っていた自分が嫌になったのだろう。こういうところが、時には調子に乗り過ぎな優介の憎めないところだ。
「あ~……」と言いながらベッドに転がる優介に目をやり、ふっと微笑む俺とれんちゃん。どうやら、方針は決まったようだった。
「みなさん、もう行っちゃうんですか? もう少しゆっくりしていかれても……」
「俺たちは旅の途中だからね。あんまり長居もしていられないんだ。ごめんね、モニカちゃん」
「レンジさん……」
元の世界へと戻る方法を探そう。そう決めた俺たちは、翌朝、早速旅立とうとしていた。カルロック村は、街道からも離れたところに位置する小さな村だ。
ここにいてもこの世界のことは分からないと結論付けた俺たちは、情報収集のためにもっと大きな街に行くことにしたんだ。
荷物らしい荷物はリュックサックぐらいしかないので、準備はささっとできたし、村長とのMAPデータリンクで近くの街への地図も入手することができた。さて、後はお世話になった人たちに挨拶して回ろうとしたところで……モニカに捕まった。
俺たち……ではなく、れんちゃんとの別れを惜しんで涙目になるモニカ。れんちゃんは、そんな彼女を諭して、ぎゅっと掴まれた服の裾を離すように頼み込む。俺は「けーっ! 異世界にきてもリア充乙!」と荒む優介に、ちょっと黙っているように頼み込む。
説得が成功したのか、渋々といった感じで手を離すモニカ。しかし、「村を出るまでは……」と、挨拶回りをする俺たちの後ろをついて回っていた。
でも、カルロック村は小さな村だ。お世話になった人の数も、たかが知れている。あっという間に別れの挨拶も済み、村の中心部からも離れ、いよいよ旅立とうとしていた。
「行っちゃうん……ですね」
「ああ、そろそろ行くよ」
村を見下ろすことができる小高い丘の上で、れんちゃんとモニカが向き合っていた。どうやられんちゃんに一目惚れしたらしい彼女は、着ているワンピースの裾をギュッと握り、俯いたままでぼそぼそと話す。
「レンジさんは冒険者ですよね? ……もう、会えないんですか?」
遂には、ぽたり、ぽたりと涙の粒が地面に落ち始める。出会ってまだ二日だけど、モニカは心底れんちゃんに参ってしまっているようだった。
純朴で都会も知らないような女の子には、れんちゃんは毒にもなり得るか……と、幼馴染のチートっぷりを再確認した一瞬でした、はい。
「また会えるよ、きっと」
れんちゃんは、爽やかな笑顔で安請け合いをする。奴の恐ろしいところは、それを安請け合いで終わらせないところ……この一言で、またこの村に来るであろうことは容易に想像ができた。
でも、そんなれんちゃんだからこそ、短い言葉にも説得力を持たせることができるのか、モニカはぼろぼろと涙を流しながらも、数度、大きく首を縦に振った。
「はい……! はい……! また会いましょう……きっと、また会いましょう……!」
「うん、約束だ」
「はい……!」
こうして、手を握り合った二人はその場で別れ、れんちゃんだけが少し離れたところで待っている俺たちのところへと歩いてきた。
「また来てくださいね~!」
その頃には涙をふいて笑顔を浮かべられるようになったモニカが、丘の頂上から手を振ってくれていた。
「ああ、またね~!」
「じゃ~ね~!」
「それじゃ~!」
それに俺たちは手を振り返し、見える限りいつまでも手を振っていたモニカと、カルロック村へ別れを告げて街道に向けて歩いていった。
それからしばらく歩いた後……モニカが見えなくなった辺りで、黙りこくっていた優介がぼそりと口を開いた。
「なに、モニカのあの態度。やっぱり昨日、ヤったんじゃねえの?」
「やってないって……そもそも、モニカちゃんは十一歳だぞ?」
「「マジで!?」」
「うん、マジマジ」
絶対中学生ぐらいの歳だと思っていたモニカが、実は小学生並みに年下の子だと分かって「異世界の神秘だ……!」と怖れ慄く俺と優介。
れんちゃんは、そんな俺たちを見て「どこの世界にも大人っぽい子ぐらいいるでしょ」と笑う。
こうして俺たちは、じゃれあいながらカルロック村を旅立っていった。
元の世界への帰還方法を探すため、まずは最寄りの大きな街、バルトロア帝国の首都・ゲシュリンへと……。
それが、約ニ年にも渡る俺たちの旅の始まり。
そして、別れへの第一歩だった。