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わんこと男勝り

●ケース3・わんこの場合


「じゃあ、行ってくるわ」


「……いってらっしゃいませ」


 ぽんとユミエルの頭に手を乗せた後、俺は自宅の玄関の扉を開いた。うん、今日もいい天気だ。生きているって素晴らしいなあ……。


 昨日と一昨日は、精神的に参るような出来事が多かったからなぁ。おかげ様で、平穏無事ってのはそれだけで価値あるものだと再認識できた。


 今日の仕事は孤児院での奉仕活動、ぶっちゃけ子守りだ。なんだかんだでドタバタするから平穏ってわけじゃあないんだけど、それでもここ数日の騒動よりかはマシだ。


 いや、もう、カオルとフランソワはどうしちゃったのやら……。


 幸いなことに、おかしくなっているのはあの二人だけのようだ。早いところ、原因を探らんとな……でも、まぁ、今日のところはガキどもと遊んでグースカ眠って、癒されるとしますか。


「お疲れ様で~す」


「うむ」


 しばらく歩いた後、中級区と下級区を隔てる壁の通行門に常駐している警備兵のおっさんに挨拶をする。相変わらず「うむ」しか言わない人だな……まあ、これも個性かな。


 その人に軽く頭を下げて、そのまま門をくぐったところで……。


「……ん?」


 通りの向こうから、何かが迫ってくるのに気がついた。


 …………ドドドドドドドドド。


 土煙を巻き上げ、こちらに一直線に向かってきている。なんだありゃ?


「……ロ~」


 ……ドドドドドドドドドドド。


 どうやら暴れ馬の類ではなく、人のようだ……って、ありゃあ……。


「……ヒロ~!」


 ドドドドドドドドドドドドド。


 もう、すぐそこまで迫った爆走する人物。ここまできたら俺にも分かる。あれは、俺の知り合いの……。


「タカヒロッ!!」


「ふがっ……うく……ぷはっ、なんだ、クルミアか。って、おい、やめ、うぷっ」


 全速力のまま、俺にタックルするように抱きついてくるクルミア。やたら背が高いこの娘は、俺の顔をたわわな胸の谷間に埋没させるように強く抱きしめてくる。窒息してはたまらないと顔を抜けば、今度は俺の顔を舐め回してくる。


「わんわんっ!」


 遅れて、クルミアの相棒のわんこ、ゴルディの到着だ。尻尾をぶんぶんと振りたくり、びょんびょんと俺の顔目掛けてジャンプしてくる。きっとこいつも、俺の顔を舐めたいんだろう。なんでわんこって、こんなに顔を舐めたがるんだ……。


「ちょ、待て、うぶっ、待て!」


 過剰なスキンシップはいつものことだが、ここじゃまずい! わんこたちにじゃれつかれているだけなのに、人目が多いせいで妙に恥ずかしい。ほら、警備兵さんが見てる。


「すみません、すぐどっか行きますんで……」


「うむ」


「ほら、行くぞお前ら」


「「わんっ!」」


 図体ばかりがでかいわんこどもを引き連れ、孤児院を目指す。その間も、クルミアたちは俺にくっついて離れようとしないため、非常に歩きにくい。


 う~む、このベタベタっぷり……もしかしてこいつらも、おかしくなってるんじゃ……でも、久しぶりに会った時のリアクションとほぼ一緒だし、どうにも判断しかねる。


 まぁ、ガキのすることだ。害はないだろう。


 そう判断した俺は、今度は俺の耳を舐めてこようとするクルミアをいなしながら、てくてくと孤児院まで歩いていった。




「で、何でこうなるんだろうな……」


 ぺろぺろ。


 ぺろぺろぺろ。


 ぺろぺろぺろぺろ……。


 孤児院に着くなり、俺はわんこたちに押し倒された。そして今、日当たりがいい孤児院の前庭にて、ひたすらに顔中舐め回されている。かれこれ十分は続いているのだが、一向に止む気配はない。いい加減、顔がふやけそうだ。


 いや、俺だって何度も止めようと思ったよ? でも、わんこたちがさ……。


「おい、もう止めろって……」


「「きゅ~ん、きゅ~ん……」」


「……あとちょっとだけな」


「「わんっ♪」」


 ほら、こうやって切ない声を上げるもんだから、止めるに止められなくて……。結局、俺はペロリストたちのなすがままだ。でも、いつまでもこうしてはいられない。だってさ……。


「きゃ~!? な、なにしてるの!?」


 ほらぁ、他の子が来たぁ。ここは大家族・ブライトさん家の庭なんだぜ? どこにいても誰かが視界に入るような環境で、人目につかないはずがない。


 仰向けになってわんこに舐め回される姿なんて、他のガキには見せたくなかったんだが……もう手遅れだな。


「フケツっ! フケツっ!」


 しかも、よりによって見られたのが潔癖症の気がある狐っ娘のエステルだ。薄い茶色の狐耳をピンと立てて、汚らしいものを見たとばかりに「不潔」と騒ぎ立てる。


「なになに~?」


「どうしたの?」


(うああああ……!)


 エステルの声に、孤児院の女の子たちが正面玄関からぞろぞろと出てくる。そして、俺の姿を見ては、性犯罪者を見るような目になるんだ……。


「りらモ、りらモ~!」


 唯一、そういったことの知識がない最年少のトケゲっ娘・リラードがてててて~と走り寄ってくる。


 でも、違うぞ、リラード。なんでお前、俺の腕をガジガジ噛みついてくるんだ。俺が捕食されているように見えたのかい?


「止めなさい、リラ! ニンシンしちゃうわよ!」


 そう金切り声をあげて、リラードを抱き上げて俺から引き離すエステル。ニンシン……あぁ、妊娠ね……するわけねーだろ。どんだけ俺に偏見持ってんだよ。


「タカ……何これ……?」


「おお、ニーナか! た、助けてくれ!」


 エステルはリラを抱いたままキッとこちらを睨みつけてくるし、羊っ娘のメイはおろおろするばかり。いつもは元気の良い兎っ娘のミミルも、顔を真っ赤にしてあわあわ言っている。


 駄目だ、使い物にならねえ……と、思っていたところで、頼りになる救助者が到着したようだ。


 ニーナ。孤児院の中では一番のお姉さんで、みんなのまとめ役でもある。こいつの言うことなら、今のクルミアも聞いてくれるだろ。


「タカ、クルミアに何したの?」


「何もしてねえよ! ここに着いた途端に押し倒されたんだ! しかも、離れるに離れてくれねえんだ……何とかしてくれ!」


 なおも舐めてこようとするわんこたちをぐいと押しのけて、ニーナに助けを求める。きゅんきゅんきゅんきゅんわんこたちが切なげな声を上げるが、もう気にしてなどいられない。


 このまま放置してしまったら、また自警団本部の牢屋にぶち込まれてしまう。そうなったらユミエルに何をされるか……それだけは避けたい!


「う~ん、確かに何かおかしいわね。こういう時は……とりあえず、引き離しときましょう。ベアード! お~い、ベアード~!」


「……呼んだ? ニーナ姉さん……わっ」


 ニーナが孤児院の中に声をかけると、しばらくの後にがっしりとした体つきの少年が出てくる。熊の獣人のベアードだ。純朴なベアードは、舐めよう、舐めさせまいとする俺とわんこたちの攻防を見ただけで顔を赤くしてしまう。


「ほらほら、恥ずかしがってんじゃないの。ちょっと、クルミアを連れて奥に引っ込んでて」


「う、うん、分かったよ姉さん。ほら、クルミア。こっちにおいで」


「やだぁ! タカヒロ! タカヒロ~!」


「こ、こら、暴れちゃダメだよ……」


「タカヒロ~!」


 すったもんだの末、孤児院の中へと消えてゆくクルミア。ゴルディやエステルたちもその後を着いていったから、今は俺とニーナしかいない。


「ふぅ~……助かった、ニーナ」


 おかげ様で、何とか人心地ついた。出会い頭の挨拶代わりに顔を舐められるのはもう慣れたが、流石にこれだけ長い間舐め続けられたのは初めてだ。口を開けばその中まで舐められそうで、満足に呼吸もできなかった。


「で、何があったの? あの娘にプロポーズでもしたの?」


「ちげーよ。俺にも、何が何やら……」


 ニーナが苦笑しながら問いかけてくるが、答えなど持っていない。むしろ、俺が聞きたいわ。


「…………タカヒロ~!」


 孤児院の奥から、母親を呼ぶ子どものような哀切極まりない響きの声が聞こえてくる。ううむ、なんだかあの声を聞くと胸が痛む……。


「な、なあ、俺、クルミアの傍にいた方が……」


「ストーップ。原因も解決策もないのに会っても、どうしようもないでしょ」


「そりゃそうだが……でも、なぁ」


「司祭になったお母さんが、興奮し過ぎた人を鎮めるスキルを覚えたから、それで何とかなると思うわ。でも、タカと会うと元通りになっちゃうかも」


「う、うぅ……」


「そんな顔しないの。タカの面倒見のよさは知ってるけれど、今日のところはそれが逆効果になりかねないってことだから。別に、タカに任せられないとか、そういうことじゃないの」


 まぁ、言わんとしていることは分かる。今のクルミアの様子は、明らかにおかしい。前から俺に好き好きオーラを放っていたが、今日のそれは度が過ぎているように思う。そんなクルミアに俺が会ったら、また変になるだろう。


「分かった。お前らに任せる。今日のところは帰るわ」


「うん、そうしなよ。お母さんには私からちゃんと伝えとくから。じゃあね」


 そう言って、ニーナも孤児院の中に引っ込んでいった。前庭に残されたのは、よだれで顔がべとべとになった俺だけ。


 ……うん、帰ろう。


 俺は踵を返すと、ハンカチで顔を拭き拭き、孤児院を後にした。




「うう……酷い目にあった」


 わんこたちの縛めから解放され、よたよたと帰り道を歩く俺。あ~、まだ顔がふやけてる感じがする……まったく、何だってんだ。


 やはり、ここ数日は何か変だ。一部の女性からのアプローチが露骨というか……う~む、でも、身に覚えがない。変なアイテムを使ったり装備してもないしな……何が原因なんだ?


「ううむ……うん?」


 ふと、前方から見知った顔の奴が歩いてくるのが見える。黒猫少女、ニャディアだ。シスターに切ってもらって短くなった髪を揺らしながら、こちらに目を向けることもなくてくてくと歩いている。


「お~……いやいや」


 どんな基準で誰がおかしくなるのかが分かっていない現状で、チビとはいえ女に声をかけるのは危険だ。ここはあえてスルー……まぁ、あのニャディアなら大丈夫だとは思うが……。


 その証拠に、すぐ傍まで近づいた今となってもこちらに目もくれない。にゃんこはただ前だけを見て、坦々と歩いている。


 ……かまわれ過ぎるのもイヤだけど、こうも無視されちゃうと傷つくな……まぁ、これがニャディアってやつだ。いつも通り、何考えているのか分からん涼しげな顔で、ニャディアは俺の横を通り過ぎようと……。


「むっ?」


 しゅるり。


 すれ違いざまに、ニャディアが体と尻尾をこすりつけてきた。


「な、なんだぁ?」


 振り返ると、先ほどと変わらぬ様子で遠ざかってゆくにゃんこの姿が……え? 今の何?


「え? ……え?」


 体を探ってみるも、何かされたという痕跡はない。背中に「バーカ」と書かれた紙を貼り付けられてもいない。じゃあ、何のために接触してきたの……?


「……あ~、やっぱり何か変だ~!」


 ここ数日の異変と関係があるのだろうか? すごいもやもやする。


 改めて自分のステータスを確かめたり、上位の状態異常をも回復させる薬を飲んだりしたが、これで治ったのかどうかすら分からない。どうにも、不安が増してゆく。


 カオルとフランソワ、わんこがずっとこのままだったらどうしよう……。


 そんな未来を苦々しく思いながら、俺は心労のせいなのかふらふらと覚束ない足取りで家に帰った。




●ケース4・アルティの場合


「今日は家から出ません!」


「……はい」


 今日は平日。だが、ここのところ外に出たらろくな目にあっていない。その上、異変の原因も解明できていない。こうなったら、極力人との接触を避けるべきだろう。誰が、どうして変になるのか分からない以上、そうする他ない。


 今はただ、この異常事態の解消に努めるべきだ。


 と、昨晩ユミエルさんと話し合った結果、今日のお仕事は二人とも内職となりました。


「……しかし、ご主人さま、心配が過ぎるのでは?」


 事務所の大机で、ちまちまと針金細工に勤しむユミィが問いかけてくる。


「いや、お前はあれを見てねえからそういうことが言えるんだよ。なんか、みんな発情期かってぐらい積極的だった。怖かったんだぞ……」


 俺は俺で、乾燥した薬草やハーブをごりごりとすり潰しては粉末に変えている。これらを調合して小袋に詰めれば、虫よけのポプリになるんだ。


 仕事に統一性がないのは、そりゃあ家が何でも屋だからだよ。次は枕に入れる「スライム・コア」の加工が待っている。手は止めずに、ユミィの疑問に答えた。


「……先生が、男は一生に三度モテ期がある、とおっしゃっていましたが、それなのでは?」


「そりゃあ俗説だな。根も葉もない嘘だ」


「……そんな。先生が嘘を……?」


 あ、手が止まってる。無表情なので分かりづらいが、どうやらショックを受けているようだ。その気持ちを代弁するかのように、手に持つ針金がへにょりと曲がっている。


 てか、前から思ってたけど、先生って誰だ……考えるまでもないか。こんなこと教えそうなのはあの淫魔しかおらんわ。まったく、あの人は常識が足りていないユミィにこんなことばっかり教えて……そろそろおしおきが必要だな。


 ……いや、止めておこう。イヴェッタさんほどの上級者なら、逆に喜びそうだ。これだから淫魔って始末におえんな……。


「あんまり人の言うこと、素直に飲み込み過ぎるなよ」


「……はい」


 そこまで言った後はどちらも口を開くことなく、再び、ちまちま、ごりごりと作業は続く。


 俺もユミエルも饒舌な方じゃないからな。二人きりの時はそんなに会話はないんだでも、こんな静かな時間も嫌いじゃない。こいつ相手なら気を遣わんで済むしな。


 疲れた時なんか、この空気がありがたい。まったりできると言うか、心が落ち着くというか……。


「……ご主人さま、手が止まっていますよ」


 ぼーっとしていたら、いつの間にか手が止まっていたみたいだ。ユミエルの、鞭のようにピシッとした声でハッと我に返る。いかんな……ここ数日の騒動の疲れが、思ったよりも溜まっていたようだ。気を取り直し、作業に戻る。


 ごりごりごり……パチン。


 ごりごりごり……パチン。


 それからしばらく、俺たちは無言で作業に集中した。そのため、思いのほか早く進み、もうポプリ作りは終わりそうだ。ユミエルの手元を見ると、九体もの針金人形が並んでいる。あちらも、ノルマの十体までもう少しだ。


 時刻は、昼に差し掛かろうというところ。よしよし、いいペースだ。この調子なら、配達も含めて、三時には今日の仕事は全部済むな。異変の究明に取り組む時間も十分残る。解決できるまでは、こんな感じの日々を送ろうか。


 カラ~ン。


 と、思っていたところで、ドアベルが鳴る。事務所ではなく、家の方にお客さんのようだ。


「……私が出ます」


 ことんと、金切りバサミを机の上に置いたユミエル。


「あ~、いいっていいって。俺が出るって」


「……ですが」


「俺の方が近いしな。んじゃ、出てくる」


 そう言って、ささっと立ち上がる俺。トイレに行きたかったから、ちょうど良かったんだ。誰が来たかは知らんけど、まぁ、そんなに長い用事じゃないだろう。さっさと済ませて、トイレに行こっと。


 カラン、カラ~ン。


「はいはい、今出ますよっと」


 いるよね、チャイムを何度も鳴らす人って。だが、知り合いにそんな人はいなかったはず。だったらますます安心だ。出ようとしたはいいけど、カオルとかだったらどうしようという考えが浮かんだところだった。


 それが否定され、何の憂いもなくなった俺は躊躇うことなく玄関のドアを開けた。


「誰ですか~? ……って、んん?」


「よ、よお」


 おや、珍しい。冒険者のアルティさんが玄関から訪ねてきた。爆発した迷宮での一件以来、俺をつけ回すのを止めていたから、こうして顔を合わせるのは久しぶりだ。


「なんだ、お前か。どうした、何か用か?」


「あ、あぁ……その……こ、これ!」


 顔を強張らせたアルティが、ずいとバスケットを突き出してくる。お前はカンタか。


「これって……何これ?」


「お、お礼だ」


「お礼? 別にかまわんのに」


 迷宮で助けたことに対するお礼は、俺のレベルをばらさないこととしてある。セリエもそうだが、アルティがどうしてもお礼をするって言ってきかなかったから、そういうことにしておいたんだ。


 二人とも口は固い方だとは思うが、まぁ、これで気が済むならばと適当に考えて決めたんだけど……それで納得できなかったのか。


 別にもう気にしてないのに。でも、律義な二人のことだ。話す気も無い秘密を守ることがお礼だって言われても、釈然としなかったのだろう。


「そういうわけにはいかねえよ! 恩には恩で返すのが、冒険者ってもんだ。おめえも元とはいえ冒険者なら分かるだろ? 何も言わずに、受け取ってくれ!」


「そういうことなら……ありがとうな」


「おっ……おう!」


 アルティの手から、ずっしりと重いバスケットを受け取る。何だこれ? 何が入ってんだ?


「おお~……こりゃまた豪快なサンドイッチだな」


 両手で抱えるほどの大きさのバスケットを覆う布をペラリとめくってみると、中にはベーグルみたいなパンで挟まれた肉と野菜のタワーが。一つでもお腹いっぱいになりそうなのに、それが四つだ。なるほど、重たいはずだ。


「だろう? 「スカーレット」の名物、冒険者サンドだ。一つ食べただけで力がもりもり湧いてくるんだぜ」


 最初のぎこちなさはどこへやら、誇らしげに胸を張るアルティ。そうか、これが噂の冒険者サンドか。「スカーレット」に入らなきゃ食べられないって代物だから、気にはなってたんだ。


 なんでも、味も腹持ちもさることながら、キリングの奥さん(美人)の手作りだから、これを目当てにレベルを上げて「スカーレット」に入る奴も多いんだとか……。


 そんな特別なものをこうして持ってきてくれたのは、それだけ恩義を感じているためだろう。


「ありがとうな。お前のお母さんにも礼を言っといてくれ」


「え? なんで母さんに礼を言うんだ?」


「え? この冒険者サンドって、お前の母さんが作ったんだろ? だったら、お礼を言うのは当たり前だろ」


「……! あ、ああ、そういうことな! 分かった。母さんにはちゃんと伝えとく」


 ふ~、焦ったぜ。てっきり、「それ作ったの親父だよ?」って言われるのかと思った。


 調理しなきゃ食えたもんじゃない低級のモンスター素材を生で齧るようなキリングが料理だなんて、悪い冗談だろ。んなもん食ったら、腹壊すわ。


「じゃ、じゃあ、そういうことだから。オレ、帰るわ」


 本当にお礼を渡しに来ただけなのか。てっきり、「さぁ、レベル250の秘密を教えてもらうぞ!」って展開になるんじゃないかと冷や冷やしたが……ストーカーのアルティさんも、大人になったんだなぁ。


「まぁ、待てよ。昼前だし、お前も飯はまだだろ? 一緒に食おうぜ」


「はっ? な、なんで?」


「たまにはそういうのもいいだろ。さっ、入れよ」


「い、いや、だからなんで……?」


 玄関のドアを開き、アルティを招く。だが、いつもは「遠慮? なにそれ」みたいにがさつなくせして、どうにもノリが悪い。


「俺とユミエルじゃあ、こんなに食いきれんわ。作ったからには責任を持って、一緒に食え」


「あ、あ~……だ、だって、レベル250だから、たくさん食べるだろって思って……」


「カンストレベルでも胃袋は常人と変わりません~。はい、冒険者さま、お一人様ご案内~」


「ま、待てって! あっ、それに、作ったのは母さんだ! 母さんだからな!」


「ああ、そうだったな。でも、同じことだろ」


「ち~が~う~……」


 そのまま、アルティをぐいぐいと玄関の中へと押し込める。


 ちょっと強引過ぎたかな? でも、冒険者サンドが多過ぎるってのも本当だけどさ。異常者だらけのここ数日の中、こうして変わらない奴と話せるのがうれしかったんだ。




「では、いただきま~す」


「……いただきます」


「い、いただきます」


 両手を合わせて、いただきますを言う。見慣れぬ動作だろうに、アルティもつられて同じことをしてくれる。うん、やはり飯を食う前はこうでないと。腐っても日本人だからな、俺は。


 さて、いよいよ噂の冒険者サンドとのご対面だ。居間のテーブルの中央にドンと置かれたバスケットから皿へと、アホみたいに具を挟んだサンドイッチを取り出す。


「おお……改めて見ると、迫力あるな」


「……ですね」


 角度を変えれば、正面に座るユミエルの顔が見えなくなるほど大きい。


 そんなサンドには、ベーコンやらチーズやらトマトやら玉ねぎやらがはみ出るほどに挟みこまれている。上から、サーベルを模した鉄串を刺してなければ、バラバラに崩壊しているだろう。それほどに、アンバランスな見た目とボリュームだ。


「ははは……どうやって食うんだよ、これ」


 とりあえず、ぎゅっと圧縮して食べやすくしようとして……駄目だ、ソースが飛び出てくる。ならば、このまま……お口に入りません。どうすりゃいいんだよ。笑うしかねえな、こりゃ。


「う~む……ええい、考えるより動けだ!」


 とりあえず、食えるところから食おう。不格好だけど、口に入るサイズまで押さえこんで、無理矢理口に入れる! ソースがぼとぼとと落ちてしまうが、気にしてはいられない。なるようになれだ!


「はぐっ……うんうん……」


 何とか頬張ることができた。うん、ちゃんとパンも肉も野菜も一緒に食うことができた。どれか一つでも抜いて後から食べるだなんて、まとめて挟んだ意味がないもんな。こうして食べてこそ、真価が発揮できるあああああアアアアアア!!!?!?


「ごふっ! ぐふ!! んんん~~~!?」


 甘辛酸っぱい! いや、苦い!? 形容しがたい味が、口の中で火花を散らす。


「……どうぞ」


「んん!! ごっごっごっ……ぷはっ! あ゛あ゛~~~!!」


 目がチカチカする。今まで色んなもんを食ったと思っていたけれど、世の中はまだまだ広いようだ。まさか、身近にこんな食いもんがあるなんて……。


「お前の母さん、すげえな……食べるもんを殺しにかかってるわ、これ……」


 苦境をこよなく愛す「スカーレット」の連中らしい食べ物といえばそこまでだが……いやいや、それにしても限度があるだろ。これ目当てで「スカーレット」に入る奴はどんだけマゾいんだよ。


「す、すまん……」


「あぁ? なんでお前が謝るんだ? 作ったのはお母さんだろ?」


「い、いや、その……すまん」


 何で謝るんだか……これが噂の冒険者サンドなら、アルティはうまいと思っているはずだ。以前、「家の冒険者サンドほどうまいもんはない」って話しているのを聞いたことがある。


 あの時の様子から察するに、アルティは本当にこれをうまいと思っているんだ。見れば、ユミィも黙々と冒険者サンドを食べているし……きっと、この世界の人間にとってはうまいものなんだろう。


 生態なんかは大して変わらんと思っていたけれど、このような形で異世界を実感するだなんて……俺とこいつらには、越えられない味覚の壁があるんだな、きっと。


「うっ、くっ……」


 ほら、アルティだって、涙を浮かべながらもりもり食ってるじゃないか。あいつにとってしてみればこの上ない味だそうだから、感涙ぐらい浮かべるだろう。その中で、俺だけがまずいと思ってしまうのは何だか申し訳ない。


「うう……はぐっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 意を決して、せめて完食はしようと冒険者サンドにかぶりつくも、噛みしめるごとに異なる風味が飛び出してくるレインボーなお味に、もう白旗寸前です。


 でも、せっかくお礼にと持ってきてくれたんだ! 残したら悪い……頑張れ、俺! 頑張れ、俺の胃腸! 舌は機能を停止しろ!


 こうして、予期せぬ戦いは幕を開ける。


 結果? へへっ……勝てたよ……何とかな……がはっ。




「じゃあ、そろそろ帰るわ」


「お? そうか、悪いな、大したもてなしもできんで」


 (俺にとっては)恐怖の昼食会から数時間後……俺やユミエルの仕事をぼんやり眺めていたアルティが、五時を告げる鐘の音と共に椅子から立ち上がった。


 昼食の後、何故か三人ともぐったりしてしまったからな……お茶を出すこともできなかったんだ。


 まぁ、アルティもユミエルも小柄だからなあ。サンドイッチと言えども、あのサイズとボリュームはきつかったんだろうさ。


 んで、このままだと納期に間に合わないと、力が抜けた体に鞭打って作業を再開したわけだが……思いのほか手間取って、いつの間にかこんな時間になってしまっていた。


「今日はすまんかったな。わざわざお礼なんか持ってきてくれて」


「いや、こっちこそすまんかった……」


 何だか申し訳なさそうな顔をするアルティ。まだ迷宮でのことを気にしているのだろうか? もういいのに。


「気にすんなって……そういやあ、何で今日なんだ?」


「は?」


「いや、だから、お礼を持ってきたのが何で今日なんだろうって思ってな。あれから一ヶ月ぐらい経っただろう? 俺はもう恩とか礼とか忘れかけてたのに……」


 ふと、頭に浮かんだ疑問をそのままぶつけてみる。うん、そうだよ。一ヶ月ってタイムラグは、何の理由によるものなのだろうか。はて……。


「ああ、そういうことか……いや、ほら、アレだよ」


 アレって言われても。以心伝心の仲じゃないんだから、それだけでは分かりません。


「そのだな……セ、セリエがさ……」


「え? セリエがどうしたって?」


 そういえば、例の迷宮から脱出した後、アルティとセリエは友達になったそうな。生まれも育ちも、性格すらも全く異なる二人だが、案外仲良くしているとセリエから聞いたことがある。


 でも、そのセリエがどうしたっていうのだろう……ん? セリエ? もしかして、アレかな?


「だからセリエが、お前にお礼を渡したって言うから、オレもしなくちゃいけないって思ったんだよ。それだけだ!」


「あぁ、そういうことな」


 助けられた片方がお礼をして、もう片方は何もしないとなれば、義理と人情がモットーの「スカーレット」所属の冒険者として格好がつかないだろう。なんでいきなり……と思ったが、そういう訳なら納得だ。


「分かったな? じゃあ、オレはもう帰る!」


 くるりと俺に背を向け、音を立てて走り去っていくアルティ。相変わらず元気な奴だ。


「飯、ありがとな~!」


 その背中に声をかけ、俺は家の中へと戻っていった。






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