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フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 作者:気がつけば毛玉

惚れ薬編

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淫魔とエルフと……

●ケース5・イヴェッタの場合

 カオル、フランソワ、クルミア、アルティ……奴らは、変わってしまった。

 カオルはいつにも増して世話焼きになったし、フランソワはやたら自宅に俺を招こうとする。クルミアはヤクが切れた中毒者のように俺の顔を舐めてくるし、まともに思われたアルティでさえストーキングが再発してしまった。

 原因の究明と解決法の模索のために家に籠れば、俺ん家の周りをうろつく始末。カーテンから外を覗けば、高確率でカオルかアルティがうろうろしているのが見える。夜中に窓を開ければ、どこからともなくわんこの遠吠えが……。

 二日前なんて、状態回復を治す薬を片っ端から作ろうと材料調達に出かけたところ、裏口のドアを開いた先にフランソワが立っていた。

 「あら、奇遇ですわね?」って……一mほどの幅しかない俺ん家の裏路地を通り抜けるような用事が、大貴族のお嬢様にあるとは思えないんだが。

 また、屋上で干していた俺のパーカーが盗まれたそうだ。犯人が誰かは分からないが、再犯が怖いので次の日から部屋干しにしておいた。ユミエルが屋上にまで防犯装置を増設していたから、大丈夫だとは思うが……

 そろそろ、本腰を入れなければならない。この調子でエスカレートしていけば、日常生活もままならなくなるだろう。いや、もう手遅れかもしれない。だってさ……。

「タカヒロ~? タカヒロ、いるんでしょ~?」

「先生~? お茶のお誘いに来ましたの~」

「くぅ~ん……わんっ! わんわんっ!」

「冒険者サンド、持ってきたぞ~! 今度は大丈夫だ! ……たぶん」

 ドンドンドンドン!

 カラ~ン! カラカラカラカラ~ン!

 二階の窓を開け、手鏡を突き出してそっと覗けば、少女たちがドアを乱打しているのが見える。ドアベルは絶え間なく鳴らされ、俺を呼ぶ声は止む気配がない。真昼間の住宅街でこのような所業……異常者や……! どっからどう見ても異常者の集団や……!

 正直、怖くてたまりませんです、はい。あの群れの前に姿を晒せば、どうなるか分かったものじゃない。骨しか……いや、骨も残らん気がする。

「……ご主人さま、どうなさいますか?」

 振り返ると、同居人のユミエルが部屋の入口に立っている。こいつだけは、この騒動の中で唯一まともな存在だ。

 あいつらみたいに「タカヒロ~!タカヒロ~!」って襲いかかってきたりしないし、熱病にかかったみたいに顔を真っ赤にしたりしない。氷のように冷たく、能面のようにピクリとも動かない顔が、今はとても頼もしい。

「す、すまん。何とかあいつらを引きつけておいてくれ。俺は薬の材料を探してくる。俺の知識にはない状態異常だから、もしかすると未知の病なのかもしれんが……正直、何をどうすりゃいいのか分からんから、薬屋や治療師に話を聞いて回らんといけなくなるかも……帰りがいつになるかは分からんが、ここは頼んだ!」

「……かしこまりました」

 ペコリと頭を下げるユミエルにもう一度礼を述べ、俺は出かける準備をする。

○「インビジブル・マント」……簡易的な【インビジブル】の効果を持つ、顔まで隠せるフード付きの外套。フードを下ろせば、三十秒間だけ透明になれる。

○「透明人間の包帯」……腕に巻くバンドで、【インビジブル】の効果を1,5倍にする効果を持つ。

○「無音の靴」……足音を消す【スニーク】の効果が永続的に発揮される靴。

○「ステルス・ポプリ」……嗅覚での探知を誤魔化す効果を持つ匂い袋。

○「ジャミング・スーツ」……上下一式の飾り気がない黒い服で、【マーキング】や【レーダー】など、人の位置を特定するスキルをある程度無効化する効果を持つ。

 これだけ身につければ、誰も俺を感知できなくなるだろう。

 正直、この平和な街でこんなガチな装備が必要になるとは思わなかった。これと俺の隠蔽系スキルがあれば、かの東の大帝国の王族が住まう警戒厳重な城にまで簡単に忍び込めるだろう……まぁ、実際やったんだけどね。

 そんな実績を持つ俺とステルス装備にかかれば、あいつらの目を欺くことなど造作もないことよ! このスペックだ……下手をすると、目の前にいるユミエルですら俺を認識できずにいるのではなかろうか。

「くくく……ほら、見えるか? この姿が」

「……どこからどう見ても盗賊ですね」

「…………こほん」

 思えば、まだ【インビジブル】は発動させてなかった。ちょっと恥ずかしい。

「じゃあ、もう出るからな。くれぐれも、後は頼んだ」

「……はい、かしこまりました」

「じゃ、行ってくる」

「……行ってらっしゃいませ」

 今度こそ、フードを目深に下ろし、存在自体を無色にして裏口のドアを開けた。



「ふ~……大丈夫だよな?」

 後ろを何度も振り返ってみるが、誰もつけてきてはいないようだ。ほっ、と息を吐き、体の力を抜く。アルティのストーキングスキルや、クルミアの嗅覚、フランソワん家の人材は侮れないものがあるからな……カオルもカオルで、なかなか勘が鋭いし。

 だが、それら全てに引っかからず、何とか俺ん家から遠ざかることができた。さて、まずは薬屋に行って話を聞いてみるか……っと!?

 ぼいん。

 後ろを振り返ってばかりでろくに前を見ていなかったため、そんな擬音が聞こえてきそうな柔らかなものにぶつかった。

「やん♪」

「あっ、す、すみません!」

 どうやら、人だったようだ。前を向く前に可愛らしい女性の声が聞こえてきたから、咄嗟に謝った。

「いいのよ、タカヒロちゃんなら」

「は……? って、うええああ!? イ、イヴェッタさん!」

「は~い、イヴェッタさんで~す♪」

 買い物帰りなのか、バゲットがとび出ている買い物籠を腕に下げた淫魔が立っていた。薄緑色の春物のセーターを押し上げるたわわな胸の下に腕を回して、朗らかに微笑んでいる。さっきはこの双子山にぶつかったのか……ではなく!

「そんなにそわそわしちゃって、どこ行くの? 色町はまだ営業時間じゃないわよ?」

「ち、違います!」

 サキュバスらしく、出会い頭からエロい話が飛び出した。まずい、イヤな予感しかしない。知り合いの女がおかしくなっている今、この人だけには会いたくなかった。

 元々、頭の中がアルラウネだらけの花畑みたいな人だ。それがもし、おかしくなってしまっていたら……きっと、想像を絶する手法で俺の大事なものが奪われてしまいそうだ。

「あら? あらあらぁ?」

 ひぃっ! なんか、目を輝かせて俺の周りを回り始めた! なぜか、すんすんと鼻を鳴らしている。何かを吸っているのだろうか。俺の生気とか? 道理で、この人に会うと妙に疲れると思った。

「タカヒロちゃん、いい匂いね……」

「はいっ! ……って、え? 匂い?」

 匂い? 何のことだ? 俺は特に香水なんて使ってねえぞ?

 しかし、イヴェッタさんはなおも「ほんと、いい匂い……」と言って胸元に顔を近づけてくる。

「匂いって……あっ、もしかして、これっすか?」

 イヴェッタさんの鼻先には、クルミアを撒くために装備した「ステルス・ポプリ」が。なるほど、確かにこれはラベンダーみたいな香りがするからな。そりゃあ、いい匂いだわ。

「ううん、ちがうの。そうじゃなくて……」

 あれ? 違う? 見れば、イヴェッタさんはポプリには目もくれず、今度は脇の方へ鼻先を移動させてくる。そこで、すーっと一際大きく息を吸い込んだかと思うと、うっとりと眼を細めた。

「やっぱり。タカヒロちゃん、これって「惚れ薬」系の匂いでしょ? 女を狂わすフェロモンが漏れているわよ」

「は? ほ、惚れ薬?」

 え? そ、そんなもの飲んだ覚えはないぞ!? 身に覚えがない指摘に混乱してしまう。

 イヴェッタさんはそんな俺を見てくすりと妖しく微笑んで、豊かな胸を押しつけるように腕を絡めてきた。

「ちょ、なにやってんすか!」

 思わず振り払おうとするも、意外に強い力と、イヴェッタさんから漂ってくる薔薇のような匂いのせいでなかなかうまくいかない。

「そんなものを使ってお姉さんに会いに来るだなんて、イケナイ子……でも、私たち淫魔にはそんなもの、効かないのよ」

「そ、そうなんすか?」

 と、すると、最悪の事態は免れたようだ。イヴェッタさんがおかしくなったら手がつけられんと危惧していたところだ。そうはならないようで、一安心……いやいや、この淫魔、俺の腕をとってどこへ行く気だ!?

「ど、どこ行くんすか?」

 ぐいぐいと俺を引っ張っていこうとするイヴェッタさんに声をかける。すると、彼女は瞳を爛々と輝かせ、舌舐めずりしながらこう答えたんだ。

「大丈夫、タカヒロちゃんのしたいことは分かっているわ。でもね、そんなオクスリを使わなくてもいいの。私ならいつでも受け入れてあげるから。さ、お姉さんのお家に行きましょう」

 見れば、淫魔の特徴である蝙蝠のような翼と黒くうねる尻尾が現れている。瞳は紅く染まり、八重歯が口の端から覗いている。こ、この淫魔、こんなところで発情してやがる!

「いや、いいです! 違いますから! そんな気はないですから!」

 今度こそ振り払おうとするも、がっしりと回された腕は解ける気配もない。

「痛くしないから! 怖くない……怖くないのよ? ねっ? 女の子の体って、怖くはないのよ? むしろ、とってもキモチイイの! それを教えてあげるから!」

 鼻息荒く、遂にはこの場で俺の服を脱がそうとする。俺にストリーキングなんて趣味はねえぞ!! や、止めろー!! 留置場は、もういやだー!!

「こ、のっ! いい加減にしろ!」

 ゴイン!

 もう、手加減などしてはいられない。襲いかかる淫魔の脳天にげんこつを落としてやる。

「きゅぅ~……」

 すると、目を回してへなへなと倒れ込むイヴェッタさん。淫魔は去った……俺の貞操は護られた……って、なんでこんなことになったんだ……。

「む? そういやあ、さっき変なこと言ってたな」

 惚れ薬がどうのこうのと……まったく、何を勘違いしたのやら。俺はそんなもん飲んでねえのに……しかし、惚れ薬か。懐かしいな。

 ≪Another World Online≫において、あるイベントで必要になったものだ。あれを使うと、特定の女性NPCが狂ったように「愛してる!」って言ってくるんだったな。

 ……まてよ、今回の騒動と似てねえか?

 どいつもこいつも愛情表現が過剰になっている。それは、惚れ薬で狂ったNPCの特徴に通じるものがある。すると、今回の件は惚れ薬が関わっているのか……?

 でも、惚れ薬なんて飲んだ覚えも、盛られた覚えも……あった。

 一週間ほど前、エルゥにお茶とお菓子をご馳走された。

 研究と「@wiki」以外に興味がなく、自身の寝食すらおなざりにする奴が、「世話になったから」と手ずからお茶なんて淹れるか? もっと手間がかかるお菓子なんてなおさらだろう。

「怪しい……」

 これは、問いたださなければ。そう思った俺は、【コール】をエルゥにかけながら、自身の足でも王立図書館へ向かった。



●ケース6・エルゥの場合

「おい、エルゥ! いないのか? エルゥ!」

 王立図書館の地下「立入禁止区画」にあるエルゥの研究室の扉をドンドンと叩く。なぜか、部屋の中から明かりは見えるのに、鍵がかかっていて入れない。

「おい、いるのは分かってんだぞ!」

 【レーダー】で確認したところ、中に誰かがいるのが分かった。「立入禁止区画」の、しかもエルゥの部屋に居座れるなんて、本人しかいないだろう。

「開けるぞ~!」

 少々強引だが、【鍵開け】で無理矢理ロックを外す。今はエルゥを問いただすのが先だ。細かいことになどかまっていられない。

 【鍵開け】の効果により、ガチャリと音を立てて鍵は外れる。潜入クエストで散々使いまくったスキルだ。今では、こんな鍵程度なら時間などかけずとも開けられる。

「おい、エルゥ? お、やっぱりいるじゃねえか」

 扉を開けて中に入ると、案の定、部屋の主がいた。こちらに背を向けて、椅子に座って何かを読んでいる。

「エルゥ、聞きたいことがあるんだが……なぁ、エルゥ?」

 声をかけるも、反応がない。それどころか、机の反対側に回り込んだらそっぽをむかれた。なんだこの反応。

「こっちを見ろ。話を聞けって」

 しょうがないから、エルゥの肩をつかんで体を固定する。これなら、話ができるだろう……って、なんで思いっきり顔を背けているんだ。しかも、目に涙まで浮かべて。なんぞこれ。

 瞳を潤ませ、顔を微かに赤く染めてぷるぷると震えるエルフさんは、訝しげな俺の視線に我慢ができないとばかりに大きな声で喚き始めた。

「なんだい、今更! この一週間、【コール】の一つも寄こさなかったくせに! どうせ、私は君にとっては眼中にもない存在なんだろう!」

「いや、あのな……」

「弁明は聞きたくない! その場凌ぎの慰めなど、後で惨めな思いになるだけさ。君はいつもそうやって私の心をかき乱す……」

「あの……」

「でも、こうして来てくれて嬉しいだなんて考えている自分もいる……馬鹿だよ、私は。遊ばれていることが分かっていながら、微かな希望に縋ろうとするんだ」

「……」

「今だけでいい……この寂寥感に支配された心を慰めてはくれないか……さぁ、強く抱きしめてくれ……」

「……【スパーク・ボルト】」

「ツァァァアアアアアバババッバババババババババババ!!!?!?」

 人の話を聞こうともせず、安っぽいメロドラマのような台詞を垂れ流す存在に変わってしまったエルフさんを正気に戻してあげた。時には荒療治も必要です。



「やっぱりな……まさか、茶じゃなくてクッキーの方に練り込んでいるとは思わなかったがな」

「ごめんよー、ごめんよー! 好奇心に負けてしまったんだー! 好奇心が悪いんだー!」

 エルゥの口から真相を聞きだした俺は、ここ最近の異常事態が惚れ薬であるということを知った。イヴェッタさんから聞いた時はまさかと思っていたが、そういえばこいつは「@wiki」を読んでいるんだ。材料さえ揃えば、作成など他愛も無いことだろう。

 しかし、イベントアイテムがこんな形で作用するなんて思いもしなかった。

 惚れ薬は、「モテ王への道」ってクエストで必要になるアイテムなんだが……使うと、女性NPCの好感度がぐんぐん上昇していって、遂には「抱いてー!!」と群がってくるキ○ガイアイテムなんだよ。

 このまま病状が進行したら、おかしくなっているカオルたちもそうなっていたかもしれない。恐ろしい限りだ。幸い、効果は一週間だけで、明日の夜がそのリミットだ。惚れ薬が練り込まれたクッキーを食べて、明日の夜でちょうど一週間……うん、間違いない。

 それにしても、クエスト発生中でしか使えないイベントアイテムがこの世界でも使えるだなんて、予想だにしなかった。

 そのため、ヤバいアイテムについては読めないようにしている「@wiki」の閲覧制限も甘かったようだ。先ほど確認したら、エルゥのレベルでも余裕で読めるようになっていた。

 でも、読めたとしても、惚れ薬なんて危険なもんを一服盛ろうと思うか?

「俺はさ、エルフってもっと聡明な種族かと思っていたよ……!」

「ご、ごめんよ……さ、さあ、縄を解いてくれないか?」

 今はエルゥを簀巻きのようにロープでぐるぐる巻きにして、床に転がしてある。暴れられても、勝手に動かれても面倒だ。おしおきの意味もあるしな。

「あっあっ、なんで出ていこうとするんだい? せ、せめて目を合わせてくれ!」

 聞きだすべきことは聞き出せた。もうここには用はない。惚れ薬の効果が切れるまで、さっさと家に帰って籠っていよう。

「で、出ていかないでくれ! 帰ってきて縄を解いてくれたまえ! あ、あーっ!」

 バタン。床で蠢くエルゥを放っておいて、無慈悲にドアを閉める。なんだか、妙に疲れた。早く帰って飯食って寝よう。

 立入禁止区画を後にする俺。後ろから俺の名を呼ぶ声が聞こえてきたが、無視して歩を進める。やがて、地上に上がる頃には、そんな煩わしい声も消えていた。

 後日、セリエから「大きな芋虫のようなお化けが地下階を這いまわっている」という話を聞いたが……まぁ、自業自得だろう。



●ケース7・ユミエルの場合

「zzz……」

 ご主人さまは、夕食を召しあがった後、揺り椅子に座ったまま眠られてしまった。ここ数日の騒動は思った以上にご主人さまを疲弊させていたのか、私が洗い物を片付けている少しの間に、すっかり寝入ってしまわれていたのだ。

「……ご主人さま」

 四月に入ったとはいえ、まだまだ夜は冷え込む。暖炉に薪をくべているとはいえ、ここで寝ていては風邪をひいてしまうかもしれない。心配になった私は声をかけて起こそうとするが……。

「ぅうん……」

 子どものようにむずがるご主人さまを見ていると、ピタリと手が止まった。そのまま、じっとご主人さまの顔に見入ってしまう。知らずに胸が高鳴り、息苦しくなってくる。

(これは、薬のせい……ご主人さまが飲まれた、惚れ薬のせい……)

 夕方に帰ってこられたご主人さまに、事のあらましは聞いている。エルゥさんに一服盛られた惚れ薬により、女性を惹きつけるフェロモンを放っているのだと。

 ご主人さまは、「お前が変になってなくて良かったよ」と言うが、そんなことはない。私にも、確かに効果は出ている。そうでなければ、この心身の不調は説明ができない。

 すぐにでもご主人さまに接触したくなる衝動を、必死に押さえこむ。

 好きだという感情がどのようなものなのかは分からないが、少なくとも、私の心で暴れ回っているような荒々しいものではないと思う。

 ご主人さまが大事だという思いはある。私をこの家に招いてくれたこと。世間知らずな私の世話を焼いてくれたこと。一緒に暮らし、一緒に何でも屋を営んでいること。それらを思い返せば、心が温かくなる。

 以前は自覚していなかったが、ご主人さまが何も告げずに一週間も出ていかれた時、その気持ちに気がついた。ご主人さまがいなければ寂しい。ご主人さまと言葉を交わさなければ、心が冷え込んでくる。

 それは、世間一般で言われるところの「好き」ではないのかもしれない。子犬が親を求めるようなものなのかもしれない。でも、それは温かいものだ。心に静かに満ちていくような想いだ。

 だけど、そんな気持ちを塗り潰すかのように、様々な願望が次々と溢れだしてくる。

 触れたい。

 言葉を交わしたい。

 私の名前を呼んで欲しい。

 あの日のように優しく抱きしめて欲しい。

 ……でも、今、それを望んではいけない。

 この剥き出しの欲望は、薬で無理矢理高められたもの。それを露わにするなど、してはいけない。

 ご主人さまには、ありのままの気持ちで接したい。まだ恋や愛なんて分からないけれど、元の淡く温かな気持ちは大切にしたい。いつか芽吹いて、無機質な私に根を張るその時まで、大事に、大事に育てたい。

 だから、いつも通りの私を演じる。いつも通りの私でご主人さまに接する。

「……ご主人さま、寝るのならば自室で寝てください」

「ぅぅ……もう、今日はここでいいよ……めんどくさい……」

 ご主人さまの願いを、何でも聞いてしまいそうな私がいる。でも、そんなのは私じゃない。いつもの私は……。

「……えいっ」

 揺り椅子の背もたれを掴んで、思い切り前に倒す。すると、ご主人さまは床に転げ落ちた。

「はぶっ! な、何すんだっ!?」

 顔をしたたかに打ちつけたのか、鼻や頬を擦りながらご主人さまが詰め寄ってくる。

「……寝るのならば自室で寝てください」

 もう一度、どうして欲しいのかを説明する。

 風邪などひいて欲しくはない。それに、座ったままの姿勢だと疲れが抜け切らない。ベッドで横になるべきだ。それはご主人さまも分かっているのか、不承不承、頷いてくれた。

「はいはい、分かりましたよ……ったく、お前は相変わらずだな」

 相変わらず……それでいい。いつもの私でいいんだ。

「じゃあ、寝るわ。おやすみ」

「……お休みなさいませ」

 寝室に向かわれるご主人さまに頭を下げ、就寝のあいさつをする。この様子だと、お風呂は明日の朝に入られるのだろう。ならば、今日のお風呂は私が出た後に掃除してもかまわないはず。

 今までの習慣から、お風呂掃除をすると一日の終わりという感じがするので、他のことを先にやっておこう。朝ご飯の仕込みや、明日以降の仕事のスケジュールの再確認など、することはまだまだ残っている。

 ……でも。

「……少しだけ」

 そう、少しだけ……少しだけ、ご主人さま愛用の揺り椅子に腰かける。まだご主人さまの温もりをほんのりと残している椅子に深々と腰掛けて揺られていると、なんだかご主人さまを近くに感じる。

「……もう少しだけ」

 それが余りにも心地よかったため、私はどうにもそこから離れられずにいた。

 薪がパチパチとはぜ、座った椅子からきぃ、きぃと微かな音が伝わってくる。そんな、ゆったりとした時間が流れる。

 明日も、ご主人さまと一緒に仕事をしよう。

 穏やかな空気が流れる居間でそう思いながら、私はもう少し、もう少しと揺り椅子に揺られ続けた。




ルードス「あら?そんなパーカー、縫ったかしら?」

ニャディア「……」

次は、第一部最後の日常、「サイドストーリーズ3」です。

お楽しみに~。
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