庶民とお嬢様
●ケース1・カオルの場合
「ねえ、おいしい?」
「あ、ああ……」
「よかったぁ~! じゃあ、次はこれね。はい、あ~ん」
「あ~ん……」
開いた口に、玉子焼きが入れられる。それをもぐもぐと咀嚼すると、カオルはまたこう言うのだ。
「ねえ、おいしい?」
と。
何でこんなことになったのか……全く身に覚えがございません。いやいや、なんかあるはずだ……思い出せ、俺。
今朝、誰かが体を揺するから起きてみれば、目の前にはカオルの姿が……で、「もう朝だよ! ご飯できてるよ♪」って、ものっそい笑顔で俺を引っ張り起こしたんだけど、Tシャツとトランクス姿の俺を見て、顔を真っ赤にして部屋から出ていったんだ。
うん、ここまではいつも通りだ。まんぷく亭の手伝いの日や、試食会の朝とか、週に一回はあることだ。
だが、その後がおかしい。カオルが何かと俺の世話を焼きたがる。やれ、顔は洗った? まだなら洗お? だの、トイレ行った? だの、シャツがはみ出てるよ? 着せ直してあげるねだの……面倒見がいい奴だとは思っていたけれど、ここまでじゃあなかった。
一体、カオルの心境にどんな変化があったのか。また、それを引き起こしたのは何か。考えてはみたものの、皆目見当がつかない。
「ね、ねえ、おいしくなかったかな……?」
で、極めつけがこれだ。朝食の席で、俺の隣に座って手ずから飯を食わせてくれる。そして、「おいしい?」って何度も聞いてくるんだ。
これって、恋人とかがするもんじゃないの? なんでこんなことしてくるの? 分からん。
「ご、ごめんね、甘い味付けが駄目だったのかな……作りなおしてくるね」
とかなんとか思考に耽っている間に、カオルが落ち込んだみたいだ。「おいしい?」と聞かれて、「おいしい」と答えなけりゃ、なんかすごい落ち込むんだ、今日のカオルは。
「ああ、待て待て。うまいぞ。うん、うまい」
「ほ、ほんと? よかったぁ~!」
慌てて「うまい」と伝えると、パァ~っと花が咲くように満面の笑みを浮かべるカオル。そして、いそいそと椅子に座り直しては、また箸に摘まんだ料理を差し出してくる。
「えへへ、これは自信作なんだよ。はい、あ~ん」
「あ~……」
またも始まる、一方的いちゃいちゃ空間。心なしか、テーブルの対面からこちらを見つめるユミエルの目が冷ややかだ……いや、表情は変わってないんだけどな。
「どう? おいしい?」
「あぁ……うまいよ」
「えへへ……」
はにかみながら、もじもじとするカオル・ロックヤードさん。
……もうすぐ春だからかなぁ。きっと、こいつの頭も陽気になってんだろ。でないと、この急変ぶりはおかしい。素直に喜ぶに喜べない。
こうして俺は、なんだかよく分からんほど乙女ってるカオルに腹いっぱい飯を詰め込まれ、今日の仕事先のまんぷく亭へと腕を組んで引き摺られていった。
「焼き魚定食が二つ、カツ丼が三つで~す!」
「あいよ~!」
今日も今日とて、中級区の野郎どもが飯をかっ喰らいにやってくる。おかげで、まんぷく亭はそれなりに繁盛している。
だけど、日雇いの身としては、別にそこまで忙しくなって欲しくないというか……まぁ、我慢できないほどじゃない。ピークが過ぎれば一息つけるさ。
「レバニラ定食と、煮魚定食と、チキン南蛮定食大盛りと、サーモンフライ定食と、牛丼大盛りと、ネギトロ丼、注文入りました~!」
「……あいよぉ~!!」
でも、こんなにバラけた注文が入ると、ストレスマッハ。作る手間を考えろ、手間を!
…………うん、まぁ、頑張ろう。サボるとユミィが怖えもんなぁ……。
そんなこんなで、自分は飲食業に向いてないな~と思いながらも、その日の昼ピークはなんとか乗り越えた。
趣味と仕事は別にした方がいいって、ありゃ本当だよな……。
「で、またこれか」
昼の二時も過ぎ、いったん閉店となったまんぷく亭。これから、従業員が飯を食ったり、夜に向けての仕込みをしたりする。で、まずは飯だとテーブルに着いたんだけど……。
「はい、あ~ん」
また、カオルさんが世話を焼こうとしてきます。
正直、そろそろ怖い。俺はいちゃいちゃフラグを建てた覚えも、カオルに【チャーム】をかけた覚えもない。いったい、何があったのか……【スキャン】で診た限りでは、何ら状態異常にはかかっていない。だとすると、原因はなんなのか。
「はい、あ~ん……」
う~む、恋に恋するお年頃なんだろうか? で、手近な歳が近い男性である俺相手に、いちゃいちゃしてしてみたくなったとか……でも、数日会わんかっただけでこんなに変わりはしないだろ。やっぱり変だ。
「……ごめんね、迷惑だったよね。朝、喜んでくれてたみたいだから、私、調子にのっちゃって……ごめんね」
「はっ!?」
いかん! 今日のカオルは相手しないとへこむってことを忘れてた! すごすごと、自分のまかないが載ったお盆を持ってどこかへ行こうとしている。
「待て待て! 迷惑だなんて思ってないから! 居てもいいから!」
「ほんと……?」
くるりと振り返るカオル。その目は捨てられた子犬のようだ。うむむ……訳分からん状況だからって下手に扱うと、後々響きそうだな。今日ぐらいは合わせとくか。
「ああ、本当だ。むしろ、カオルの手で飯を食わせてもらえるなんて嬉しいね! いや~、俺は幸せもんだ~」
……ちょっと演技くさかったかな?
「そうだったんだ……えへへへへ……」
杞憂だったようだ……なんかこの子、悪い男に引っかかって、コロッと騙されそう。ちょっと将来が心配。
戻ってきたカオルは、気を持ち直すどころか逆にテンション上がっちゃったのか、先ほどよりも近い位置に座る。んで、もたれかかってきたりする。まるでイヴェッタさんの店の子みたいだ。
大胆過ぎる……こんなのカオルじゃない。
「ひゅ~ひゅ~、お二人さん、お熱いねえ。えぇ?」
「がはははは! 仲がいいなあ!」
様子がおかしいカオルだけでも厄介なのに、元から厄介な人たちが来た。カオルの両親だ。
ケイトさんはなんかチンピラみたいな動作で冷やかしてくるし、アカツキは相変わらずガハガハ笑っている。
「も、も~! お母さん、茶化さないでよ!」
いつもならバカ夫婦を諌めてくれるカオルも、今回ばかりはうまく機能していない。それどころか、この子ったら満更でもなさそうな顔をしているザマス。わ~、波乱の予感……。
「そんなにアツアツなら、キスの一つや二つ、したんじゃないの?」
「おお、青春だな! がはは!」
俺、思うんだ。若い男と娘の前でそんな話をする親ってどうなの、って。
まぁ、この明け透けな感じがロックヤード夫妻のいいところでもあるわけだが……今はただただウザい。
「ま、まだだよ……」
顔を真っ赤にして俯くカオル。まだってなんだ、まだって。なんか、こっちまでドキドキしてきちゃうだろ。止めんか!
「んま~! 奥手ねえ、二人とも! 私があなた達の歳の頃には、いたるところで旦那さまとチュッチュしてたわよ」
「おいおい、恥ずかしいだろ? がはは!」
バカップル降臨。もう、帰っていいですか?
「そうだ! もう、ここでキスしちゃいなさいよ!」
「何でそうなる!?」
流石に、これにはツッコミを入れざるを得なかった。なんだ、その「今日は外食しましょう」みたいなノリは……キスだぞ、キス。しかも、自分の娘のことだ。そんなこと、親が決めることじゃ……。
「おぉ、いいぞ、やれやれ!」
アカツキまで……実はこの家族、俺が知らないだけで淫魔族なんじゃねえだろうな? 色恋沙汰が大好きってレベルじゃねえぞ。
う~む、やはり様子がおかしい……何かあるな。
「「それ、キ~ス、キ~ス!」」
原因を考える間もなく、シュプレヒコールが響き始めた。中学生か、こいつらは……。
「タカヒロ……」
親が親なら子も子なのか、カオルまでその気になってるっぽい。瞳を潤ませ、半開きになった唇からは熱い吐息が漏れている……これが普通の状態なら良かったんだが、今は明らかに異常だ! そんな状況を利用して、カオルとキスなんてしたくない! ここは逃げの一手!
「ええい、【スモーク・ディスチャージ】!」
ぼむん!
かく乱用のスキルによって、俺の掌から爆発するように白煙が広がっていく。
「きゃー! なにこれー!?」
「何も見えんぞー!」
「タカヒロー!?」
よしよし、煙が俺の姿を隠している内に逃亡だ……。
こうして俺は、なんだか様子がおかしいロックヤード一家から逃げ出したのだった。
……夜になったら、ユミィに捕まってまんぷく亭の厨房に放り込まれたけどな。そういやあ、夜も仕事だった……はぁ……。
それから、また「あ~ん」だの、「泊まっていきなよ!」だのあったんだけど、まぁ、何とか逃げ出しました。
ったく、何だったんだ、いったい……。
●ケース2・フランソワの場合
「タカヒロ~、先生は~、とっても素敵~♪」
なんでこうなったのか……俺は今、フランソワん家にてお嬢様の歌のようなポエムを聞かされている。ちょっと意味が分からない状況です。
ユミィが仕事だってんで指定された場所に行ったら、そこにはフェルディナン家親衛隊の奴らがいて……「依頼主は我が主です」って、やんわりと、しかし強引に馬車に押し込めやがったんだ。
で、仕事ならばと腹をくくってここまで来てみれば、着飾ったフランソワが待っていて、俺はお嬢様の自室へと引き摺りこまれたわけだ。
そして、腰が埋まりそうなふかふかソファーに座らせられた後、ポエムを聞かされているわけなんだが……な? 意味分からんだろ?
「先生、いかがでしょうか?」
「うん、まぁ、いいんじゃないの?」
正直、さっぱり良さが分かりません。何、あの幼稚園のお遊戯会みたいなストレート過ぎる歌詞。素人の俺でも、「もうちょっと捻れよ」と思ってしまう。でも、これが異世界のトレンドなのかもしれない……。
「まあ、流石タカヒロ先生! 詩才もおありですのね。恥ずかしながら、私の両親や親類は文学の才能がなくて……詩の何たるかを理解できないのです。ですが、こうして理解者が得られて安心しましたわ」
……よかった。異世界って言っても、感性はそんなに変わりないんだ。こいつがおかしいだけなんだ……フランソワ、優秀さと引き換えに詩才は置き去りにしちゃったんだな……不憫な子。
「理解者と言えば……先生も、今でこそ学園での信頼を築いていますが、初めの頃は酷いものでしたのよ?」
「ん? まぁ、そうだろうな」
俺はどっからどう見たって庶民、って感じだからな。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんから見たら、ゴミ虫みたいなもんだ。そんなのが臨時講師とはいえ自分の上に立つだなんて、いい思いはしないだろう。
実際、陰口なんかも聞いたことあるし。いや、あれはもう隠してもいなかったな。俺と目が合っても、中断するどころか音量あげやがったからな……「小汚い平民が講師だなんて、悪い冗談のようだ!」とか、まぁ、あからさまなもんだったよ。
「私も、初めは先生のことを、「使える者」としか考えておりませんでしたのよ?」
「ええっ!?」
これは意外だ。フランソワは、誰よりも熱心に俺に話を聞きに来たし、「フランと呼んでくださいませ」とかなんとか言ってたから、てっきり俺を気に入っていたとばかり……女って怖え!
「でも、今は違います」
あれ? フランソワが向かいのソファーから立ち上がった。何だ? どうした?
とりあえず、俺もつられて立ってみたら……。
「先生……」
フランソワが、俺の胸へと飛び込んできた。え? 何この展開。
「先生……分かりますか? 私の胸が、熱く鼓動を打っているのが……こんな気持ち、初めて……いいえ、これは元からあったもの。先生と初めて出会った時に撒かれた種が芽吹き、共に過ごした時の中で育まれていったもの。ですが、私は公爵家の娘……そんな感情を認めるわけにはいきませんでした。しかし、二人きりとなったことで私の心を覆っていたベールが取り払われ、隠しようもなく露わとなってしまったのです……先生、先生も同じ気持ちですわよね……?」
「あぁ、俺もこんな気持ちは初めてだ……」
「あぁ、嬉しい……! でも、その答えは知っていましたわ。だって、先生の胸も、こんなに脈打って……」
「あぁ、ドキドキしているよ……」
だって、さっきから部屋の入口にフランソワの親父さんが立ってるもん。現フェルディナン家当主・オデュロンさんが、マネキンのような無表情で俺らをじっと見ている。
それが視界に入っているからだろうか? さっきから、胸の鼓動が止まらない。
「先生……!」
感極まったフランソワさんが、俺に回す手に一層の力を込める。すると、オデュロンさんのこめかみがビグビグと痙攣するんだ。
やだ、ドキドキが止まらない。視線だけで殺されそう。
「先生……」
うっとりとした顔でこちらを見上げてくるフランソワさん。でも、正直、そんなのにかまっていられない。オデュロンさんから目を離せば、何が起きるか分からない。
「先生……酷いお方。そうやって気のないふりをして、私の心を弄びますのね……」
ぼふりと俺の胸に顔を埋めたフランソワが、切なげに呟く。
そういうの止めてくれませんかねえ! このままだと、俺の平和な生活が大貴族・オデュロンさんに弄ばれそうだよ!
「でも、そんなところもまた、惹かれますわ……」
(ひいいいいいいい!!!?)
フランソワが俺の首に手を回したら、オデュロンさんの顔が般若みたいになった……!
「先生……いえ、タカヒロさん……」
親の殺意すら混じる視線に、娘のやたら熱っぽい視線。二つは螺旋を描いて、俺の心臓に直撃する。
止めて、止めて! もう、なんか変な緊張感で心臓の鼓動のリズムがおかしい! 不整脈で心臓止まっちゃいそう!
(やっぱり、なんか変だぁぁああ~~~!?)
そんな心臓発作の危機に見舞われた時間は、思いのほか長く続いた。結局はフランソワが部屋の入口に立つお父さんに気が付いたため事なきを得たのだが、それまでの間、俺はずっと冷や汗を垂らして硬直したままだった。
ってか、オデュロンさん、何か喋れよ。相変わらず分からん人だな……。