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喫茶ノワゼット

 いらっしゃいませ。「喫茶ノワゼット」へようこそ。


 ここは、中級区住宅街の片隅にひっそりと佇む、年期の入った赤レンガ造りの喫茶店です。


 蔦で五割ほど覆われた外壁に、絵画用のイーゼルにのせた黒板がぽつんと一つ。板張りの店内には、カウンター席が五つと、四人がけのテーブルが三つ。そして、従業員はマスターである私のみ。


 これが、「喫茶ノワゼット」。おいしいお茶とお菓子で、一時の間、社会の喧騒を忘れていただく空間です。


 小さな小さなお店ですが、ありがたいことに、常連と呼べるお客さまも何人かいらっしゃいます。


 今回は、その中でも、一風変わった方々のお話でもいたしましょう。




「こんちは~」


 いらっしゃいませ。おや、タカヒロさん。今日はお二人ですか。


「あぁ、休日に家に籠ってばっかりってのも何なんで。ユミィも疲れてるみたいだし、甘いもんを食うのもいいかなって」


 ふふ、それでうちを選んでいただけるのは光栄ですね。


「マスターが作るケーキは絶品だから」


 ありがとうございます。ささ、いつまでも立ち話では悪いので、テーブル席にお座りください。


「おっと、そうっすね。ほら、ユミィ、こっちだ」


 ユミィ、さんですか。可愛らしいお嬢様ですね。タカヒロさんのいい人ですか?


「違います、違いますって。こいつはユミエルっていって、家の住み込み従業員です」


「……ユミエルです。初めまして」


 はい、これはご丁寧にどうも。私、ヴィタメール・ウォルナットという者です。以後、お見知りおきを。


「……はい、よろしくお願いします」


 そういって、ペコリと頭を下げる小さなメイドさん。しゃらしゃらと、絹糸のような薄水色の髪が流れていく。なるほど、この人が噂の「鬼メイド」ですか。タカヒロさんの口ぶりから、もっと粗暴な方かと思っていましたが、とんでもない。躾の行き届いたよいお嬢さんのようです。


「う~ん、今日は何にするかな……定番のチョコナッツケーキ……いやいや、新作のミックスナッツのタルトも捨てがたい……」


「……私はご主人さまと同じものでいいです」


「おいおい、それじゃつまらんだろ? せっかくだから、違うもん頼んで、半分こしようぜ」


「……そう、ですね。では、そうします」


 テーブル席に広げたメニューを身を乗り出して一緒に眺める姿など、とても仲睦まじいように思える。やはり、タカヒロさんが話すユミエルさんの乱暴は、夫婦喧嘩か何かだったのでしょう。


 「電撃を流された」、「おはようの代わりに鞭を喰らった」など、内容があまりに凄惨なので、先ほどまでは「鬼メイド」が来てしまった、と内心肝を冷やしていました。ですが、それも杞憂だったようですね。


「すみませ~ん、注文いいですか~?」


 はい、承ります。


「チョコナッツケーキ一つと、フランボワーズとレアチーズのニ層ケーキ一つ。お茶は、ストレートで……あ、やっぱこいつのはミルクティーにしてやってください」


 かしこまりました。ご注文は以上でよろしいですか?


「はい、お願いします」


 では、少々お待ちください。


 カウンターの内側へと回り、水瓶から銀色のケトルへと水を注いで火にかける。その間に、茶葉や茶器の用意をしておく。ケーキは、作ってあるものを冷蔵用のマジックアイテム「冷えるんボックス」(開発者直々のネーミングだそうです)から取り出すだけなので後でいい。どうせなら、お茶と一緒にお出ししたい。


「で、ユミィ、昨夜の格好は何だったんだ……」


「……イヴェッタさんが、ああすればご主人さまが元気になると……お気に召しませんでしたか?」


「お気に召す召さない以前の問題でな……俺らにはもっと意思疎通が必要みたいだ。今日は腰を据えてゆっくり話しような」


「……かしこまりました」


 仏頂面のタカヒロさんと、表情が変わらぬユミエルさん。でも、傍から見ると温かな関係に見えるのが不思議です。注文の際の気遣いや、メニューを見やすいように角度を変えることなど、行動の端々から相手への思いやりが伺えるからでしょうか。


 なんにせよ、背丈も人種もちぐはぐなのに相性が良さそうに思える、変わったニ人組ですね。


 その微笑ましさに、ついつい頬が緩む。それが見られないように、窓の外へと視線をやると……おや、店内を覗きこんでいる女の子が一人。ちらちらと中の様子を窺っては、物影へとひゅっと引っ込む赤毛の少女。まるで猫のようだ。


 はて、いったい何なのでしょうか。


 気になるので、裏口から外へと出て、彼女の後ろから声をかけた。


 こんにちは、お嬢さん。うちの店に何かご用ですか?


「ぅわっ!? っと、やばっ……!」


 ビクリと身を竦ませ、短い悲鳴を上げる赤毛さん。口を押さえて、私を路地裏へと押し込みました。


「なんだよ、もー! 驚かせんなよ、ったく……」


 私も驚きました。で、改めて聞きますが、うちのお店に何のご用でしょう?


「用? いや、店には用はねえけどよ……」


 そういって、また物陰からちらり、ちらりと店内へ目をやる少女。その先には、カウンターとテーブル席しかないはず……なるほど。


 わかりました。さては……


「な、なんだよ。多分、あんたが考えてるのとはちげえぞ!」


 これが欲しかったのですね?


「ちげえからな! …………はっ? なに、これ……?」


 新商品のクルミを混ぜた焼き菓子です。おいしいですよ。


「いや、見りゃ分かるけど、なんで……」


 ふふ、いいんですよ。分かっていますから。


「いや、何を分かってるって……」


「お嬢~! 仕事の時間ですぜ~!」


「……まあいい。どうせだからもらっとくわ」


 はい、今度は買いに来てくださいね。


「だから分かってねえだろ!」


「お嬢~! どこですか~!?」


「あぁ、もう! オレぁ、もう行くからな! じゃあな! あんがとよ!」


 はい、さようなら。


 そうして、勢いよく路地裏から飛び出してゆく赤毛の少女。結局、名前を聞きそびれてしまった。身なりからして冒険者のようなので、後でタカヒロさんに聞いてみよう。


 それにしても、あんなに恥ずかしがらずとも良いのに。あの子だけではなく、冒険者の方はあまり私の店へ訪れることはない。


 かのギルド長のような豪傑を目標とする彼らは、甘いお菓子など「軟弱者が食べるもの」として忌避している。女性であっても、先ほどのような勝気な方はいらっしゃらない。


 でも、私は知っている。店先まで来ては、やっぱり入るのを諦めてしまう方。知人に頼んだ持ち帰り用のお菓子を、自宅で隠れるように召し上がる方がいるのを。先ほどの少女も、その類なのだろう。微笑ましい限りだ。


 さて、そろそろお湯も沸いた頃だ。店へ戻ろう。




「わぅ~♪」


「わっぷ、止めろって、うわ」


「わふ」


「……もふもふ」


 おや、あの僅かな間で新しいお客さんがいらっしゃっていたようだ。


 いらっしゃいませ。「喫茶ノワゼット」へようこそ。


「わん!」


「あっ! マスター、これは、その……!」


 元気な挨拶、ありがとうございます。人語が話せないことから察するに、まだ幼い獣人さんのようですね。タカヒロさんの知り合いですか?


「あ、そうっすけど……」


 可愛らしいわんちゃんもお連れのようで。後でミルクをお持ちしましょう。


「あ、あれ? マスター? この店ってペットOKなの?」


 はい、騒がしくしなければ大丈夫ですよ。


「そうだったんすか……いやぁ、焦ったぁ」


 ここはそんなに格調高い店ではないですからね。融通は利く方ですよ。


「だってさ。クルミア、ゴルディ、お前ら店に入ったのはもういいけど、大人しくしてるんだぞ」


「「わん!」」


 ふふ、今は他にお客さんもいませんからね。賑やかでもかまいませんよ。


「なんか、すみません……」


 いえいえ、いいんですよ。さて、こちらの獣人のお嬢さんには何をお持ちしましょうかね?


「ぅぅ……」


「うっ、そんな顔すんなよ……いーよ、おごってやるよ、臨時収入もあるしな。好きなの頼みな」


「わんっ♪ わぅ……これと……これ! これも!」


 はい、ミートパイと、ミートスパ、角切り肉入りパンに、ミルクレープですね。お飲み物はミックスジュース……はい、かしこまりました。


「おいぃぃぃ!? た、頼み過ぎじゃ……!」


「きゅ~ん……」


「ぐっ……わ、わーったよ! 「好きなの」頼めって言ったしな! いいよ、おごっちゃるわい!」


「くぅん♪」


 ははは……子どもは遠慮がないぐらいで丁度いいと言いますものね。すぐに用意しますので、少々お待ちくださいね。


「わんっ!」


 獣人の幼子の元気な返事を背に、ぐらぐらと沸いているケトルの前へと移動する。まずは、ティーポットと茶器を温めなくては。


 適量を注いで、くるくるとしばらく回した後に、流しへとお湯を捨てる。茶葉を入れるのはそれからだ。そろそろ、ミルクも熱さなくてはならない。わんちゃんにあげるのも一緒に作ろう。


 忙しい、忙しい。お昼過ぎというお客様が少ない時間ながらも、なるべく待たせないようにと大忙しだ。でも、見た目はあくまで余裕を持って。それが喫茶店のマスターというものです。


 さて、パイもオーブンに入れて、パスタ用のお湯も沸かして……おっと、そろそろ茶葉も開いた頃だ。ケーキも用意しなければ。


 このように、仲良し主従のお二人と大食漢なわんこさんのために、私はしばらくカウンター内をせかせかと動き回った。




「ごちそうさまです」


「……ごちそうさまでした」


「わう!」


 はい、お粗末さまでした。お会計はこちらです。


「むむむ、やっぱり結構高くついたな」


 そうは言いながらも、今更ながら申し訳なさそうな顔をするクルミアさんの頭をぽんぽんと撫でてあげるタカヒロさん。この人が良い人だということは、これまでの付き合いだけではなく、こういったさり気無い仕草からも分かるというものだ。


 そうして、仲良く寄り添いながら店を出ていくタカヒロさん御一行。


 考えてみると、彼も不思議な人だ。珍しい生粋のジパング人というのも関係しているのか、元冒険者という肩書ながらも偉ぶったところがない。


 それどころか、見返りなく人を助けようとする。あれでは気苦労も多いでしょうに。事実、彼が一人でこの店へ来る時は、たいていが疲れ果てた状態だ。


 それでも、不器用ながらも人に優しくしようというのは、いったい如何なるルールや理由によるものなのか……いけませんね、お客様への過度な詮索は。もうすぐ、間食の時間。少なくないお客様が訪れる時間帯だ。片付けをしなければ。


 見れば、提供した食べ物はきれいに完食されていた。ミートスパなど、肉の一片も残っていない。作り手としては嬉しい限りです。下げた食器を流しへと移し、水洗いした後に綿で油を拭き取る。そして、布巾で磨いた後に、カウンター裏の専用棚にいったん置いて乾かしておく。


 そうこうしている内に、また誰かいらっしゃったようだ。今度はどのようなお客様なのでしょうか。訪れる人との交流、それも私の秘かな楽しみなのです。さあ、まずは挨拶からだ。


 いらっしゃいませ。「喫茶ノワゼット」へようこそ。




「すみません、手帳忘れました……」




 おや、タカヒロさん。ふふふ……まぁ、こういうこともあるでしょう。







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