水面下の陰謀
フェアリーズ・ガーデン。
一年を通して枯れることのない花に彩られた夢幻の庭園。
飢えも渇きも存在しない、ある種の理想郷でもある。
だが、ここは楽園などではない。
フェアリーズ・ガーデン。またの名を、「浄化の監獄」。
堕落した者たちを押し込める、禁断の箱であった……。
「「「第23回! 妖精会議~!」」」
妖精の庭園のどことも知れない木の洞の中。そこは、妖精たちによって手が加えられ、自然素材を活かしたワンルームの部屋へと姿を変えていた。
窓には水晶の欠片が埋め込まれ、そこから温かな光が降り注いでいる。淡く照らされた部屋の中央には、つるつるとした質感の平たい石が置かれ、テーブル代わりに使われている。その上に載っているのは、色とりどりの小さな花々だ。甘い香りがぷん、と部屋に満ちていた。
「妖精会議」開幕の宣言の後、フェア、ピーク、ニースの妖精三姉妹はテーブル脇に生えているキノコに腰を下ろし、花の蜜をちゅーちゅーと音を立てて吸いだした。花の蜜や果物は、彼女ら妖精の好物なのだ。やがて、ぷはっ、と花弁の奥から口を離し、長女のフェアがこう切り出す。
「さ~て、今度のニンゲンはどうやって堕とす?」
それを受けて、お上品に花びらで口を拭ったピークが提案をする。
「妖精の粉を嗅がせてしまえばいいのでは? それだけで事は済みますよ」
これに、聞き捨てならないとばかりに不満の声をあげたのはニースだ。
「え~!? いっぱい遊んでからにしようよ~! どうせ、ほっといても段々頭がとろとろになっていくんだから~」
妖精王が創りし小さな監獄には、徐々にヒトの理性を消し去っていく作用がある。そして、心の奥底に秘められた願望を解き放たれた時、ヒトは魔素へと変換され、世界に還元されていくのだ。
元々は「フォーリン・オーガ」や「ダークネス・リッチ」など、人が堕落して成る強力なユニークモンスターの発生を抑えるために用意された罠だ。一度囚われてしまえば、放っておいてもやがてはこの世界に溶かされて、魔素となり散っていく。
妖精の三姉妹がここにいるのは、ただ単にいたずらが過ぎて妖精王からおしおきを喰らっただけであり、特にすることなどはないのだ。「堕落して世界に迷惑をかけそうな人間を魔素へと替える」という目的をこなして自分たちへの罰の期間を短くしてもいいが、別に「遊びながらしてはいけない」という規則はない。
「そうね……あのニンゲンはからかうと面白そうだものね」
「確かに。今までのニンゲンとは違って、どこか間が抜けています」
「だよね、だよね? それに、からかってもあんまり怒らなそうだし!」
元来、純粋な妖精とは悪戯好きなものが多い。御多分に漏れず、この三姉妹もそうだったようだ。理知的に見えるピークですら、これから仕掛ける悪戯に期待を膨らませ、目を細めている。
「じゃあ、一日交替であのニンゲンで遊ぼう! 堕とせた人が勝ちね?」
「異議なし」
「さんせ~い」
どうやら、こういったやり取りも一度や二度ではないようだ。すんなりとルールが決まり、すぐさま順番を定めようと拳を振っている。
「じゃあ、じゃんけんで決めるね? じゃ~んけ~ん……」
「ぽん!」
「ぽん!」
「ぽん」、「ぽん」と、何度かのあいこが続いた後に、貴大に悪戯をする順番が決まった。
「やった~♪ わたし、一番ね☆」
「あたしが二番~♪」
「くっ……屈辱……!」
一番手となったフェア。彼女は、貴大にどのような悪戯を仕掛けるのだろうか……。
~一日目~
「ねえ~? 何してるの?」
ニンゲン……「タカヒロ」とかいう名前だったっけ。タカヒロが、フェアリーズ・ガーデンの小さな池の畔に寝っ転がっている。外の世界は冬のようだけど、ここは一年中温かだからこんなこともできる。
でも、妖精の庭に来てやることが昼寝だなんて……まだまだ理性が残っているようね。本能を曝け出していないわ! これが「えっち」で「すけべ」なニンゲンのやりたいこととは思えないもの。
ふふ、でも、その分堕とし甲斐があるわ☆
「んあ~……フェアか……寝てるんだ……」
「見れば分かるわ。なんでそんなことをしてるか聞きたいの」
「いや、疲れてるからさ……」
「ウ・ソ☆ 我慢してるんでしょ?」
「……はあ?」
そんな見え透いた嘘を吐くなんて、ちょっとカワイイ。
「本当は、魅力的なわたしたちを目に映したら我慢できなくなっちゃうから、目を閉じているだけなんでしょ?」
「…………えぇ~……?」
とぼけてる、とぼけてる♪ 誤魔化そうとしてる~☆
「いいわよ、タカヒロになら特別にイロイロと見せてあげても……ちょっとわたしの好みだし、ね☆ ほら、チラッ、チラッ」
これで堕ちなかった男はいない。この世界の理性を溶かす効果と、わたしの【妖精の誘惑】で色に狂った男は、鼻息を荒くして襲いかかってくるものだ。とーぜん、ニンゲンなんかに触らせてはあげないけどね! さあ、どう? うふふ……。
「なあ、もう寝ていい?」
「な……っ!?」
そ、そんな……!? わたしの魅力が通じていない……!?
タカヒロは、呆然とするわたしをそのままに、寝息を立て始めた。
え……? え……!?
な、なにかの間違いよ、これは! ミリキ滴るわたしに夢中にならない男がいるものですか!! 妖精界のみんなも、わたしにメロメロだったじゃない! も、もう一度……!
「ね、ねえ~……? お昼寝なんてしていないで、わたしとイイコトしましょ? なんだったら、触ってみてもいいのよ? ……て! 手までだけどね!?」
「zzz……」
「う、うわ~ん!」
わたしは逃げ出した。薄目をチラリと開けて、わたしを一瞥した後に「ふっ」と鼻で笑ってまた寝だしたニンゲンの男から……。
「ぴ~くぅ~! に~すぅ~!」
「失敗したんですね。珍しい。よしよし、泣くのはお止しなさい」
「お姉ちゃん、元気出して~」
妹たちが慰めてくれる……煩わしい時もあるけれど、こういう時には姉妹のありがたみを強く感じる。
結局、その日の夜は、屈辱と自信の喪失から泣くに泣いた……。
こうして、わたしのアプローチは失敗に終わった。
~二日目~
「ねえねえ、これ食べてみて~?」
お花畑でお昼寝しているニンゲンさんに、「水蜜桃」をもっていく。これは、妖精界からこっそり持ってきた種を植えて、あたしがせっせと育てたジマンのイッピンだ。汁気たっぷりのあま~い桃は、食べた人をうっとりとさせる。あたしも大好きだ……じゅるり。
……はっ!? ダメダメ、これはニンゲンさんの……じゅるり……ダメダメ!
「おぉ、ありがとう…………うまっ!? うわっ、スゲーうまい!」
「えへへ、そうでしょ? おいしいでしょ?」
あたしの桃をほめられると、あたしまでうれしい。
「あ~、うまかった~……」
「水蜜桃」をあっという間に食べつくしたニンゲンさんは、服の裾で手を拭い(お行儀わるいんだ~)、その顔は、幸せに満ちている。
これで、このニンゲンさんは桃を食べ続け、明日にでもこの世界に溶けていくだろう。
あたしたち妖精が育てた「水蜜桃」をニンゲンさんが食べると、「中毒2」という状態異常になるそうだ。これにかかれば、ひたすらに桃を食べ続け、やがては本能を抑えきれなくなり、この世界の作用で溶けてしまうんだ。
でも、おいしいものを食べながら世界の一部に戻るなんて、幸せだよね?
「お礼になるもんがあればいいんだが……」
ニンゲンさんが、ポケットをパタパタとはたいている。
わっ……まだ桃以外のことが考えられるんだ……いつものニンゲンさんとは、ちょっと違うかも。
やがて、ニンゲンさんが何も無いところからリンゴを取り出した……アイテム欄にしまってたのかな?
「もらいもんでスマンけど……お礼にこれをやるよ」
わあ、おいしそうなリンゴ! つやつやとしていて、真っ赤で、ここからでも甘い匂いがする……今まで見たことないほど、おいしそうだ。
「ありがと~」
受け取って、よろよろと不時着する。ぴったりとくっつくと、むせかえるほどにあま~い匂いがする……じゅるり。さっそく、いただきま~す!
はぷり。歯で皮に傷をつけて、ちゅっと果汁を吸う。そうすると、口の中がリンゴの味でいっぱいになって……。
「なにこれおいしい!? すっごくおいしい!!」
今まで食べたことがないほどにおいしいリンゴだ! すごく濃厚な味なのに、すこしもしつこくはない。むしろ、滑るように咽の奥へと入っていく。更には、意外にも良く効いた酸味が舌を刺激し、どんどん食欲が沸いてくる。果実の歯ごたえも、しゃきしゃきとしていて小気味良い。止まらない。あたしが逆に「中毒2」になったみたいに、リンゴをかじる口が止まらない。
「そうか、そりゃ良かったな」
「うん!」
そんなあたしを、ニンゲンさんはニコニコしながら見ている。
なんだかとっても幸せだ。
そのままあたしは、昼寝を始めたニンゲンさんの隣でリンゴをかじり続けた。
「で、貴女はそのまま帰ってきた、と?」
「うん! おいしかったよ!」
家に帰ると、お姉ちゃんたちが出迎えてくれた。あれ? なんだかピークお姉ちゃんが難しそうな顔をしている……なんで?
「ね、ねえ……そんなにおいしかったの? そのリンゴ」
「おいしかったよ~……じゅるり」
思い出したらまた食べたくなってきた……。
「で? どこにあるの? そのリンゴ? 残しているんでしょうね?」
え?
「全部食べたよ?」
「何ですってぇ!? あ、あんたって娘はいつもいつも……!」
あんなにおいしいもの、残すはずがない。お腹に入ったものから魔素に変換していき、どんどん食べていった。芯すら食べてしまったぐらいだ。
フェアお姉ちゃんには悪いけど、あれは譲れない。
あ~、ほんとにおいしかったなぁ、あのリンゴ!
種が残ったから、育ててみようっと♪
~三日目~
姉妹からの報告から察するに、あのニンゲンには状態異常が効かないのだろう。フェア姉の【妖精の誘惑】による「魅了3」も、ニースの「水蜜桃」による「中毒2」も効果が無かった。恐らく、状態異常への耐性をつけるパッシブスキルか装飾品をつけているのだ。ここへ訪れた者の中で、そういったニンゲンがいないことはなかった。
しかし、フェア姉の【妖精の誘惑】を退けたのには驚きだ。あれを防げた者は、妖精界でも数少ない。流石に、かつてないほど濃密な魔素を内に秘めたニンゲンだ。これだけの力……外の世界で堕落してしまえば、どのような怪物になるか分かったものではない。褒賞として私たちが外に出られるのを抜きにしても、ここで魔素へと溶かして世界に散らしてしまわなければ……。
そうと決まれば、聞き込み調査だ。私は、他のニ人と違ってヌルくはない。必ずや、あのニンゲンの心の奥底に潜む欲望を見つけ出し、それを利用して魔素への融解を促進させてみせる。
待っていなさい、ニンゲン。
「……で、貴方は何を見ているのですか?」
「お~、「マイネイバー・トトロ」だ。たまには古典作品もいいもんだよな」
正午に差し掛かろうという時刻。ニンゲン用に作られたログハウスを訪ねると、タカヒロというニンゲンが映像水晶を用いて何かを壁に映していた。
「「マイネイバー・トトロ」……? これは……なんですか? 絵が動いている……」
普通、映像水晶といえば、持ち主が見聞きしたことを記録し、映しだすものだ。このように、絵が動くなど、私は妖精界でも見たことがない。肖像画を動かす魔法の亜種だろうか?
「ファンタジーの象徴みてえな妖精でも、アニメはやっぱ知らんよな~……少し待ってろ」
懐から取り出した手帳の端に何かを書き始めた……何だろうか。しばらくして、こちらに手帳を差し出してくる。
「いいか、ここを見てろよ?」
「?」
ペラペラとページを捲りだす……おお、これは。絵が、まるで動いているように見える。
なるほど、先ほどの映像も同じ原理で作られているのか。種が分かってしまえばなんということはない。子供だましだ。やれやれ、こちらが身構えすぎたようだ。せめて、「魔法で作ったんだ」ぐらいは言って欲しいものだ。
やはり、いくら力が強そうだからといっても所詮はニンゲンか。これなら、堕とすことも造作はないだろう。まったく、二人はどうしてこんな相手に手こずっていたのだか……。
「な? スゴイだろ?」
「はいはい、そうですね」
おやまあ、得意げな顔をして……まるで道化ですね。
「この映像水晶も、同じような方法で出来ているんだ。なかなか面白いぞ。どうだ? 見てみるか?」
「ええ、いいですよ」
まあ、付き合ってあげましょうか。こんな戯れの中にも、このニンゲンの弱点や欲望が隠れているかもしれないですしね。私に見つけられないものなど無い。
私はピーク。妖精界でも名の知れた頭脳の持ち主だ。
「ピークお姉ちゃん、すごくうれしそうだけど、今日は何してたの~?」
「聞いてください、ニース! 私は本当の文化というものに触れました!!」
興奮で落ち着きがないのが自分でも分かる。だが、この衝動は止められない。こんな感覚は初めてだ。
「いいですか、ニース。ニンゲンの想像力(創造力)は素晴らしいものがあります。例えば、猫が乗り物になるなど貴女は考えたことがありますか?」
「ネコさんなら、乗っかったことがあるよ~」
予想通りの答えだ。
「ええ、そうでしょうね。私も先ほどの問いにはそう答えるでしょう。しかし! ニンゲンは、猫と馬車を融合させ、キメラとして運用しているのです!! この柔軟な発想力! グロテスクにすら感じる、生命への挑戦!!」
「え~……ネコバシャなんて気持ち悪いよ~……ネコさんかわいそうだよ~……」
なんと! 気持ち悪い、で止めてしまえば、生命に関する学問の発展は望めないということを、この子は理解していない!! まったく、これは教育が必要ね……あとで「マイネイバー・トトロ」を一緒に見ましょう。
しかし、今は新しい作品だ! ニンゲン……いいえ、タカヒロさんから渡された新しい映像水晶を見たくてたまらない。
「ピークでもダメなんてね……」
フェア姉が何やら言っているが、気にしてはいられない。は、早く次の作品を見ねば……!
その夜、私たちはタカヒロさんに貸していただいた「ホタルのグレイブヤード」、「ハウルの機動要塞」などを観た。どれも素晴らしい出来だった。
あぁ、なんて有意義な一日だったのだろう……!
…………はて、何か忘れているような……?