自由への逃亡
「もう、もう死にたい……死にたい死にたい死にたい……」
とっぷりと日が暮れた中級区の路地裏を、「華の王都」には似つかわしくない淀んだ空気を纏った男が歩いていた。
髪はぼさぼさ……は、いつものこと。眠そうな目もいつものことだ。しかし、今の彼、佐山貴大は、全身に疲労感が滲み出ていた。
「なんでこんな時間まで仕事しなきゃいけないんだよ……頭おかしいだろ、あいつら……」
繰り返し、何度も何度も吐きだしているのは、今日の働き先の面々への恨みごとだ。
早朝からハロルド夫人の犬(十九匹。また増えた)の散歩に行き、それで遅れたせいで昼は飯も食わずに郵便配達(ノルマ150件)。一息つく間もなく放り込まれた下級区の工場では、ひたすらに石材を加工し続けた。
誰もが、「さあ働け、もっと働け」と貴大を追いたてる。
だが、元凶は他にいる。何でも屋・フリーライフの仕事の管理を一手に引き受けるワーカーホリック従業員、ユミエルだ。
「くそ~……やはり、定職に就いたってウソ吐いたのがマズかったか……」
嘘がばれて以来、ユミエルは以前にも増して貴大に仕事を与え続けている。安息日以外は、朝から晩まで仕事、仕事、仕事……労働者の人権を無視したかのような、地獄の如き週六労働だ。貴大にとってはもう我慢の限界だった。
「今、何時だと思ってる! 二十三時を超えてるんだぞ!? ありえねえ! 訳分からん!! なんで俺がこんな目に……!」
「このままでは過労で死ぬ」。貴大はそう思った。
だらだらと日々を過ごしたいと考えている貴大にとって、仕事のために生きているような生活は、到底看過できるものではなかったのだ。
「どうする……! どうする……!」
何とか仕事を減らすように住み込み従業員に頼む。無理だ。増やしはすれ、減らしはしないのが、仕事に生きる女・ユミエルだ。
学校や図書館の仕事を辞める。無理だ。この国で生きる限り、最早貴族が「おいしい」貴大を逃がしはしないだろう。
「…………この国で生きる限り?」
刹那、ピン、と彼の頭に閃くものがあった。
「そうだよ、この国に拘るこたぁないんだ……! 逃げ出そう! そうだ、それがいい……!」
それが無二の選択であるかのように、「逃げよう、逃げよう」と繰り返し口にする貴大。得てして、追い詰められた人間は突飛な結論に行きつくものである。
「うおお……! 国境越えだろうがなんだろうがやってやる!! 俺は「フリーライフ」の佐山貴大だ! 自由に……どこまでも自由に生きてやるぞ!!」
言っていることは何やら聞こえのよい言葉なのだが、やることは仕事を放り出しての逃亡だ。しかし、今の彼はかつてないほどに燃え上がっていた……。
………………
…………
……
昨夜は、ご主人さまがお戻りにならなかった。日が昇ってしまっているのに、未だ帰られない。何かあったのだろうか。心配になって【コール】で何度も呼びかけるが、応答がない。
レベル250のご主人さまには考え難いことだが、どうやら自分の意志で連絡が取れない状態にあるようだ。
「……探しに行かなければ」
もしかすると、どこかで怪我をして動けないのかもしれない。最後は下級区で仕事をなされたはずだから、充分に考えられる。あそこは雑然としていて、不意に事故を起こす可能性が高いのだ。さすがのご主人さまも、城壁修復用の石材が頭に落ちれば昏倒してしまうかもしれない。
頭から血を流し、地に倒れ伏すご主人さま。
そう考えるといてもいられず、コートも羽織らないで飛び出そうとした。
しかし、ドアを開きかけたところで、紙がぱさりと音をたてて落ちる。何だろう。ドアに挟まっていたのだろうか。
本の切れ端のようにも、手紙のようにも見える。
二つ折りにされたその紙を開くと、こう書かれていた。
『仕事ばかりの日々に疲れました。遠くの国へ行くので探さないでください。 佐山貴大』
「…………………………なにこれ」
体から力が抜け、たまらずへたり込む。取り落としてしまった手紙が、ひらりと目の前に落ちてくる。その紙面をぼんやりと目に映すが、何度見ても書かれていることは変わらなかった。
………………
…………
……
「うおお! 俺は自由だぁぁぁ~~~~~~っ!!!!」
【ブースト】を用いて、疾風のように夜明けの街道を駆け抜ける貴大。その顔はどこまでも晴れやかだ。誰の目も気にすることのない全力疾走。それは、日頃、面倒事を避けるために力を隠す彼にとって、何よりの開放感をもたらした。
「これだ! これだよ! 自由って、こういうことなんだよ! 仕事も、人の目も気にせず、したいことをやる! こういうのが自由ってもんだ!」
本来ならば、今日も仕事があったはずだ。だが、労働の束縛を振り切るように、更に速度を上げる貴大。
「うおおおおあああああああ~~~~~~~!!!! 俺は、自由だぁぁぁああああ~~~~~~!!!!」
魂の奥底から叫び声を上げる。溜りに溜まった日頃のストレスすら、一緒になって吐き出されていくかのようだ。更に雄たけびを上げ、街道すら逸れて森の中を駆け抜ける。
貴大が足を止めたのは、それから一時間ほど経ってからだった。
レベル250とはいえ、極度の空腹と四時間フルマラソンは体に響いた。出すものがない嘔吐を繰り返し、しばらくはどことも知れない森の木の下でぐったりしていた。
それを見て、何を勘違いしたのか、ドリアード(木精)が可哀そうなモノを見るような目をしてリンゴを一つ、置いていったとか。
ドリアードがリンゴを貴大にあげるシーンは、蛍の墓の冒頭シーンみたいな感じです……主人公……