恋する冒険者
貴大の記憶喪失騒動から数日が経った。
真面目な『僕』は、面倒臭がりな『俺』へと戻り、それに合わせるかのように、多くの人々の日常は平穏を取り戻していった。
十一月。深まる秋が冬へと繋がり始める月。北部イースィンドのグランフェリアには、冷たい潮風が吹き始め、王都の人々は早くも厚手のコートを着込み始めた。
裕福な者は、わずかな寒さも我慢できないとばかりに暖炉に火をともした。そんな十一月のグランフェリア。冬将軍の到来を待つ大都市で、今、暑さを感じている二人がいた。
「お、おい……どけよ」
男の上に、女が一人。少しばかり広くはあるが、一般家庭の風呂場なのだろう。ゆったりと作られた洗い場で、彼らは上下に重なって身を横たえていた。
「どけってば……」
男は、それだけ言うのが精いっぱいだった。
男の体の上に、若く、瑞々しい体が乗っている。鍛え上げられてなお柔らかい、女の体が触れている。触れ合う部分には熱が籠り、熱は微かなうずきに変わった。
「タカヒロ」
風呂場に立ち込める湯気よりも、熱い吐息が頬を撫でた。
女の唇はルージュも引いていないのに艶めかしく光り、時おりのぞく女の舌は、唇よりなお赤かった。
「なあ、タカヒロ。いいだろ?」
女は男の顔をのぞき込んで、言った。いいだろ、と。
許しを乞うようで、その実、己の欲を満たすための言葉。渦の中へと巻き込むワード。男は、近すぎる女の瞳に、吸い込まれていくような錯覚を覚えた。
「まだ早い。お、お前にはまだ早いだろ」
「オレももう、子どもじゃないんだ。なあ、分かるだろ? この意味が」
そうだ。女はもう、少女ではない。年齢的にも、肉体的にも、彼女は立派な成人である。情を交わすこともできるし――子を生み、育むこともできる。男の胸に自然と押し付けられた、彼女の胸が女の証だ。
「オレは、今のままじゃ嫌なんだ。これまで通りじゃ駄目なんだ。変わりたいし、変えたい。分かってくれよ……なあ」
「俺は今のままで、いい」
「オレが我慢できないんだ」
ひどく掠れた声は、男のものだ。蒸気立ち込める浴場は、今、女の支配下にあった。
「うう」
二人の体から、じっとりと汗がにじみ出る。浴場の暑さと、体の熱さ。二つの熱が男と女の気分を煽る。
水を弾くような若く健康的な肌は、汗にまみれ、わずかに吸い付くような質感と化している。それを少しでも気持ちいいと感じてしまった男は、己の不覚を恥じ、情欲を必死に抑えようとする。
だが、抑えようとするほど男の本能は膨れ上がり、徐々に、徐々にと暴走を始める。いけない。このままではいけない。取り返しのつかないことになる。分かっていることだが、男にはもう、どうしようもなかった。
「お願いだ。オレと、してくれ」
裸の女が、体をこすりつけるように身をのり出した。男の体がびくりと震える。彼らの局部を隠していたタオルは、とうの昔にずり落ちていた。
「してくれ、オレと」
湯船から溢れ出したお湯が、男の体に沿って流れていく。温い。そう感じるほどに、男の体は熱を帯びていた。
「な? オレと……」
熱に浮かされた男の目には、目の前の褐色肌がたまらなく魅力的に見えた。だから彼は、手を伸ばした。蠱惑的なものへと、手を伸ばした。
いや、伸ばしかけて――。
「オレと、特訓してくれ!」
先手を打たれて、寝たまま器用にズッコケた。
始まりは、些細なことだった。そう、ほんの些細なこと。
冒険者ギルドホールの大食堂。気性の荒い冒険者たちがどんちゃん騒ぎをしても耐えられるように、この食堂は丈夫に作られている。
壁も、床も、天井も。調度品さえも頑強さ第一で作られた大食堂は、これまでにただの一度も大きく壊れたことはない――こともないが、まあ、補修が効く程度には、損害は抑えられている。
しかし、いくら丈夫とはいえ、それだけだ。魔法によって補強されてはいるが、ゴミが勝手に片付くことも、散らかったものが消えることもない。宴会の後などは、目を覆いたくなるような惨状になることもしばしばあった。
その日もそうだった。皆殺しのキリングが、東部に出没したユニークモンスターを倒した。それが落としたモンスター素材に、大商人が破格の値をつけた。
良いことが二度重なれば、嬉しさ二倍、騒ぎも二倍だ。冒険者グループ〈スカーレット〉の主宰によって、ギルドホール大食堂では、年に数度の大宴会が行われた。
その結果が、年に数度の大惨事だ。朝日が差し込む大食堂には、アルコールと吐しゃ物の匂いが立ち込めて、床には死屍累々と冒険者たちが転がっていた。
キリングが酔っぱらって得物を振り回したのだろう。床や壁には大穴が開き、そこにも冒険者が引っかかって酔い潰れている。王侯貴族は冒険者たちを野蛮と謗るが、それも致し方なしの悲惨な現場だった。
「あーあ、またこんなに散らかして。ったく、掃除する身にもなれってんだ」
外に流れ出る臭気の源、地獄と化した大食堂に、職員と共に入っていく少女がいた。父親ゆずりの髪と肌、母親ゆずりの容姿を誇る彼女の名は、アルティ。ギルドマスターの娘であり、自身も『首狩りのアルティ』の二つ名を持つ冒険者だった。
アルティは、伸ばし始めた短い髪をいじりながら、モップを片手に大食堂を歩く。酒の酒瓶、壊れた机、眠りこける冒険者たちを足で転がし、彼女は大食堂の中心へと進んでいく。
そして、ど真ん中で高いびきをかいている父親をモップで叩いて、アルティは短く舌打ちをした。
「酒は止めろって母さんに言われてただろ。もう忘れたのか」
熊のような体躯の大男と、同年代に比べても小柄な少女。
燃えるような赤い髪と、褐色肌がなければ、二人を親子と気がつける者はいないだろう。だが、この遠慮のなさはまさしく親子だ。皆殺しキリングを叩ける者は、他にいない。
「じゃあ、こいつらはオレが片付けますから。皆さんは、掃除を始めてください」
モップで冒険者たちをすみの方へと押しやりながら、アルティは職員たちに指示を出した。
「変われば変わるものだなあ」
「ほんとに」
てきぱきと動くアルティに続き、職員たちも動き出す。
「前は、騒ぐ側だったのに。掃除の手伝いだなんて、女らしくなってきたよな」
「ほんとに」
職員たちはひそひそと内緒話をしながら、アルティを横目で見た。
意識的に男らしい恰好をしていたアルティ。男よりも男らしく振る舞っていたアルティ。それが、今はどうだ。女のように髪を伸ばして、女のような恰好をする。
まだまだボーイッシュさは抜け切らないものの、二年前と比べれば月とスッポン、今のアルティは十分、女らしく見えた。
「何がアルティさんを変えたんだろうな」
「女が変わるのは、男だよ、男」
「ええ、男ぉ? アルティさんが?」
「ああ、そうだよ。聞けば、タカヒロのやつと懇意にしているそうじゃないか。きっと、タカヒロとよろしくやったんだろうさ」
「いや、でも、アルティさんだぞ? あのアルティさんに限って……」
下世話な話を続ける職員たち。すっかり手が止まってしまった彼らをよそに、アルティはせっせと掃除を続ける。
邪魔な冒険者を外へと掃き出して、机や椅子は一度、隅にまとめる。そうでもしなければ、掃き掃除、拭き掃除ができないほどに、今の大食堂は汚らしい。
食べ物や食器、酒瓶が転がっているだけではない。誰のものとも知れない小物が、あちこちに散らばっている。アルティの足元にある雑誌もそうだ。こういったものは、遺失物として取り扱わなければ、後々めんどうなこととなるので、下手に捨てるわけにはいかなかった。
「机の次は、落し物まとめか。自分で言うのもなんだけど、冒険者ってだらしねえよな」
自嘲しながら、アルティは雑誌を拾い上げた。
まずは一つ。これも隅にまとめておこう。そう思った彼女は、何の気なしに表紙に目を落として――。
『グランフェリアンアン、秋の特集号!』
『レベル差=相性の悪さ? お手軽レベルアップ、教えます』
『シチュエーションで勝利せよ! 女子力全開、〇秘テク』
そのまま、黙々と雑誌を読みふけり始めた。
「『女性も強い時代に! どんなに好きな相手でも、こちらのレベルが低ければ、相手にすらしてもらえません』? 『レベル差カップルの破局率が高い』だとぉ? おいおい、それがほんとなら、まずいじゃねえか……!」
センセーショナルな記事に影響を受けるアルティ。根は純粋な彼女は、本に書かれていることは、そのまま鵜呑みにするタイプである。
「くそっ、なんかねえのか、なんか……おっ、『シチュエーションでおねだり!』か。なんかよさそうだな……って、なんだこの『浴場でおねだり! タオル一枚で迫れば、男はイチコロ。肌の距離は心の距離』ってのは!? じ、尋常じゃねえぞ……!」
とは言いながらも、アルティはかぶりつくようにして雑誌に食い入っている。
「うーんん、これは保留だな、保留。他になんか……待てよ。あいつにレベルアップの手伝いをお願いすればいいんじゃねえか? この、た、タオル一枚作戦ってのを使って、言うことを聞いてもらって……それに、なんか、これをすると仲良くなれるみたいだしな! わ、悪いことじゃねえよな? タオルも巻くんだし……そう、タオルがあるんだし! ははは!」
顔を真っ赤にして、ぎこちなく笑い声を上げるアルティを、ヱビスのような顔をした職員が、微笑ましく見守っていた。
「男だな、これは」
「ああ、間違いない」
後に、噂話の種にされるとは思ってもいないアルティは、興奮気味に両手を突き上げ、自分に発破をかけるように、天に向かって気炎を上げた。
「よーし、やるぞ! やってやる! レベルアップと、あいつと仲良くなるの。オレは両方、やってやるぞーっ!!」
そうと決まれば、実行あるのみ。アルティは雑誌を放り投げて駆け出して、一路、何でも屋〈フリーライフ〉へと向かった。
安息日の朝、習性のように朝風呂に入っている貴大に会うために。そして、これ以上ない名案を、実行に移すために。
――これが、貴大の家の浴場を、三流ポルノ小説じみた空間へと変えた原因である。
この後、鬼のような大男が、フリーライフの浴場に襲撃を仕かけるというアクシデントもあったのだが、アルティの『おねだり』は、無事、聞き遂げられたようである。
ここから、各ヒロインの話となります。
まずはアルティ。貴大は個別ルート突入回避ができるのか!?(ぇ
クライマックスに向けて続いていくヒロイン編を、どうぞご期待ください^^
ちなみに、今は新連載『On your mark!』http://ncode.syosetu.com/n7690bt/の方を主に執筆しております。
現代学園ファンタジーもの。主人公最強の、ライトノベルらしいといえばらしい作品ですが、書いてみると意外と書きやすかったので、我ながら驚いております∑(・ω・ノ)ノ
数日前の連載開始から、すでに四万字を突破して、筆も話も順調に進んでおります。物語のつかみとなる、区切りのいいところまで書けたので、是非、こちらもチェックしてみてくださいm(_ _)m