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幸せと不幸 ~第二部エピローグ~

 光石の淡い光に照らされて、ドーム型の迷宮はセピア色に包まれている。


 視界を埋める温かな色は、アルバムを開くように在りし日の記憶を蘇らせて、いくつもの光景を貴大に思い出させる。生家、親友の家、角のコンビニ、遠くに見える小学校。


 ありふれた建物や電柱さえも、見慣れた者にとっては無二のもので、そのどれもに付随する思い出があった。


 だが、一皮めくれば、全てが偽りに満ちていた。貴大がナイフで傷をつける度に、優介の攻撃魔法が炸裂する度に、偽りの町は無機質な中身を露わにしていった。


 一軒屋に見えるものは、一軒家の形をした岩だ。ガラス越しに見える景色は精密なだまし絵だ。薄く傷をつけるだけで塗装は剥げ、後には薄茶や灰色の塊しか残らない。


 要するに、この町は、隆起させた粘土の魔石に町の絵を被せているようなものだ。この町の建築物は、何一つとしてまともな作りのものはない。


 まるで、姿形だけが重要なのだと言わんばかりのずさんなダンジョン・クリエイト。貴大は、この出来そこないのレプリカと、それを作ったであろう者に強い憤りを覚えた。


「何で俺の家なんだ! 何で俺の町なんだ!?」


 捕まえようと手を伸ばす貴大を火炎魔法で牽制し、優介は答える。


「試験だ。これは試験なんだよ、貴大。とても大事なことなんだ」


 持ち手とは別に、上部中ほどにグリップが生えた杖を振るい、優介は空へと飛び上がる。緑色の旋風に包まれた彼は、民家の屋根を蹴って追いすがる貴大にまた火炎を浴びせ、また、口を開いた。


「駄目なんだ。この町を見て動揺するようじゃ駄目なんだ。涙を浮かべるようじゃ駄目なんだ。なあ、駄目だよな、貴大? お前は選ばなくちゃいけないもんな?」


「さっきから訳の分からんことを……」


「グランフェリアを選ばなくちゃ駄目だろうがっ!!」


 突然、激昂した優介は、持ち手を腕の付け根につけて、小銃のように杖を水平に構えた。瞬間、杖の先から飛び出す魔法弾。


「くっ!」


 これにはさしもの貴大もたまらず、降り注ぐ弾雨から跳び退り、路地の中へと駆け込んでいく。だが、空を飛ぶ優介は執拗に貴大を追いかけ、絶え間なく弾丸を浴びせていった。


「なあ、頼むよ。グランフェリアを選んでくれよ。せっかくユミエルちゃんたちと仲良くなったんだから、こんな町なんて選ばないでくれよ」


 かと思えば、一転して動きを止め、めそめそと泣きごとを漏らす優介。喜怒哀楽が暴走しているかのような感情の起伏の激しさに、貴大は確かな異常性を感じ取った。


「何だよ、俺は実家に帰っちゃいけないのかよ。俺は元の世界に帰っちゃいけないのかよ!」


「当たり前だろ?」


 貴大は、心底、元の世界に帰りたいと思っていたわけではなかった。先ほどの言葉も、優介の拒絶に対する売り言葉のようなものだった。


 だが、それが当然のように肯定されてしまう。お前は帰ってくるなと跳ね返されてしまう。貴大は、込み上げてくる怒りと悲しみを抑えることができなかった。


「何で……っ!」


 感極まって零れた声。何度も繰り返した疑問。答えが欲しくて投げかけた言葉。それでも、優介は答えない。答えてくれない。


「なあ、この世界って変だよな。ゲームみたいな世界だよな。〈Another World Online〉みたいだよな」


「何を」


「っていうか、パクリだよな。ゲームのステータスがそのまま適用されるなんて、どんだけコピペしたんだよ、って感じだ」


「言って」


「不思議な世界だよなぁー! 興味津々だよなぁ! だからさ、俺、調べたんだ。この世界のこと、たくさん調べたんだ」


 眼鏡の奥で目を爛々と輝かせて語り始める優介に、貴大はもう何も言えなくなってしまった。対する優介は、意気消沈した親友の様子にも気づかずに、両手を広げて持論を述べた。


「まず、気になったのは〈Another World Online〉との違いなんだ。ゲームに比べて、この世界はかなり広い! MAPを開けば『未踏破地区』だらけで、ゲームでは実装されていない種族、魔物、アイテムなんかがいっぱいある。ジョブなんて言った者勝ちみたいに山ほどあって、スキルだってゲームとは比べものにならないほどある。これがまずおかしいだろ? 〈アース〉って、〈Another World Online〉みたいな世界のはずだろ? ゲームみたいな世界なんだろ? なのに、これじゃああべこべだ。〈アース〉に比べたら、〈Another World Online〉なんてクローズドβみたいなもんだ」


 狂人の戯言だと決めつけて、虚ろな気持ちで耳を傾けていた貴大は、優介の話に興味を引かれて顔を上げた。彼の話の中に、おやっと思うものがあったのだ。


「それは、この世界に来てからずーっと考えていた。どっちが鶏で、どっちが卵なんだろう、ってな。もしかすると、〈Another World Online〉はすでに完成していて、その未公開の仮想現実に迷い込んでしまったとも考えたよ。でも、違ったんだ。違ったんだよ、貴大」


 貴大自身、この世界の謎について考えたことはあったが、今に至るまで確証を得ることはできなかった。だが、優介はどうやら答えを掴んだらしい。


 貴大が見守る中、癖毛の青年はドームの天井を見上げ、厳かに声を発した。


「あの日、俺とれんちゃんは〈アース〉の真実を知った。〈Another World Online〉の真実を知った。管理者の存在を知った。超越者の存在を知った。世界の在り様を知った。黒幕の正体を知った。そして、死ぬに死ねない体になった」


 語り終えた優介は、ぼろぼろと涙を流し始めた。


 貴大には、その涙の理由が分からない。優介が辿った道を理解することができない。ただ、彼が身に余るほどの労苦を背負い込んでいることだけは感じ取れた。


 連次や優介が狂ってしまったのは、それが原因なのだ。


 ――いや、もしかすると、彼らは初めから狂っておらず、彼らの行動には全て理由があるのかもしれない。全ては、良かれと思っての行動なのかもしれない。


「優介……」


 緑色の旋風が消え、緩やかに地面に下りてきた親友に、貴大は近づいていった。涙を零し、うつむく友人の肩に、せめて手を置こうと思って近づいた。


 それこそが、貴大の甘さだった。


「優す、あぐっ!?」


 油断した!


 直感的にそう理解した時、貴大はすでに詰んでいた。野獣のような勢いで貴大の両肩を掴んだ優介の手からは、【ソウル・バインド】の光の鎖が伸びていた。


 全身を縛り上げ、身体に食い込む白光の鎖は、貴大から自由を奪っていく。貴大は、小指さえも動かせなくなっていく――。


「いいか、貴大! 敵はメアリー・コープスだ! 倒すべきはモーリス・クライムだ! 千川舞子ちかわまいこを打ち倒せ! モルタビア・チェンバスが黒幕だ! ミリアネージ・コールマンは絶対に逃がすな! マルワー・チューリッヒさえどうにかすれば、世界に平和が訪れる!」


 貴大の顔面に唾を飛び散らせ、優介は誰かを倒せと喚き散らす。


「絆は何よりも大事であり、愛情は育てなければならない。そうだ、犬にエサをやらなきゃ。250の壁は越えられる。グランフェリアだ。ああ、そうだ! 自立だな。1+1じゃ駄目なんだ。ユミエルちゃんと仲良くしろよ。悪神に気を許すな。ユニゾン」


 とうとう、優介の話は意味をなさなくなり、支離滅裂な言葉だけが無限に彼の口から垂れ流される。彼の瞳に渦巻く狂気を、一時たりとはいえ、どうして忘れてしまったのか。貴大は、己の油断を悔いた。


「優介、やめ、ろ」


「大丈夫だ。貴大ならきっとできる! 俺は信じている」


 満面の笑みで、貴大の頭をわしづかみにする優介。彼の手から黒色の瘴気が溢れ出て、貴大の耳へと流れ込んでいく。


 そのおぞましい感触に、しかし体を震わせることもできず、貴大は蚊の鳴くような声で抵抗の意を示した。


「や、め、ろ」


「ほら、チャイムが鳴るぞ。急げよ」


 最後の最後まで、二人は意思の疎通ができなかった。













『こういうのって、小細工っていうんだよね』


 セピア色のドームの中心で、倒れ伏した貴大を見下ろす少女が一人。


『時間稼ぎにはなると思うよ。でも、それでどうなるの、とも思うな』


 あどけない少女の正面には、猫獣人の女が一人。


『これもまた、壁になる。この子が乗り越える壁になる。幸せは壁に向こうにある。苦難を乗り越えた先にある。これでいいんじゃよ、ふぇふぇ』


 彼女らの傍らには、老女が一人。 


『佐山貴大は幸せになる』


 道路に沿って女が十人。


『佐山貴大は幸せにする』


 塀や屋根の上には女が百人。


『私が、幸せに導く』


『私は、この子を信じている』


『彼はきっと、幸せの中心にいられる』


 路地を、道路を、家々の庭を埋め尽くすように、女が、女たちが立っている。彼女らは揃って、貴大を見つめている。


 黒曜石のように、黒く、つるりとした目で。


『幸せになる。幸せが続く。幸せが重なっていく』


『そして、幸せの絶頂に至った時』


『その時は、その時こそが』


 合唱するように、いや、寸分の狂いもなく声を重ねた女の群れは、じっと貴大の顔をのぞき込んで――。


 初めから存在していなかったかのように、残滓すら残さずに消え失せた。


 残されたのは、穏やかな光に照らされた貴大のみ。彼は生家の前で身を横たえ、ゆっくりと胸を上下させていた。


 遠くから聞こえる喧騒。地面から伝わる揺れ。彼を探す誰かの声にも反応せずに、貴大はただ、眠り続ける。


 やがて、魔物を退治したアルティが貴大の元に駆けつけ、彼の肩を揺さぶった時、ようやく彼は目を覚ました。


 それはもう、あどけない顔で、ぼんやりとアルティやセリエ、エルゥたちを見つめた。


「よ、よかったー!」


「この馬鹿、心配しただろ!」


「睡眠トラップにでも引っかかったのかい?」


 まるで奇妙なものを見るような目で、自分を囲む女たちと、周囲を警護する騎士たち、そして辺りを見渡す貴大。彼の様子がおかしいことに気がついたアルティは、彼の目の前で手を振った。


「おい、どうした。ちゃんと起きてんのか?」


「あ、はい。起きてはいるのですが……」


「ならいいんだ。……ん? ですが?」


 アルティが違和感を覚えた瞬間、貴大は決定的な一言を口にした。


「あの、ここはどこでしょう? 貴女方は誰で……その、僕は誰なんでしょうか?」


「「「えええええええええっ!?」」」


 優介に摩訶不思議な魔法をかけられた貴大。


 彼は、自分のことも、これまでのことも、何もかもが分からなかった。何も思い出せず、何も思い当たらず、頭の中は漂白されたように真っ白だった。


 それは、世間一般でいうところの、記憶喪失というものだった。



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