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暗躍

 コンクリートに覆われた道路を歩く。電線が張られた空を見上げる。国道沿いに立ち尽くす信号機をその手でなぞる。


 ドーム状の箱庭の町で、貴大は過ぎ去った過去を幻視していた。


 あのコンビニで買い食いをした。あの公園でよくだべっていた。あの神社でよく昼寝をした。


 シャツと短パン姿の小さな貴大が、路地から路地へと駆けていく。学ラン姿の貴大が、イヤホンをつけたまま、神社の芝生に寝転がっている。ブレザー姿の貴大が、友人たちと一緒に通学路を歩いていく――。


 貴大は、それらの思い出とすれ違いながら、一路、目的地を目指す。ドームの中心部にひっそりと佇む、とある場所を。


 忘れるはずがない。分からないはずがない。この遺跡の中央には、必ず、あれが存在する。貴大の十七年を見守り続けた場所がある。


 彼が生まれ、彼が育った、家がある――。


「……っ!」


 次第に駆け足になり、遂には走り出していた貴大は、間もなくしてドームの中央に辿り着いた。


 住宅街の中にある、何の変哲もない一軒家。日本人が『家』を思い浮かべれば、似たような建物がイメージされるであろう没個性的な二階建ての家。


 ガレージが一つ、ベランダが一つ、脇には猫の額ほどの庭があり、屋根は濃い灰色だ。少し奥まったところに玄関のドアがあり、コンクリート製の塀の向こうにはカーテンに隠されたリビングが見えた。


 不意に、貴大は涙を一粒、目の端に浮かべた。わずかに滲む視界の中、光石の淡い明かりに照らされた家に、彼は十七年分の思い出を見た。


 リビングから漏れ出るテレビの音を聞いた。父親と母親、家族の気配を感じた。カーテンの向こうで揺れる誰かの影を確かに見た。


 たまらなかった。何の愛着も持ってはいない。何の未練もないと高をくくっていたが、その実、実家を目の前にすると、懐かしさから物も言えなくなった。


 貴大は、自分がこんなに感傷的な人間だとは思いもしなかった。故郷というものが、これほどまでに心を揺さぶるなど、予想だにしなかった。


 自分はもっとニヒルな人間だと――両親が死んだところで、涙も流さないような冷めた人間だと思っていた。


 しかし、現実の貴大は、生家を前にして懐かしさに震えている。彼は、この時、あの岩庭弥彦の気持ちを痛いほどに理解していた。


「うっ、うう」


 嗚咽を漏らし、貴大は我が家の玄関へと近づく。道路から敷地に入り、レンガ敷きの通路を抜け、玄関のドアノブに手をかける。


 そして、棒状のドアノブを、感情のままに下ろした時――ドアノブは、いやに鈍い音を立てて、付け根から折れてしまった。


「……えっ」


 貴大は呆けたように、折れてしまったドアノブを見つめた。


 金属製のバー。だが、その断面は、まるで石のようにぼそぼそとしたもので、金属らしさがまるでなかった。


「っ!」


 奥歯を噛んだ貴大は、握りしめた拳をドアに叩きつける。すると、はめ込まれたガラスが割れ、玄関扉には大きな亀裂が走った。周りの、柱ごと。


 大きな裂け目からのぞく断面は、やはり石の質感に似て、薄茶や灰色でざらざらとしている。裂け目の向こうには、当然あるはずの鉄筋や断熱材、ケーブルの類はなく、どこまで行っても暗く、均一の素材でできていた。


 次いで、貴大は地面をナイフで裂いた。レンガのように見えた敷石も、一皮めくれば石であり、その質感は家と同一ものだった。


 貴大は、この石に見覚えがあった。迷宮や、人造迷宮を構成する構造材の一つ。ダンジョン・コアの魔力を受け、自由自在に姿形や色を変える粘土の魔石。


 迷宮の壁や床、天井として、何度となく見てきたもので、この家はできている。


 そのことに気がついた貴大は、まとわりつく望郷の念を払いのけ、歯を食いしばった後に大きな声を上げた。


「趣味が悪いぞ、優介ぇっ!!」


 ドーム型の迷宮に、貴大の声が響き渡った後。残響が鳴り止んですぐに、そいつは姿を現した。


「ははは、悪いな貴大。本当に悪かった」


 向かいの家の屋根から、ひょいと飛び降りてきた男。モスグレーのマントを羽織った、癖のある黒髪と眼鏡が特徴的な青年は、ごく自然な動作で貴大に近づいてきた。


「っ!」


 旧友との再会に、しかし貴大はナイフを構える。反射的に抜き放ったナイフを優介に見せつけ、貴大は威嚇の意を示した。


「何だよ、物騒だな。そんなもんしまえよ」


「お前、何を企んでいるんだ? こんな迷宮を……俺の町を造って」


「あっ、そうか。それが気になっていたんだな? 相変わらず、大雑把なようで、細かいところを気にするんだから」


「いいから、答えろっ!」


 親友との二年ぶりの再会。だが、そこに握手や抱擁はなく、貴大には油断もなかった。


 本当は駆け寄りたい。互いの無事を祝って、二人で笑いあいたい。生死も定かではなかった親友と、これまでの労苦を語り合いたい。


 だが、およそ半年前。もう一人の親友、倉本蓮次を家の中へと招き入れた結果、同居しているメイドが倒れ、彼女には死の呪いがかけられた。そして、貴大は親友との死闘を強制された。


 蓮次は、およそ害意とは無縁の好青年だった。進んで人を助け、世の不条理を見過ごさない。涼風のような清々しい男であり、決して、いたいけな少女を人質に取り、血みどろの戦いを望むような男ではなかった。


 あの蓮次が変わってしまったのは、あの事件のせいだと、貴大は考えている。元の世界へと帰還するために、『M.Cの日記』の導きの末に辿り着いた迷宮。そこで、蓮次は世界転移の光に包まれていった。


 あれが、よくなかったのだ。ガーディアンが、転移装置のコア・オーブを壊してしまったからか。それとも、他に何か問題があったのか。そこまでは分からないが、貴大には連次が狂ってしまった理由が、それしか思い浮かばなかった。


「お前、何でそんなに怯えてんの? 何かあったの?」


 以前と変わらぬ様子を見せる癖毛の青年、上島優介も、連次と共に転移魔方陣の中へと入った。そして、連次と共に転移光に包まれて消えていった。


 と、いうことは、彼もまた、連次のように変わってしまったのではないか。貴大に害意を持つ、理解不能の狂人に――。


 蓮次によって奇襲を受けた貴大は、優介に向けたナイフを下ろすことはできなかった。


「こ、答えろっ! この町っ、いや、学校もお前の仕業だろ!? こんな迷宮を造って、何を企んでるんだよ!」


「企んでいるって……いやー、ははは」


 身を強張らせ、脂汗を浮かべる貴大と、ぽりぽりと頬をかく優介。


 ナイフを構えている貴大の方が追いつめられているようで、それは一種奇妙な光景だった。


「いや、確かに、この迷宮を造ったのは俺だよ? お前らが自爆させちゃった学校型の迷宮を造ったのも俺だ」


 軽く笑いながら優介は語る。その気さくな様子に、貴大はごくりと固唾を飲んだ。


「ミケロッティを唆したのも俺だし、憤怒の悪鬼を送り込んだのも俺だな。フェアリーズ・ガーデンにお前を迷い込ませたのも俺で、魔法使いハロルドの遺産を利用したのも俺だ。れんちゃんに【カウント・デス5】を教えもしたし、アップル・ポーションに細工をしたのも俺だ。この前のゾンビイベントは楽しかったか? あれも俺が用意したものだし、当然、クラーケンの復活とかも俺の仕業だ。細かいのを含めると、それこそ数えきれないけど、まあ、色々やった。いやー、骨が折れたわ」


「……は?」


 どうということはない世間話をするように、優介は己の悪行を語った。


 誇るのでもなく、見せつけるのでもなく、淡々と自分の行為を並べ立てる癖毛の青年。そこに罪悪感などは欠片も感じられず、逆に優介は薄く笑みすら浮かべていた。


 悪意は感じられない。害意も感じられない。優介は、以前の優介そのままで、無邪気な顔で笑っていた。


 貴大は、そこに連次のものと同じ狂気を感じていた。


「何で、だよ」


 喘ぐように口を開いた貴大は、ようやくの思いでそれだけを吐き出した。


 対照的に、平然としている優介は、きょとんとしたかと思うと、不思議そうに眉間を寄せた。


「何でって……お前のためだろう? 全部、お前のためにやったんだ」


「わけ分かんねえよ! あ、あれが俺のためになるかよ! ちゃんと説明しろよ!」


「ちょ、落ち着けって。なあ? どうしたんだよ、貴大。お前らしくないぞ?」


 決定的だった。


 貴大には、心配そうに見つめる優介が狂人に見えた。優介の澄んだ目が、何やら劇薬を湛えているようにも感じられた。


 同じだ。優介は蓮次と同じ状態にある。理由はどうあれ、今の優介は、善悪の区別がついていない。


 貴大は、より一層、ナイフを持つ手に力を込めた。


「……優介。お前は縛り上げる。後でメリッサに診てもらう」


「はあ? メリッサって、あの人工聖女だよな? 俺、別に病気とかしてないぜ」


「いいから、黙れ!」


「なあ、お前、誤解しているんだ。話をすればちゃんと分かってくれる」


「話は後でいい!」


「だから、聞けって! 俺はな、お前を不幸にしたくて頑張っていたんだ。お前を幸せにするわけにはいかなかったんだ。今もな、色々考えているんだ。計画を立てているんだぜ。次はさ、れんちゃんがしたみたいに、あのちびっ子メイドにちょっかいをかけてみようと思うんだ。あの子が行方不明になったら、お前、心が乱れるだろう? 不幸になるだろう? な? いい案だと思わないか? 他の案よりずっといい」


「もう黙ってくれ!」


 懇願にも似た叫び声を上げて、貴大は優介に斬りかかった。


 優介はまだ、不思議そうな顔をしていた。




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