日常と兆し
第二部最終章、始まるよー。
この章が終わると、クライマックスに突入します。
それでは、どうぞお楽しみくださいませm(_ _)m
混沌龍来襲に、聖女の来訪。黒騎士への変身に、怪しげなポーションのちゃんぽんによる心神喪失。更には、闘技大会への参加、バイオハザードの収束、無人島でのサバイバルなど、ここ数か月、佐山貴大の生活は濃密の一言に尽きた。
慌ただしい喧騒の中で迎えた九月も、ジパニア村への立ち寄り、そして大陸を跨いでのジパング旅行など、彼の周囲は何かと騒動が絶えなかった。
このまま、煩雑とした毎日を送るのだろうか。昼寝など夢のまた夢、夜、ゆっくりと体を休めることもできなくなるのだろうか。
貴大自身、半ば諦めにも近い気持ちを抱いていたのだが、彼の生活は理想的に好転していった。
「タカヒロッ! タカヒロッ、もう一回!」
「おーう」
ジパング訪問から、時は流れて九月末。
長い夏季休業を終え、何でも屋の営業を再開した貴大は、積もりに積もった一か月分の仕事が待ち構えていると覚悟していた。
だが、彼は失念していた。秋は魔物が大発生する繁殖期であり、この時期はイースィンドの首都、すなわちグランフェリアへと、無数の冒険者たちが集まってくるということを。
国内の大型都市へと集った彼らのうち、弱小と呼ばれる部類の人間は、もちろん、魔物を倒してレベルを上げたいが、それ以上に、日銭を稼ぐことに必死だった。
ギルドの魔物討伐隊に加われば、部隊の強みで、安全に、かつ効率的にレベルを上げることができる。だが、魔物がいつ徒党を組むのかは誰にも分からず、冒険者たちは声がかかるまで、大型都市に滞在しなければならなかった。
都市は町や村に比べて物価が高い。飲食物はそれほどでもないのだが、とかく宿代が高くつく。馬小屋に泊まればタダで済むのは田舎だけの話で、驚くことに、グランフェリアともなると、納屋であっても銅貨が何十枚も飛んでいく。
繰り返しになるが、魔物は倒したい、でも、金がない。そんな弱小冒険者は、都市の中で働いて、銀貨、銅貨を得なければならないのである。
こういった切ない事情があるために、秋は必然的にどこも人手が足りてしまう。冒険者ギルドの臨時雇用のカウンターは常に行列ができ、日雇いを募集する看板の前は、出稼ぎ夫よりも冒険者の数が目立つ。
繁殖期となって人が集まり、自然と高まる需要に対し、供給させてくれ、供給させてくれ、そして対価に金をくれと、人が群がる。過剰なほどに働き手が揃ってしまえば、余所に回す仕事がなくなってしまう。
冒険者ギルドの管轄下にある何でも屋に対しても、仕事らしい仕事を用意することができない。この時期だけは、あのユミエルでさえも暇を持て余すほどだった。
「タカヒロッ! もう一回! もう一回!」
「おーう。そーれ、取ってこーい」
「わんっ!」
九月末日の安息日。貴大は、グランフェリアに帰ってきたクルミアとボール遊びに興じていた。
「もう一回! もー一回!」
「はいよー」
中級区の自然公園の中、芝生に覆われた広場を、大柄な犬獣人の少女が駆けていく。ベビーブロンドの髪は汗に濡れて艶々と輝き、犬のような耳と尻尾は、少女の動きに合わせて弾んでいた。
貴大が投げた毛糸玉を布で包んだボールは、地面に落下する前にクルミアによってキャッチされ、彼女の手によって貴大の下へと戻ってくる。
「もっかい! もっかい投げて!」
「へーい」
高く放られたボールを追いかけて、クルミアは広場を走る、走る。
弾丸のような勢いと、眩しいばかりの輝く笑顔に、自然公園に集った平民たちは、自然と犬獣人の少女を目で追った。秋空の下、涼やかな風を切って進む姿に、人々は爽やかな清涼感を覚えた。
「わんっ! わうわうっ!」
「お前、ちょっと興奮し過ぎだ。ちょっと休め。ほら、お座り」
秋物のベージュ色のパーカーを脱ぎ去り、デニムのショートパンツと白無地のシャツ、スニーカーだけの姿となったクルミア。全身からほかほかと蒸気を立ち昇らせる彼女は、行ったり来たりのボール遊びに、人語を忘れるほどに夢中になっていた。
いくら涼しくなったとはいえ、これ以上のヒートアップは危険だろう。体温が高い子どもは、運動中はとかく、熱中症、脱水症状に気をつけなければならない。
クルミアが暮らす孤児院の院長からも、子どもと遊ぶ際は小まめに水分補給をさせてほしいと念押しされていた貴大は、水筒からコップにレモネードを注いで、腰を下ろしたクルミアに手渡した。
「ありがとー! んっ、んっ、んっ」
両手で陶製のコップを受け取ったクルミアは、無邪気な顔を輝かせて、レモネードを一気にあおった。遊びたい気持ちが勝ってはいたが、やはりのどが渇いていたのだろう。あっという間にレモネードを飲み干したクルミアは、空になったコップを貴大に突き出した。
「こら、ゆっくり飲め。一気飲みは体に悪いんだぞ」
「わう」
分かっているのかいないのか、にこにこと笑顔を浮かべたままのクルミアに、貴大も釣られて笑い、また、レモネードをコップに注いだ。
安息日には、原則的に全ての店が戸を閉める。週に一度の安息日は、休むための一日であって、決して、働く日ではない。
太古の昔、神代の時代から定められている不文律。東部イースィンドの古代遺跡から出土した古文書『チュートリアル』からも、【不養生は早死にの元】、【週に一度は体を休めよう】、【ゲームは一日一時間】など、定期的な休養を勧める文言が散見される。
東大陸の西端に位置する大国、イースィンドでも週休一日制は広く浸透している。安息日になれば、日頃賑わう大市場もがらんとしたレンガ敷きの広場と化し、各種工房が集まる区画からは煙突が吐き出す煙が消える。
完全休養のルールは名目だけのものではない。休む日はしっかりと休み、働く日はきちんと働く。切り替えができず、際限なく働いたり、だらだらと休みを引きずるような人間は、一般的にダメ人間と認知されていた。
とはいえ、杓子定規に国民全員が安息日に休んでしまっては、社会が成り立たなくなるのもまた事実だ。消防隊、自警団、騎士団など、治安や国防に関わる組織や、宿泊施設、一部の飲食店などは、安息日を一日ずらす、交代要員を用意するなど、柔軟な対応を見せていた。
「ありがとうございまーす!」
貴大が串焼き肉を買った屋台も、そのうちの一つだ。
平日、安息日を問わず、人の出入りが激しい下級区は、安息日においても人気が絶えない区画の一つだ。冒険者や行商人はもちろんのこと、旅人や観光客などは、かえって安息日の方が姿を増す。
仮に、彼らのための食事を提供する店や、彼らが泊まる宿がなければ、どうなってしまうのだろうか。まさか、街の中で火を熾し、自炊や野宿を始めることはなさそうだが、それに近い光景が見られるだろう。
グランフェリアが、何の変哲もない港町から都市へと発展してきた中で、そういったトラブルは幾度も起こった。飲食店が軒並み店を開いたり、逆に開かず、旅人たちが困り果てたりと、安息日に関する都市運営は過去何度も迷走してきた。
紆余曲折を経て、安息日の開店が認可制になるまでに、施政者たちは何人も胃を痛め、慢性的な頭痛に悩まされていたとか。
「別に、休みの日でも店を開きたきゃ開けばいいのに」
先人の苦労などどこ吹く風とばかりに、貴大は羊の串焼きを頬張りながら呟いた。
ブライト孤児院にクルミアを送り届け、その足で同じ下級区内の屋台通りに立ち寄る。そして、早めの夕飯だとばかりに買い食いをしながら、貴大は自宅へ帰って行った。
「安息日は下級区に行かなきゃ外食できないとか、面倒だよな」
軽く不満を漏らしながら玄関の扉を開き、靴を脱いで廊下に上がる貴大。
「人の欲望は限りがない。どこかで歯止めをしなければ、自滅するまで人は働き続けるだろう。例えば、はるか昔に栄えたムーという国があるのだがね。この国では、魔導の明かりが二十四時間街を照らし、店は戸を閉めることがなく、人々は休みという概念を終ぞ知らないまま、やがて全員が過労死するまで働き続けたと聞く。このことから、労働をあえて不連続面に落とし込むことは、非効率的に見えて、実は必要不可欠であると言える。人は知恵ある生き物であり、本能のままに生きる獣ではない。集団で、よりよく生きるためには規制、抑制の類は必要であり、統治者はしっかと民衆の手綱を握らなければならない。安息日の開店を認可制にしたことにより、無駄な競争が避けられ、失業者が減ったという話は前にしたね? 我が国も、一時期は自由や解放が持て囃された時期もあったが、結果だけを見れば、繁栄したとは言い難い。とはいえ、バルトロアの前身である神聖ルナルース帝国は、過度の規制で民の反発を招き、やがて滅亡してしまった。二つの事実を考えると、政治や統制は極端ではよろしくないという事実が見えてきて」
「ユミエル、今日の飯、なにー?」
「……羊のシチューです」
「参ったな。羊はさっき食ったんだが……まあ、いいか」
「おお、タカヒロ、帰ったか。夕食まで、ゆるりと時を過ごそうぞ……ん? い、いかん!」
「何だ、どうした」
「これをやるのを忘れていた。ジパング仕込みの、ニイヅマ殺法。んんっ、ごほん。おかえりなさい。ご飯にする? お風呂にする? それとも……我?」
「風呂」
「ぬわーっ!? こ、これがテイシュカンパクというものかーっ!?」
薄手の生地を何枚も重ねたゴスロリ衣装を着たルートゥーは、強敵、亭主関白マンの前に儚くも敗れ去ってしまった。
余裕の勝利を収めた――と、いうよりは、端から相手にしていなかった貴大は、打ちひしがれるルートゥーを脇にどかして、二階の風呂場へ向かおうとした。
そこで、ようやく、貴大を最初に迎えた黒髪のエルフが、揺り椅子から立ち上がり、つれない男の肩を掴んだ。
「話はまだ途中だよ。さあ、席に座りたまえ」
黒髪と薄汚れた白衣、そしてシャープフレームの眼鏡が特徴的なエルフは、名をエルゥといった。王立図書館が誇る天才研究員であり、優秀な頭脳を持つ彼女は、瞳を知的に光らせて貴大を引き留める。
「やだよ、お前の薀蓄、長いもん」
だが、亭主関白マンの強さは次元が違っていた。少し痩せぎすではあるが、十二分に美人であるエルゥの誘いをも断って、貴大は階上へと向かう。それでも、エルゥはその手を離さなかった。
「うわーん! 聞いてくれてもいいじゃないかー! 私だって、たまには誰かとおしゃべりしたくなるんだよー!」
「ええい、鬱陶しい! また研究がうまくいったのか? だからって、無駄にテンションを上げるな!」
貴大の服の裾を掴み、幼児のように床を転がるエルゥからは、およそ知性の片鱗すら感じ取れなかった。
「だって、しょうがないじゃないか。新しい遺跡が発掘されて、そこの調査を任されたんだよ。今から胸が踊るのも仕方がないというものだ」
仰向けに寝転がったまま、うっとりとした表情で語るエルゥの手を裾から剥がしつつ、貴大はしっしと右手を振った。
「そーか、そーか、よかったな。じゃあ、さっさと行って来いよ」
「ははは、馬鹿を言っちゃいけない。もしも郊外で魔物に襲われたらどうするんだい? ユニークモンスターと遭遇したら? 未知の遺跡に立ち入るとなると、護衛の騎士だけでは心もとない」
「じゃあ、冒険者でも雇えば? 今なら、人だけはたくさんいるぞ」
あくまでも邪険に扱う貴大に対し、意外にもエルゥは笑顔を浮かべながらこう言った。
「そうだね、腕利きを雇うとするよ」
ぽんと、貴大の肩に置かれる手。
「……はっ!?」
その意味を理解した時、彼の逃げ道はすでにユミエルが塞いでいた。