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ジパニア村へようこそ!

 街道沿いの宿場町ピークスから、南東へ馬車を走らせること二時間。


 荒野や草原ばかりで味気なかった景色は、重く頭を垂れた稲穂に彩られてゆき、進めば進むほどに黄金の色を濃くしていく。


 水田と概念がないのか、はたまた、あえてそうしているのか、辺り一面に広がっているのは水が張られていない畑だ。稲作といえば水田しか知らない貴大にとってこの光景は一種のカルチャーショックであり、彼は物珍しそうに『稲の畑』を見ていた。


「どしたの、タカヒロちゃん? 稲がそんなに珍しいの?」


「お前はジパニア人だろ? がははっ」


 馬車から身を乗り出す貴大を見て、きょとんと首を傾げる中年夫婦。彼らこそカオルの両親であり、王都で大衆食堂〈まんぷく亭〉を営むロックヤード夫妻だった。


「いや、俺、水田しか知らなくって。米って畑に蒔いても生えるんすね」


「あー、そういうことね。まあ、ここらへんだと畑の方が主流だからね」


「何だ何だ、冒険者のくせして、陸稲も見たことないのか、がはははっ!」


 ジパニア村の青年団たちが用意した馬車の一つ。十人乗りの中型馬車の中で、荷物や土産のチェック、幌のチェックをしていたロックヤード夫妻は、貴大らの合流を大いに喜んだ。


 それこそ、道中、引っ切りなしに貴大やユミエルに話しかけ、寝ているルートゥーのほっぺをつついて遊ぶほど上機嫌になり、携帯用の茶や菓子などをふるまった。


 夫アカツキと妻ケイトのどちらもが、人付き合いが好きな方だということもある。貴大らとは、公私に渡って縁があるということもある。それでも、彼らが殊の外機嫌を良くしているのは、一人娘の想い人が、まんまと掌の中に飛び込んできたからだろう。


(きっかけは新米でいい。最初は花より団子でもいい。結果よ。結果が全てよ! このチャンスをものにするわよ、あなた!)


(おう! これでロックヤード家も安泰だな! がははっ!)


 結婚行進曲がダダ漏れな、分かりやす過ぎる両親のアイコンタクトを見て、同じ馬車に乗り込んでいたカオルは、そっと小さく息を吐いた。


(うう、そんなつもりじゃなかったのに。私はただ、タカヒロたちに、私たちの村を見せたかっただけなのに。お母さんたちが考えていることなんて、そんなこと私は……)


 考えていなかったと言えば、嘘になる。


 貴大に故郷の景色を見せたい。貴大と一緒に稲刈りをしたい。貴大に手料理をふるまいたい。貴大と一緒に虫の音が聞こえる夜の村を歩きたい。


 カオル=ロックヤードは十七歳。いわゆる年頃である彼女は、他の恋する少女がそうであるように、抑えきれない乙女心に難儀していた。


「わん?」


「……ええ。私も長旅は初めてです」


「わわん?」


「……そうです。初体験に胸がドキドキです」


 カオルが切ない顔をして、貴大が馬車の外を見て、ルートゥーがまだぐーすか寝息を立てている間、仲良しなユミエルとクルミアは、何やら常人には理解しがたい会話を続けていた。


 そうこうしている間にも馬車は走り、稲畑を抜け、林へ入り、南へ、南へと進んでいく。やがて、馬車が緩やかな丘を登り始めた時、貴大は短く、「あれっ?」と呟いた。


「なあ、カオル。稲畑を抜けちゃったけど、道は合ってるのか? さっき、畑の向こうに村が見えたけど、あれがジパニア村なんだろ? やたら遠回りしてないか?」


 少し焦ったように馬車の後方を指差す貴大。慌てた彼の姿に、ロックヤード一家や御者を務める青年はきょとんとした顔をしていたが、すぐに合点がいったとばかりにわっと朗笑した。


「やだわ、タカヒロちゃんったら。あれはお隣の村。ジパニア村は、この丘の向こうにあるの!」


「米だってなあ、うちはジパングみたいに水田で作ってるんだぜ」


「あはは、隣村と間違えるなんて、失礼だよー」


「そ、そうか? そうなのか」


「タカヒロ君は、そんなに新米が食べたかったのかな?」


「いえ、そんなことは決して……」


 消え入りそうな声でぼそぼそ呟き、日に焼けた顔を赤く染める貴大を見て、一同はますます大きな声で笑った。


 ツボに入ったのか、笑いはなかなか収まらず、丘の上にさしかかっても、ケイトなどは苦しそうに腹を押さえていた。


 彼らの言葉通りなら、ジパニア村はもう間もなくだ。ご近所さんの故郷へ入るのに、笑われたままでは格好がつかないと考えたのか、貴大は大きく手を叩いて、カオルたちの気を逸らせようとした。


 しかし、それよりも早く、ジパニア村の景色が視界に飛び込んできて――ケイトたちの自嘲じみた声が上がった。


「ふふっ、隣村と間違えるなんて、本当に失礼」


「だって、オレたちの村」


「あんなに広くないからなあ……」


「ううっ!?」


 丘の上からはジパニア村が一望できた。


 村の東西には森がある。村の中央を、道沿いに流れる川がある。北から南へと流れる川が進む先には、もう一つ、小高い丘がある。そのふもとに小さなため池ができており、丘を迂回する形で、川がまた流れを作っている。村には五十戸に届くかどうかの家があり、そのそばには小さな畑と水田があった。


 ――ジパニア村には、それだけしかなかった。


 広さにして、コロッセオ四個分といったところだろうか。森の中にぽっかりと開いた空間は、先ほど通過した村とは比べものにならないほど小さい。


 なるほど、これでは、比べるのも失礼だ。このような小村を『村』と言ってしまっては、広い土地で、大規模な稲作を行っている隣村にとって失礼にあたる。


 そう言い切れるほどに、ジパニア村は、狭く、小さかった。


「あの、その、俺。そ、そんなつもりで言ったわけじゃ」


 真実を知り、しどろもどろになった貴大に、ロックヤード夫妻、御者の青年は淀んだ目を向ける。そして、ため息をついた後に視線を落とし、そのまま、みな、黙り込んでしまった。


 いよいよもって、まずい事態になってしまった。


 貴大が、額に冷や汗を浮かべた時。


「こら、あんまり悪ふざけしないの」


 と、カオルが両親の頭をぱしりとはたいた。


「……は? 悪ふざけ?」


 急展開に目を白黒させる貴大に向かって、カオルは苦笑いを浮かべる。


「そう、悪ふざけ。ジパニア村の人たちってね、村が大きくなった今でも、自虐ネタが大好きなんだ。村の一部分だけ見せて、『うちの村、こんなにちっちゃいんですよ……』とか落ち込んでみせるの。いい加減止めればいいのに」


「へ? 村が大きくなった? って、これで?」


 貴大は、間の抜けた顔をして小さな村を指差した。彼に対して、申し訳なさそうな顔をして、カオルは顔の前で両手を合わせた。


「ごめんね。説明しておけばよかったね。今のジパニア村は、あの丘の向こうまで広がっているんだ」


 丘のふもとの村に向かって、馬車は村の外輪をなぞるように坂道を下っていく。すると、それまで向こうの丘に阻まれて見えなかった景色が、段々と明らかになっていき――貴大はようやく、カオルの言葉が理解できた。


「それじゃあ、改めて……ジパニア村へようこそ!」


 両手を広げる少女。彼女の背中の先には、小高い丘を中心に置いた、隣村にも負けない規模の農村が広がっていた。







 貴大たちが来た方向、村の入り口である北側は、米の他に野菜や果物を育てている畑があった。一方、村の南側は稲田一色で、いくつかの民家の他には、川と水田、黄金色に染まった稲穂しかなかった。


 風を受けて、ざわり、ざわりと波打つ稲穂を目にして、貴大は胸の奥に懐かしさを感じていた。彼が育った場所は都心部で、ビルと人工の公園しかないような街だったが、稲穂が揺れる水田は、日本人にとっての心の原風景なのだろう。ぎゅっと目を細めて田を見る主の横顔を、小さなメイドはじっと見つめていた。


「ジパニア村? ここが、ジパニア村?」


「そうだよ、クルちゃん。ここがジパニア村。私が育った村だよ」


「小麦がいっぱい!」


「あはは、あれはお米だよ」


 村の入り口に馬車を停め、青年団と別れたロックヤード一家、そして貴大一行は、中央の丘を迂回し、川沿いに南へ、南へと向かっていた。


 カオルやアカツキの生家であり、カオルの祖父と、アカツキの弟夫妻が暮らす家は、村の南端に位置するようだ。先導役を務めるアカツキ夫妻は、久しぶりの生まれ故郷にはしゃぎながら、一直線に村の大通りを進んでいった。


「おうーい! アカツキー! 帰ってきたんかー!」


「おーう! 爺様も元気そうで何よりだー!」


「あらっ、ケイトー! 予定より早かったわねー!」


「君に会いたかったからさー! キリッ!」


「カオルー! 都のお土産、ちゃんと買ってきたー!?」


「久しぶりー、って第一声がそれーっ!?」


 歩くたびに村の老人や女たちから声がかかるのは、流石、故郷といったところか。村人たちとロックヤード一家のにぎやかなやり取りに、やはりここは彼らが育った村なのだと、貴大は妙に納得していた。


 その後も、声をかけてくる村人に挨拶を返しながら、歩くこと少し。いよいよ、貴大らの眼前に、目的地であるロックヤード家の実家が見えてきた。


 ジパング人であるカオルの祖父が住んでいるわりには、どこにもジパングっぽさがない二階建ての家。村にある他の家と同じように、木と石、煉瓦でできた一軒家の屋根には、西洋民家の象徴たる煙突まで飛び出している。


「これがカオルの実家かー」


「う、うん、そう」


 貴大が何の気なしに言った言葉に、カオルはドキッと胸を高鳴らせた。


(そうだ。今、タカヒロが実家に来てるんだ)


 自分からそうしようと考えたにも関わらず、いざその瞬間が訪れてしまうと、妙に緊張してしまう。都会や村の粗雑な男たちを平気でいなすカオルも、根の部分は純情だということなのか。体を強張らせたカオルは、ぎこちない動作で生家の玄関へ向かおうとする。


 すると、二階の窓から大きな声が落ちてきて、その声にカオルはビクリと体を震わせた。


「あーっ!? カオルだー! おかえりー!」


 黒髪に一房、赤毛が混ざっているカオルとは対照的に、窓から身を乗り出した少女は、赤毛に黒いメッシュがかかっていた。


 頭に包帯を巻いている十歳ほどの少女は、窓から身を乗り出して、下に向けて大きく手を振り、声を張り上げる。


「そいつ、誰だーっ!? 男か? 都会で男を作ったんかーっ!?」


「ヒ、ヒナ!」


「やべーっ! 大じけんだーっ! じーちゃん! じーちゃん!」


 ヒナと呼ばれた少女は、カオルの咎めるような声にも臆することなく、ドタドタと足音を立てて家の奥へと引っ込んでいった。


 家の前に残された者たちには、ただ、何とも言えない微妙な空気だけが残された。ロックヤード夫妻はにまにまと声もなく笑い、クルミアはつられてにこにこ笑い、ユミエルは相変わらず黙って突っ立っている。


 そして、彼らに見つめられたカオルはというと、一人、両手を振って慌てていた。


「いやっ、そのっ、あれは従妹なんだけど、悪ふざけが過ぎるっていうか、その、ち、違うっていうか」


「へー、カオル、従妹がいたのか」


(気にしてないっ!?)


 カオルの男呼ばわりされた貴大が、少しも動じていないのを見て、カオルはほっとするやら、ショックを受けるやら、複雑な心境だった。


「じーちゃん! こっちだ!」


 家の中に引っ込んで一分も経たない内に、再びカオルの従妹は姿を現した。今度は二階の窓からではなく、玄関扉を開けて出てきて、その手で一人の老人を引っ張っている。


 着流し風の服を着た、白い総髪を後ろでくくった老人。貴大ほどの背で、引き締まった体の老人は、背筋までもがピンと伸びている。


 これで活力がみなぎっていれば、まさにかくしゃくとした、という態なのだが、カオルの祖父の目は秋空のような穏やかさに満ちていた。


「ええと、初めまして。俺は……」


 気品すら感じられる老人に、まずは頭を下げて、挨拶を始める貴大。


 しかし、カオルの祖父はそれを右手で制し、浅くしわが刻まれた顔でにこりと笑い、口を開いた。


「息子や孫から聞いているよ。君にはお世話になっているようだね。ありがとう、タカヒロ・サヤマ君。いや……佐山貴大君」


 穏やかに微笑む老人の瞳は、貴大と同じ色をしていた。



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