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フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 作者:気がつけば毛玉

ジパニア村編

224/292

望郷の想い

 案内された客室に荷物を下ろし、未だ眠りこけるルートゥーをベッドに放り投げ、手土産用に個人収納空間からワインのボトルを取り出した貴大は、ロックヤード家の居間へと向かった。

 途中、ヒナと呼ばれた少女が現れて、貴大たちを――特にクルミアを、興味深そうに見つめてきた。

「こ、この姉ちゃん、しっぽがあるぞ。これ、本物なのか?」

「わうっ♪」

「わあっ! 舐めたぞ!? 犬か? この姉ちゃん、やっぱり犬なのか?」

 おっかなびっくり近づいてきたヒナの頬をぺろりと舐めたクルミアは、人懐っこそうな顔でにこにこと笑った。

「犬っぽいけどこいつは人だ。他にも、猫っぽい人もいるし、羊っぽい人もいるし、竜っぽい人もいるし、兎っぽい人もいるぞ。このメイドさんだって、妖精っぽい人だ。獣人や亜人なんて、別に珍しいもんじゃない」

「マジか!? で、伝説のバニーちゃんは実在するのか!」

「おー、いるいる。あ、それとな、姉ちゃん姉ちゃん言ってるけど、こいつはまだ十歳だぞ。多分、お前と大して変わらん」

「同い年じゃん!? や、やべー。世界マジやべー……!」

 世界の広さを知り、愕然とする少女をつまみあげ、貴大は階段を下りた。

「ね、姉ちゃん、世界がやばい。世界がやばい……!」

「あ、ヒナ、やっぱりタカヒロんとこに行ってたんだ。って、どしたの、あんた?」

 居間に入り、床に下ろされたヒナは、貴大たちを出迎えたカオルによろよろと近づいていった。おかしな様子の従妹を抱き留めつつ、カオルは貴大たちに顔を向けて、食卓に着くように勧めた。

「すぐにご飯ができるからね。ヒナやお爺ちゃんと一緒に待ってて」

 十人がけの大きなテーブルの席に、両手で持ち上げたヒナをすとんと下ろしたカオルは、隣接する台所へと消えていった。

 残された貴大とユミエル、クルミアは、言われた通りに着席した。貴大とユミエルは、隣り合ってカオルの祖父の正面に。ヒナと仲良くなりたそうなクルミアは、祖父の隣に座るヒナの隣に。

 それぞれが席に着くと、クルミアはヒナにさっそくじゃれつき、残る者たちは何とはなしに黙ってそれを見つめた。

「お、な、何だ。村娘なめんなよ? と、都会わんこが相手だからって、あたしは容赦しねえぜ?」

「わうわうっ」

「うわっぷ、だ、駄目だ! この体格差はいかんともしがたい! じ、じいちゃん! 助けてくれ! この身の程知らずなわんこに、ジパニア村の恐ろしさを叩き込んでくれ!」

 及び腰で牽制のジャブを放つ少女の頬を、またもやぺろぺろするクルミア。親愛の情を示す犬獣人風の挨拶に、ヒナの祖父は止めるどころか穏やかに微笑んで、口出し、手出しはしなかった。

「お前、あんまり調子にのるなよ? 都会じゃぶいぶいいわせてたかもしれないけど、この村じゃあたしがルールぅおおお!?」

「わうっ♪」

「あら、クルちゃん、うちのヒナと仲良しねー」

 何だかんだで仲良く二人がじゃれ合っている間に、昼食ができたようだ。

 両手に食器を持ったケイトを先頭に、カオルとアカツキが大皿に入った料理を運んでくる。塩むすびに、鴨のロースト。ボイルしたザリガニに、バターで炒め、チーズをのせたじゃが芋。そこにワインと水の瓶が並んで、アカツキたちも席に着いた。

「よーし、じゃあ、食おう、食おう。親父、頼んだ」

「ああ。それでは、いただきます」

「いただきます!」

 家長である老人が両手を合わせ、みながそれに倣って頭を下げた。

 それから、ロックヤード一家が料理に手を伸ばした後、貴大たちは遠慮がちに取り皿に料理をいくつかのせた。

「エビっぽいけど、殻が固い?」

「お前、ザリガニ食ったことないの? あー、やっぱ都会人は都会人だなー。いいよ、あたしが殻を取っちゃる。ふふん」

 茹でたザリガニを指先で摘まんで、不思議そうな顔をしていたクルミアに、ヒナが助け船を出した。

「あー、やっぱ村の料理はうまいなあ! がはは!」 

「この田舎っぽさがいいわよね! あはは!」

 アカツキが豪快に塩むすびと鴨のローストを頬張れば、ケイトが続いて、頬がぱんぱんになるまで料理を詰め込んだ。

「ユミィちゃん、遠慮しないでね。貴大、はい、お水。そうだ、ルートゥーちゃんはどうしたの?」

「あいつはまだ寝てる。朝方まで飲んでたからな」

 貴大とユミエルが料理にちょびちょびと口をつければ、見かねたカオルがどっさりと料理を取り分けた。

 賑やかに過ぎていく昼食の席。その中で、いくらか腹を満たしたアカツキが、思い出したかのように隣に座る老人のことを紹介した。

「そうだ、まだちゃんと言ってなかったな。この人はオレの親父で、カオルの爺様、ヤヒコ・ロックヤードだ。タカヒロ、お前と同じジパング人で、この村の村長でもあるんだぞ」

「はあ、ジパング人で、村長ですか」

 貴大の気のない返事を特に気にすることなく、ヤヒコは穏やかに笑っている。その態度から度量の大きさ、器の深さを感じ取り、なるほど、いかにも村の長だと、貴大は思った。

「他にご家族の方は?」

「おふくろはだいぶ前に死んじまったけど、弟と嫁さんならいるぞ。今はエールシルトに越冬の買い出しに行ってるけど、二、三日もすれば帰ってくるだろ。ああ、そうそう。この赤毛に黒毛が混ざったチビは、その弟夫婦の一人娘だ。ヒナゲシって名前だけど、みんなヒナ、ヒナって呼んでる」

「そうですか」

 クルミアのわきをちょんちょんつついて悪戯しているヒナゲシは、名前を呼ばれてぱっと振り向き、何故だか偉そうな顔をした。話題にされて、少し嬉しかったのだろう。

「まあ、オレからは以上だ。それよりも、親父とタカヒロ。二人は同郷なんだから、積もる話もあるだろう。オレたちには遠慮しなくていいから、好きなだけ、故郷の話をしてもいいんだぜ」

「え、いや、そのう」

 喋るだけ喋って、アカツキはどうぞとばかりに手を差し出した。

 これに困ってしまったのは貴大だ。来るとは思っていたが、いざ来たとなるとやはり焦ってしまう。

 何せ、貴大はジパング人ではなく、日本人、異世界人だ。いくらジパングが日本っぽい文化を持っていたとしても、その実情を貴大が知っているわけがない。

 当然、思い出話に花を咲かせることもできないし、突っ込んだ話をされるとあっという間にボロが出てしまう。さてどうしたものかと、貴大が呻き始めた時のことだ。

「私からは特にないよ。それよりも、カオル。食事が終わったら、貴大君たちに村を案内してあげなさい」

「あっ、うん。分かった」

 ヤヒコの申し出に助けられた形となった貴大。若干、拍子抜けではあり、ロックヤード夫妻も不満そうに唇を尖らせていたが、貴大はこれ幸いとばかりに急いで食事を終えて、そそくさと居間から出ていった。








 隣村の稲畑は、麦畑のように陸地がそのまま耕され、そこに直接稲を植えていた。それが東大陸西部の基本的な農耕であり、農地に境目をつけることはあれ、わざわざ土を掘り起こすようなことは誰もしなかった。

 その中で、ジパニア村の水田は、一種異様なものに見えた。

 浅く掘られた田の中に、川や用水路から水を引き込む。水が張られた田の中に、種ではなく苗を植える。やがて稲がすくすく育つと、今度は田から水を抜く。

 陸で麦や米を育ててきたイースィンド人には、これが理解できない。田に水を張るのは水やりを横着しているから。水を抜くのは刈り取りやすくするためだ。ただそれだけのために、土を掘って、水を引き込む奴らの気が知れない。農民たちはそう言って、ジパニア村の人々を笑った。

 ところが、どうやら水田の方が米の味がよくなる、収穫量も多くなると知ると、彼らの間に動揺が広がった。畑に水を張ると作物がよく育つらしい。苗にしてから植えると稲はよく育つらしい、などと、出自不明のデマも広がり、こそこそと試しては失敗する農家も続出した。

 そこで、ジパニア村に農法を聞きに来る者もいたのだが、今度はかかる手間の多さ、条件の難しさに、半数は諦めて帰って行った。

 耕してから何年も慣らさないと使えない田んぼが何になる。やたら水を喰う田んぼが何になる。浅いといっても農地を掘り起こすのは手間だし、用水路を作るのも手間だ。

 即戦力にならない農法など、うちでは試すこともできやしない。そう言い残して、他村の人々は肩を落として去っていった。

 試行錯誤を繰り返し、見事、水田の開拓に成功した者もいるのだが、それは全体から見るとごくわずかな数であり、ジパニア村に広がる水田は、現在においても珍しい風景だった。

「何だ、まだどこも刈り取ってないのか」

 ジパニア村の南側、一面に広がる稲の棚田の中を、貴大たちは歩いていた。

「村に着くのが予定よりも早かったからね。稲刈りは、明後日……ぐらいかな? 刈るのにちょうどいい日じゃないと、美味しいお米が取れないんだ」

「ふーん、そんなもんか」

 脇道の用水路でカエルを捕まえて遊ぶ子どもたちの集団に、クルミア、ユミエルを連れて突撃していくヒナゲシ。いかにもガキ大将な赤毛の少女は、子分たちに新しい仲間を紹介していた。

 それを何とはなしに見つめながらも、貴大の心はここになく、彼はぼんやりとヤヒコ老人のことを考えていた。

(なーんか、聞きたそうなんだよなあ、あの人。なのに、何も聞いてこないんだから、調子狂うというか、何というか)

 穏やかに笑いながらも、何も語らず、ただ貴大のことをじっと見つめる白髪の老人。そっちの気があるわけではなさそうだが、含むところがあるのは確実であり、貴大はそのことばかりが気になった。

「なあ、お前の爺ちゃん、ここに来る前は何してた人なんだ?」

「お爺ちゃん? 農家だったらしいよ。毎日、お米を作ってたんだって」

 その割には、と貴大は思う。農家の割には、身のこなし、立ち居振る舞いが上品だ。毎日鍬を振るっていたにしては、体に無駄な肉がついていない。

 ヤヒコの細身な体は、どちらかといえば隠居した農夫ではなく、フランソワのような貴人や、カウフマンのような武人に近く――。

「あ、あのね? 丘の上に、ベンチがあるんだ。そこに座って、ちょっとお茶でも飲まない?」

「あー」

「なっ、何だか、変な気分だね。ジパニア村にタカヒロがいるんだーって思うと、ちょっと落ち着かないよ」

「おー」

「……私の話、聞いてる?」

「うー」

「もー! タカヒロ、はいお茶っ!」

「熱うっ!?」

 気もそぞろな貴大と、甘い気持ちになりかけていたカオルは、やいのやいのと騒ぎながらも、村全体を歩いて回った。

 その姿を見た村人たちは、

「よーし、カオル。婿ゲットだな!」

 と、やたらいいスマイルを浮かべていたとか。

 ともあれ、こうしてジパニア村の案内は終わり、風呂に入ってさっぱりとした貴大たちは、あてがわれた部屋でもうすぐ眠ろうとしていた。

「……クルミアさん。自分のベッドで寝ないと駄目ですよ」

「ううん、うー」

 ヒナゲシや村の子どもたちと午後いっぱいはしゃぎ回っていたクルミアは、すっかり疲れてしまったのか、ネジが切れたようにすとんと寝入ってしまった。

 ただ、抱き枕にされたユミエルはたまったものではなく、麻のパジャマに着替えた少女は、何とか、甘えんぼなわんこの拘束を外そうとしていた。

「まあ、好きにさせてやれ。生まれて初めて街から出て、ちょっと不安なんだろ」

「……ご主人さまがそうおっしゃるなら」

 少し湿ったベビーブロンドのくせっ毛を優しく撫でて、貴大はついと、隣のベッドに視線を移した。

「しかし、まあ、こいつはとうとう目を覚まさなかったな」

「……三日連続徹夜をして、朝も昼もなくお酒を飲んでいましたからね」

「あー、もう。貴族どもが面白がって、飲み比べとか、東西南北利き酒大会とかしたりするから」

 朝からぐーすか寝ているルートゥーの角をぴんと弾いた貴大は、自分のベッドに腰かけて、ほうと息を吐き出した。

 二階の客室の窓からは、晩秋の名月がちらりと見えて、涼やかな風がそっと吹き込んできた。立ち上がって窓に近づくと、淡い光に照らされた棚田が視界に広がり、優しさと寂しさが入り混じった光景に、貴大はもう一度、ふっと息を吐いた。

(夜の田んぼを見て、こんな気持ちになるのは日本人だけだろうな)

 西洋人の場合は、月に照らされた麦畑を見て、心を揺り動かすのだろうか。それとも、案外、何も感じなかったりするのだろうか。

 そのことをユミエルに聞こうとした貴大は、ふと、遠くに見える丘の中腹に、誰かがいることに気がついた。

(あれは……カオルの爺ちゃんだな)

 着流し姿の老人が、ゆっくりと丘を登っている。右手に提げているのは酒が入った徳利だろうか。これからきっと、月見酒と洒落込むに違いない。

(ちょうどいい。ちょっと話をしてみるか)

 夕食の席でも何も語らず、ただじっと貴大を見つめていたヤヒコには、きっと何か言いたいことがある。それも、家族がいる前では言えないようなことが。

 滞在中、いつまでもあのような目で見られるのは居心地が悪いと考えた貴大は、人気のない丘で話すことは話してしまおうと考えて、ヤヒコの後を追いかけた。

 家をそっと抜け出して、稲がさざめく棚田を抜けて、緩やかな丘を登った貴大は、数時間前、カオルと座ったベンチの前まで来た。

 そこにヤヒコはいた。ちびり、ちびりと酒を飲み、月を見上げては大きく息を吐く老人が、貴大に背を向けて座っていた。

「来ると思っていたよ」

 振り向いたその顔はやはり微笑をたたえており、月光を浴びたヤヒコの姿には、そこはかとなく儚さが漂っていた。

 この爺さん、ここでぽっくり亡くなるんじゃないだろうな、などと失礼なことを考えながら、貴大は促されるままに丘の上のベンチに座る。

「迂遠なことをして悪かったね。しかし、できれば家族には聞かれたくなかったんだ」

「まあ、そうじゃないかなとは思いました」

 事情を察した貴大に好感を覚えたのか、ヤヒコ老はますます笑みを深くして、貴大に杯を渡した。

「飲んでくれ。どぶろくのようなものだが、村で作った濁り酒だ」

「いただきます」

 徳利から杯に注がれた白い酒を飲んだ貴大は、甘酸っぱい酒だなと思った。正月に飲んだお神酒やおそととは明らかに違うその味に、意表をつかれたような顔をした。

 貴大のわずかな驚きを見て、ヤヒコはまた、微笑んだ。その反応を待っていたのだと言わんばかりに、嬉しそうな顔をした。

「やはり、違うか。うん、私は米作りの知識はあったが、酒については門外漢だからね。何とか形にはしてみたが、ジパングの酒とは明らかに違うものができてしまったよ」

 くつくつと笑うヤヒコの口から出たジパングという単語に、今度は貴大が反応を見せた。

「ジパング。ってことは、やっぱり、ヤヒコさんはジパング出身の方でしたか」

「ああ、そうだ。私は、ジパング人だ」

 これまでの冒険で、貴大は東大陸西部に生きるジパング人や、彼らが遺した文化に触れてきた。貴大が自宅に敷いた畳もそのうちの一つであり、彼はジパング人の職人から、大枚をはたいて畳を買った。

 しかし、文化はジパングのそれであっても、ジパング人と名乗る者たちは、出会う全てがハーフ、もしくはクォーターだった。アカツキやカオルがそうであるように、みな、目の色や髪の色、体格などが、東洋人のそれとは何かしら違っていた。

 だが、貴大の目の前に立つヤヒコ老は本物だ。年老いても、髪が白くなっていても、その凛とした佇まいには、時代劇の登場人物のような『日本人らしさ』が備わっていた。

「と、すると、ロックヤードってのも、本当は岩庭いわばって名字ですか? ほら、岩と、庭でロックヤード……」

「ああ、そうだ。君が佐山であるように、私には岩庭という家名がある。私は、生まれも育ちもジパングの、生粋のジパング人なのだよ」

 岩庭という家名を懐かしそうに口にするヤヒコ――いや、弥彦の目には、遥か故郷を偲ぶ色が浮かんでいた。

 事実の確認は済んだ。互いの出自も確かめ合った。後は、本題に入るだけ。

 だというのに、弥彦は口を開かない。微笑を浮かべたまま月を見上げ、ゆっくりと、ゆっくりと杯に口をつけている。

 さて、どうしたものかと貴大が焦り、そわそわと落ち着きがなくなったところで――弥彦は、厳かに、口を開いた。

「一つだけ教えて欲しい。播磨国はりまのくには、今もあるのか。それだけを、どうか教えて欲しい」

(はい、来たーーーっ!?)

 本当は日本人であり、ジパング人ではない貴大にとっては、どうあがいても答えようのない質問が飛んできた。

 切なげな声の響きから、重要なことだというのは理解できる。これが真実、弥彦の聞きたいことなのだということは、言われなくとも理解ができた。

 しかし、どうしても答えられない。貴大は、播磨国なぞ知らないからだ。

 学生時代、日本史の勉強に励んでいれば、あるいはその言葉に聞き覚えがあったかもしれない。尾張や越前、備前や近江のように、令制国の一つであることを思い出せたかもしれない。

 それでも、名前を知っていたところで、現状どうあるのかを答えることなどできはしない。貴大の出身地は日本であり、弥彦がかつて暮らしたジパングではない。

 ジパングのあれこれについて、貴大が答えることなどできはしなかった。

「ええと、その」

「まさか、滅んでしまったのか!?」

 貴大が言いよどんだのを、悪い意味でとらえてしまったのか、弥彦は目を見開き、声を荒げた。

「い、いやっ、俺は田舎の出なんで、あんまり分からないんす」

「……そうか。いや、すまなかった。変なことを聞いてしまった」

 苦し紛れの貴大の言い訳を聞いた弥彦は、憑き物が落ちたように力なくうなだれた。それからは、もう口を開けることなく、黙って地面を見つめていた。

 これ以上、ジパングについて聞かれずに済んだ。が、これはこれで居心地が悪いというものだ。

 まさか、このような重苦しい空気の中で、一人だけこの場を後にするわけにもいかず、貴大は気分を紛れさせるため、弥彦に話しかけることにした。

「その、弥彦さんは、播磨国出身なんですか?」

「……ああ。私は、播磨国で生まれ、播磨国で育ったんだ」

 貴大からの問いかけに、重たい口を開いた弥彦は、とつとつと語り始めた。

「岩庭家は、代々播磨の地を治める当主でね。子や孫には米百姓だと偽っていたが、私は武門の出なんだ。君がそうであるように、私もかつては刀を振るい、槍を掲げていた」

「へっ? い、いや、俺は武人とか、そんなんじゃ……!」

 不意をつかれて慌てる貴大に、弥彦は微笑んだ。

「焦らなくてもいい。隠しているということは、そこには理由があるのだろう。無理に暴き立てるつもりはないし、誰かに話すということはない。たとえ、君が英雄のように強くてもだ」

「うっ、そ、その。お願いします」

 底の底まで見透かされているような目に、貴大は無駄な抵抗を諦め、素直に頭を下げた。

「おそらく、君がそうであるように、私も戦いに明け暮れていた。領地を脅かす他国の者と戦い、人を食らう悪鬼悪霊を成敗し続けた。その結果、私は十五の若さにして、一人前の武将と名乗れるほどに強くなった」

 月を見上げながら語る弥彦の目は、在りし日の自分へと向けられていた。

「全てが順調だった。父が亡くなってからは激動の毎日だったが、尽力が報われたのだろうね。家臣からは当主と認められ、許嫁も決まり、遂には帝への謁見が叶った。私は播磨国の当主として、誰に恥じることなく生きていた。それが崩れ去ったのは、十八歳の夏だった」

 ギュッと拳を握った弥彦は、辛そうに目を閉じて、己の人生の転機を語った。

「うだるような暑い日が続く猛暑のことだった。私は、帝に命じられ、京の都に現れた大妖を討伐に向かった。珍しくもない出来事であり、私にとっては日常茶飯事だった。しかし、大妖との戦は大いに荒れた。都に現れた大狐の力は強大そのもので、あろうことか帝の寝所まで私たちは押し込まれてしまった。私も左手、左足を噛み千切られ、虫けらのように地を這いつくばった」

 言われて初めて、貴大は気がついた。袖から出てこない弥彦の左手は、元からないのだということを。弥彦の細い左足首は、木でできた義足だということを。

 肘から先がなくなった左腕を見せて、弥彦は話を続けた。

「限りなく危険な状況だった。しかし、帝の加護を受けた武人たちは、最後の力を振り絞ったよ。私も、遮二無二飛び上がり、体当たりをするように大狐の心臓に刀を突き刺した。私は刀越しに、確かな手応えを感じていた――それで、私は恨まれてしまったのだろうね。狐が私を血走った目でにらみつけたかと思うと、次の瞬間、私は見知らぬ地に倒れていた。そこがイースィンドと呼ばれる遥か遠方の異国だと知ったのは、それからしばらくしてのことだったよ」

 わずかばかり、口惜しそうな顔をする弥彦。当時の驚愕、戸惑い、嘆きはこのようなものではなかったのだろう。異世界から来た貴大には、そのことが何となく分かった。

「帰りたかった。私は播磨国に帰りたかった。一人残してきた幼い妹に会いたかった。気が良く、忠義に篤い家臣たちに会いたかった。働き者の領民たちに会いたかった。しかし、それは叶わぬことだと痛感した。片手、片足を無くした身では短い旅もままならず、ジパングへ続く道、東大陸の中央には、人外魔境たる中部地方があることも知った。諦めきれずに挑んだが、半死半生の目にあって、すごすご逃げ帰るしかなかった。その傷が癒える頃には、私の心は折れていた」

 弥彦はそこで言葉を切り、胸に刻まれた古傷をそっと撫でた。それは、その時のものだということは、容易に理解できた。

「そこから一年ほどは、茫漠とした日々を過ごしたよ。ジパングから飛ばされてきた時にお世話になった家に転がり込んで、人の情けに身を沈めていた。月を見る度に故郷を想っては、情けなくも涙を流していた。しかし、その家の人たち、いや、村の人たちは、そんな私にも優しかったよ」

 弥彦はジパニア村を一望し、優しげに、愛おしそうに呟いた。

「彼らに受けた恩を返すため、私は少しずつだが、働き始めた。開墾を手伝い、畑を荒らす魔物を狩り、故郷の農法を伝え、かつて領民からもらった種もみを蒔いた。やがて村の娘と結ばれて、生まれた子どもがまた子を産んで、村は少しずつ、少しずつ、大きくなっていった。底抜けに明るく、お人よしばかりの村は、段々と豊かになっていった。そして、もう、私がいなくても大丈夫だと確信できた頃、私はすっかり老いていた。ジパングのことを忘れたことはなかったが、狂おしいほどの望郷の念は、いつの間にか陰を潜めていたよ。今の私にとっては、ここが第二の故郷だ。私はここに骨を埋めることを、むしろ嬉しく思う。五十年の思い出が積もったこの村で生涯を終えることに、私は何の躊躇いもない。そう思っていたのだが……ジパング出身の君の話を聞いて、欲が出たのだろうね。せめて、播磨国のことだけは聞きたいと思ってしまったわけだ。思わせぶりな態度で招き寄せて、すまなかったね」

「いえ、気にしてないです」

「そう言ってくれると助かる」

 胸の内に秘めていたことを全て吐き出した老人は、重荷を下ろした、今度こそ覚悟は決まったとばかりに大きく息を吐いて、月を見上げた。

「月はどこにあっても変わらず美しいな。星空は姿を変えようとも、月だけはジパングと同じだ。変わらぬ月に故郷を想い、涙を流したこともあったが、どうやらそれも今晩で終わりのようだ。私は、この地で幕を閉じよう。温かなこの村の人々に囲まれて、私はこの地に眠るとしよう」

 望郷の想い。数多のしがらみ。残してきた人々との繋がりと、月に重なる故郷の幻影。

 それら全てを呑み込んで、ジパング人の老人、岩庭弥彦は、遠き異郷の地において、穏やかに――とても穏やかに、微笑んでみせた。

 ――これに困ってしまったのは、彼の隣に座る貴大だった。

「う、あ、あの。そのー」

「ん? どうかしたのかな?」

「えっと、どう言ったらいいか……」

 非常に言い難そうに言葉を何度も詰まらせて、貴大はあることを弥彦に伝えようとする。しかし、うまく言葉にならないのか、はたまた、六十八年も生きてきた老人の結論をぶち壊しにするのを躊躇ったのか、とうとう貴大は何も言えなくなってしまった。

「ええい、口で言うよりやってみた方が早いな。おーい、ルートゥー。ちょっとこっちに来ーい」

「んん?」

 貴大の意図を測りかね、首を傾げる弥彦老。

 彼の視界の端で、ようやく起きてきた竜人の少女が、眠たそうに目をこすりながらふらふらと飛んでいた。








 東大陸の東端に、とある小さな島国があった。

 戦が絶えないこの国を、修羅の国と呼ぶ者がいる。

 一風変わった文化を持つこの国を、妖しの国と呼ぶ者がいる。

 見事な金細工を作り出すこの国を、黄金の国と呼ぶ者がいる。

 この島国の名は、ジパング。戦乱と幻想の国、ジパング。

 人と人とが争って、魑魅魍魎が跋扈して、未だに国内統一もままならないこの国こそが、ジパニア村の老人、岩庭弥彦の生まれ故郷だった。

 その小さな島国の中に、播磨国はりまのくにと呼ばれる令制国がある。京から見て西に位置するこの国は、いわゆる大国の一つであり、陸は山陽道、海は瀬戸内海と、各地を結ぶ交通の要所でもあった。

 抱える戦力もジパング国内有数の規模を誇り、力ある妖怪、大妖の討伐を何度もこなしているため、帝の覚えも大変良かった。

 このように、令制国の中でも五指に入ると言われる播磨国だが、意外なことに当主は齢六十二歳の老人であり、しかもそれは女だった。

 妖怪変化が人を襲い、他国が領土を狙ってくるジパングでは、当主にはまず戦う力が求められる。大妖と真っ向から切り結び、侵略者たちを蹴散らして、民に安寧をもたらす存在。それこそが国の主であり、弓矢の一発で倒れるようなか弱き女は、当主として相応しくないとされていた。

 しかし、播磨国を統治する岩庭家の現当主、薫は違った。

 女の身であるにも関わらず、〈巫女〉や〈舞姫〉の道には進まず、あえて〈武芸者〉として生きる道を選んだ。

 筋力で劣るのならば、その分、鍛え上げればいい。体格で劣るのならば、その分、技を磨けばいい。日の目も見ずに稽古に励み、魔物を葬り続けた末に、彼女は先代当主にも勝る力を身に着けた。

 そして彼女は力をもって、彼女を侮る侵略者たち、鬼や天狗の化生の者たち、敵対する全てを正面から捻じ伏せた。恐ろしいほどに鍛え上げられた女の武を、天上天下に遍く示した。

 その結果、現在に至るまで、岩庭薫の武勇に疑いを持つ者は現れず、他に例を見ない女当主に異を唱える者はいなかった。

 それは、彼女が老いてからも変わらない。薫を倒しうる侵略者は現れなかった。薫を牙にかけようとした大妖は、例外なくなます切りにされた。その武芸の腕は、老いによる衰えを知らなかった。

 もはや、女だから、老人だからと岩庭薫を侮る者はいない。彼女はこれからも強くなる。貪欲に武の極みを目指す。他国侵略に興味がないのは、他国にとってこれ以上ない幸いだった。

 ジパングに住まう民は、岩庭薫について、そのように語った。

 ――だが、これは事実からは少し外れている。

 薫は、強くなりたくて強くなったわけではない。戦いたくて戦ったわけではない。天賦の才に恵まれたわけでも、生まれつきの努力家だったわけでもない。

 ただ、守りたかったのだ。自分が愛する故郷を。生まれ育った郷里や国を。そして、いつか、『彼』が帰ってくる場所を。

 岩庭薫は、ただ、守りたかっただけなのだ。

「お兄様。貴方が神隠しにあってから、五十年が経ちました」

 播磨国の岩庭家の邸宅。増改築を重ねながらも、五十年前から変わらぬ場所に位置する家に、薫はいた。

「私は五十度、一人で中秋の満月を見上げました。一緒に見ようと約束した晩秋の満月も、四十九度、一人で見ました」

 縁側に腰掛けた着物姿の老女は、白砂に水の流れが描かれた枯山水の庭に目を落とし、少し、疲れたように呟いた。

「がむしゃらに五十年。お家を、お国を守るためだけに、私は走り続けました。ですが、五十年という月日は、とても長うございました」

 感傷的な声。だが、流す涙も尽きたとばかりに、彼女の視界は滲まなかった。

「お兄様は、お達者でしょうか。遠くの地で、生きておられるのでしょうか。私はここにいます。お父様が、お兄様が守った播磨国で、私は今も生きています」

 思い出の中の兄に、とつとつと語り続ける薫。返事がないと分かっていながらも、どうしても期待が混じるその声は、どうしようもないほどに寂寥感に満ちていた。

「播磨国は、まだあります。お兄様の帰る場所は、ここにあります。私が必死に守りました。お家もきちんと盛り立てました。だから……だから、帰ってきてください。昔のように、私の頭を撫でてください。『偉いよ、薫』と褒めてください」

 顔を落とし、背中を丸め、薫はじっと足元を見つめていた。

 五十年分の寂しさ。五十年分の虚しさ。それらは、年が経つほどに薫の胸を締め付けて、決して彼女の心は満たされることがなかった。

 今年もそうだ。来年もそうだ。薫の心は、もう、永遠に、満たされることはない。去りし日の思い出は思い出のままに消えていき、彼女の兄は、二度とジパングの地を踏まない――はずだった。

「すまない」

「――っ!」

 とても短い、たった一つの言葉。

 そして、庭の白砂を踏みしめる、ほんのわずかな音。

 それだけで、薫の胸からは寂しさと虚しさが消え去っていった。

「長い間、待たせてすまなかった。岩庭家を、播磨国を――重荷を背負わせてしまい、本当にすまなかった」

 遠い昔、いつか聞いた声。刀の鞘走りにも似た、凛として、よく通る声。

 今も色褪せず、思い出の中に残っている、あの人の声。

 これが幻でも、消えてくれるな。薫はそう願いながら、そっと、しかし縋りつくように、うつむいたままで声を出す。

「私、頑張ったのです。いなくなったお兄様の分まで、頑張ったのです。恐ろしいアヤカシと何度も刃を交えましたし、領土を狙う者たちを何度も追い払いました」

「そうか」

「家名を汚さぬよう、女だてらに〈武芸者〉の道を歩みましたし、誰にも負けぬよう、鍛錬を怠りませんでした」

「そうか」

「それに、それに、私は、薫は……っ!」

 感極まった薫は、グッと言葉を呑み込んで、うつむいていた顔を上げた。

 晩秋の名月に照らされた枯山水の庭。何日も、何年も、何十年も一人で見続けてきた景色。時が止まったかのように変化がなかったその場所に、一人の老人が立っていた。

 忘れるものか。どれだけ時が経とうとも、大事な人の顔を見忘れるはずがない。たとえしわが増えていたとしても、たとえ髪が白くなっていたとしても、あの目、あの気配、あの立ち姿を、自分は確かに覚えている。

 そう、この老年の男こそは。穏やかに微笑むこの男こそは――。

 薫の兄、岩庭弥彦、その人だ――。

「お兄様っ!」

 万感の思いを込めて、薫は兄に抱きついた。五十年間、留守を預かっていた幼子は、ようやく帰ってきた家族を抱きしめた。

 二度と消えてしまわないように。自分を置いて、どこにも行かないように。枯れ果てたはずの涙をぽろぽろと零しながら、薫は兄の背中を叩いた。

「お兄様、お兄様の馬鹿、お兄様の馬鹿ぁ……!」

「すまない。寂しい想いをさせて、すまなかった……!」

 十二歳の頃、一人ぼっちになってしまった岩庭薫。十八歳の若さで、遥か異郷に跳ばされた岩庭弥彦。艱難辛苦を舐めつくした兄妹は、五十年の別離の末、ようやく再会することができた。

 穏やかな秋の月の光の下、二人の老人の姿に重なるように、若き日の弥彦、薫も、固く、固く、抱きしめ合っていた。

 岩庭家の邸宅の庭には、二人の嗚咽と優しい鈴虫の音色だけが、いつまでも、いつまでも、響いていた――。









「よかったっすね、弥彦さん」

「貴様、何奴っ!」

「うおおおおおおおっ!?」

「こ、こら、薫っ!?」

 ちなみに、兄と妹の再会の場にひょこひょこと割って入るような無粋な輩、貴大は、薫の薙刀に脳天をかち割られそうになりましたとさ。

 めでたし、めでたし。
ヒロインはカオルじゃなくて薫さんでしたか。

さてさて次章は十五夜編。

今度こそカオルがヒロインします。お楽しみに!
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