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乙女心とほかほかご飯

「帰りが遅いなー、って思ってたけど、そんなことがあったんだ」


 イースィンド南部の小さな宿場町ピークスで、ばったりと出くわした貴大一行とカオル&クルミア。手短に事情を説明した貴大は、今度は自分の番だと、カオルに疑問をぶつける。


「んで、何でお前らはここにいるんだ? まさか、この時期にバカンスとか言わねえよな?」


「違う違う! 繁殖期に旅行とか、怖くてできないよ」


「だよなあ」


 海も、大陸も、星空さえも地球とうり二つな異世界〈アース〉には、一つだけ、地球にはないものがある。


 それこそは魔法の元素、魔素であり、凝結すれば紫色の粉にも見えるこの物質は、遥か古代、原始の時代に万物に宿り、〈アース〉を剣と魔法の世界へと変えていった。


 魔素さえなければ、〈アース〉は地球と同じような発展を遂げていただろう。神の如き剣技も、物理法則を捻じ曲げる魔法も、魔物と呼ばれる摩訶不思議な生き物も、そのどれもが存在し得なかっただろう。


 しかし、この世界には魔素がある。常識を壊し、奇跡を起こし、命を育む万能の元素がある。この不思議な物質に支えられ、〈アース〉は今日に至るまで、剣と魔法の世界として発展を続けてきた。


 先ほど、カオルが口にした『繁殖期』という言葉も、その魔素が関わる用語だ。


 夏の暑さも引き始め、秋の到来を感じさせる九月を起点として、約三か月間、大気中に漂う魔素の量が増大する。命の源とも呼ばれる魔素が増えるということは、生き物に活力が満ち溢れるということだ。


 事実、秋は実りの季節とも言われ、この時期になると麦穂は色づき、果物はたわわに実る。野山にはキノコが生え、木の実が落ち、それらをたらふく食べた動物は丸々と太っていく。


 それら全てが糧となる。人間や、鳥獣や、虫けらの腹を満たす糧となる。そして、子孫を残すためのエネルギーとなる。


 こうして、魔素の増大は、結果として生き物の繁殖に繋がるのだが――〈アース〉における繁殖期は、また違った意味を持つ。


 生命の根幹をなす魔素だが、この魔法の元素は育むだけでは飽き足らず、時として命の形を歪める。いや、それどころか、命そのものを生み出してしまう。


 魔素によって歪められた命。生み出された命。それこそが、魔物だ。


 濃密な魔素の集合体、通称『魔素溜まり』に触れた熊は、グリズリーという魔物と化す。魔素溜まりに近づいた兎は、それだけでキラビットという魔物になる。


 薬も過ぎれば毒となるように、魔素を過剰に摂取し過ぎたものは、成長を超えて、別の生き物、魔物に変異してしまうのだ。それは人間ですら例外ではなく、魔素溜まりに触れた者はみな、化け物に成り果てる。


 では、生き物が魔素溜まりに近づかなければ、魔物は生まれ得ないかというと、そうではない。魔素溜まりは物言わぬ植物、無機物すら魔物に変えるうえに――何と、自ら、魔物を産み出すことがある。


 ゴブリン、スライム、イービルアイに、ジャイアント。小さいもので一メートル大、大きいものでは直径十メートルにもなる紫色の球体は、その身の魔素が尽きるまで、ぼとり、ぼとりと多種多様な魔物を産み落とす。


 どちらかといえば、こちらが一般に魔物と言われる生物で、その数は、生き物から変異した魔物の比ではない。


 秋になると魔素が濃くなる。魔素が濃くなると、魔素溜まりができやすくなる。すると、当然、魔素溜まりが生み出す魔物も増えていく。


〈アース〉の人々が言う繁殖期とは、この魔物発生のサイクルのことを指しているのだ。秋になると、交尾をする魔物はもちろんのこと、生殖器官を持たない魔物までもが、五倍、十倍と増大する。


 実りの秋は、魔物までをも繁殖させる。恵みと天敵を同時にもたらす季節のことを皮肉って、人々はみな、九月から十一月にかけてを繁殖期と呼ぶ。


「魔物は魔素が濃い場所を好むから、迷宮や、ボスが住んでるようなパワースポットから滅多に出てこないけど……この時期だけは別だ。魔素が濃くなるから、弱い魔物ならそこらじゅうを歩き回るんだぞ」


「それぐらい知ってるよー。ちょっと前までは辺境の村暮らしだったんだから。城壁なんてもちろんないから、でっかいバッタとか、ちっちゃいスライムとかが村に入ってくるのは、日常茶飯事だったよ」


「まあ、そうだろうな」


 かつて、冒険者として、各地を転々としていた貴大は、繁殖期の魔物がどれほど大発生するのか、身をもって知っていた。


 街道に魔物が現れるのは当たり前。郊外の牧場、農地に被害が出るのもよくあることだ。村や町に小さな魔物が入り込み、あちこちで悪さをするのも風物詩のようなものだった。


 秋限定の護衛の仕事を引き受けたこともある。行商人の幌馬車に乗り込んで、魔物が闊歩する街道を進んだ思い出。そこには、繁殖期に旅行をしようだなどと、物好きな人間の姿はどこにもなかった。


 だとすると、カオルやクルミアがここにいる理由は何なのか。北部から南部は、ちょっとそこまでと出かけるには遠い距離だ。かといって、一般人代表である彼女らが、大事な商用などを抱えているはずがない。


 まさか、おにぎり売りの行商に転職したわけではあるまい。考えているだけでは答えが出そうにないので、貴大は率直に聞いてみることにした。


「で、何でお前らはここにいるんだ?」


「それは――」


 カオルが答えようとした、その時。


「おおーい! どうしたーっ!?」


「ナンパでもされてるのかーっ!?」


 どかどかと荒々しい足音を立てて、筋骨隆々とした男たちがやってきた。


「はははっ! どこのナンパ野郎だと思ったら、タカヒロじゃないか!」


「おいおい、これが『ゴエン』って奴か!? 運命的だな、オレたち!」


「おう、ユミィちゃんやルートゥーちゃんまで! 相変わらず可愛いな!」


 健康的に日に焼けた赤毛の青年、中年たちは、やたらフレンドリーな笑顔を浮かべ、貴大の背中をばんばんと叩いてくる。


 その勢いと張り手にげほげほとせき込みながら、貴大は、男たちにぺこりと頭を下げた。


「青年団の皆さん、お久しぶりです」


「おう!」


 そう、突然現れた彼らの正体は、ジパニア村青年団の男たちだ。


 村を出て、グランフェリアに出稼ぎに来ている彼らは、今年の冬に『ジパニア焼き』の件で貴大と知り合った。以来、カオルが働く食堂、まんぷく亭で、時々、酒を酌み交わすようにもなった。


 そのような彼らが、揃ってここにいるということは――貴大は、この時点で、大体の事情を察することができた。


「皆さん、村に帰られるんすか?」


「ああ! 米を収穫しなくちゃいけないからな! オレたちが戻らないと、人手が足りんのだ!」


 青年団長である40代ほどの男が、よく通る声で貴大に応えた。


 米の収穫。なるほど、ジパニア村は稲作の村だ。農閑期はこぞって出稼ぎに来ている彼らも、元を正せば農民である。収穫期ともなれば、村に戻って田畑に入るのが当然だ。


 繁殖期は魔物の季節ではあるが、実りの季節でもある。本格的に魔物が発生し始める十月までに村に帰って、重く頭を垂れた稲を刈り取るのだろう。


 移動に余裕がないのは、ギリギリまで都会で稼ごうということか、はたまた、馬や馬車が余って、賃料が安くなるのを待っていたのか。その辺りは聞くのも野暮だと思った貴大は、あえて何も返さなかった。


「君のおかげでまんぷく亭は繁盛しているからな! 今年は、思い切って水田を広げてみたのだ!」


「それで、カオルだけじゃなくて、クルミアちゃんにもお手伝いに来てもらうことになったんだよ」


「子どもは自然に触れるのが一番だ。きっといい経験になるぞぉ!」


「わんっ!」


 貴大が言葉を返さなくても、青年団の面々は勝手に盛り上がっていき、クルミアの頭をぐいぐいと撫でたり、豪快に笑ったりしていた。


 彼らと話していたはずの貴大は、一人取り残されて、同じく話の輪に入りそびれたカオルと顔を合わせ、苦笑いを浮かべていた。


「竜籠をご利用のお客様ーっ! そろそろ出発の時間でーす!」


 そうこうしている間に、休憩時間が過ぎてしまったのだろう。


 声を張り上げて出発を知らせる御者の姿を見て、貴大はカオルに声をかけた。


「時間だな。じゃあ、カオル。俺たちはグランフェリアに帰るわ」


「えっ、もう? せっかく会ったんだから、もうちょっと話でも……」


「いや、乗合竜籠に乗り遅れたら、色々手続きがめんどくさくなるんだわ。出発点まで連絡を入れて、わざわざ人数分開けてもらって、追加料金を払って、とかさ。まさかチャーター便なんて頼むわけにもいかんから、俺たちはこれで帰るわ」


「そ、そう」


 飄々と別れを告げる貴大に、カオルは何か思うところがあるのか、そわそわとし始める。


 彼女の態度に妙なものを感じながらも、貴大はその場を離れ、クルミアに抱きつかれたユミエルの救助に向かった。


 帰る旨を伝える貴大。カオルと同じく、別れを惜しむ青年団。貴大との別れを嫌がるクルミアに、彼女の頭を優しく撫でるユミエル。そして、貴大の背中ですぴすぴと寝息を立てているルートゥーを見て――。


 カオルは、一つの決断をした。


「タ、タカヒロ。タカヒロも村に来ない? クルちゃんも一緒にいたがってるし、久しぶりに会ったんだし、稲刈りも楽しいよ?」


「あー、パス。家に帰ってのんびりしたい。というわけで、じゃあな」


「えー!?」


 乙女心に勇気を宿し、気になる人を生まれ故郷に誘ったカオル。


 しかし、悲しいかな、彼女の提案は男の琴線を少しも揺らさず、彼は無情に、背中を見せた。


 そのまま彼は、振り返ることもせずに飛行場へと歩き去っていく。彼を引き留める言葉は、彼女には、残されていなかった。


 これにて、終幕。一人の少女が思い描いた甘い未来は、実現することなく、泡沫のように消えていった――。


「残念だな、タカヒロ君。君に新米をご馳走したかったんだが」


「ジパニア村に行きましょう。竜籠はキャンセルします」


「ええーっ!?」


 甘酸っぱい乙女心を、ほかほかご飯が上回った瞬間だった。


かなり序盤に出てきた繁殖期の再来。


魔物わんさか、実りもどっさりなシーズンの到来です。

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