家を建てよう
「先生、魔物を狩りましょう」
「またお前か」
漂流四日目の朝、ヤシの実の果肉をナイフで切り取っていた貴大に、金髪縦ロールのお嬢様が声をかけた。
「んで、今度はどうしたよ。服は全員分、できたんだろ?」
「ええ、おかげさまで、上着とスカートを作ることはできたのですが……」
そう言うフランソワは、学園指定の制服に似せた、ツーピースの服を身に纏っている。細部のデザインに稚拙な部分はあるが、庶民から見れば立派な服であることには変わりない。
これと同じものを女学生は全員、身に着けているのだが、まさかこれだけでは飽き足らないということだろうか。貴大は、続くフランソワの言葉を、ごくりと固唾を飲んで待ち構えた。
「今度は、家やベッドを作ろうという声が上がっていまして」
「ごめん、俺、貴族を舐めてたわ」
服やアクセサリーを作ろうという提案が来る。そうだとばかり考えていた貴大は、予想を上回るフランソワの言葉に眩暈を感じ、額に右手を当てて目を閉じた。
家を作ろう。ベッドを作ろう。段階を一段も二段も飛び越えた発想に、頭痛すら感じ始めた貴大。彼は周りを見回し、ここが無人島であることを確認した後に、恐る恐る、フランソワへと問いかけた。
「あのー、フランソワさん? ここ、無人島ですよ。んで、俺たちは遭難中」
「はい、それは重々承知しているのですが……その、羽毛の布団でなければ体調を崩してしまう子が、何人かいまして」
「は?」
「他にも、砂浜になど寝転がれるか、屋根がないとろくに眠れない、と騒ぐ者がいまして」
「よし、分かった。ちょっとメリッサを連れて、そいつら説教してくる」
「んー? 呼んだ?」
貴大の傍らで、穴を開けたヤシの実に口をあて、ちゅーちゅーと果汁を吸っていたメリッサが、名前を呼ばれて顔を向ける。
そのにこやかな表情の奥に、何やら底知れない狂気を感じ、フランソワは慌てて貴大を制止した。
「ま、待ってください! 待ってください、先生。彼ら、彼女らの言い分はもっともなのです。私たちは野宿はもちろんのこと、遭難など初めての経験。大地をベッドに、夜空を天幕にと言えば聞こえはよいのですが、実質的には野ざらしそのものです。そのような状況では、心を休めることもままならず……せめて屋根が欲しい、ベッドが欲しいというのは、無用の贅沢ではなく、切実な願いなのです」
学生たちの苦悩を語るフランソワも、温室育ちの貴族である。彼女の説明には、決して他人事ではない、切迫した響きがあった。
しかし、貴大はなかなか首を縦に振らない。前日に、女学生たちへの【プロセス】の伝授と指導。服や布の材料採取に、それらの運搬。とどめとばかりに、完成した服のお披露目会にまで付き合わされたのだ。
遭難中とはいえ、これ以上、貴重な休日を潰したくない。彼の顔には、はっきりとそう書いてあった。
「屋根や壁が欲しいなら、船に乗ればいいじゃねえか。俺やユミエルが、何のために座礁していた船を引き揚げて、係留したと思ってるんだ?」
貴大が指差した先には、学生たちが乗ってきた遊覧船が、岸辺にロープで繋ぎとめられていた。魔導機関が停止したとはいえ、船としての機能は失っていないのか、遊覧船はどっしりと海に浮かんでいた。
三階建ての家にも匹敵する高さの船は、客船には及ばないものの、三十人の学生を収納するには十分な数の船室がある。そこに、女学生たちが作ったシーツを引いて寝ころべば、十分に家やベッドの代わりになるだろう。
貴大は暗にそう語るのだが、フランソワは露骨に顔をしかめ、ゆるゆると首を横に振った。
「私たちは、あれに乗って流されてきたのです。恐らくは、クラーケン復活による潮流の狂いが、今回の漂流の原因なのでしょうが……それが分かっていても、あれに乗っていては、また流されてしまう。そのような恐れが、私たちにはあるのです」
「二日や三日じゃ、やっぱ無理か」
沖に流されたというトラウマがなくとも、海には未だクラーケンが潜んでいるのだ。砂浜や入り江ならまだしも、船を浮かべている場所は、島の岸辺の中でも一際深い部分だ。
おぼろげに揺れる海の底から、烏賊の化け物が迫ってくるかもしれない。そう考えると夜も眠れなさそうな学生たちに、「あそこに泊まれ」とはとても言えない貴大だった。
「しょうがない。家とベッドを作るの、手伝ってやるか。フランソワ、案内しろ」
「は、はいっ、先生!」
重たい腰を上げた貴大は、持っていたヤシの実をユミエルに渡し、フランソワと共に森の広場へと向かった。
その背中に向かって、直立したユミエル、眠たそうに寝転がったルートゥー、女の子座りをしたメリッサが、ぱたぱたと小さな応援旗を振っていた。
「さて、家を作るわけだが……正直、俺は家作りなんてしたことねえぞ」
前日、女学生たちが集まっていた広場に、今日は二・Sの全員が集合していた。まるで青空教室であるかのように、三列となって座る彼らに対して、貴大は随分と頼りないことを言う。
「家、というか、簡易式のテントの組み立てなら、自分が覚えています。騎士団の遠征にくっついて出かけては、よく野営の準備を手伝いました」
「おお、そうか」
自信なさげに後ろ頭をかいていた貴大に向けて、赤毛の少年騎士、ヴァレリーが手を挙げて発言した。
精悍な青年へと変わりつつある少年は、その風貌に野性的なエッセンスを感じさせ、それが彼の発言に説得力を加えている。
彼ならば、テントの一つや二つ、建てることもできるだろう。そう考えた貴大は、ふと、新しい疑問に首を傾げた。
「あれ? 家はお前が建てられるんだよな。じゃあ、俺、いらねえじゃん」
家を建てる、ベッドを作る。そのために貴大は呼ばれたはずだった。
先生として招かれ、実際に教壇にあたる位置に立たされている。それなのに、建築の知識は足りていると言われる。
もしかすると、自分は態よく労働者として連れてこられたのではないか。前日の疲労が体の芯に残っている貴大は、お坊ちゃんたちの代わりに木を伐り出したりするのはごめんだと、学生たちに断りを入れようとした。
「ヴァレリーを中心に、前衛職の奴らが力仕事をする。それ以外の奴らが布団を作ったり、ベッドを作ったりする。それでよくないか?」
「いいえ、先生。私たちには先生が必要なのです」
どうにかしてこの場から解放されようと、てきぱきと役割分担を決めてしまう貴大。しかし、フランソワはにこりと笑って、貴方が必要です、と告げる。
「先生、あちらをごらんください。見えますか?」
「あちら? んー……もしかして、アレか?」
「ええ、あれです」
島の中央には背の低い山があり、森の広場からは頂上と、ほんの少しの斜面が見えた。山肌をすっかり覆い隠した木々は、天に向かって枝葉を広げ、夏の日差しを余すところなく受け止めている。
ざわざわと揺れ、きらり煌めく鮮やかな緑は、夏、そのものだ。これぞ盛夏、夏の山だと呼ぶに相応しい光景が、そこにはあった。
――――ただし、いくつかの木々に、顔がなければ、だが。
「ウッド・ゴーレム……いや、オーク・ゴーレムか」
パッと見れば楢の木に見える巨木は、よくよく見れば目鼻や口がある。木の洞や模様と言うには余りにも生物めいた顔面には、時おり、表情すら見て取ることができた。
オーク・ゴーレム。楢の木に擬態し人々を襲う巨人であり、130という並のレベルと、それに見合わない高い腕力を備えた強敵でもある。
とはいえ、このゴーレムは根を張ったように動きが鈍いため、近づかなければ危険はない。島にどのような魔物がいるのか予め調べ、必要とあれば駆除しておいた貴大ですら放置していたほどだ。その危険度については、これ以上、語ることもない。
「お前らは、だいたいレベル150だったよな。それぐらいあったら、あの群れの中に突っ込むか、すんげードジを踏まない限りは死にゃしないだろ。んで、あれがどうかしたのか?」
「オーク・ゴーレムは、良い建材を落とすのです」
「はあ、それで?」
「それで家を建てましょう!」
「お前、馬鹿だろ? 前々から思ってたけど、お前ら馬鹿だろ?」
両手を広げ、にこやかにマイホーム計画を語るフランソワに、貴大は全力でツッコミを入れた。否、ツッコまざるをえなかった。
ここは孤立無援の無人島であり、慣れ親しんだ学園迷宮の中ではない。一度死ねばそこで終わり。学園迷宮のように、復活することはできない。
ぬるま湯に浸り過ぎて、学生たちは死ねば人は死ぬという当たり前の理屈を忘れてしまったのだろうか。不安以上に憤りの方が多く、貴大はなおも言葉を続ける。
「いいか、いくら相手の方がレベルが低いっつっても、魔物は魔物だ。お前らが隙を見せれば、問答無用で殺しにかかるし、命乞いなんて聞いてくれない。君子危うきに近寄らずって言葉があるけど、その通りだ。周りにはこんなに木があるのに、何でゴーレムに喧嘩売ろうとか言うんだよ」
お坊ちゃま、お嬢様とは思ってはいたが、まさかここまでだとは思わなかった。貴大は、苛立ちを隠そうともせずに学生たちを叱りつけた。
「冒険者でも、欲を見せた奴から死ぬもんだ。やらんでもいいことをやった奴は、高確率でくたばった。お前らも、あいつらの後に続く気か?」
「いいえ、先生。私たちは、その人たちとは違います」
「ああ?」
じろりと学生たちをにらみつける貴大。しかし、彼らは縮こまるどころか、逆に堂々と胸を張っていた。
「私たちは、オーク・ゴーレムの強さを知っています。【スキャン】でレベルを調べましたし、実は昨日、一体と交戦しました。彼らの力は、身をもって知っているのです」
「じゃあ、近づかなきゃいいだろ。しなくていい苦労は、しなくていいんだよ。気になるようなら、俺とメリッサ、ルートゥーが片付けておくから、お前らは安全に家を建てて――」
「いいえ。それではいけないのです。私たちは、先生に頼りきりではいけないのです。遭難先であるからこそ、苦難を乗り越えねばならないのです」
「は? どういうことだよ」
ここでようやく、貴大はフランソワの瞳の奥に輝く、一つの決意に気がついた。いや、フランソワだけではない。学生たちは皆、決意を秘めた瞳を貴大へと向けている。
それに気がついた貴大は、溢れ出る文句をぐっと飲み込んで、フランソワの言葉の続きを待った。
「幸いにも、私たちはこの島で先生に出会いました。元冒険者である先生は、野外で生きる術を私たちに教えてくださり、安全面でも気を配ってくださいました。食べるものも、着るものも、寝床さえも先生のお世話になり、私たちは遭難先では望外の生活を送ることができました。しかし、昨日、先生に服の作成を手伝っていただいている時に、ふと、思ったのです。私たちは、先生に頼り切っていると」
フランソワが浮かべた侮蔑の表情は、甘ったれた自分に向けてのものだろう。人がいなければ、着るものの調達すらままならない自分に対して、彼女は屈辱を感じているのだ。
「苦難にあってこそ、人の本質が出る。夏季休暇に入る前に、学園長は私たちにそう言いました。その言葉の通りならば、人に頼り切ることが、私たちの本質なのです。人がいなければ何もできないのが、本当の私たちなのです。事実、島に漂着した私たちは立つこともままならず、先生に会うまでは、私自身、不安に押し潰されそうでした」
悔しそうに唇を噛むフランソワ。グッと奥歯を噛みしめるドロテア。握り拳を更に握りしめるヴァレリーに、眉根を寄せるベルベット。
人一倍のプライドは、過度の甘えを許さない。王侯貴族である彼らは、王侯貴族であるがゆえに、貴大に頼り切ることをよしとしなかった。
「打たれない鉄は、脆く、柔い。苦難が人を強くして、困難が人を鍛え上げるのです。今がその鍛えの時。私たちはあえて先生の庇護から離れ、壁にぶつかり、乗り越えようというのです」
フランソワが鞘から剣を抜き放つと同時に、学生たち全員が、白い光に包まれる。個人格納空間から、剣が、鎧が、兜が、杖が、次々と現出し、彼らの体に装備されていく。
「群れているとはいえ、レベルが下の魔物。それも力ばかりの愚鈍を相手に、何をいきがっているのかと、先生は笑うかもしれません。しかし、これは私たちの第一歩。子どもから大人になるための、大切な第一歩なのです。それを見届けてもらうため、先生をここにお呼びしました」
列を崩し、新たに隊を組んだ学生たちが、山に向かって進んでいく。規則正しい足音を響かせ、彼らはオーク・ゴーレム討伐に向かう。
「先生、どうか手は出さず、ただ、見守っていてくださいませ。それが私たちの力となります」
純白の軽鎧を装着したフランソワが、最後に、広場から出て行った。
その後ろ姿を見送った貴大は、教え子の言葉通りに、学生たちが去って行った方を黙したまま見つめていた。
そして、一分、二分が過ぎ去った頃。貴大は、緩慢な動作で耳に手を当て、短く、【コール】と呟いた。
「おい、お前ら、大変だ。学生たちがとち狂って、自分たちだけで魔物の群れを狩るとか言ってる。成長するんだーとかぬかしてる」
『わー、青春だー』
『うむ、雛鳥の羽ばたきは好ましいものだな』
「家を建てるよりもめんどくさい事態になった……うう、あいつら、自分に酔ってる。めんどくさいよう、めんどくさいよう」
『……ご主人さま。彼らに死傷者が出た場合は』
「俺の責任になるんだろうなーっ!! ええい、くそっ! お前ら、あいつらのサポートを頼んだ!」
『らじゃー!』
『任せるがよい』
『……いえす、さー』
「じゃあ、行くぞ! あいつらの自尊心を傷つけないよう、背伸び欲求を満たすよう、こっそり手助け大作戦だ!」
『おー!』
こうして、学生たちのサポートをするべく、貴大らは島の各地へと散って行った。
学園編に、成長ドラマはつきものです。
と、いうわけで、次回VSオーク・ゴーレムの群れ。