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フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 作者:気がつけば毛玉

バイオハザード編

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追跡者とヒロインと筋肉

 貴大がグランフェリアの中級区、西の大広場に到着した頃、時刻は十七時を回っていた。

 あと二時間ほどで、夜の帳が下りてくる。街が暗くなればなるほど、夜目が利かない人間にとっては不利になる。暗視スキル【ナイト・ビジョン】すら封じられた貴大は、急ぎ、西の大広場で威容を誇るギルドホールに飛び込んでいく。

「ぷりぷり筋肉」

「もみ……もみ……」

 近年、女性の進出が目覚ましい冒険者稼業は、それでも八割近くを男が占めており、そのことを証明するかのように、ギルドホールでは厳つい男たちがひしめき合っていた。

「腹筋。しっくすぱっく」

「ずり……ずり……」

 二階に続く中央の大階段と、その脇に備え付けられた四つの受付カウンター。一階右の扉は訓練場に繋がり、左は宴会場も兼ねた大食堂に続いている。もちろん、玄関口たる吹き抜けのホールの規模も相応なもので、門を潜った者は、まず広さと高さに目を見張る。

 その至る所で、筋肉が蠢いている。冒険者という名の筋肉たちは、おしくら饅頭をするかのように互いの筋肉を擦り付けあい、異様な摩擦熱を生じさせていた。吹き出る汗すら蒸発し、漏れ出る吐息は真冬のように白かった。

 それら蒸気が湿度と温度を上げ、ギルドホールはサウナと化す。真夏の蒸し暑さすら凌駕する肉風呂に触れ、貴大は飛び込んだままの勢いでUターンする。

「オロロロロロロロロロ」

 そして、吐いた。こみ上げる胃液を押さえられず、貴大は西の大広場で滝のように吐しゃ物をぶちまけた。

「ぐええ……な、なんて匂いだ」

 納豆とワキガを混ぜて、長時間熟成させたかのような匂いだと、貴大は思った。ギルド受付職員が、汗だらけ、泥だらけの冒険者たちをまず風呂にぶち込む理由を、同時に理解した。

 普段はそこまで人の匂いを気にしない貴大だが、ここまで濃厚な悪臭となると話は別だ。まるで目や鼻に染み込んでくるような酸っぱい匂いに、貴大は背中を曲げて大きく咳き込んだ。

「うええ……しかも、感染率が上がってるし」

 最後に確認した時は『22%』だった感染率が、『23%』に変わっている。

 まるで毒霧だと思ったギルドホールの空気は、まさしく毒霧だったのだ。貴大は、あからさまに顔をしかめ、MAP上に示された進路を何度も何度も確認した。

 だが、いくら確認しても、一本道のような進路は変わらず、『ギルドホールに向かえ!』という目標も変わらない。つまりは、筋肉と毒霧に満ちたホールを、突っ切らなければならないわけだ。

「鼻をつまめばなんとかなるかな……」

 MAP上のガイドビーコンは、球場やスタジアムのような規模の建物の屋上へ向かえと、無情に指し示すばかり。躊躇っているうちに、大広場の感染者たちも集まり始めている。

「あー、くそっ! なるようになれっ!!」

 貴大は左腕で口元を覆い、再び、ギルドホールに飛び込んだ。途端に、むわっとからみついてくる酸っぱい蒸気。

 イースィンド北東に位置する北国で作られる、ニシンの塩漬けを沸騰させたかのような匂いに、貴大はまた、胃袋から胃液を逆流しそうになっていた。

(臭い臭い臭い臭い臭い臭いくさいくさいくさいっ!!)

 床を蹴り、肉壁の頭を踏み潰し、貴大は一心に階上を目指す。

 他のことは何も考えない。今が何階だということも、視界にちらつく感染率のことも、実は何かしかけがあったんじゃないかという可能性も、余計な思考としてすべて排除して、貴大は足を動かし続ける。

 そのおかげか、一分もかからずに最上階までたどり着けたのだが――貴大自身は精根尽き果て、身を投げ出すようにして板張りの床に倒れこんでしまった。

「微妙な匂いだと馬鹿にしていた五階の空気がうまい……」

 しくしくと泣きながら深呼吸を繰り返す貴大。

 疲労回復に効果があるワイルドハーブを練りこんだお香が部屋の中で焚かれ、それが廊下にまで漏れ出しているギルドホール五階、宿泊施設。

 冒険者だった頃、仲間と一緒に何度か利用したことがあった貴大は、鼻に合わないハーブを指して「防虫剤みてえだな」と大いに嘲笑していた。それが肺を洗い清める楽園の芳香に感じられるとは、筋肉蒸気の威力、推して知るべしである。

「窓を開け放ってくれていた誰かにも感謝だな」

 吹き抜けになっている一、二階に充満していた毒霧も、三階、四階と進むうちに薄れていき、五階に到着する頃にはほとんどが風に散ってしまっていた。生き残った冒険者たちが換気のために、上階の窓をすべて開放していたのだ。

 風通しのよくなった宿泊施設は、男臭さが薄れたせいで、感染者たちも姿を消している。より『濃い』方へ集結したのだということは、ホールの惨状を見れば明らかである。

 ただ、感染者たちが完全に姿を消したというわけではなく、長い廊下の両脇に並んだ部屋からは、なにやらくぐもった声が聞こえてくる。

 日頃から、英雄色を好むと断言して憚らない冒険者たちが利用する宿泊施設ゆえ、『そういったこと』は日常茶飯事ではあるのだが、今回はいささか毛色が違うようだ。万が一にも引きずり込まれないように、貴大はなるべく廊下の中央を歩くようにする。

 目指すべき場所は、突き当りにある屋上への階段。安全性のためか、他の階段とは分けられて設置されている上階への道へ、貴大は音を立てずに進んでいく。

 消音スキルを使用するうちに、自然と身につけた忍びの歩行法。耳をそばだてなければ聞こえない足音は、貴大自身の耳にも、ほんのわずかな雑音としてしか届かなかった。

 だからこそ、後ろから忍び寄る足音には、すぐに気がつくことができた。するすると滑るように接近してくる何かが、自分の後ろにいる。そのことに気がついた貴大は、ナイフを抜き放ちながら、勢いよく振り返った。

「……ん? なんだ、アルティか。似たようなストーキング術だと思ったが、本人か」

 貴大から離れること数メートル。長く伸びる廊下の中心に、赤毛と褐色の肌が印象的な少女が立っていた。

 胸部だけを覆う黒のスポーツウェアと、茶色の短パン。そこに留め具つきのサンダルが組み合わされば、アルティという少女の定番の夏服となる。

 わきを見せ、へそを出した涼しげな格好は、際どいほどに露出が多い。それでも、そこに妙ないやらしさがないのは、引き締まった体のおかげだろう。

 女らしい曲線の中に、男らしい筋肉を内包した体は、一種の芸術作品のようでもある。芸術館で発情する人間がいないように、貴大も平静を保ったまま、アルティに話しかける。

「足を止めた、ってことは、お前は感染者じゃないのか? それとも、俺に襲いかかってくるような変異体じゃないってことか?」

 うつむき、廊下に立ち尽くすアルティを見つめ、いくつかの質問をぶつける貴大。

 それらすべてにアルティは応えず、その結果をもって貴大は彼女を感染者だと判断した。

「お前も逃げ遅れたか、百合った冒険者にやられたか……まあ、俺に関わらないならそれでいい。元に戻してやるから、ここで待ってろ」

 冒険者の少女に背を向けて、再び歩き出す貴大。

 だが、彼が意識を逸らした瞬間、赤毛の少女は大きく動いた。

「タ、タカヒロッ!」

「なっ、も、もがっ!?」

 数メートルの距離を縮める大跳躍と、振り向いた貴大への大胆な抱きつき。

 飛来する『おへそ』にたじろいだ貴大は、アルティの強固なホールドを許してしまう。

「こ、こら、離せ!」

「タカヒロッ! オレは、オレは~!」

 死んでも離すまいと貴大の頭や背中に手足を回すアルティは、ウィルスの影響なのか驚異的な力を発揮しており、力ずくではがすということがどうしてもできない。

「くそっ、くそっ……! なんでこいつ、こんなにいい匂いがするんだっ!?」

 そのうえ、この香りだ。蜂蜜につけたレモンのような、鼻腔をくすぐる甘酸っぱい匂い。抱きつく少女のわきや首筋から香る魅惑的なアロマに、毒霧にやられた鼻の粘膜が優しく癒されていくのを貴大は感じていた。

「タカヒロ、オレは、お前が……」

 切ない顔をしたアルティが、真っ赤な顔をして貴大を見つめていた。

 潤んだ瞳に、ほんのわずかに開かれた唇。幼さを残した顔立ちに、蠱惑的な『オンナ』の表情を浮かべ、アルティはゆっくりと貴大に顔を近づける。

 男勝りだ、がさつなガキだと馬鹿にしていた少女の変貌に、貴大は立ち尽くすばかりで何もできない。このままでは、自分も感染者となってしまう。それがわかっていながら、彼は『オトコ』としての本能に抗えずにいた。

 若くして枯れた男だと評される彼も、理性を溶かすウィルスの影響下にあるのだろうか。貴大は、抵抗らしい抵抗も見せず、そのままアルティの唇を受け入れて――。

「ネズミィィィィィィィィ!!」

 男と少女の唇が重なり合う瞬間、壁を突き破って大男が現れた。

 瓦礫を撒き散らし、ギルドホールを丸ごと揺らす突進を受け、貴大とアルティはたまらず吹き飛ばされる。

「げ、げえっ、キリング!?」

 現れたのは、『皆殺しキリング』と呼ばれ、恐れられた男。鬼にも例えられる巨躯を誇り、先の闘技大会では力で貴大を圧倒したイースィンドのギルド長。そして、一人娘のアルティを溺愛している偉丈夫が、鎧のような筋肉を膨張させて貴大に迫る。

「ぶっ殺してやるぞ、このネズミ野郎ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」

「ひ、ひいいいいいいいっ!?」

 床に転がるアルティには目もくれず、貴大に向かって拳を振るうキリング。

 彼もまた、通常の感染者とは違う変異体なのだろうか。性的悪戯ではなく、暴力をもって貴大との接触を図るキリングの目には、明確な殺意が燃えていた。

「ちょ、困る! 二重の意味で困る!!」

 ただの感染者であっても、変異体であっても、貴大にとっては違いがない。どちらのキリングであっても、捕まってしまえば貴大は滅茶苦茶にされてしまうだろう。

 貴大の脳裏に、かつて見たマンモス・カイザーの姿が蘇る。彼の親友であり、並ぶものなき〈ブレイブ・フェンサー〉でもある蓮次にトラウマを刻み付けた象の化け物。アレと、キリングの太い腕は、貴大にとっては同程度の脅威だった。

「てめえみてえなへなちょこにぃぃぃぃぃぃ!! アルティはぁぁぁぁぁぁ!!」

「お父さん自重しろーっ!!」

「お義父さんだとおおおおおおおっ!?」

「なんか響きが違うぞーっ!?」

 五階の床に穴を開けながら猛進するキリング。彼の豪腕を避けながら、階上を目指す貴大。

 やがて、飛竜の発着場も兼ねた平坦な屋上に転がり出た貴大は、更新された目標に急いで目を通した。

「『何でも屋〈フリーライフ〉に向かえ!』だと? 俺んちじゃねえか!」

 まさか、自宅もギルドホールのように、感染者たちの巣窟と化しているのだろうか。お仕置きメイドのユミエルも、混沌龍であるルートゥーも、感染者に成り果てているのだろうか。親しい者がウィルスに侵されたという恐怖よりも、彼女らが発揮するであろう戦闘力に背筋を震わせる貴大。

 だが、彼は、そのことを考えるべきではなかった。今は、今のことを考えるべきだ。

 彼がそう悟ったのは、屋上の床を破って現れたキリングに、頭をわしづかみにされてからだった。

「ごがぁあぁあああぁぁっぁぁ!!」

「しまっ……!?」

 理性を消し去った巨漢に頭をつかまれ、持ち上げられる貴大。

 アルティの拘束すら振り解けなかった彼が、グローブのようなキリングの手から逃れられる道理はない。貴大がナイフを突き立てても、大鬼は痛がりもせずに握力を高めていく。

「これは、や、ばい……!」

 強烈な鈍痛が鋭い痛みと化していくと同時に、貴大の手足はじんと痺れだす。

 ナイフを持つ手にも力が入らず、取り出した閃光手榴弾はピンを外す前に手から離れ、屋上を転がった。視界も赤く、黒く染まっていき、星が瞬くようなきらめきがスパークを始める。

 ここで終わる。終わってしまう。貴大は、諦めざるを得ない状況に陥ってしまった。

 自分はこのまま頭を砕かれ、感染者として再誕するのだろう。そして、濃密な男の香りに導かれ、筋肉と毒霧に満ちたホールに、自ら身を投じるのだろう。地獄のおしくら饅頭に埋没し、幸せそうに頬を緩めるのだろう。

「それだけは嫌だああああああああああっ!!」

 湧き上がる嫌悪感と、未来のヴィジョンへの拒絶から、渾身の力で脱出を図る貴大。

 だが、彼の抵抗は虚しく、キリングの手は決して緩むことはなかった。

(これで、最後だなんて……!)

 異世界に落ちて、帰る手段を失い、親友と戦い、それでも数々の困難を乗り越えた末路が、男色に染まることとは――。

 あまりにもあんまりな最後に、貴大はぽろぽろと涙をこぼした。

「せめて、引きこもりゾンビになれますように……」

 他の誰とも接触しない未来を夢見て、貴大はそっと、まぶたを下ろした。

 ――だが、彼はここで終わりではなかった。

「タカヒロを、離せぇぇぇぇっ!」

「があっ!?」

 思いがけない衝撃に、キリングは腕の力をふっと緩めた。

 それだけで貴大の視界は蘇り、世界に色が戻ってくる。そこで、貴大が見たのは、

「逃げ、ろ、タカヒロぉぉぉぉ!!」

「アルティ!?」

 感染者となったはずのアルティが、父親にナイフを突き立てている光景だった。

「あるでぃぃいいぃぃぃいいぃぃぃ!?」

 娘の刃を身に受けて、嘆きの咆哮を上げるキリング。彼に向かって、アルティは深く、深く、ナイフを突き入れていく。

「アルティ……!」

 アルティの目に、理性の光を感じ取った貴大は、彼女に向けて手を伸ばす。

「タカヒロ……!」

 対するアルティも、宙吊りにされた貴大に手を伸ばす。

 彼らは、目と目で通じ合っていた。この窮地をともに脱しようと、目には見えない絆の糸を結ぼうとしていた。

 それが、お義父さんには気に喰わなかったらしい。

「させるがああああああぁぁぁぁぁっぁあぁっ!!!!」

「うあああああああああっ!?」

 大事な娘と悪い虫を『物理的に』引き離すため、キリングは貴大を力いっぱい放り投げた。

 ウィルスによって強化された筋力。怒りによる限界突破。感染者となっても失うことはなかった、娘への愛と貴大への悪感情。

 それらすべてが豪快なスウィングに更なる勢いを与え、人一人を空の彼方へと遠投する力となった。

「あのおっさんは、ばけもんかぁーっ!?」

 貴大が発する悲鳴も、遠く、遠くへ消えていった。






 何でも屋〈フリーライフ〉は、攻めるに難い城砦に似ている。

 一国を滅ぼすだけの力を持つカオス・ドラゴンをして、こう言わしめるだけの備えが、中級区の一軒家にはあった。

 突出した防音、防寒、耐震性能に加え、張り巡らされた防犯用の罠の数々。窓を割ろうとすれば電撃がほとばしり、鍵穴に針金を通せば突風に吹き飛ばされる。壁を崩そうとすれば魔術障壁に阻まれ、火を放とうとすれば氷雪に包まれる。

 かつての〈フリーライフ〉の面々が、手持ちの素材と技術を惜しみなく使った結果、何の変哲もない一軒家は、大国グランフェリアでも類を見ないほどの要塞と化していた。

 外見と機能が著しく一致していない何でも屋〈フリーライフ〉。住居と店舗を兼ねたこの家に住まうメイドのユミエルは、主人に全幅の信頼を置いている。

 彼が、自分でも無理やり侵入できないと語るぐらいなのだから、ここは安全な場所なのだ。事務所の窓に張り付く感染者たちを見つめ、ユミエルは目前の脅威ではなく、これからどうするのかに意識を割いていた。

 それが許されるほど、この家は安全なのだ。ゾンビのような人たちは、誰もここには入ってこられない。そう考えていただけに、突如として生じた轟音と振動には、ユミエルは心底驚かされてしまった。

「ぐおおおおおお……! 痛え……! 全身が痛え……!」

「ご主人さま!」

 上から聞こえた破壊音に、慌てて階段を駆け上がったユミエル。三階まで上がった彼女は、絶対不破だと信じていた壁に大穴が空いていることに驚き、廊下に主人が倒れていることに、特に激しく驚いた。

「ご主人さま、しっかりしてください、ご主人さま!」

「ぐうう……! がはっ、がっ、ぁぁ」

 骨を折り、内臓を傷つけたのか、咳とともに血を吐き出す貴大。

 これまで見たことがないような瀕死の主人の姿に、ユミエルは震える手でエプロンの前かけからポーションの小瓶を引っ張り出した。

「あ、あー……ユミエル、か」

「そうです、そうです、ご主人さま!」

 常日頃はささやく様な声しか出さないユミエルが、口を大きく開き、鼓膜をびりびりと震わせる大声を出している。

 そのことがなにやらおかしく感じられ、貴大はポーションをふりかけられながら、小さく笑った。

「くっそ、目的地が屋上だから、飛竜にでも乗るのかと思ったら……次の目的地へ直行かよ。ショートカットも度が過ぎているぞ」

 けんけんと咳き込みながら、よろよろと立ち上がる貴大。ユミエルは彼を支え、手近な部屋へと連れて行こうとする。

 それを手で制して、貴大はじっと、ユミエルの目をのぞきこんだ。

 そのままの姿勢で、一分、二分が経過して――ようやく、貴大はほっと息を吐き、体の力を抜いてユミエルへともたれかかった。

「……ご主人、さま?」

「わりい、ちょっと疲れた。少しこのままでいさせてくれ……」

 己の体に、すべてを預けて、寄りかかってくる主人。その重さに、ユミエルは大きな喜びと安心感を覚え、彼女はそっと、貴大の背中に腕を回した。

 事情はわからない。貴大がどうして傷だらけで飛び込んできたのかもわからない。街にゾンビが溢れている理由もわからない。

 だけど、きっと、自分の主人は、この事態を解決するために戦っているのだろう。これまでもそうだったように、誰かのために戦っているのだろう。

 その助けとなれるのならば、私はいくらでも身を預けよう。彼の癒しとなれるのならば、いくらでも身を捧げよう。顔にかかる主人の黒髪に愛おしさを感じながら、ユミエルはぎゅっと、貴大を抱き留め続けた。

「婚約者である我を差し置いて、メイドが主人といちゃいちゃするのは感心せんな」

「ル、ルートゥー!?」

 弾かれたようにユミエルから離れ、現れたサマードレス姿の少女を凝視する貴大。

 彼の顔面は蒼白に染まり、その体は細かく震えている。人間のキリングであれだけの強さを誇るのならば、混沌龍ともなればどれだけの怪物と化すのだろうか。考えただけでも恐ろしいウィルスによる強化の予感に、貴大はじりじりと後ずさりを始める。

 それを呵呵と笑ったのは、感染者としての疑いを持たれていたルートゥーだ。

「ははは、何を怖がっておる。我は混沌龍だぞ? 天地万物すべてを取り込んで、己の力となすカオス・ドラゴンに、人間が罹るような病が通用するはずがなかろう」

「そ、そうなのか?」

「うむ。見ろ、この肌を。どうだ? 染み一つなかろう? これがゾンビの肌か?」

「違う……な。うん」

 貴大が知るカオス・ドラゴンとは、確かにあらゆる状態異常を防ぎ、マイナス効果のバフすら通さないBOSSモンスターだった。

 細菌から呪いに至るまで、どのような汚濁を浴びせても平然な顔で暴れまわるのが、カオス・ドラゴンだ。それが、イベント用とはいえ、ウィルスごときに侵されるはずもないと、貴大は結論付けた。

「ユミエルもお前が助けてくれたのか?」

「いや、我はとち狂った老龍を鎮めるのに手一杯でな。今しがた、ここに戻ったばかりだ。メイドが無事なのは、貴様が張っていた魔術障壁によるものだろう」

「……その通りです。この家には、緑の霧は入ってきませんでした。おかげで、私はゾンビにならずに済んだのです」

「そうか。まあ、何にせよよかったわ。お前らが無事でさ」

 二人の少女の頭をぐりぐりと撫で、ほっと息を吐く貴大。

 お前らが感染者になっていたら敵いそうにないもんな、とは口が裂けても言えない貴大は、曖昧な笑みを顔に浮かべた。

「さて、俺はそろそろ行くわ。次は王立図書館に行かなくちゃいけないみたいだ」

 視界に映る次の目標、『王立図書館地下階へ向かえ!』を見据えながら、貴大は少女たちに別れを告げる。

「ならば、我も行こう。ゾンビなど、鎧袖一触よ」

「……私も、ついていきます。連れて行ってください」

 当然のように、同行を申し出るユミエルとルートゥー。

 だが、貴大は首を横に振って、彼女らの申し出を断った。

「たぶん、プレイヤー……じゃねえわ、俺でしか事件を解決できねえんだ。戦力にはなるだろうが、その分、動きが鈍ると思う。一刻も早く終わらせるつもりだから、お前らはちょっとここで待ってろ」

 強く突き放すかのような言に、渋々、引き下がる少女たち。

 彼女らの頭に手を載せて、ぐるんぐるんと回しながら、貴大は笑いかける。

「じっとしていられないなら、ルートゥーは力がありそうなゾンビを倒しておいてくれ。これから向かう上級区を中心に掃討してもらって……老龍もすぐに復活するだろうから、邪魔が入らないようにしてくれたら助かる」

「うむ、承知した。男色趣味に堕ちた漢どもに灸をすえてやろう」

「ユミエルはこの家を守っていてくれ。自分で壊しておいて何だが、これ以上崩れたら寝るのも難儀しそうだ」

「……かしこまりました」

 貴大の願いを受け止めた少女たちは、胸を叩き、頭を下げて、承諾の意を見せる。

 それに安心した貴大は、「誰が敵になるかわからんし、コープよりもシングルプレイの方が楽だもんな……」とこっそり呟いて、壁に空いた大穴から出て行こうとする。

「そうだ、これを持っていけ」

「ん?」

 自宅から飛び出そうとする貴大に、ルートゥーがポーションの小瓶を投げて渡した。

 だが、中身は薬剤ではなく鮮やかな赤い液体で、見ただけで血だということがわかる代物だった。

「これは、何だ?」

 問いかける貴大に、ルートゥーは花のように笑って答える。

「我の血だ。万病を癒す効果があるゆえ、お守り代わりに持っていくといい」

「おお、それは助かる!」

 感染率を下げるアイテムなのだろうと見切りをつけて、貴大は懐に小瓶をしまった。

 ゾンビ化ウィルスにも打ち勝つカオス・ドラゴンの血だ。保険としては申し分なく、感染者に対する切り札としても使えるかもしれない。

 ようやく手にした希望に、貴大は安堵の笑みを見せる。

「こんな便利なもんがあるなら、老龍に飲ませてやればいいのに」

「馬鹿を言うな。アレに効くほど飲ませていたら、我は貧血になってしまう」

「アレ?」

 壁の大穴から、グランフェリアの上空を指差すルートゥー。その先を見つめ――貴大は、笑顔のままで、固まった。

『ボーイズビィィィィィィィィィ!!!!』

 黒雲渦巻くグランフェリアの上空に、それはいた。

 圧倒的な巨体。まるで砂漠の遺跡のような質感の鱗。長く伸びた尾に、左右に大きく広がった翼。目撃した百人中百人が、「あれはドラゴンだ」と断言するほどの古龍が、奇妙な声で鳴きながら、街の上を旋回していた。

「老龍さん、本気モードじゃねえかっ!?」

 普段は、中華の仙人のような姿の好々爺である老龍。だが、その本質は、かつて武力をもって名を馳せたレッド・ドラゴンだ。

 ウィルスの影響からか、往年の勢いのままに飛び続ける老龍。あんなものに襲われては一たまりもないと、貴大は震える手でルートゥーの肩に手を置いた。

「お願いします、あれを押さえておいてください」

「うむ、任された!」

 そのまま、逃げ出すかのように自宅を後にする貴大。

「……ご主人さま、ご健闘を」

 どこで仕入れた知識なのか、彼の背中へ向けて、ユミエルが火打石を鳴らしていた。

アルティのわきより、キリングさんのわきに顔を埋めたいよぉー! と、いう方はご注意を。

感染率、上昇しております。
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