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フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 作者:気がつけば毛玉

バイオハザード編

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舞い散る花々

なんだか、異様にボリュームが増えました。

これも百合薔薇パワー……?
 四つの城壁で区分けされているグランフェリアという街は、区の等級が上がるほどにゆとりが生まれる。

 日頃から多くの人や荷物で賑わい、大通りは横切ることもままならないと言われている下級区では、建物さえも互いを押し合うように密集している。

 これが中級区になると、途端に空間的な余裕が生まれ、人波に揉まれた旅人たちは、設けられた自然公園で一息つくことができる。

 上級区は言わずもがなだろう。通りが幅広い。見通しがよい。人口密度が低い。住人たちの懐のように余裕を持つ上級区は、なるほど、金持ちの住処だと納得させられる。

 しかし、上には上がいるもので、王侯貴族が住まう王貴区にはどの区もまるで敵わない。貴族の別宅もそうだが、王城を一つの家として考えれば、他と比べることも馬鹿馬鹿しくなってくる。面積では他の区に劣るが、一人あたりで考えると、これほど贅沢な土地利用はない。手狭なアパルトメントの一室で暮らす下級区民からしてみれば、同じ都市にして別世界のようだと感じられた。

 このように、上へ、上へと進むほどに、グランフェリアという街は、広く、広くなっていく。

 道路の幅が増し、建物と建物の隙間は空間となり、ひしめく人々は数を減らし、誰かと肩をぶつけるということもなくなってくる。

 ウィルスが散布され、感染者の街と化した今も、それは変わらない。感染者たちで溢れかえった下級区を抜けてきた貴大にとって、上級区を通り抜けることは造作のないことだった。

 広々とした大通りを進み、いくらかの感染者たちを払いのけ、速やかに目的地へと向かう。その点だけを考えると、難易度はぐっと下がったように思える。

 だが、ここはイースィンドの首都である。地位、名誉、財力と並び、心身の強靭さを一つのステータスと見なすこの国では、必然的に市民のレベルも違いを見せる。

 人口迷宮での訓練の成果か、はたまた、強くなければ上級区民として見なされないからか。いずれの理由にせよ、この区の大人たちは少なくともレベル100は超えている。警備兵や騎士にもなると、平均値にして150は上回るだろうか。弛まぬ鍛錬によって日進月歩の成長を見せる戦士たちは、王都の守り手として確かな実力を備えていた。

 上級区には、高い等級に見合うだけの力量を持った人々が住んでいる。そのうちの半数に牙をむかれたとしたら――比類なき強者であったとしても、切り抜けることは容易ではなかった。

「いかがですかなっ!? いかがですかなっ!?」

 ステッキをレイピアに見立て、刺突を繰り返す燕尾服の男。手入れされたカイゼル髭が特徴的な男は、身なりからして名のある紳士だったのだろう。

 そのような人物がウィルスに感染すると、男の尻穴を執拗にステッキで突付き回る変態と化すとは――両手で尻を押さえながら宙を舞う貴大は、何度目になるかわからないほどにウィルスの脅威を痛感していた。

「わたくし、こう見えてエスコートには自信がありますぞっ!」

「ええい、いい加減にしろっ!」

「がっは!?」

 体を捻って、後ろから迫る紳士の突きを避け、そのままの勢いで後ろ回し蹴りをお見舞いする貴大。さすがの上級区民もこれにはたまらず、受身も取れずに石畳の上を転がっていく。

 彼が行動不能になったかどうか。それを確かめないまま、貴大は道路を走り出した。いずれ復活する感染者の状態を確認しても、時間の無駄にしかならない。それならば、一時的に行動不能にするだけでいいだろうという考えは、道中で思い至ったことだった。

「くそっ。何気に手強い」

 貴大をもってして『手強い』と言わしめるグランフェリア都民たち。彼らの肉体はウィルスの影響によりリミッターが外れ、感染前とは比較にならないほどの力を発揮していた。

 壁を破って現れる。民家の上から跳んでくる。生き残った騎士たちすらも力で押さえつけ、有無を言わさぬ接吻の嵐を喰らわせる。

 火事場の馬鹿力を発揮した不死身の集団が、四方八方から襲いかかってくるようなものだ。一線級の騎士さえ一たまりもなく、超人的な身体能力を誇る貴大でさえ苦戦を余儀なくされていた。

「大通りを直進とか、マゾゲーかよ」

 迫りくる上級区民。胡乱な目をした紳士淑女たち。彼らから身を隠すところがあればよかったのだが、貴大に許された道は王立図書館へ続く大通りだけだった。

 路地に飛び込もうとしたり、屋敷の庭に身を隠そうとすれば、不可視の力で押し戻される。感染者たちは通れる場所が、貴大にはどうしても通れない。

 結果として、彼は唯一通行が許された一本道を進んでいた。幅広く、見通しがいいだけあって、感染者はいくらでも湧いて出てきた。

 この広い上級区にあって、貴大は下級区以上の狭さを感じていた。

「だーっ、やっと到着かっ!」

 艱難辛苦が待ち受ける茨の道も、走り続ければいつかは抜けることができる。

 そのことを証明するかのように、貴大は無事、目的地にたどり着いていた。

 遠目で見れば古代の神殿のようにも見える大玄関。石の柱が屋根を支え、その奥では木造の大扉が威容を誇っている。

 この建物こそが、イースィンド王立図書館。貴大の視界に示された目的地であり、『叡智の箱』とも呼ばれる知識の宝物庫であった。

「あ゛~、ゆうしゃさまだ~」

「ん? ああ、セリエか」

「あうっ」

 よたよたと近づいてくる顔見知りの見習い司書を、デコピン一発で弾き飛ばし、貴大は図書館の裏手へと回った。

 裏口から入れということは、職員通路を通り、地下階に下りろということなのだろう。繰り返される正面突破に辟易していた貴大だが、MAPに表示された順路には、たまったものじゃないとばかりにこめかみを押さえる。

 司書たちを巻き込んだ幽霊騒動。死霊さ迷う地下研究所の怪。戦慄の人面ワーム出没事件。このどれもが、ゾンビ化ウィルス感染拡大の前に起きた出来事なのだから恐れ入る。

 恐怖と畏怖を込めて『図書館の魔女』と呼ばれ、日常的に新米司書たちの心臓を縮めている一人のエルフを思い出し、貴大は踏み出しかけた足を何度か躊躇い、引っ込めた。

「ただでさえゾンビみたいな女が、ゾンビになったらどうなるんだよ……」

 泣きそうな顔をしながら裏口の扉を開き、王立図書館へと足を踏み入れる貴大。

 暖色系の光石に照らされた通路は、石造りであっても温かみがあり、それがいくらか貴大を慰める。だが、行き着く先のことを考えるとどうにも歩が鈍くなるのは、仕方のないことだと言えた。

 やつれ果てたエルゥを見たことがある司書は、「勇猛さで名を馳せた赤光騎士ブラッドであっても裸足で逃げ出す」と、地下研究所に住まう黒髪のエルフのことを語る。

 別の司書は、「たとえ私のレベルが250でも、夜道であの人に会えばショック死する自信がある」とも語った。

 彼女らと貴大は、同じ想いを抱いている。

 すなわち、純然たる恐怖心。稀代の天才に向ける憧憬も、美形揃いのエルフに抱くときめきも、『図書館の魔女』を恐れる心がすべて塗り潰してしまっていた。

 だから、貴大の歩みは遅々として進まなかったし、職員通路は人気が途絶えてしまっていた。

 感染者であっても、いや、感染者だからこそ本能には忠実なのか、司書たちはみな、セリエのように図書館外へと逃げ出しているようだ。そう判断した貴大は、若干、体の力を抜いて、誰もいない通路を進み続ける。

 しかし、一階とは打って変わって、白色の冷たい光が薄く照らす地下階へと下りた時――貴大の体は、氷のように冷たく、硬く、緊張した。

 禁帯出図書を収めた部屋が並ぶ廊下の先に、貴大はおぼろげに揺れる影を見た。あの角を曲がれば、その先は立ち入り禁止の研究所。『図書館の魔女』が支配する領域に留まっていられるモノは、そう多くはない。

「エルゥ、か……?」

 反響した自身の声に、びくりと身を震わせる貴大。

「エ、エルゥなんだろ!?」

 怖さに縮こまる心を誤魔化すように上げた大声に、しかし影は揺れるばかりだった。

 こうなると、いよいよ恐ろしくなってくるのが人間というものだ。人という生き物は、何かが起きるよりも、その予兆に恐怖する。貴大も例外ではなく、彼は石壁に映る影に底知れない恐怖を覚えていた。

 まんじりともせずに二分も三分も立ち尽くす貴大。だが、時間とともに慣れていくのも人間というもので、五分も経つうちに、彼はいくらかの冷静さを取り戻していた。

「ん? あの影、何か変だ」

 乱れた心が落ち着けば、自然と頭も冴えるものである。貴大は、廊下の先で揺れる影が、先ほどから一歩も動いていないことに気がついた。

(感染者なら、生き残った人間を探すか、同性を見つけていちゃいちゃしているはずだ。まったく動かないってのは、やっぱり変だ)

 司書か誰かが、ウィルスに感染した際に置き去りにしていった台車が、光石に照らされて大きな影を映しているだけだろう。もっともらしい理由を見つけた貴大は、足取りも軽く、MAPに示された順路を進んでいった。

 そして、問題の曲がり角をひょいとのぞき込んだ時、

「きええええええええええっ!!」

「ひいいいいいいいいいいっ!?」

 奇声を発し、血走った目で杖を振り下ろすエルフに、へたりと腰を抜かしてしまった。







「いやあ~、ゾンビが来たものだとばかり思っていたよ」

「俺もゾンビに襲われたのかと思ったよ……」

 対アンデッド用の銀の杖で、散々ぽかすかと殴られた貴大。彼に暴行を働いた不届き者は、しかし悪びれもせずにからからと笑う。

「それだけ切羽詰っていたのさ。なにせ、私以外の職員は全員、ゾンビと化していてね……君もここまで来たのなら、街の惨状は見ただろう? 男が男を襲い、女が女を襲う。まったく、いつからグランフェリアは背徳の都になったのだか」

 本と石版、巻物などで半ば埋もれたボックスタイプの部屋で、エルゥは椅子に座ったまま、うんと背を伸ばした。

 不摂生が祟ってこけた頬に、滑らかさを失った黒髪。物乞いのように痩せ細った体に、濃い隈が浮かんだ目元。これでどんよりと目が濁っていたならば、まず間違いなくゾンビだと判断できるのだが――幸いなことに、死霊のような風貌の女の瞳は、黒く知的に光っていた。

「やー、しかし困ったねえ。このままだと、外へ買出しに行くのもままならない。そろそろ、保存食の備蓄が切れそうなんだよ」

 あっけらかんと危機的状況を述べるエルゥ。

「いや、困ったねえじゃすまねえだろ。いるのは血清だかワクチンだかわかんねえけど、早く用意してゾンビたちを元に戻さなきゃ、全国各地から浄化大隊が押し寄せてくるぞ。いや、その前に、他の街に飛び火するかも……」

 東大陸全土が、男と女の色に染まっていく。その光景を想像しただけで、貴大の顔はさっと青くなった。

 しかし、先ほどまでゾンビに怯えきっていたエルゥは、余裕たっぷりに構えてこう語る。

「なあに、心配ないさ。こんなこともあろうかと、便利なものを作っておいたんだ」

「便利なもの?」

 オウム返しに問いかける貴大に、

「名づけて『さよならアウトブレイク君』。広範囲に薬剤を散布し、同時に浄化魔法を照射するマジックアイテムだ。感染力と罹患率が高いだけの流行り病など、おそるるに足らんよ」

「おお!」

 天才と呼ばれたエルフは、自信たっぷりに答えてみせた。

「ネーミングセンスは悪いが、それは確かに便利そうだ! この状況におあつらえ向きじゃねえか。いやー、無駄飯喰らいの駄エルフだとばかり思っていたんだが、お前もたまには役に立つんだなあ!」

「はっはっはっ。言葉のトゲが胸に刺さるが、賞賛の言葉は嬉しいものだね。さあ、もっと褒めたまえ」

 感染拡大からこれまで、光明を見出せず、霧深き闇の中を進んでいた貴大だったが、ここに来て初めて、彼は希望を手に入れた。

 これでようやく、この馬鹿げたイベントを終わらせることができる。街の人々が正気に戻る姿を思い浮かべるだけで、貴大の頬は自然と緩んだ。

「ただ、問題があってね。大がかりな通信装置を使って、浄化魔法の効果範囲を広げなくてはならないんだ」

「それは俺がやる。他には何かあるか?」

「『さよならアウトブレイク君』の仕上げに、少しだけ時間が必要だ。その間、ゾンビが迷い込んできたら排除してほしい。そして、出来上がったものを速やかに通信施設に運んでほしい」

「よし、わかった!」

 爽やかな風が吹く丘、ウィンドベルを発ってから、早くも数時間が経過していた。

 じきに日は沈み、街は闇に堕ち、感染者たちは数を増していくだろう。街の外へと広がり、他の街を襲い、キリングのような化け物を増やしていくだろう。

 そうなる前に、手遅れになる前に、事態は収束に向かっていく。いや、自分が向かわせるのだ。希望を手にした貴大は、安堵と決意を胸に、大きく一つ、うなずいた。

「まあ、肝心の薬剤がないんだけどね」

「マダムゾンビに可愛がられてろ、駄エルフ」

 上げてから、落とす。希望を与えてから、絶望を浴びせる。

 それが黒髪のエルフのやり口だと、貴大は知っていた。彼女は生粋のトラブルメーカーだと、貴大はこれまでに思い知らされていたはずだ。

 エルゥの尻拭いに、何度奔走したか。狂気の眼鏡エルフに、何度煮え湯を飲まされたか。いくつもの苦い記憶を忘れ、一時でも彼女を頼りにした自分が馬鹿だったと、貴大は今日一番のため息を吐いて、エルゥの部屋から出て行こうとした。

「待って! 待ってくれー! 置いていかないでくれー! か弱いエルフの私では、野蛮なゾンビの侵略を防げないよー!」

「うるせえ、知るか! 司書長にでもディープキスされてろ!」

 取りすがるエルゥを振り払い、貴大はドアノブに手をかける。

「薬剤さえあればいいんだ! 万病に効くという龍やユニコーンの生き血とか、死者すら甦らせるという賢者の石とか! 混沌龍さえ倒せる君なら、伝説級のアイテムだって持っているんだろう!?」

「俺を何だと思ってるんだ! んなもん、持ってるわけ……あ、持ってた」

 懐からガラスの筒を取り出す貴大。その中には、ルートゥーの体に流れている龍の血が――その中でも最上級の、混沌龍の血液が封じ込まれていた。

「ほぅら、やっぱり持ってた」

 それみたことかと、したり顔で上体をのけぞるエルゥ。彼女の頭を万力のように締め上げてから、貴大は実験室へと向かう。

 本に埋もれた研究室の斜向かいに位置する部屋には、大小様々なガラス瓶と、棚に収められた謎の液体がある。不気味なシミが浮かぶ木机には、フラスコの中で、ごぽり、ごぽりと泡立つ『何か』がある。

 この場所こそが、『図書館の魔女』の実験室。禁忌に手を染めることも厭わない黒髪のエルフが、日夜、怪しげな実験を繰り広げている部屋である。

 イースィンドでバイオハザードが起こるのならば、ここ以外にあり得ないとまで言われた魔窟。そこで、未曾有のバイオハザードを救うマジックアイテムが作られるというのは、いったい何の皮肉だろうか。

「よーし、できた! これこそ『さよならアウトブレイク君』!」

 混沌龍の生き血をスイカ大の丸いフラスコに移し、祝福を受けた聖水で希釈する。そして、蓋代わりに、金属製の魔導機械を取り付ければ、救国のアイテムの完成だ。

「早いな」

「薬剤となるものを入れればいいだけだったからね。さあ、これを持って行きたまえ。ここから近い通信施設は、グランフェリア学園の時計塔だ。君の足なら五分とかかるまい」

「ああ、そうだな。ここからは任せろ」

 スイカのごときマジックアイテムをアイテム欄に収納し、貴大はエルゥに背を向けた。

 彼は、振り向くことなく歩いていく。視界に表示された『王立グランフェリア学園に向かえ!』という目標通りに、躊躇うことなく歩いていく。

 その迷いのない歩みに頼もしさを感じたエルゥは、彼を見送るために共に部屋を出た。

 ―-だから、見てしまった。 

 通路の先から、今まさに姿を現した感染者の群れを。縦じまのシャツと、ベージュ色のスカート。王立図書館の制服に身を包んだ、女性司書たちの姿を、エルゥは見てしまった!

「しまった!? 奴ら、通路を塞ぐように……! くっ、ここは私が引き受ける! タカヒロ君は、構わず先に進んでくれ!」

「おk」

「……………………あれ?」

 さっさかさーと、とても軽やかな足取りで、貴大は通路の先へと消えていった。

 女性司書たちを飛び越え、わずかに混じった男性司書の頭を踏んづけ、黒髪の青年は地上へと駆け上がっていった。

 残されたのは、エルゥだけだった。生まれたての小鹿のように、細い脚を細かく振るわせる黒髪のエルフだけだった。

「こ、この前読んだ本だと、『馬鹿野郎! お前を置いて行けるか!』って……」

 暇潰しに読んだ恋愛小説の一篇。勇者と女エルフとの、燃えるような恋を描いた物語は、やはり物語でしかなかったということだ。

 現実の女エルフは、色に濁った目をした感染者たちに囲まれ、抵抗すらできずに固まってしまっていた。

「ま、まあ、君たち、落ち着きたまむううぅぅぅっ!?」

 年増女に口を塞がれたエルゥ。

 王立図書館の地下階には、悲鳴すら響かなかった。







 夏期休暇中に、唯一、登校が義務付けられている開校日。

 非正規を除く全職員と、全校生徒が集められる八月中旬のとある日は、第三代学園長の武勇にちなんだ闘技大会が開かれていた。

 学園迷宮一階の大広間を使って開催される、学年間の闘技大会。クラス分けにも影響を及ぼす対人試合は、控え室となる各教室に映像が送られ、誰の目にも勝敗が明らかとなるようにできている。

 誉れあるSクラスに移るためには、ここで明確な力を示さなければならない。

 栄光あるSクラスから転落しないためには、ここで実力の違いを思い知らさなければならない。

 実質的には、Sクラスの生徒対A以下のクラスの少数精鋭。追う者と追われる者の戦いは、見守る者たちの心すら熱くする。

 半期ごとに熱戦が繰り広げられる登校日を厭う生徒は誰もいない。まるでストルズの縮小版のような戦いを、誰もが期待して王立学園の門を潜る。

 真夏の太陽にかき立てられた動物的な闘争本能が、紳士淑女の卵たちを燃え上がらせる。戦うために、より強くなるために、彼ら彼女らは学び舎にて剣を振るう。

 そのような生徒たちでも――いや、そのような生徒たちだからこそ、今の状況は、到底受け入れられるものではなかった。

「こっちに、きでぇ~」

「でてこいぃ~、こいぃ~」

 学園が誇る人口迷宮の入り口で、見えない壁に張り付いているのは、教師や生徒たちだった。

「たのしいこと、しようぜぇ~」

「いやっ、もういやあっ!」

 ウィルスに感染した同級生の姿から、見ていられないとばかりに顔を背けたのは、高等部二年Sクラスの女生徒、カミーラ・カヴァッローネだった。

 トレードマークの三角帽子のつばを握り、屈み込んで丸くなる彼女の背を、同じく二・Sのドロテアが優しく擦る。

「大丈夫。きっと、フランソワ様たちが助けを呼んでくれるから……」

 はきはきした言動を好む彼女の言葉が、今にも消え入りそうなのは、やはり不安と恐れによるものだろう。それほどまでに、状況は切迫していた。

 学園迷宮にて悠然と構える二・Sの面々。姿を現さない挑戦者。確認に行く教師陣。判明する真実。襲いかかる感染者。彼らの歯牙に、一人、また一人と倒れる学生たち。

 目くるめく過ぎていった出来事は、ほんの一瞬のうちに起きたことだとしか思えない。それほどまでに、二・Sの学生たちが知る世界は、瞬く間に変貌していった。

 同じように、立場も変わった。ほんの半日前まで、二学年の実力者として君臨していた学生たちは、今や学園迷宮の魔術障壁内に篭って、震えることしかできずにいる。

 これが日常と地続きだとは、とても思えない。しかし、現実として起きている以上、認めなくてはならない。

 ――でも、認めたところで、私たちは助かるのだろうか?

 いち早く現実を認め、唯一連絡が繋がる上級区の協会を目指したフランソワは、消息を絶った。彼女に続いた者たちは、感染者として学園迷宮を囲んでいる。この場に残って、恐慌状態の生徒たちをなだめようとしたベルベットは、その顔を青く染めていた。

 助かった者は、誰もいない。この街から出られた者は、誰もいない。

 ヤドリギのように足から這い上がり、全身を締め付けていく恐怖に――遂に、脱落者が現れた。

「み、見ろ! 魔術障壁が破られそうじゃないか! そうなると、僕らは全滅だ! そ、そんなの、僕はごめんだね! 僕は助かる! 助かるんだ!」

 魔法の風で、学園迷宮入り口に張り付く感染者たちを吹き散らし、栗毛の男子生徒は外へと駆け出していった。

 彼は、ワンドを握った手を滅茶苦茶に振り回し、魔法の力を暴走させながら走り続ける。だが、しばらくも進まないうちに蹴躓き、校舎のわきに身を投げ出してしまった。

 それを見逃す感染者たちではなかった。

「あっー!?」

 ずむ、と鈍い音が辺りに響き、また一人、感染者が生まれた。

 彼の名は、アベル。栗毛の愚かな子羊は、涙の跡も乾かぬうちに、新たな犠牲者を求めてさ迷いだした。

(これも悪魔の仕業なのか)

 銀髪の姫君、ドロテアは、一人の男を想う。

 黒髪黒目の、悪魔らしい色をした男。斜に構えた態度と、いつも余裕ぶった言動。いかにも姦計を張り巡らせていそうな顔つきと、要塞城に侵入し、鉄のカウフマンの追跡を振り切る力。

 彼がこの件に関与しているのならば――いよいよ、牙をむいたということだ。

 しがない非常勤講師としての仮面を捨て、イースィンドという大国を転覆しようと動き出したのだ。内から根を張り、大樹を崩す。北国の寄生樹にも似た企みは、いかにもあの男らしいではないか。

 貴大に苦汁をなめさせられた過去を持つドロテアは、確信に近い想いを抱いていた。

(でも、なぜ、今なの?)

 国王や大臣、一部の有力な貴族たちは、現在、外遊中だ。

 国庫にも影響を及ぼす大商人や、名のある騎士たちも、国内の他の都市にいる。

 ゾンビがゾンビを増やすこの状況は、国の中枢を壊滅させることが目的で生み出されたのだろう。それなのに、肝心の中心人物たちを逃がしては、どうにも片手落ちではないか。

 確信と疑問が渦を巻くドロテアの心中。そこに波紋を生じさせるかのように、新しい一石が投じられた。

「ふんどしっ!!」

「きゃああああっ!?」

 感染者と化した若騎士ヴァレリーが、クラスメイトたちを見つけ、槍を片手に突撃をしかけてきた。

「ぶりぃぃぃぃぃふっ!!」

「うおおおおおっ!?」

 そこにアベルが加わって、学園迷宮は大きく揺れ始めた。

 このままでは、近いうちに崩壊してしまう。生き残った学生たちが、不安に満ちた顔を、学園迷宮の主に向ける。

『安心したまえ! ダンジョン・コアの力を使った、私の魔術障壁は、無敵だ! ……五百年前ならね』

「もう駄目だああああああっ!」

 脂汗を垂らして微笑む初代学園長と、両手両膝をついてうなだれる学生たち。

 迷宮の奥に逃げても、感染者たちはやってくるだろう。外に出て行けば、その場で囲まれてしまうだろう。絶望的な状況に、学生たちは立ち上がる気力すら失いかけた。

 だが、彼らに救いの手は差し伸べられた。

「とらんく……すぅ~……」

 学園迷宮の外が白煙の包まれたかと思うと、発情期の野獣のように暴れ狂っていた感染者たちが、突然、がくりと膝を折り、そのまま地面に倒れてしまった。

 白煙は風に吹き散らされたが、感染者たちは変わらず倒れたまま。よく見ると、彼らは寝顔も穏やかに、すやすやと寝息を立てていた。

「いったい、何が……?」

 ウィルスも通さない魔術障壁のおかげで難を逃れたドロテアは、壁に手をついて立ち上がり、状況の確認に努めようとした。

「あれは……!?」

 彼女は、校舎の中央に聳え立つ時計塔の窓に、長身痩躯の黒髪の人物を見た――ような気がした。







「ガルルルルルッ!」

「お前のクラスメイトを助けてやったんだから、そんなに荒ぶるなよ……なあ、フランソワ」

「デスワッ!」

 王立グランフェリア学園の象徴と言われる時計塔。

 ここまでたどり着いた貴大を待っていたのは、変わり果てた教え子だった。

「先生、デスワッ!」

 時計塔の内壁にヤモリのように張り付いて、獲物に触手を伸ばすフランソワ。

 毎日手入れを欠かさない自慢の縦ロールは、ウィルスによって変異している。バネのような金髪は、蛇のように動き、貴大目がけて伸縮を繰り返していた。

「危ねえっ!? それ、やっぱり凶器だったのかよ!?」

 ドリルのような縦ロールは、やはりドリルのように床に穴を開けた。

 時計塔に突入してから、屋上へと続く螺旋階段を登りながら、貴大はフランソワの攻撃を避け続けていた。

 下手に手を出せば縦ロールが解け、網のように絡めとられてしまうというのは、先ほど、身をもって思い知らされた貴大だ。彼は、フランソワの相手をするよりも、屋上の通信施設で『さよならアウトブレイク君』を起動した方が早いと判断したのだ。

 だが、上へ、上へと進むたびに、フランソワの縦ロールは、速さと精度を増していく。最優秀生徒の名は伊達ではなく、彼女の資質はウィルスによって数段の強化を遂げていた。その学習能力の高さに、貴大はとうとう、彼女を無視していられなくなった。

「ええい、わかった! 一回相手して、おしおきしてやる!」

「どうぞ……」

「素に戻るな、素に! くそっ、頬を染めながら目を閉じるなっ!」

 壁を這い回るフランソワに対抗し、貴大も螺旋階段を飛び出し、内壁を蹴り、時には窓から外に飛び出しての立体的な軌道を見せた。

 その動きについていくのは、さすがのフランソワと言うべきか、ウィルスの恐ろしさというべきか。淑女の鑑と謳われた少女は、縦ロールを杭のように、ロープのように活用し、場面によっては貴大以上の動きを見せた。

 何度も交わる、貴大のナイフと、フランソワの縦ロールの切っ先。火花を散らして、薄暗い時計塔内部を照らす彼らの戦いは――意外な形で決着がついた。

「きゃっ!?」

「なっ! フランソワっ!?」

 金色の触手の嵐に、黒色の触手が割り込んだ。

 時計塔の下から伸びる一本の触手は、感染者と化したフランソワを巻き取って、瞬時に下へと戻っていく。

「何だ、ありゃ……!?」

 ここで初めて、貴大は『ソレ』に気がついた。

 いつの間にか、時計塔下部に満ちていた黒色を。フランソワを呑み込み、何事もなかったかのように波打つ深淵を。かさを増し、自身へと迫る暗黒を。

 彼はようやく気がついて――直後、屋上に向かって全力疾走を開始した。

『タカヒロくん……ひどいよ、置いていくなんて……』

「ぎゃああああっ! ラスボスが出たぁあぁぁぁぁっ!?」

 貴大は見た。黒色の中心で笑うエルフを。豊かな黒髪を、どこまでも、どこまでも、今もなお増やし続ける眼鏡のエルフを。

 死霊じみた外見を、ますます死人のようにしたエルゥが、髪の毛に押し上げられるかのように貴大へと迫ってきていた。

『ひどいよ……乙女のハートは粉々だよ……』

「その姿で乙女とか言うなっ! どうせ、触れたら即、ゲームオーバーなんだろっ!?」

 現在、貴大の感染率は67%である。

 感染者の攻撃を、後数回、耐えることができる感染率ではあるのだが、さすがにエルゥは規格外すぎた。時計塔を覆いつくさんとする化け物に捕まってしまえば、そこで人としての生が終了してしまうことは、誰の目にも明らかだ。

「マジック・アイテム起動! そして脱出っ!!」

 風のような速さで時計塔の通信装置を起動し、同時に『さよならアウトブレイク君』のスイッチを入れた貴大。彼は、膨らむように広がっていく光と微粒子を背中に感じながら、時計塔から飛び出していく。

「こ、これでどうだっ!」

 校舎の屋上へと着地し、何度も前転して勢いを殺した貴大は、周囲に視線をやった。

 校庭に咲き乱れていた薔薇と百合は枯れ、中庭でいちゃついていたカップルは動きを止めた。時計塔に巻きついていた黒髪も萎れていき、遠くに見えていた老龍は西の海へと墜落していった。

 呪と病を払う魔法の品の効果は覿面のようだ。まずはその事実を確認し、貴大はほうっと大きく息を吐いた。そして、『更新された』目標を認め、悲鳴のような声を上げた。

「いやいやいや、アレは倒せんだろう!?」

 最終目標『Eを倒せ!』。

 示された目標に、貴大は気力がぼきりと折れる音を聞いた。

『たぁ~かぁ~ひぃ~ろぉ~くぅ~ん』

 ぞるるるると、髪の毛を引きずる音を立てて、一回り小さくなった黒髪の化け物が、屋上へと這い上がってきた。

 広い校舎の屋上の、およそ半分を埋め尽くしてしまう黒髪触手に、貴大は早くも逃げ出そうとした。

 だが、逃げられない。イベント中は、決められたルートしか動けない。ボス戦は言わずもがなで、貴大は今、L字型の屋上から出られなくなってしまっていた。

「う、うおおおおおおおおっ! こうなりゃ自棄だぁぁぁぁぁぁ!!」

 かくして、貴大の最後の戦いが始まる。

 のたうつ触手をナイフで斬った。露出したエルゥ部分に閃光手榴弾を放り投げた。下級区での使用を躊躇った焼夷手榴弾も惜しみなく使い、飲まずに放置していたアップル・ポーションという名の強酸弾もぶちまけた。

 とどめは、逆光で姿がよく見えない薄桃色シスターが投げてくれた最終兵器、先端に火薬玉を取り付けたバリスタを放って、Eを木っ端微塵に吹き飛ばした。

 そして、戦いは終わった――。

 人々の心に大いなるトラウマを植え付け、後に『薔薇と百合の花束』と呼ばれた忌まわしき事件は、一人の青年の活躍によって幕を閉じた。

 わずかに残ったウィルスも、やがて協会の浄化部隊に駆逐されていくだろう。停滞していたグランフェリアの日常も、何日かのうちには元に戻っていくだろう。

 しかし、払った代償は大きかった。

 事件の解決に最も寄与した青年は――何でも屋、佐山貴大は――。

「……ご主人さまが、壊れた」

 働きすぎて、真っ白い灰と化していた。

 ~GAME OVER~
バイオハザード編、完。

次回は、頑張りすぎて燃え尽きた貴大のお話です。
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