腐った街で
貴大が駆けつけた時には、もう手遅れだった。
街の人間の多くは、散布されたウィルスによって感染者と化していた。かろうじて難を逃れた者、ウィルスに耐性がある者も、ゾンビに襲われて彼らの仲間入りを果たしている。
まだ『ヒト』のままでいる者は、人口の一割にも満たない。城壁の上から、ゾンビに埋め尽くされた正門前広場を見つめ、貴大は悔しそうに顔を歪めた。
「これは、俺が招いた事態だ……グランフェリアにあんなもん持って帰らなけりゃ、この光景はなかった」
遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。風に乗って粘着質な水音が耳に届いた。十分前までは人としての生を謳歌していた者たちは、濁った瞳で得物を探していた。
「あ゛あ゛~、いだぁ~」
ここにも一人――いや、一匹。ゾンビがいる。
城壁の上にしつらえられた歩道を、よたよたと頼りない足取りで歩く中年男。警備隊の一人だったのだろう。白い胸当てと兜を身につけた男は、己の持ち場も放棄して、貴大へと近づく。
「わがい~、肉だぁ~」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに貴大へと両手を伸ばす中年男。しかし、ずれた兜からのぞく二つの眼は、肉欲に白く濁っていた。
「……すまん」
捕食のための抱擁を、貴大は冷たい刃で拒絶した。
銀のナイフを、一振り、二振り。それだけで、中年男の首は裂け、断面からはドス黒い血がどろりと溢れ出した。
「本当に、すまない」
どさりと音を立てて倒れた警備兵を見つめ、貴大はまた、顔をしかめる。
城壁の上から遠くを見つめ、彼は耐え切れないとばかりに、苦い、苦い、声を漏らす。
「でも、俺、本当に男色だけは無理なんだわ」
「いやだぁぁぁぁ!」
貴大が見つめる先、下級区と中級区を分かつ城壁の近くでは、一人の青年がゾンビたちに襲われていた。
「オレはゾンビなんかになりたくぅうむむむっむう~~~~~っ!?」
脂ぎった禿頭の中年に、唇で口を塞がれる青年。厚ぼったい唇での濃厚なベーゼに、青年は手足をでたらめに動かすが、精一杯の抵抗も他のゾンビたちに取り押さえられ、じゅっぱじゅっぱと激しい音を立てて、体中にキスマークが刻み込まれていった。
やがて青年の抵抗が収まる頃、禿ゾンビはようやくつかんでいた肩を離した。背中から地面に落とされた青年の目は、他のゾンビたちと同じく、暗く、暗く、濁っている。彼の目の縁から、一筋の涙が流れ落ちていった。
「〈Another Wolrd Online〉では、捕まった時点で視界が暗転していたのに……やっぱり、仮想現実と現実では、生々しさが違うってことか」
吐き気を催したかのように胸を押さえ、貴大は遠くの出来事から視線を外す。
そして、記憶に残る『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』というイベントの趣旨と概要について、両腕を組んで考え始めた。
(ゾンビものに見せかけた、ゲテモノ系イベント。それが『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』だ。プレイヤーは、ウィルスに感染したNPCが溢れる街で、生き残りをかけて必死に戦う。ここまでは普通のゾンビものと一緒なんだが……)
再度、響き渡る悲鳴。下級区の民家の屋上で、追い詰められた少年が、感染者たちの熱烈なキスを浴びていた。
(違うのは、あれだ。このイベントのゾンビたちは、噛み付いてくるんじゃなくてセクハラをしてくるんだ。キス、甘噛み、指ちゅぱ、頬ずり、尻撫で……まるで恋人にするかのようなエロいことを、よりにもよって『同性』相手にするんだ)
男が男を、女が女を襲う、生き物としての摂理に反した暴行。その結果として、人間はゾンビへと変わる。
(死ぬんじゃなくて、ウィルスに感染する。そして、街の至る所で薔薇と百合が咲き乱れる。花の都には相応しいのかもしれんが……あいにく、人間の大部分はノーマルだ)
のどの裂傷を再生して立ち上がり、貴大に唇を突き出して迫る警備兵を蹴り飛ばして、貴大は城壁の下に向けて走り出した。
「グランフェリアがソドムやアライグマ町みたいに焼き滅ぼされる前に、俺が何とかしなくちゃな」
他国の軍勢や勇者によって、感染者の街と化したグランフェリアが焼き払われる。そのような事態を回避するために、貴大はナイフ片手に悪徳の街へと駆け出した。
彼の視界には、『感染率:0%』、『港へ向かえ!』という二つの文字が浮かんでいた。
日頃から込み入っている下級区には、それだけ多くの人間がいる。
正門から放射状に伸びる五つの大通りにも、複雑に入り組んだ路地の中にも、大きな樽や木箱がいくつも水揚げされる西の港にも、老若男女、様々な人たちがいる。
それら全てが感染者となり、そのうち半数が貴大の唇や尻を狙って襲いかかってくるのだからたまらない。責任を感じ、事態の収束に向けて動き出した貴大は、下級区を数ブロックも進まないうちに、早くも泣き出しそうだった。
「うう、男なのに男性恐怖症になりそうだ」
緩慢な動きで群がる男たちをなぎ倒し、貴大は一路、中級区へと向かう。
ここまでの道中、襲ってきたのは全て男だった。華奢な少年が、精悍な青年が、ビール腹を揺らした中年男が、杖をついた老人が、同性に手を伸ばし、その肉を貪ろうとする。
倒れても倒れても起き上がり、唇をちゅぱちゅぱと鳴らす異常なまでの獣欲に、貴大は子犬のようにぶるぶると震えていた。
それでも、前へ前へと進めているのは、ひとえに高い身体能力のおかげだろう。恐怖心から強く腕を振っただけで、何体かの感染者は吹き飛び、一時的に動きを止めていた。
「でも、中途半端なんだよな……ホラーゲームらしいというか何というか」
類稀なる強靭な肉体。大の大人を片手で持ち上げる膂力。風のような疾走を可能とする足腰。それら全てを総動員すれば、一分もかからずに中級区へとたどり着くことができる。
わざわざ、感染者が道を塞ぐ道路に下りる必要はない。城壁から手近な民家へと飛び移り、八艘飛びのように屋根から屋根へと移動すればいい。それだけの力はあったし、過去、何度か行ったこともあった。
だが、それらすべての行動は、『ホラーゲームらしい制限』で封じられていた。
「決められたルートしか移動できない。窓を割れば入れるような民家に入れない。余裕で飛び越えられるバリケートは突破できず、一部のスキル以外は全部使用禁止……はあ、地道に頑張るしかないか」
未練がましく屋根の上を見つめながら、貴大はMAPに示されたルートを進む。
南の正門から西の港へと、城壁沿いにぐるりと迂回するかのように進み、迫る感染者を倒し続ける。相も変わらず、彼に近づいてくるのは男の感染者ばかりであり、女の感染者はたとえ老婆であっても見向きもしない。
いっそ清々しいほど徹底された同性愛に、貴大は悲しくもないのに涙を流した。
――だからこそ、たどり着いた港で遭遇した感染者に、貴大は驚きを禁じえなかった。
「か、カオル!?」
港で魚や貝を焼いて売る――売っていたであろう中年女に紛れ、熱に浮かされたかのようにゆらゆらと体を揺らす、買い物籠を下げた少女。
黒髪の中に一房、赤毛が混じった庶民的な少女は、貴大を見つけると嬉しそうに笑い、彼に向かって両手を伸ばした。
「あ゛~、タカヒロだぁ~。どこいっでたのぉ~」
よたよたと、幼子のような足つきで貴大に迫るカオル。頬を赤く染め、瞳をどんよりと濁らせた彼女は、もたれかかるかのように貴大に抱きつき、露出していた二の腕に噛み付いた。
「えへへ~。これでタカヒロは、わだしのものぉ~」
かぷかぷ、はみはみと貴大の腕に甘噛みするカオル。かゆいような、くすぐったいような刺激と、知り合いの感染者との遭遇。そして何より、『女の』感染者が自分を襲ったという事実に、貴大は抵抗もせずに立ち尽くす。
『0%』から『3%』へ。『3%』から『5%』へ上がる感染率。それでも貴大は動かない。
「キス、しよ? キスぅ~」
しかし、致命傷にもなりかねない口づけが迫れば、咄嗟に体も動くというもの。貴大は背伸びして唇を近づけるカオルの頭を両手で固定して、ねじる様に首を回した。
「せいやっ!」
「あふんっ」
こきゃっ、という軽い音とともに、崩れ落ちる黒髪の少女。
危ないところで窮地を脱することができたが、貴大は焦りを顔に浮かべたままだった。
「なんで『女』が俺を襲うんだ? ま、まさか、条件が変わったのか?」
青い顔をして辺りを見回す貴大。しかし、そこら中にいる中年女や老婆たちは、彼を見向きもしていない。遠くから熱烈な視線を送ってくるのは、やはり『男』で、『女』は誰も、貴大に興味を示していなかった。
「じゃあ、なんでカオルは……もしかして、こいつ、男か」
「前から胸が小さいとは思っていたが……」と呟きながら、薄青色のワンピースのすそをめくる貴大。だが、少女はやはり少女であり、見慣れたふくらみは股の間には存在しなかった。
そうなると、逆に際立つのがカオルの特異性だ。
なぜ、この少女は貴大に近づいてきたのか? なぜ、この少女だけが貴大を襲ったのか?
カオルだけが特別なのだと決め付けてしまうには判断材料が足りず、自身と街の運命がかかったサバイバルにおいては、安易な予想や決め付けは危険だった。
これからは、女も襲いかかってくるという気構えを持たなければならない。それほどの慎重さが求められているのだと、貴大は認識を新たにした。
「タカ、ヒロ……ごはん、だよ……」
「じゃあな。復活しても追いかけてくんなよ」
ねじれた首を元の位置に戻し始めた少女を残し、貴大は港を後にする。
今度は下級区を横断するように東に向かう。示されている目標は、『ブライト孤児院に向かえ!』。慣れ親しんだ響きに、逆に警戒心を高めながら貴大は路地を駆ける。
下級区は管理員長ミケロッティが清掃活動を開始してなお雑然としていたが、今は一昔前の状態に戻ったかのようにものが散らかり、壁が汚れていた。
誰かがつい先ほど、感染者を斬ったのだろう。まだぬらぬらと鈍く光っている血糊は、べったりと住居の壁を窓ごと濡らし、地面に滴り落ちていた。
斬られた感染者が見当たらないのは、驚異的な再生力によるものだろう。きっと、数分も経たずして傷を塞ぎ、哀れな子羊にむしゃぶりついたに違いない。そのことを思うと、何度目かの吐き気がこみ上げてくる貴大だった。
「いかんいかん。吐いたら匂いで変態が寄ってきそうだ」
気を取り直して進む貴大の顔は、まだ希望と生気に満ちている。視界の端に映る『感染率:5%』の文字に意も介さず、貴大は灰色の下級区路地を駆ける。
グランフェリアに蓋をするかのように広がった黒雲のせいで、建物と建物に挟まれた路地は薄暗い。わずかな光も届かない物陰などは『黒』に近く、レンガの色もくすんで見えた。
曲がり角や物陰からの襲撃に警戒する貴大。その中で、壁に留められた『白』は、眩しいほどに目についた。
「ん? なんだこりゃ?」
色あせた催し物のポスターが貼られたコルクボードに、上質な白い紙がピンで留められていた。インクもまだ乾ききっていない、手紙のような白い紙。
気になった貴大は、少しの間、足を止め、真新しい紙に目を落とした。
『猛犬注意! 当区画には、犬が出ます。貴方の匂いを嗅ぎつけて、獰猛な犬がやってきます。もしも遭遇したのならば、一目散に逃げ出して、犬の縄張りから脱してください。決して、戦おうなどと考えないでください。犬は、人間よりも強いです。 Mより』
「わあ、フラグが立ったぞ!」
親切な誰かからの警告に、涙を流して喜ぶ貴大。
彼は、経験上知っていた。ホラーゲームにおいて、メモやファイル、日記に書かれているモノは、まず間違いなく出現するということを。
今回のような直接的な警告でなくてもいい。『こんな音がする』とか、『こんな影を見た』とか、『あれはなんだっ!?』といった記述でもかまわない。
大事なのは、存在が示唆されること。紙に書かれたモノたちは、実体を持って現れる。
「犬……そういえば、さっきからゾンビがいない」
これまでの道のりで、どこにでもいた感染者たちが、今はいない。
路地は不思議と一直線で、突き当たりにはいかにもな塀があった。おまけに、わずかに鼻をつく獣臭と、耳をすませば聞こえてくる犬のうなり声。決定的な状況に、貴大はようやく気がついた。
「これは、もしかするともしかするのか……?」
できれば、予想が外れて欲しいと願いながら、貴大は恐る恐る、歩を進めていく。
だが、願いはあっさりと打ち砕かれ、『猛犬』は誰かの忠告通りにやってきた。
「アオーーーーーーーーーンッ!」
ゾンビ犬だっ!
「ってか、クルミアとゴルディじゃねえか!!」
身長180センチを超える犬の獣人が、四つん這いになって貴大へと駆けてくる。
十歳児クルミアと、姉のようなゴルディ。ゴールデンレトリバーの特徴をもった獣人たちは、まさしく犬のような速さで貴大に飛びかかる!
「タカヒロ~♪」
「ぺろぺろ! ぺろぺろ!」
「ぐあっ!」
クルミアは無邪気で、天真爛漫な心優しい少女。なまじ感染前の姿を知っていたせいで貴大の手は鈍り、猛犬たちのタックルを許してしまう。
「タカヒロ~、すきすき~♪」
「わんわんお! わんわんお!」
「うっぷ、や、止めっ!?」
仰向けに倒れた貴大にのしかかり、顔を近づけるわんこたち。
口や目を狙って繰り出される舌の乱舞に、貴大の感染率は見る見るうちに上昇していく。
『5%』から『10%』、『10%』から『20%』。異様な速度で上昇する感染率に、貴大は焦り、クルミアたちにナイフを突き刺そうとする。
「くぅ~ん……」
しかし、できない。硬質な刃の剣呑な輝きを目にしたわんこたちが、悲しげな声を鼻から漏らすと、貴大の手はぴたりと止まってしまう。そして、ひるんだ隙に、再度の猛攻を許してしまう。
このままでは、自分も感染者の仲間入りを果たしてしまう。そのことがわかっていながら、どうしても貴大はナイフを振り下ろせなかった。
「くそっ……じゃあ、これだっ!」
進退窮まった貴大は、非殺傷兵器――閃光手榴弾を取り出して、放り投げた。
瞬間、わずかな破裂音を消し去るように、白い光が路地を埋め尽くした。たまらず転げるクルミアたちを押しのけ、貴大は進路の先に向かって走り出した。
「闘技大会用に作っといたのが残っててよかった……でも、残りは三個か。街中で焼夷手榴弾を使うわけにはいかねえし、眠り玉は下手すると自滅につながる」
ぼやきながら、猛犬たちの縄張りから遠ざかり続ける貴大。チェックポイントのブライト孤児院も通過して、彼は新たに示された目標『ギルドホールへ向かえ!』を確認する。
「あの警告通り、素直に逃げときゃよかった」
小さく呟く貴大。
彼の視界に映る感染率は、『22%』に達していた。
エロ多めのラブコメになると私は最初に言いました!
宣言通りに、エロラブコメが続きます(・ω・)b