死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~
さーて、今回はラブコメらしく、エロとコメディの合わせ技でいきますよー!
ラブとコメに飢えている方、お楽しみに!
王暦732年。
東大陸有数の大都市グランフェリアは、滅亡の危機に瀕していた。
「来るなっ! く、来るな化け物ぉぉぉぉっ!?」
下級区の裏路地で、一人の男が剣を振っている。
誰かを、何かを斬るためではない。その『何か』を威嚇し、寄せ付けないためだ。
「来るなっつってんだろ!? 来るなって……オレは来るなっつってんだ!!」
悲鳴のような声にも、でたらめで不規則な剣の風切り音にも、『何か』たちは臆した様子も見せず、更にずいと前に出る。
強くなる血の香り。路地裏に響く湿った足音。それらがすべて、自分に向かっていることに気がついた男は――剣を放り投げて、逃げ出した。
「嫌だっ! もう嫌だっ!! 神様! 神様ーっ!!」
入り組んだ下級区の路地を、順路も滅茶苦茶に走り続ける男。
視界の端に映るモノは、見て見ぬふりをする。空に渦巻く暗雲は、気のせいだということにする。小さくなり、やがて消えてしまった悲鳴は、幻聴だと思うことにする。
そうでなければ、何もかもがおかしいじゃないか。ここは花の都と謳われた城下町。英雄の末裔、イースィンド王のお膝元。あの混沌龍の爪でさえ、この街には届かなかった。海から迫る蛮族は、【メイルシュトローム】に沈められている。
海路・陸路の要でありながら、四枚の城壁を備え、要塞都市としての側面も持ち合わせているグランフェリアは無敵だ。千年王国とはイースィンドのことで、その象徴がグランフェリア。それは男にとって、絶対不変の真実だった。
それが、今、揺らいでいる。崩壊しかけている。
花はむしられ、潮の香りは鉄の匂いを孕み、眩いばかりの太陽は黒き雲に隠された。生活音は消え、煙突から昇る煙は散り、街を行き交う人々は物言わぬ体と――『何か』に変わった。
「ひっ!」
男の視界に、『何か』が映った。路地を抜けた先、下級区の五番目の大通りに、無数の『何か』が蠢いていた。いや、本当は、『何か』ではない。男には彼らの正体がわかっている。名前も知っているし、何をするモノなのかも知っていた。
彼らは――当たり前のようにグランフェリアの街にいる彼らは、
「あいぃっ!?」
背後から忍び寄り、男の腕に噛みついた彼らは、
「止めろ、離せっ! はな、や、やだぁっ! やだぁぁぁぁ!」
悲鳴を聞きつけ、男の元へと集ってきた彼らは、
「オレはっ、オレはぁっ!」
男の肉を狙い、両手に、耳に食らいつく彼らは、
「オレは、ゾンビにはなりたくねぇぇぇぇぇっ!!」
名前を、感染者といった――。
少し時間はさかのぼり、貴大がグランフェリアへの帰還を果たしてからしばらくのこと。
八月も半ば、照りつける太陽から逃げ出すように、貴大は一人、郊外へとピクニックに出かけていた。
グランフェリアから東に歩くこと一時間。街道沿いの広い平原にはウィンド・ベルと呼ばれる丘があり、そこは年中、気持ちのよい風が吹くことで知られていた。
ウィンド・ベルに吹く風は、春は花びらを乗せ、夏は暑気を払い、秋はつむじを巻き、冬は雪を舞わせる。四季告げる鐘とも呼ばれるこの丘は、しかし魔物の生息地に隣接しているため、行楽シーズンでも人気がない。
それをいいことに、貴大はこの丘を絶好の昼寝スポットとしていた。生来のめんどくさがり屋ゆえ、普段はここまで足を伸ばしはしないのだが、今は街から離れたい気分の貴大だ。今日は迷うことなく、一路、ウィンド・ベルへと向かった。
「だぁー、ようやく休める……」
風吹く丘に生えた樫の木の下で、貴大は体を投げ出すように寝転がった。
そして、大きなため息を一つ。胸の中に溜まった澱みや熱を吐き出すかのように、貴大は長く大きく息を吐いた。
「今、八月だよ、八月。なんで俺、こんなに苦労してんのさ」
まだ中旬ではあるが、途中で振り返りたくなるほど密度の濃い八月だった。
教え子に誘われ、学園迷宮に籠っていた。その週末、南国まで飛んでいき、いずれも名のある猛勇たちと戦った。混沌龍との戦いでは全力を尽くしたし、コロッセオから脱出するために、また体力を使った。
楽をしようとして乗り込んだ魔導機関船では『コロッケ消失事件』が起こり、探偵の真似事をした。夜な夜な迫る混沌龍からは、必死になって貞操を守り抜いた。船を襲った魔物も撃退し、突如として浮上した古代海底遺跡も沈黙させた。
そうした諸々を片付けて、ようやく帰ってきたのが二日前だ。さすがの貴大も、心身ともに疲れ果ててしまっていた。
「一生分働いた気分だ……しばらく何にもしたくねえ」
爽やかなウィンド・ベルにあって、どろりと濁った泥のように体を地面に預ける貴大。
丘を青々と彩る芝草が、彼の頬や耳たぶをこしょこしょとくすぐった。
「あー……癒される……」
木陰に隠され、涼風に吹かれ、真夏の熱を忘れた貴大は、自然とまぶたを閉じる。
帰ったら大衆食堂まんぷく亭で焼き魚定食でも食べるか。それとも、喫茶ノワゼットで甘いものでも食べようか。屋台街をぶらつくのもいいかもしれないな。まどろみに包まれた貴大は、たゆたう意識の中で思考を遊ばせる。
「起きてから、考えよう……」
やがて考えることすら放り投げた貴大は、そのまま、夢の世界へと旅立っていき――。
「っ!?」
突然鳴り響いたファンファーレに跳ね起きた!
【王歴XXX年 深い森の中で、そのウィルスは発見された】
「は、はあっ!? なん、なんだぁ!?」
続いて、耳の奥に響く語り部の声に、貴大は目を見開いて辺りを見回す。だが、彼の周りには誰もいない。
【〈ネクロマンサー〉の大家であるフォルクスラー家は、当初からウィルスの価値に気がついていた。これは革新だと。我らの時代が訪れるのだと。彼らは奮い、歓喜した。やがて彼らに訪れる悲劇を知らず】
語り部の姿を見せないまま、モノローグは続く。物悲しく、おどろおどろしい音楽を伴って、没個性的な男の声は続く。
【ウィルスの研究は順調に進んだ。脆弱だった感染力の強化。遺伝子変異の方向性の固定。管理、培養も問題なく進み、末には被験者を『素材』とした生物兵器すら生み出した】
「ま、まさか、これはっ!?」
ここでようやく貴大は、見えない男が何を語っているのかに気がついた。
このモノローグは、かつて聞いたものだ。この語り部の声は、いつか聞いた声だ。
電子と量子の海に構築された仮想空間。〈Another Wolrd Online〉と名付けられた小さな世界。そこでは定期的に、大きなイベントが行われていた。
期間中、受け取ることができるキーアイテムを用いることによって始まる大冒険。宝島を探し、遺跡を巡り、龍を倒し、姫を救う。力を合わせて魔王を倒し、千人規模で荒野を駆ける。こうした多種多様な物語は、剣と魔法の世界において欠かせないアクセントとなっていた。
貴大がストルズの闘技大会で入手した『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』も、イベント用のキーアイテムの一つだ。邪悪な〈ネクロマンサー〉によって感染者の都と化した街を救う物語。緑色の液体が封入されたガラス製の筒は、とある惨劇の幕を開ける道具だった。
【フォルクスラー家は滅びた。ウィルスに手を出した者は残らず滅びた。しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった】
「お、俺は使ってねえだろ! 貴重品欄の隅に移動させて、間違っても触らないようにもした!」
焦る貴大と、容赦なく進むモノローグ。やがて独白は終盤へと近づき、呼応するかのように貴大のアイテム欄が開いた。
【漏れ出したウィルス。感染した人々。嘆きに沈む街。消えていく悲鳴。終焉を迎える世界。そして始まる、数多の惨劇】
「止めろっ! も、戻れぇぇぇぇーっ!」
ぬるりと、独りでにアイテム欄から抜け出したガラス瓶は、空へと浮かび上がり、彼方へと飛び去っていく。西へと。十万都市、グランフェリアへと。
【ここでは、誰も、生き残れない】
「みんな、逃げろぉぉぉぉーーーーっ!!」
あらん限りの声で、貴大は叫んだ。届かないと知ってなお、彼は叫び声を上げた。
直後、グランフェリアの上空でガラス瓶が破裂し――街は、緑の霧に呑み込まれた。