それゆけ上流階級ズ
人造迷宮には、いくつもの欠点がある。
どれほど質のよいダンジョン・コアを用意しようが、レベル140の魔物しか生み出せないこと。その魔物をいくら倒したところで、レベルは150までしか上がらないこと。迷宮でしか覚えられないスキルを、人造迷宮では習得できないこと。
致命傷を受けた者を瞬時に回復、帰還させる安全装置ですら、『命を軽視する者が増える』という理由から、一部で批判を受けているのだ。
更なる高みを目指し、戦いの緊張感を知るためには、やはり実戦が一番。この意見は、良質の人造迷宮をいくつも抱える大国イースィンドにおいても、根強いものがあった。
かつて、冒険者として魔物と戦ってきた貴大も、同じように考えていた。死んでも死なない戦いは、ゲームのようなものだと。その中では、覚悟も必要なければ、死への恐怖も存在しない。
まさしく、自分が遊んでいたVRMMOのようではないか。身のこなしや魔物との戦いを覚えることができても、実戦とは決定的に何かが違う。貴大は、人造迷宮での戦いを、そのように評していた。
かつて、《Another World Online》で幾千、幾万の魔物を屠ってきた彼ですら、〈アース〉に来たばかりの頃は、魔物を見かけただけで冷や汗をかいたほどだ。やはり、命の危機があるとないとでは、大きな隔たりがある。
安全第一の訓練をいくらこなそうが、そこに大きな成長はない。人は、実戦で鍛え直され、初めて使いものになる。
貴大は、そう考えていたのだが――。
「なあ、フランソワ。あいつ、誰だ?」
「いやですわ、先生ったら。あのお方は、先生もご存知のフォルカ様でしてよ?」
「ええ~……?」
わずかに伸びた背。引き締まった体。精悍な顔つきに、野性的な光が宿る目。以前は気障ったく払いのけていた前髪は短く切られ、運動に支障が出ないようにされている。
半年ほど前は、男のくせに白魚のようだった指にも、まめの跡や剣だこが見られ、テーピングで補強されていた。
見た目だけなら、まるで最前線で戦う若手騎士のようだ。それほどまでに、実習服を着たフォルカは様になっていた。
「俺は見たことねえんだが、あれって一つ上の王子とかじゃねえの? ほら、真面目なことで有名な第二王子とかさ」
「いいえ、先生。あの方は、間違いなくフォルカ様ですわ」
自分の見たものがどうにも信じ難く、何度もフランソワに確認をする貴大。それも無理からぬ話で、彼が最後に見たフォルカは、神剣を取り上げれば何も残らないほど、なよなよとした貧弱な王子様だった。
あれから半年、彼に何があったのか。貴大が、「もしやドーピングでもしたのか」と、もの凄く失礼なことを考え始めたところで――。
「君が最後か。これだから平民は時間にルーズで困る」
「ああ、間違いなくフォルカだわ」
ぐさりと突き立てられた言葉のトゲ。それでも、痛みや不快感よりも安心感が上回る貴大だった。
「早く始めましょう。夏季休暇とはいえ、時間は無駄には出来ません」
「おお、おはよう、ドロテア」
「……はい、おはようございます」
グランフェリアの実習服も似合うようになった異国の王女。見事な銀髪を背中に流したドロテアは、若干、不快そうに貴大と挨拶を交わす。
怨敵とも言える相手が教師だという現状に、まだ思うところがあるのだろう。そうとは知らない貴大は、何故、彼女に嫌われているのかが理解できていなかった。
『揃ったようだね。諸君、おはよう』
「おはようございます!」
貴大とフランソワ。そして、カミーラ、ドロテア、フォルカの五名が揃ったところで、学園迷宮の入り口から、半透明の紳士が扉をすり抜けて現れた。
彼こそは、王立グランフェリア学園の初代学園長にして、腕利きの〈ダンジョン・クリエイター〉だ。教育熱心な彼は、数百年もの昔から、学園迷宮と一体化して、後進の成長を見守っている。
だから、夏季休暇に補習をするという熱心な生徒には、こうして直接姿を見せることもある。燕尾服と蝶ネクタイでめかしこんだ肥満型の紳士は、ぴたりと空中で静止し、学生たちの元気のよい挨拶に柔和な笑顔を見せ、片手を上げて応えた。
『うんうん、若手の精鋭はいつ見てもいいものだね。体から立ち昇るフレッシュな気炎に、私の心も逸るのを感じるよ。私も若い頃は稀代の魔術師として……』
満足げにうんうんと頷き、口を開く初代学園長。話が長いのが学園長の条件だと言わんばかりに、彼の挨拶はどこまでも続く――ように思われたが。
「それで、今日はどんな迷宮にするよ」
『おっと、本題から外れてしまったね。私の悪い癖だ』
話題の隙間、絶妙なタイミングを見計らって、貴大が口を挟んだ。
照れたように笑って、口に握り拳を当てて咳をする初代学園長。
『さて、迷宮の話だったね。私は魔物との戦いを主軸に置きたいのだが』
「いや、それよりはトラップを山盛りにした方がよくないか?」
『トラップは忘れた頃に引っかかるからトラップなのだよ。至る所に罠をしかけてしまえば、警戒させてしまう上に訓練にならない』
「なら、魔物8、罠2ぐらいの割合か? そこに状態異常系の敵も混ぜれば、バランスもいいだろ」
『それはいい! 是非、そうしよう』
顔を突き合わせ、子どものように笑いながら相談を続ける二人。
彼らのいかにも悪そうな笑顔を見て、フランソワは挑戦心から拳を握り、ドロテアとフォルカは敵愾心や嫌悪感を露わにし、カミーラはおろおろとしていた。
「あ、でも、夏休みに入る前、アレができたとか言ってなかったか? 俺としては、アレがいいと思うんだが」
『アレは休暇明けに、大々的に披露する予定なのだよ。何せ、君と私が作った自信作だからね』
「でも、クローズドβ……あ、いや、試運転はやっておいた方がいいと思うぞ。自信作を公開してからケチをつけられたら面白くないだろ」
『ふむ、一理ある。それでは、そうしようか』
にたりと笑って学生たちへと振り返る初代学園長。その後ろに立っている貴大も、何やらとてもいい笑顔をしている。
ものっそい笑顔を浮かべた初代学園長。彼は学園迷宮の入り口を背に、大きく手を広げて話を始める。
『これから、君たちには全く新しい迷宮に挑戦してもらう。形としては、レベル制限ダンジョンやランダムダンジョンに似たものだが、それよりも遥かに洗練されたものとなっている。何せ、冒険者として諸国を旅したタカヒロ君が監修したものだからね。君たちの予想もつかない迷宮が用意できたと自負している』
身振り手振りを交えながら説明を続ける丸っこい紳士。彼の自信に満ちた物言いに、学生たちは少なからずやる気を燃え上がらせる。
お前では無理だと言われて引き下がるようでは、強国の民ではない。それは、大国バルトロアからの留学生、ドロテアにも言えることだった。
『ほう、自分たちなら踏破できると言いたいようだね? 確かに、日が沈むまでに迷宮の最下層まで行けるようには作っているが……果たして、そううまくいくかな?』
意欲を見せる学生に、それでも意地悪く微笑んで、初代学園長はこのようなことを言う。
「無論ですわ。むしろ、学生用の迷宮を、精鋭たる我々が踏破できない道理がありません」
「フランソワの言う通りだね。今の僕なら、無手でも大丈夫さ」
初代学園長の挑発に対し、学生たちは怯むことなく応えてみせる。
それに満足したのか、太っちょ紳士は大きく頷いて――落とし穴のトラップを発動させた。
「っ!? な、何だっ!?」
「きゃあああああ~~~~っ!?」
学園迷宮入口の間の床を、まるごと陥没させるような大規模なトラップ。巻き込まれた者は抵抗すらできず、地下の闇へと消えていく。
「くくく、俺を夏季講習に巻き込んだ罰だ。精々あがいてみせろ」
唯一、貴大だけは壁にナイフを突き立て、余裕たっぷりにぶら下がっていた。
彼は、初代学園長のこれまでの行動から、新迷宮お披露目の際は床に穴が開くだろうと予想していたのだ。だからこそ、さりげなく壁際に移動し、トラップ発動に控えてナイフの柄に手をかけていた。
佐山貴大、二十一歳。彼もまた、成長しているのだ。
『ああ、武器が引っかかっているね。これはいけない。外してあげよう』
「へ? ちょ、待てっ!? って、あああぁぁぁ……!」
直後、ぽろりと外れる壁の魔導レンガ。そこからナイフを引き抜いて、再び壁に突き刺すまでに――彼もまた、迷宮の闇へと消えていった。
貴大の落下を確認したかのように、開いていた床がゆっくりと閉じ始め、やがて元の形へと戻される。
それを確認してから、初代学園長はにっこりと笑った。
『くくく……今度の迷宮は、簡単には踏破させんぞ』
実は、負けず嫌いな初代学園長。数百年経っても、成長しないおじさんであった。
一見、何の変哲もない迷宮に見えた。
魔導レンガでできた壁に、等間隔で天井に埋め込まれた光石。曲がり角から、扉の中から、通路の先から現れる魔物。仕かけられた多種多様な罠と、上階、下階へ続く階段。
それだけなら、いつも通りの迷宮だと言えた。
しかし、違う。これまでの迷宮とは、根本的に異なっている。
床に落ちた剣や盾、薬草や食糧の類。時折、躊躇いを許さないとばかりに吹きつける強風に、奇妙なようで規則正しい動きを見せる魔物たち。
――そして、『1』まで下がってしまったレベル。
ここは最早、慣れ親しんだ学園迷宮ではない。二つのダンジョンコアと、異国の知識が組み合わさってできた魔境なのだ。
彼の脳裏に浮かぶ貴大の顔。それは、学生たちをあざ笑うかのように醜く歪んでいた。
きっと、自分たちが慌てふためく様を見て、手を叩いて喜んでいるのだろう。彼はそのように考えて、ぎりりと食いしばった歯を鳴らした。
用意しておいた武器も防具も、回復薬ですらいつの間にかなくなっていた。この迷宮を考えた男が、上流階級の子弟は道具をなくせば何もできないと考えたのだろう。
特に、神剣王子と揶揄された自分は、ウェルゼスが手元から離れれば恐慌状態に陥るとでも考えたのだろう。彼は――フォルカは、悔しさから拳を握った。
「なるほど、平民らしい下種な考えだ。だが、僕は――以前の僕じゃない」
神に選ばれた証。絶対的な加護の象徴。祝福を受けた白銀の剣が消失したというのに、フォルカの心は揺れてはいなかった。それどころか、彼は徒手空拳のまま、魔物が待ち構える部屋の中に大きく一歩を踏み出した。
胸を張って堂々と。隠れることも、不意をつくこともせず、遍く全てへ見せつけるかのように、フォルカはまっすぐと突き進む。
どこか威厳すら感じられる歩みに、感情を宿さない低級な魔物は怯むことなく向かっていく。スライムが、ゴブリンが、Gバットが、次々とフォルカに襲いかかる。
だが――。
「はあっ!」
ゴブリンの眉間に一発。
「やあああっ!」
スライムの軟体に二発。
「喰らえぇぇぇっ!!」
Gバットの胸部に二発。
反撃を受けながらも連撃を叩きこんだフォルカは、血を流しながら拳を突き上げる。護国の英雄を模した彫像のように。国旗に浮かぶ長剣のように。彼は、渦巻く魔素の煙を全身で吸収しながら、無言の勝ち鬨を上げる。
【レベルが 2に 上がりました】
フォルカの脳裏に響く福音。どこか無機質な神の言葉に感謝を捧げつつ、フォルカは天に掲げた拳を――その先にいるであろう貴大を見上げる。
「僕が今も神剣を持っているのは、窮地に陥った時に頼るためじゃない。使わないために――自制心を養うために、何より、誓いを守るために、肌身離さず持っているんだ」
王族としては信じられないほど荒れた拳を通し、彼は好敵手を、そして愛する人たちを想う。
「タカヒロ・サヤマ。僕はお前を越えてみせる。そして、我が妹エミリエッタと、我が師シルフィに勝利を捧げる」
目を閉じたフォルカは、ゆっくりと拳を下ろす。そして、大きく息を吸って――目を見開いて、叫んだ。
「見ていろ、平民! 僕の、人としての力を!」
そしてフォルカは、未知なる迷宮の深淵へと、臆することなく向かっていった。
一方その頃、貴大はと言うと――。
「ローグライクゲームは、ポイントが分かってりゃどうってことはねえんだよ。怪我したらその場で足踏み回復。部屋に入る前は空振りして罠をチェック。未識別の道具はとりあえず使う。一発逆転もできるスクロールなんかは、特にな」
巻かれて麻紐で結われた羊皮紙を広げる貴大。直後、部屋を埋め尽くすかのように出現する魔物たち。
【モンスターハウスだ!】
「……逃げ道の確保も、大事だったな」
こうして貴大はボコボコにのされ、落下した地点へと戻された。
神剣王子様は、サイドストーリーズ3からの久々の登場でした。
前回も成長が見られた彼は、今回、更にたくましくなっているようですが……?