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別離の始まり

珍しく、シリアス章です。

 夢を見ていた。


 遠い日の夢を見ていた。


 そこでは、俺はただの高校生だった。日本のどこにでもありそうな街並みを、学生鞄を片手に歩いていた。


 隣には、親友の姿があった。幼馴染の倉本蓮次と、中学生からの付き合いの上島優介。


 久しぶりだと声をかけたら、昨日も会っただろうと笑われた。そういえばそうかと、俺も笑った。


 れんちゃんは相変わらずイケメンだったし、優介はいつも通り天パ眼鏡だった。そして俺は、ゲームの登場人物のような服じゃなくて、ブレザータイプの制服を着ていた。


 俺はまた、あり得ないよな、あんなこと、と言った。仮想現実そっくりの世界に落っこちるなんて、都市伝説じゃあるまいに、と苦笑した。


 二人は笑って、俺の背中を叩いた。貴大にしては上出来だと笑いながら、肩に手をのせてくる俺の親友たち。


 その笑顔に安心して、俺はまた、変わり映えのしない通学路を歩き始めた。 


 懐かしかった。俺は、あの日の俺であることが嬉しくて、夢の中だけでも『何もなかったことにしよう』と思った。〈アース〉のことなんて忘れて、しばらくの間、思い出に浸っていたかった。


 なに、このまま放っておけばいい。これは夢だ。俺が何をしなくても、勝手に物語は進んでいくだろう。いつか過ぎ去った日々をなぞるように、記憶は再生されるだろう。


 今日の一時間目って、古典だったよな?


 そうだよ。ついでに言うと、先週の宿題の提出日でもある。


 うそっ!? 俺、完璧に忘れとったわ……れ、れんちゃーん! ヘルプミー!


 諦めろ、貴大。オレはもう諦めた。


 うっせ、黙ってろ優介!


 ぼやけた世界の中、俺たちはどこまでも続く住宅街を歩いていく。


 いつか聞いた言葉を耳にしながら、俺はれんちゃんたちと歩き続ける。


 夢だとわかっていても、胸にくるものがあった。幻だとわかっていても、久しぶりに二人の姿が見れて嬉しかった。


〈アース〉への転移から、二人との別れを経て、れんちゃんとの再会があった。そして、俺はれんちゃんと殺し合い、あいつはどこかへと去ってしまった。


 一体、どこにいるんだろうな。待てど暮らせど、何の連絡もない。探しに行こうにも、何の手がかりもない。


 特に優介。れんちゃんがまだ〈アース〉にいるってことは、お前もこの世界にいるんだろう? 【コール】ぐらい入れろよ。あの時何が起きたのか、何でれんちゃんがおかしくなったのか、事情ぐらい教えてくれよ。


 夢の中の優介に問いかけようとするも、俺の口はくだらないおしゃべりを繰り返すだけ。それに合わせて、優介も馬鹿みたいに笑うだけ。


 ……当然だな。ここは俺の夢の中。俺が知らないことは、知ることができない。俺が経験していないことは、ここには現れない。


 だから、俺たち三人はあの日のままなんだ。記憶に色濃く残っている、高校時代の俺たちなんだ。


 そいつらに、〈アース〉のことを聞いてどうしようってんだ。まったく、俺は――。


「何でだ?」


 その声に振り返ると、れんちゃんが俺を見ていた。夢の中の俺じゃない。夢を見ている俺を、じっと見ていた。


 表情が消え失せたれんちゃんの顔から、俺は俺が見られていると感じた。


「何でだ?」


 後ろからは、あの日のままの優介の笑い声が。でも、れんちゃんだけは、見たこともないような顔をして、俺をじっと見ていて――。


 いや、違う。この顔は、どこかで見たことがある。そうだ、この顔は、見たことがあるぞ。


 今年の春。俺を訪ねてきたれんちゃん。倒れるユミエル。荒野に佇む優男やさおとこ。血と肉が飛び散る月夜。そして、親友の心臓を突き破る、俺の――。


「何で、即死スキルなんて使ったんだ!!」


「っ!!」


 飛び跳ねるように体を起こした。


 夜明け前なのか、俺の部屋はぼんやりと薄暗く、視界の端にタオルケットがずれ落ちていくのが見えた。


 もうすぐ八月だというのに、いやに肌寒い。噴き出た汗を吸い込んで、寝巻代わりのTシャツとトランクスはぐっしょりと濡れそぼっていた。


 体が細かく震えているのは、季節外れの寒さのせいか。それとも、鮮明に甦った感触のせいか。特に、あの時、ナイフを握っていた右手は、ぶるぶるとおこりのように震えていた。


「ったく……何て夢だよ」


 まだマシな左手で右手をギュッと押さえ、俺はぐしょ濡れの服ごと部屋を出ていく。そして、一階と三階に続く階段の脇にある洗面所のドアを開け、ずしりと重たくなった衣服を脱ぎすてる。


 灯りはつけず、水を温める魔道具のスイッチを入れる。それから、ふらつきながら浴室に入り、倒れるようにして湯船に体を預けた。


 しばらく待って、蛇口をひねれば、少し熱いぐらいのお湯が湯船に落ちていく。それをぼんやりと眺めながら、俺は先ほど見た夢を思い出す。


 怒りに任せて発動させた【心臓貫き】。その結果、死んでしまったれんちゃん。俺の幼馴染は、魔素の粒子となって、風に巻かれて消えてしまった。


 そうだ。俺は、れんちゃんを殺してしまったんだ。俺の手が、俺の目が、れんちゃんの死を確かに記憶している。


 それが、俺の体を震わせる。どうしようもない喪失感が、時おり、心の奥から湧き上がってくる。その度に、俺は人の死について思いを馳せていた。


 剣と魔法の世界〈アース〉。この世界では、日常的に人が魔物に襲われて死んでいる。


 いや、魔物だけじゃないな。同じ人だって人を殺す。欲望を満たすため、他人の金や魔素を奪うため、人は簡単に人を殺す。


 冒険者時代、俺はそういった死をたくさん見てきた。それこそ、直視に堪えない惨たらしい死体さえ、何度も何度も目にした。


 特に、治安の悪い中部地方は、人がゴミのように道端に転がっていた。それだけで、ナイーブな優介は食べたものを戻してしまった。


 このように、日本に比べて死が当たり前の世界で、それでも俺は心を痛めたことなどなかった。「かわいそうだな」と思うことはあっても、人の死に涙を流したことなどなかったし、喪失感なんて覚えたこともなかった。


 なぜなら、彼らは他人だから。言ってしまえば『無関係な人々』だったから、彼らが俺に影響を与えることはなかった。


 死体に驚くことはあった。見えない殺人者に震えることもあった。だけど、二年も魔物相手に切った張ったの稼業をしていると、そのうち慣れていった。


 そんな俺も、親友の死には脆かったらしい。たった一人の人間が死んだだけで、涙をぼろぼろと流して、「死ぬな、死ぬな」と縋りついたぐらいだ。これで、れんちゃんが生き返らなかったら、悪夢ぐらいじゃ済まなかっただろう。


 人間って、勝手なものだよな。無関係な奴らが何人死のうと涼しい顔をしていられるのに、大切な人を喪えば、なりふりなまわず嘆き悲しむ。


「どちらも同じ『死』なのにな」


 明るくなり始めた窓の外を見ながら、俺は湯船に満ちたお湯でばしゃり、ばしゃりと顔を洗った。


 もう右手は震えていない。夜の気配とともに、あの喪失感はどこかへ行ってしまった。


 この立ち直りの早さも、人間の身勝手さによるものだろうか? 俺にはわからないが、ただ一つ、わかることはある。

 

「朝風呂とは風流だな。どれ、未来の妻が背中を流してやろうではないか」


「……椅子はここに置いておきますね」


 俺の同居人たちは、こちらのアンニュイな気分も構わずからんでくるということだ。


「ちょっとはシリアスに浸らせろよ……」


 タオル一枚で体を隠したロリ龍人と、浴室の床に干しておいた椅子や風呂桶を並べていくメイドちゃん。


 こいつらは、一体、俺に何を求めているのだろうか。少なくとも、シリアスでないことは確かだ。


「おおー、夏場の朝風呂は格別だな! 気持ちいいのだー……」


「……私も脱いだ方が?」


 このあからさまなお色気。もしかして、これはサービスシーンなのだろうか?


 ぷりんとした尻を向け、ざぶんと湯船に入ってくるルートゥーと、おもむろにメイド服を脱ぎ始めるユミエルを見ていると、何だか少年誌的なわざとらしさを感じてしまう。


 でも、いらんいらん! 朝っぱらから色気なんぞいるか! 佐山さんちの貴大くんが元気になっているのは、朝だからと思いたい。


「ふー……まったく、あいつらときたら」


 男の静かな一時を邪魔するロリっ子どもを追い出して、一息つく俺。


 おかげで、『死について』とか『喪失感』とか、真面目に考えていた自分が馬鹿らしくなってきた。


 代わりに頭に浮かんでくるのは、最近、攻勢が激しくなってきたあいつらをどう諭すかということ。どうせ、淫魔のイヴェッタさん辺りに恋愛と男女関係の素晴らしさを説かれ、一時的にその気になっているのだろうが……さて、どうしたもんだか。


 仰向けになったまま、俺はぶくぶくと湯船に沈んでいく。それでも、やっぱり考え事は俺には向いていないのか、よい考えは一向に浮かんでこなかった。







 後になって思えば、シンクロニシティというやつだったんだろう。


 俺があんな夢を見たのも、親しい者の死について考えたのも、後の出来事を暗示していたんだ。


 そう、ゴルディの死という出来事を。そして、一匹の犬の死によって、泣きじゃくる少女のことを……暗示、していたんだ。


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