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前振り

 七月に入ると、グランフェリアでは半袖の服を着る者が増え始める。初夏の太陽に暖められた潮風が、いよいよもって、うっとうしくなってくるのだ。


 屋台通りで売られている品も、温かさよりは冷たさをアピールするようになり、大衆食堂の味付けも、冬に比べて明らかに濃いものとなる。


 街並みさえも、季節と共に変わるものだ。表通りに面した窓は、少しでも風通しをよくしようと、そのほとんどが開け放たれている。時おり、結びが解けたカーテンが風にはためいているのも、風物詩といえば風物詩といえた。


 このように、夏本番に向け、様々なものが変化を見せる。暑さに耐えかねて、様々なものが開放的になっていく。王侯貴族ですら、シルクの手袋を薄いものへと変えるほどだ。一介の何でも屋、フリーライフも、夏に合わせた装いを見せていた。


「へ~、いいね、このカーテン」


 大衆食堂〈まんぷく亭〉の看板娘、カオル・ロックヤードは、何でも屋〈フリーライフ〉一階の事務所にて、薄手のカーテンの触り心地を確かめていた。


 光が透けるようにできているレースの生地は、見栄えもいいようにと、花の模様が織り込まれている。それは、ひっそりと野に咲く花のようで、下卑た感じはどこにも見当たらなかった。


 このカーテンが、味気ない何でも屋の建物を、そっと華やげている。まるで、貴大とユミエルのようだと、カオルは思った。


「家も、レースにしようかな。可愛いし、通気性もいいし。それにね、実は私、レースのカーテンが風に揺れている中、午後の紅茶を飲むのが夢だったの。何か、ほら、お姫様みたいでしょ?」


「……そうですね」


 事務所の机でお茶を飲んでいたユミエルは、カップを下ろし、こくりと頷く。しかし、同意はしたものの、灰色の少女時代を送っていた彼女は少女趣味とは無縁であり、カオルの言っていることがいまいち理解できなかった。


 それでも、カオルが「夢だった」と言うからには、余程素敵なものなのだろう。そう考えたユミエルは、事務所の倉庫から予備の机と椅子を取り出して、カーテンがはためく窓際へと配置した。


「……さあ、どうぞ」


「えっ?」


 風にたなびくレースのカーテン。窓から差し込む柔らかな光。窓際に置かれた机の上には、白磁のティーセットと、芳ばしく香る手製のスコーン。カオルが夢見たシチュエーションが、瞬く間にできあがった。


 少女趣味は理解できずとも、そこはさすがのユミエル。メイドとしての腕を遺憾なく発揮し、言われた通りに午後の紅茶の場を仕立て上げた。


 そして、彼女は「さあ」とカオルを誘う。貴女が望んだものですよ、と。


「わっ、い、いいのかな?」


「……カオルさんには、日頃から世話になっていますので、これぐらいは。さあ、遠慮なさらずに」


「う、うん」


 小ぢんまりとしていながらも、望むもの全てが揃った茶会の席に、カオルはおっかなびっくり、腰を下ろす。座り心地も悪くないのにもぞもぞと腰を動かし、照れ隠しに「えへへ」と笑う。


 それも、数分も経てば慣れてきたのか、カオルは、紅茶が注がれたティーカップを口元へと運んだ。すると、果物のような茶の香りが、ふんわりとカオルを包み込み、一時の間、彼女はうっとりと目を細めた。


 しかし、どうやらそれで夢は終わらないらしい。カオルは、優雅っぽい手付きでティーカップを机に置き、軽く背もたれに体を預け、首だけを動かし、窓の外を見た。


 室内にいるユミエルから見れば、それは、とても絵になる光景だった。風に揺れるカーテンに、机に置かれたティーセット。湯気を立てる紅茶に、アンニュイそうに窓の外を見つめる少女。なるほど、これを狙っていたのだな、と、ユミエルは腑に落ちる思いがした。


 だが、窓の外から見れば、どこぞのお嬢さんが、にまにましながら表通りを見ている光景となる。その笑顔に気づいた道行く人は、居心地悪そうに足を早め、フリーライフの前を通り過ぎていく。


 それでも、自己陶酔に浸った目は、何かを見ているようで、実は何も見ていない。だから、通行人の目など気にしないし、知り合いが近づいてきても、全く気づかない。


「……お前、何やってんの?」


「へぇっ!? あ、タカ、タカヒロっ!?」


 ビクリと体を跳ね起こすカオル。彼女の目の前には、仕事帰りの貴大が立っていて、彼は訝しげな顔でカオルを見ていた。


「ちがっ! こ、これは、違うの……」


「何が違うんだ? まあ、いいや。ユミィ、ただいま」


「……おかえりなさいませ」


 顔を真っ赤に染め、消え入りそうな声で否定の言葉を口にするカオル。懸命に何かを誤魔化そうとすがりつく彼女を軽く受け流し、貴大はユミエルの頭にポンと手を乗せた。


 そして、コキコキと首を鳴らし、どさりと事務所の椅子に腰かける。


「あの、だからね? ち、違うの。あれは、あれは……」


 そこへ、なおも食い下がるカオル。余程、『紅茶を楽しむお嬢様』に浸っていたことが恥ずかしかったのだろう。うまい言葉が探せぬままに、先ほどの自分を否定しようとする。


 ある意味、滑稽な姿ではある。しかし、貴大は優しげな笑みを浮かべ、カオルの肩に手を置く。そして、真摯な瞳で、「分かっているさ」と大きく頷いた。


「ああ、分かってる。分かってるぞ。ああいうことを、したかったんだよな?」


「ちがっ!? 違うのぉぉぉ~~~~~~~っ!!」


 湧きあがる羞恥心に遂に耐えかね、カオルはフリーライフから逃げ出した。その後ろ姿をからからと笑い、貴大は、放置されていった紅茶をずっとすすった。


「いや~、カオルもお年頃だなあ。俺も、あんなことした覚えがあるわ」


 やけに気取った動きをしてみたり、特殊なシチュエーションに浸ってみたり。そうしたことをしたくなるのが十代だと、貴大は思っていた。


 彼自身、『授業中、校舎の屋上に寝転がり、空を見上げる』なんてこともしたし、彼の友人には『出窓に座り、物憂げに小説のページを片手でめくる』ような人物もいた。


 それに比べれば、カオルの少女趣味など、可愛いものだ。実害がないだけ、微笑ましくもある。ただ、そういったことは人目がつかないところでやった方が、後々、ダメージが少ないのも事実だ。


 だからこそ、貴大はカオルを正気に戻してやった。それは、悪戯心ではない。親切心によるものだ。他意など、彼は微塵も持っていなかった――――はず。


「さて、と。茶も飲んだし、お仕事するかな。ユミィ、次の仕事はなんだ?」


 温めの紅茶をぐいと飲み干した貴大は、フリーライフのマネジメントを一手に担う少女へと、声をかける。


 先日の一件で、ユミエルに負担をかけ過ぎていたかな、と自覚した貴大は、少なからず、労働意欲に目覚めていた。珍しく、吹けば飛ぶようなやる気だが、それでもやる気はやる気だ。のんべんだらりと日々を過ごす青年を、仕事へと駆り立てるほどの力は持っていた。


 しかし――――


「……今日はもう、仕事はありません」


「はあっ?」


 労働意欲が、思わぬところで空回りした。


 貴大が、仕事の鬼と呼ぶ少女のことだ。きっと、望まなくとも次から次へと仕事を持ってくるはず。そう思っていただけに、ユミエルからの「仕事がない」という言葉は、少し意外な貴大だった。


「え? じゃあ、もうあがっていいの?」


 恐る恐ると尋ねる貴大。


「……ええ。外は暑かったでしょう。夕食の前に、お風呂をどうぞ」

 

 はいと頷くユミエル。


「わ、分かった……?」


 休めと言われて、断る理由などどこにもない。しかし、貴大は釈然としない面持ちとなり、首をかしげながら二階の浴室へと向かった。






 翌朝、貴大は一人、東へ続く街道を歩いていた。


 荷物も持たずに、ふらり、ふらりと丘の上を歩く貴大。服装も、街の外に出かけるにしては軽いもので、『怒涛の執事』と書かれた白いTシャツと、ジーパンのみの姿だ。


 すれ違う者は皆、彼は、ピクニックに来たのだろうと考えた。行商人にしては荷物が見えず、旅人にしては靴も服も貧弱だ。きっと、初夏のそよ風に誘われて、行楽に出かけたのだ。彼を見た者は、そう判断した。


 だが、そうではない。貴大はこう見えて、仕事の最中だった。彼は、行楽に繰り出したのではなく、東の森にあるコドルフ村へと、荷物を届けに行こうとしているのだ。


 手ぶらに見えるのは、彼が『オプション』のアイテム欄に、塩袋や調味料、薬や嗜好品を詰め込んでいるからだ。〈アース〉において、ある程度の荷物であれば、馬車など必要なく運搬できる。それこそ、小さな村に必要な生活必需品など、人一人いれば足りるほどだ。


 つくづく、ゲームのような世界だな、と、貴大は思った。風情がないというか、何というか。行商人の真似事をする時ぐらいは、馬車の荷台に座ってみたかった貴大だった。


「しかし、コドルフ村か。急がなくても、夕方には帰って来れるな。う~ん、今日の仕事も楽勝過ぎる……」


 東街道から少し外れた森の中で、養蜂を営んでいるコドルフ村。グランフェリアから、そこまで、片道徒歩四時間といったところだ。仮に、馬を走らせれば一時間で着くし、貴大が本気で走れば、三十分もかからないだろう。


 本日の貴大の仕事は、その村へ荷物を届けるだけ。他に仕事はなく、荷物の量も、アイテム欄に収まらないほど多くはない。村への道も平坦そのもので、貴大が楽勝と口にするのも、当然といえば当然のことだった。


「まあ、楽でいいけどさ。それにしても、ユミィの奴、丸くなったよな」


 最近、自分に回ってくる仕事が少ない。毎日、あるにはあるが、朝から晩までこきつかわれるような仕事量じゃない。明らかに、以前に比べて楽になっている。貴大は、そう実感していた。


「さては、あいつも仕事が面倒になったな? 思えば、昨日はユミィも早上がりしてたし……よしよし、いい傾向じゃないか」


 もっともらしい答えを見つけ、途端に上機嫌になる貴大。彼は、鼻歌を歌いながら、緩やかな丘を下っていく。


 が、途中、ピタリとその足が止まる。彼は、気づいたのだ。あまりにもうまくいき過ぎていると。


 彼の経験上、幸せとは長くは続かないものだった。調子に乗れば手痛いしっぺ返しを喰らうし、油断しきると奈落に落とされる。


 今回の幸せは、その『前振り』なのではないか?


 湧き上がってくる悪寒に、貴大はぶるりと背筋を震わせた。


「例えば、そう。浮かれたところで、ユニークモンスターが襲ってくるとか!」


 その瞬間! 貴大は、背後から、黒い影に襲われた!


 来るべきものが来た。斥候職である自分でも感づけない、驚異的な存在が現れた。


 上げて落とすのがこの世の真理だと、分かっていたはずなのに。貴大は、自分の愚かさを悔やみながら、背中に張り付いたユニークモンスターを振りほどこうと、必死に抵抗し――――


「我が直々に、婚約者の働きぶりを抜き打ちチェックしに来たぞ! ん? どうだ? 驚いたか?」


 かけたところで、カチン、と固まった。


 確かに、ユニークモンスターだ。泣く子も黙る混沌龍が、確かに、襲いかかってきた。


「でも、そういうことじゃなくてだな……」


「どうした、さっさと進まぬか。コドルフ村とやらに参るのだろう?」


「はいはい」


 背中に飛びついてきたルートゥーを背負い直し、貴大はコドルフ村への道を歩いた。


 黒いサマードレス姿の少女は、彼の背中でそれ行け、やれ行けと、上機嫌だ。反対に、貴大は不完全燃焼のまま、森の中へと入っていく。


 ユニークモンスターではなかった。では、何だ? 仕事が大幅カットされた代償として、何が起きる?


 つくづく、平穏と幸せとは無縁の貴大は、何かに警戒しながら森の道を進んでいく。


「今日もよく晴れたな。実に気持ちが良い天気だ。ほれ、森の木々は青々と茂り、木漏れ日も美しい」


 唯我独尊を地で行くルートゥーも、珍しく大人しい。彼女は、森林浴を楽しむかのように、目を閉じて、すう、と深く息を吸っている。


 前振りだ。貴大は、そう思った。混沌龍の少女が、このようなシュチュエーションで、わがままを言い出さない方がおかしい。これは、何かの前振りだ。


「例えば、そう。平和を噛みしめているところで、事件に巻き込まれるとか!」


「きゃああああああああああああああ!?」


 その瞬間! 貴大は確かに、女の悲鳴を聞いた!


 遠目に見え始めたコドルフ村から、絹を裂くような女の声が聞こえてくる。それも、一つや二つではない。まるで、村が魔物の群れにでも襲われているかのように、断続的に悲鳴が上がる。


「くそっ、やっぱりこうなったか!」


 背負ったルートゥーを下ろすのも忘れ、貴大は村へと走り出した。あの悲鳴は尋常のものではない。きっと、恐るべき事件が起きたのだ。村中が血に染まるような、凄惨な事件が。


 貴大は、嫌な予感が的中したと、冷や汗を浮かべ、村の広場へと駆けこんだ。


 すると、そこには――――


「きゃあああああああああ!? し、信じられない! これでもう、二十枚目よ!」


「ふふふ、まだまだいけるわよ」


「ニ十一枚目! あ、あんた、幸運の女神がついてるわ!」


 パンケーキ返しに興ずる、主婦たちの姿があった。


「……は?」


 彼女らは、バターを引いたフライパンに、どろどろの生地を流し込む。そして、ふつふつと表面が泡立ち始めた頃、片手でパンケーキをひっくり返すのだ。


 腕を振り、くん、と手首を動かして、宙にパンケーキを放り投げる主婦たち。片面が焼けた生地を、見事にフライパンでキャッチし、得意げな顔を見せる彼女ら。


 その中でも、一人の主婦の腕は圧巻のようで、何と、連続で二十一枚もパンケーキ返しに成功していた。


「まだまだ! まだまだいけるよ! この日のために、わたしゃ血の滲むような練習をしたんだ!」


 盛り上がる会場に、漂う甘い香り。焼き上がったパンケーキには村の子どもたちが群がり、なくなったパンケーキはまた、補充される。


「おや、配達人さんかい? ご苦労様。品物の代金と、お礼の蜂蜜は用意しているけど、せっかく来たんだ。あんたもパンケーキ、食べていきなよ」


「うむ! 賞味してやろうではないか。我の分は、蜂蜜をたっぷりとかけるのだぞ」


「あはは、何だい、態度がでかいお嬢ちゃんだね。分かった分かった。ちょっと待ってな。すぐに焼くから」


 甘いものには目がないルートゥーが、我が物顔で会場の席に腰を下ろした。彼女に引っ張られた貴大も、木製の椅子に座る。


「はい、お待たせ。蜂蜜をたっぷりかけて食べるんだよ。ほれほれ」


 そして、すぐに用意される、三段重ねのパンケーキ。ほかほかと湯気を立てるそれに、とろり、とろりと垂らされる香り高い蜂蜜。


「はうう~! た、たまらんのだぁ~……!」


 さっそくかぶりつき、歓喜と甘味に震え、ピーンと翼を広げる龍人の少女。


 彼女を見ていると、前振りとか、上げて落とすとか、変なことを気にしている自分が馬鹿らしくなってきた貴大。


 前振りだとか、上げて落とすとか、くだらないことばかり気にしている自分は、少女趣味に浸っていた看板娘を笑ってばかりいられないな。平和ならば、それでいい。悲観的になり過ぎるのは、よくないことだ。


 そう考えた貴大は、自嘲気味なため息をフッと吐いた後、甘い蜂蜜がこれでもかとばかりにかけられたパンケーキを、大きな口を開けてかぶりついた。


 余計なことを考えずに味わう平和の味は、とても甘かった。


よく調教された貴大は、トラブルがないと不安になるようです。


さて、次回の貴大は、とある屋敷のハウスクリーニングをします。汚物は消毒だー!


一話完結のように見えて、一応、続きものです。

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