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フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~  作者: 気がつけば毛玉
おしおきメイドユミエル編
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日常の中の非日常

 人口という言葉がある。これは、村や町、都市に住む人の数を数えるために使われる言葉だ。考えてみれば、これほどおかしな言葉はない。


 何故、人を数えるのに『口』を使うのか。目ではいけないのか。鼻ではいけないのか。


 一つしかないから、という理由ならば、動物や石像のように『頭』や『体』でもいいのではないか。むしろ、口などという一器官よりも、そちらの方が相応しいのではなかろうか。


 あえて口を使う理由が、どうにも見えてこない。足ではいけないのか。手ではいけないのか。胸では、胴では、首ではいけないのか。


 考えれば考えるほどに、答えに詰まる。人口とは、何に由来する言葉なのか。どのような理由で作られた言葉なのか。


 知恵熱を発しそうなほどに考えた末、一人のわんこは白旗を上げた。


「それはね、ご飯がなければ、人は生きていけないからよ。クルミアも、お口がなければパンが食べられないでしょう? だから、お口で人を数えるの」


「わう! そうだったんだ! お母さん、ありがとー!」


 胸につっかえていたものが取れたとばかりに、犬獣人の少女は飛び跳ねて、妙齢のシスターにお礼を述べた。そして、そのままの勢いで、教会の外へと駆け出していった。


 そう、ブライト孤児院の院長ルードスが述べた通り、人を口で数えるのは、物を食べるのに使うからだ。食糧を食べる口がいくつあるかで、『人口』。人は食物なしでは生きてはいかれず、また、食物なしでは国家も自治体も成り立たない。


 それほどまでに、食が占めるウェイトは、高い。自ら、食べるものを育てなければ、集団として生きてはいけない人間は、特にだ。


 だからといって、全ての人間が農作業に準ずる訳ではない。獣を狩る者もいれば、魚を獲る者もいる。木の実を拾う者もいれば、茸を採る者もいる。


 彼らが、望む物を手に入れるべく、物々交換を行った末に、現在の貨幣経済がある。金さえあれば、食物を手に入れられる社会がある。


 だからこそ、人々は金を稼ぐべく、毎日のように働き続けている。金が欲しいからではない。究極的に言えば、腹を満たしたいからだ。


「おひや、おひや、おさら、おさら」


 そういった意味では、クルミアの労働は、狩りと同義だと言えた。食べ物を得るために、四肢を動かす。腹を満たすために、腹をすかせる。


 例えそれが、冷や水を注いだコップや、空いたお皿を運ぶ行為でも、意味的には山野で獣を追うことと同じなのだ。


「クルちゃーん、二番テーブルにフォークも持っていってー」


「わんっ!」


 クルミアという少女は、食べるために働いていた。大衆食堂〈まんぷく亭〉を己のフィールドとし、若さゆえの活力で、存分に働いていた。






 昼過ぎにもなると客足が途絶え、途端に暇になる。そうなると、まんぷく亭はしばしの休憩だ。


 暖簾を下ろし、準備中の札をかけ、だらだら居座ろうとする常連客を表へと蹴り出す。まんぷく亭は、あくまで大衆食堂。飯をかっこむ場所であり、茶飲み話が楽しめるカフェではないことを、身を持って教えているのだ。


「こうでもしないと、私たちのご飯が食べられないからね」とは、女将の言だ。料理を運ぶことよりも、食べることが大好きな彼女は、自分たちの昼食の時間が延びることを何より嫌う。だからこそ、彼女の行動には微塵も迷いはなかった。


 その日も、外回りがめんどくさいと、ほうじ茶一杯で粘る客を叩き出し、すぐさま、厨房へと駆けこんでいった女将、ケイト。彼女は、まんぷく亭の店主であり、夫でもあるアカツキから丼を受け取り、鼻歌を歌いながら、クルミアが待つテーブルへと戻ってきた。


「はい、クルちゃん。熱いから気をつけてね」


「ありがと、おばちゃん。……わうっ! やっぱりおやこどんだー!」


 丼に被せられた蓋を持ち上げたクルミアが、目を細めて歓声を上げた。それもそのはず、丼の中身は、彼女の大好物だったからだ。


 柔らかな鶏もも肉と玉ねぎを、濃いめのコンソメで軽く煮込み、卵でとじる。しかる後に丼に盛った飯に乗せ、乾燥パセリをぱらりと散らす。これぞ、まんぷく亭名物、親子丼。


 上質の卵が、コンソメの湯気に乗って香る一品は、匂いだけで食欲をかきたてる。ヒトですら、店から漂う匂いで胃袋を揺さぶられてしまう親子丼だ。犬獣人であり、人一倍鼻がよいクルミアが、我慢できるはずがなかった。


「いただきまーす!」


 その証拠に、幼いわんこは、今にもスプーン片手に親子丼をかきこもうとしている。子ども故の無邪気さで、思いっきり、好物を頬張ろうとしている。


「ちょっと待って」


「わうっ!?」


 だが、ここでまさかのストップ。躾の行き届いたクルミアは、制止の声にしかと反応し、スプーンを丼に突き立てたまま、固まっていた。


「待ってね。もうちょっと待って」


 そんな彼女を、サディスティックな笑みを浮かべて制止し続けるのは、ケイト・ロックヤード。クルミアへと、親子丼を渡した張本人であり、椅子を並べて、一緒にまかないを食べようとしていた人物だ。


 彼女は、何故、クルミアを止めるのか。お腹を空かせた幼子に、「食べるな」というのか。それは――――


「待~て、待て待て」


「わうぅ……」


 完全に、彼女の趣味によるものだった。


 幼い時分より、お調子者で、イタズラ好きなケイトは、食事時の犬を見ると、ついつい、『待て』をしてしまう。


「待て待て……よしっ!」


「わんっ♪」


「……子さん」


「わうっ!?」


「待ってね……よしっ!」


「わんっ♪」


「……夫くん」


「わうっ!?」


「ふふふふふふふ♪」


 ケイトにとって、クルミアが犬ではなく犬獣人であることは、些細な問題だった。きっかけはただの思いつきであろうとも、現実に、『待て』に応えるわんこがいる。『よし子さんフェイント』で引っかけることもできる。それが彼女にとっての全てだった。


 それが、ケイト・ロックヤードの、生まれ持ったサガだった。


「かわいそうなことしないの」


「っっったーーー!?」


 逃れられぬサガを愉しむ母へ、娘からの痛恨の一撃。木製とはいえ、お盆の角は凶器にも等しい。思わぬ痛打に、ケイトは声にならない悲鳴を上げた。


「わう、だ、だいじょうぶ?」


「ああ~、平気平気。お母さん丈夫だから。それより、お昼ごはん、ちゃっちゃと食べましょ。冷めちゃうよ」


 頭を抱えるケイトを無視して、自分の親子丼を食べ始めるカオル。クルミアも、しばらくは心配していたのだが、数度、カオルに促され、親子丼を口にした。


 散々焦らされたこともあって、堰を切ったようにご飯を食べるのに夢中になるクルミア。カオルはカオルで、初めからケイトなど気にしていないかのように、漬物をポリポリと食べていた。


「も~、痛かったんだから……」


「自業自得でしょ」


 やがてケイトも、ぶつくさと言いながら、親子丼を頬張り始めた。すると、単純なもので、少し冷めてしまったが、かえって甘みが強く感じられる卵の味に、ケイトさんはあっさりと機嫌を直した。


「う~ん、やっぱり家のパパさんは天才……」


「そんなに褒めるな! 照れるだろう、ガハハ!」


 大黒柱の、遅い到着だ。大雑把な言動からは考えられないほど几帳面なアカツキは、包丁やまな板、鍋を片してから、まかないを食べにきたのだ。


「おお、クルちゃん。もう腹一杯か」


「うんっ! ありがとう、おじさん。おいしかった、です!」


「いや、お礼を言うのはオレの方だな! お手伝い、ありがとう! ガハハ!」


 特注の大スプーンで、ガッポガッポと親子丼を平らげていくアカツキ。器用にも、その合間にクルミアと謝辞を交わし、よく働いてくれた妻子へねぎらいの言葉をかけた。


 ジパングの血がなせる業か、はたまた本人の人柄か。アカツキ・ロックヤード、豪胆にして、意外とマメな男なのである。


「あ~、食った食った。じゃあ、少し休んで、イモの皮むきだな。クルちゃんはどうする? もう帰るか?」


「ううん。おいもの、皮むき、てつだう!」


「いいの? クルちゃん、奉仕活動はお昼まででしょ? 無理はしなくていいんだよ?」


「わう。わたしが、やりたいことだから、だいじょうぶ!」


「まあ! 何て働き者……この子、絶対いいお嫁さんになるわ。カオルちゃん、クルちゃんは手強いわよ!」


「何言ってんの!?」


 食後の一服として、紅茶を啜りながら、団らんするクルミアたち。こうして、彼らが午後の一時を過ごすのは、何度目になるか。クルミアが10歳となり、初めての春が来てからだから、二十は超えているな、とカオルは思った。


 孤児院の子どもで、10歳以上の年長組は、働くために様々な経験を積む。それは、孤児院の手伝いであり、地域での活動であり、『奉仕活動』という名の職業訓練であった。


 クルミアもその例に漏れず、この春から週に二回、まんぷく亭で働いている。と、いっても、お冷や皿を運ぶだけの軽作業だ。ヒトの発音にも慣れていない、十歳の獣人少女に、いきなり注文をとってこいなどとは、客も、店主も、望まない。


 その結果としての軽作業だが、それでも、昼時のまんぷく亭は、目が回るような忙しさだ。お皿を運ぶだけでも、きっと、辛い思いもするし、失敗もするだろうと、カオルは忠告しておいた。


 彼女なりの思いやりで、もっと楽な仕事を勧めることもした。それでも、クルミアの決意は固く、押される形で、カオルも渋々、クルミアの奉仕活動を認めることとなった。


 きっと、落ち込むんだろうな、泣いちゃうんだろうな。お客さんに叱られて、しょんぼりするんだろうな。これが、カオルが、自身の経験から危惧していたことだった。


 ところが、蓋を開けてみればどうだ。奉仕活動二十回を越えた今では、クルミアはまんぷく亭のマスコットだ。タカタカと元気よく駆け回る姿が、下町の人間に大いにうけて、「不慣れなところも、また可愛い」と評されるまでに至った。


 今にして思えば、心配し損だったと、拍子抜けしたカオル。それでも、問題がないことを素直に喜んで、彼女は、クルミアと一緒に芋の皮むきをすることにした。


「しかし、今日はほんとに助かったよー。何か、タカヒロんところが忙しいらしくってさ。人手が足りてなかったの」


「わう? なにか、あったの?」


「さあ……詳しくは知らないんだけど、ユミィちゃんの調子が悪いらしくってさ。その分、タカヒロが仕事の埋め合わせしてるんだって。お得意様が多いから、大変だよね」


「たいへん……手伝ってあげたほうが、いい?」


「う~ん、どうなんだろうね。ユミィちゃんは、『大丈夫ですから。もうすぐですから』とか言ってたけど、危うい感じもするし……」


 カオルは、数日前に見たユミエルの様子を思い浮かべる。


 ぎこちない動きに、何かを誤魔化すような言葉。表情がないのはいつも通りだが、言動の端々に、余裕のなさを感じた。


 主人である貴大も、しきりに心配してはいたが、「大丈夫です」の一点張り。改めて考えてみても、ユミエルは不自然だった。


「くぅ、やっぱり、わたし、見に行こうか?」


「うん、そうね。ちょっと、会いに行きましょうか。ユミィちゃんに」


 前かけをパンパンと払い、立ち上がる少女たち。彼女らは、友人への心配から、着替えることもせず、表の通りへと出かけていった。


 なに、何でも屋〈フリーライフ〉は、目と鼻の先にある。パッと行って、パッと戻ってくるだけだから。


 そう自分に言い聞かせ、カオルたちはフリーライフへと向かった。


 ――――そして、見てしまった。





~おまけ~


クルミア「人って、ご飯がだいじだから、口でかぞえるんだよ!」


貴大「ん? あ、そうだな!? ああ、それで人口か!」


カオル「すごーい! よく知ってたね! 私、言われて初めて気づいたよー!」


貴大「俺もだ! いやあ、クルミアは物知りだなあ」


クルミア「えへへ♪」


貴大さん、にじゅういっさいぇ……。



~おまけその2~


クルミア「ほかほかのおやこどんは、水をかけて冷やす……!」


カオル「外道食いはよせー!」



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