挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 作者:気がつけば毛玉

おしおきメイドユミエル編

169/291

手段と目的

 思えば、長い一週間だったと、貴大は長いため息を吐いた。

 特にここ数日は、仕事、仕事、仕事の毎日。睡眠も疎かにして、休むことなく働き続けるなど、生まれて初めての経験だった。おかげで、心は擦り減り、体には疲労が溜まり、腰はずきずきと痛んだ。

 目もしぱしぱと、霞んで見える。夜を徹しての帳簿の整理がよほど応えたようで、いつも以上に気だるさが彼を支配していた。

「帳簿ぐらい自分の店でまとめろ……人に任せるなよ……」

 貴大は、椅子にもたれて天井を見上げ、また、ほうと息を吐いた。

 どうしてこうなったのかは、分かっていた。事務担当であり、実質的に何でも屋〈フリーライフ〉を支えていたユミエルが、突然の休暇を申し出たからだ。

 あの仕事の鬼が、一週間も休みたいだなどと、余程の事態に違いない。貴大は、唖然としながらも、彼女の休暇申請を了承した。

 思えば、ユミエルが店を手伝うようになってから、休暇らしい休暇を与えたことなどなかったのだ。祝祭日ですら、彼女は家事に貴大の世話にと、忙しなく働いていたほどだ。世が世なら、労働者の権利を守れと、店主は吊るし上げを喰らうところだ。

 店のことは自分に任せて、この機会に、うんと羽を伸ばしてこいと、貴大は胸を叩いてユミエルを送り出した。日中、外に出かけて何をするのかは知らなかったが、詮索など野暮なことは止めようと、貴大は心に決めた。

 ユミエルも、フリーライフの一員だ。ならば、何者にも縛られず、自由にさせてやろうではないか。そう思った貴大は、ユミエルがメリッサの家に泊まるようになっても、個人の自由だ、むしろ、人付き合いの幅が広がって、いいんじゃないかと笑っていたほどだ。

 一週間なら、家事も、仕事も、苦にはならない。むしろ、積極的に仕事をとってくる者がいなくなったから、何でも屋〈フリーライフ〉の方は、暇になったほどだ。そのため、貴大は、日中はもっぱら、ごろごろと寝て過ごしていた。

 たまに訪れる客や、一緒にお昼寝を目論む龍人少女を適当にあしらう内に、三日が過ぎ、四日が過ぎていく。この頃になると、ユミエルは夕食にも帰って来なくなる。

 余程、メリッサとの生活が楽しいのだろう。これなら、期限の日まで、人目を気にする必要もないだろう。

 そう高をくくって、貴大はますます、羽を伸ばし始めた。営業時間中に、事務所の机に突っ伏して寝るのは当たり前。営業時間も勝手に縮め、昼休みもたっぷりと取り、三度の食事も好きなものを食べた。

 買い食い上等、散らかし放題。ユミエルによって清潔に保たれていた住居は、ゴミが放られ、あっという間に汚れていった。それでも貴大は、ユミエルが帰ってくる前に、まとめて片付ければいい、と考えていた。その方が手間がかからないと、自分を納得させ、物ぐさな自分を正当化した。怠け者も、ここに極まれりだ。

 また、最近増えた同居人の存在もいけなかった。ルートゥーは、フリーライフの住居部分が汚れ始めても、我関せずの姿勢を崩さずにいた。混沌龍といっても、実質的にはお嬢様育ちの娘だ。部屋の掃除など下働きの者に任せておけばいいと、貴大との二人きりの生活を楽しんでいた。

 実に退廃した、フリーライフ。だらだら店主と、自称婚約者の龍人少女は、のんべんだらりとした日々を送っていた。だが、五日目にして、事態は急変する。

 まず、学園の仕事があった。これは、週に一度の契約なので、渋りながらも出かけていった。前の週に休んでいたせいもあって、いつも以上に濃い訓練を要求されたが、それぐらいはと、貴大は文句も言わずに仕事に取り組んだ。

 次に、託児の依頼を受けた。いや、学園から帰ったら子どもがいた、と言った方が正しいだろう。貴大が夜も遅くに帰ってくると、4歳ほどの小さな男の子が、フリーライフの事務所で、ルートゥーの髪の毛を引っ張っているではないか。

 子どもがミンチにされてはたまらないと、貴大は慌てて引きはがすが、どうにも手を放さない。結局、その子が寝静まるまで、貴大は、街をも滅ぼす混沌龍のご機嫌を取り続けていた。

 母親が来たのは翌朝のことで、どうやら、仕事が忙しい時、ユミエルによく預かってもらっていたらしい。「急な出勤とはいえ、夜通し預かってもらうなんて」と、母親は何度も頭を下げていたが、一晩中髪の毛を握られていたルートゥーは、しばらくの間はふくれっ面のままだった。

 そして始まった、六日目。夜はろくに眠れなかったので、風呂に入ってさっぱりとして、朝寝でもするかと、貴大は二階へと向かおうとする。だが、来客を告げるベルの音が鳴り、一階の事務所へと逆戻り。

 『商い中』のプレートを裏返すことを忘れていた――――いや、ユミエルに任せっぱなしで、プレートの存在すら忘れかけていた貴大は、己の迂闊さを呪いながら客へと向かい合った。

「朝早くにすみません。今日も、帳簿の整理をお願いしたいのです」

 事務所の机の上に、どさりと置かれる紙の束。聞けば、依頼人である金物屋の主人は、毎月、ユミエルに帳簿の整理を依頼しているのだという。大まかには、どれほどの収支があるかは体感的に分かっているそうだが、お上に提出する書類には、きちっとまとまった数字を記入しなければならないのだとか。

 しかし、職人一筋の主人は、最近流行りの学校にも通っておらず、数字の足し引きは苦手だとのこと。時間をかければ何とかなるが、だからといって、仕事は忙しく、なかなか、時間を割くこともできない。そのため、近くに何でも屋ができたことは、大変ありがたかったのだとか。

 そうまで言われて、依頼を断れば、何でも屋〈フリーライフ〉の名折れだ。フリーライフの名に愛着のある貴大は、特に考えもなく依頼を受けた。

 途中までとはいえ、高校に通っていた彼だ。受けた教育のレベルも、計算能力も、〈アース〉の一般人とは比較にならない。何せ、読み書き計算をユミエルに教えたのも、貴大だ。この程度の帳簿整理など、お茶の子さいさいであった。

 ――――帳簿整理の依頼が、一件だけであれば、だが。

「やあ、聞いたよ? タカヒロ君も、計算、得意なんだってね?」

「ユミィちゃんがお休みだっていうから、頼むのをためらっていたのよ。ほら、これ。明日の夜までによろしく」

「いや、いつも悪いね。はい、これ。これが今月の分ね」

「んじゃま、一つよろしく頼むわ。十八時ぐらいに取りにくるから」

 ドサドサドサッ! いつもは『置いてあるだけ』の貴大の机に、山と積まれる帳簿と紙の束。思わず顔が引きつった貴大を残し、依頼者たちは足取りも軽く、帰っていった。

 そこから、貴大の孤独な戦いは始まった。

 初めの内は、「どれ、手伝ってやろう」と乗り気だったルートゥーは、視界を埋める数字の群れに恐れをなし、早々に逃げ出した。ユミエルは、未だ休暇を満喫している最中だ。片方は呼び戻せず、片方は呼ぶのも気が引ける。

 だからといって、知り合いに助力を請うこともできない。これはあくまで何でも屋〈フリーライフ〉が請け負った仕事だ。なあなあで仕事に友人を巻きこんではいけないのは、貴大でさえ分かることだった。

 故に、貴大は、一人で帳簿と向き合う必要があった。怒涛の勢いで山積みされた帳簿群を、期日までに片付けなければならなかった。

 依頼者たちが言う、『明日の夜十八時』とは、ユミエルが帰ってくる時間でもある。メリッサの家から、フリーライフへと帰還が予定されている時刻。それまでに、貴大は全てを片付ける必要があった。

「でも、まあ、帳簿の整理なんて、算数の基本ができてりゃ誰でもできるだろ。これぐらいの量でも、五……いや、本気出しゃあ、三時間ぐらいあったらできるな」

 だというのに、貴大は事の重大さをいまいち分かっていなかった。彼は、あろうことか仕事を後回しにして、のん気にリビングの掃除を始めた。散らかったゴミをまとめ、燃やせるものは暖炉で燃やし、部屋や廊下を箒で掃き清めた。おまけに、小さな汚れが気になって、雑巾がけまで始める始末。

 普段は全く掃除などしない彼だが、やる時は徹底的にやらねば気が済まない性質たちのようで、フリーライフは風呂場に至るまで、ピカピカに磨き上げられた。ここまでで、三時間が経過した。

 だが、まだ間に合う。今から取り組めば、まだ、余裕を持って仕上げられる。時間はまだ貴大の味方で、帳簿の山は、貴大の敵ではなかった。

 しかし、ここで貴大、まさかの外食。悠々と家を出た貴大は、馴染みの大衆食堂で腹を満たし、行きつけの喫茶店で、優雅にコーヒーを飲んでいた。それでも、依頼の事を忘れた訳ではなかったようで、喫茶店のマスターへ、

「帳簿の整理って、どれぐらい時間がかかる?」

 と、それとなく聞いていた。そして、

「この店は私一人ですからね。人手もないので、月末の祝祭日にまとめて整理しているのですが、三時間ほどはかかりますね」

 との答えを聞いて、顔色をすこぶる悪くした。

 慌てて、家へと引き返して、山と積まれた帳簿へと向き合った貴大。頭の中には、先ほどの「三時間」という言葉が木霊していた。

 三時間が、五人の依頼者分だと、十五時間。現在時刻、午後十四時。タイムリミットまで、残り、二十八時間。さて、余裕があるのは何時間?

「大丈夫。まだ……まだ、十三時間ある」

 前哨戦とばかりに、残り時間を計算する貴大。今日中に十時間分済ませて、明日、余裕を持って残りの五時間分を片付けても、全然余裕。寝れるし、飯も食えるし、風呂にも入れる。そう判断した貴大は、漠然とした不安を感じながらも、一番上の帳簿へ手を伸ばした。

 そして、彼は、地獄を見た。

「ある種の拷問だったな……」

 結局、徹夜をしてまで仕事を終えた貴大は、ぐったりと机に頭を載せて、ぼやけた視界で書き込みの済んだ帳簿を捉えた。

「よくもまあ、できたもんだよ」

 経験の伴わない予想ほど当てにならないものはなく、また、労働者の疲労を無視した作業効率ほど、維持できないものはなかった。十五時間分の仕事量を、連続して行えると思ったのが、そもそもの間違いだったのだ。

 仕事の量は、増えれば増えるほど、必要とする時間も労力も増えていく。しかも、それは決して、単純な足し算やかけ算ではない。雪かきを想像すると分かりやすいが、スコップ一すくいで片付けられる雪も、百回分、千回分となると、段違いに手間がかかるものと化す。そして、それはスコップ一すくいの労力を百回分にしたものよりも、遥かに疲れを生む。

 だからこそ、貴大は夜通し、帳簿とメモ帳、店主たちの走り書きとにらめっこをして、体の節々を痛めたのだ。

 ギュッと目を閉じ、腕を組んで作った枕に顔をうずめる。貴大は、もうちょっとでも、帳簿なんて見たくなかった。

「ユミィは、日頃、こんな仕事をしているんだな」

 ここ数日、貴大がしたことは、ユミエルが日頃請け負っている仕事だ。帳簿を持ってきた店主たちの口ぶりからすると、彼女の不在によって、仕事を持ってくることを躊躇している常連客が、まだまだいそうだ。すると、ユミエルの苦労は、貴大が感じたそれよりも、大きいことは間違いない。

 だが、ユミエルのことだ。きちんと仕事の管理をして、間違いなくこなせるスケジュールで依頼を受けているのだろう。問題が生じないように、余裕を持って動いているのだろう。

 それでも、仕事が多いことは変わりない。そりゃあ、ストレスで皿を割ったり、グラスを砕いたり、俺のパンツを破いたりするだろう、と、貴大は思った。今回の休暇の申請も、当然のことなのだと、罪悪感すら感じていた。

「あいつが帰ってきたら、その辺り、一度話し合ってみようか」

 目を閉じたまま、貴大はユミエルのことを想う。いつも美味しい飯を作ってくれる。干した布団と洗濯物を用意してくれる。風呂も沸かしてくれるし、掃除もしてくれる。おまけに、何でも屋の業務までこなしているのだ。彼女の負担は、貴大が考えていたよりも、ずっと多いのだと、ようやく気がつけた。

 ユミエルが帰ってきたら、感謝の言葉を伝えようか。でも、少し恥ずかしいから、行動で示そうか。今日の夕食と、風呂の用意は、俺がやっておこう。毎日の朝飯ぐらいは、俺が作るのもいいかもしれない。

 貴大は、倦怠感と、仕事を終えた達成感でぼやける頭で、様々なことを考える。

 それは、全て、ユミエルの事。自分に尽くしてくれる、一人の少女の事。

 あの子に、自分は何をしてあげられるのだろう。何を返してあげられるのだろう。

 疲労を溜めた貴大は、それでも、ただ、ユミエルのことを考える――――

「……ご主人さま、ただいま戻りました」

 噂をすれば影、ということでもないが、事務所の玄関から、控えめなノックと、ユミエルの声が聞こえてきた。むくりと上体を起こした貴大は、「おう、おかえり」と声をかけて、小さなメイドさんが入ってくるのを出迎えようとした。

「……ご主人さま、ただいま戻りました」

 だが、返ってくるのは、声ばかり。フリーライフはユミエルの家でもあるのだ。まさか、数日離れただけで、他人行儀になる訳でもなしと、貴大は不審に思った。

「おい、外にいないで、入って来いよ」

「……すみません。ご主人さま、一度、外に出てきてもらえますか?」

「はあ?」

 もしかして、メリッサに土産を持たされたのかもしれない。もしかすると、『家庭用はりつけ十字架』なんて、物騒なものを押し付けられたのかもしれない。似たような経験がある貴大は、大体の予想をつけて、ため息を吐いて、事務所の玄関扉を開いた。

 すると、そこには、ユミエルとメリッサがいて――――





「あっ、ほら、見て、タカヒロくん! ユミィちゃん、もう、完璧なんだよ!」

「……右手でバトンを回転。左手でエアスケッチ。肩で小粋なリズムを刻み、足は愉快なステップを踏む。更には、腰でフラフープを回し、口でメロディを奏でる」

「すごーい! 一度に六つのことができるなんて、もう、すっかり体に慣れたみたいだね。これなら、意識がなくても『ちょうどいい力加減』でいられるよ」

「……ルールル♪」





 名状しがたいものとは、このようなモノを指すのだな、と、貴大は思った。

 言葉はない。どう呼んでいいのかすら分からない相手にかける言葉など、貴大は持ち合わせていなかった。

 彼が、視線をゆっくりと動かすと、カオルとクルミアが、道の端に突っ立っているのが見えた。貴大よりも長い時間、『コレ』を見ていたのだろう。かわいそうに、二人の膝は、病にかかった幼子のように、ガクガクと震えていた。

 通行人も、異様な光景に凍りついている。遠目で見ていた者は、正気に返るなり、そそくさと逃げ出した。犬は怯えたように吠え、猫は全身の毛を逆立てて威嚇した。

 それでも、ユミエルは止まらない。己の存在を世界へと刻みつけるかのように、無限のパフォーマンスをもって、貴大へと何かをアピールし続けた。

 そんな彼女を見ていると、貴大の頭に、彼女にしてやれることが一つ、浮かび上がってきた。そして、それは間違いなく名案で、唯一無二の選択だと、彼は確信した。

 だから、貴大はユミエルに、頭に浮かんだ言葉を、そのまま、贈った。

「病院に行こう?」

 その声は、どこまでも優しく、どこまでも非情だった。
これにて一件落着。

無事、ユミエルは完全体ユミエルへと進化し、ちょうどよい力加減を覚えましたとさ。

そして、調子が戻ったので、ジャンジャンバリバリ依頼を取ってきましたとさ。

と、いうわけで、次回は働く貴大編です。たまには、何でも屋らしく雑多に働きます。
cont_access.php?citi_cont_id=162018451&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ