薬も過ぎれば毒となる
「書けない奴なんていない。この世にいるのは、書かない奴だけだ!」と、したり顔で語る友人を殴り倒して、華麗に更新。
アイ、ハブ、オニオンパゥワー。
何でも屋〈フリーライフ〉で、貴大が立ったり立たなかったりしていた頃。
異次元空間フェアリーズ・ガーデンでは、一人の少女が膝をついていた。
花が舞い、蜜の匂いが漂う桃源郷で。妖精種の少女ユミエルは、深く目を閉じ、花畑の中心に座り込んでいる。
何かを探るように。何かに耐えるように。ユミエルは額に珠のような汗を浮かべ、両手をぎゅっと、握りしめている。
「いい? 力が欲しいのなら、まずはそれを探しなさい。この場に潜む、膨大な魔素を感じ取りなさい」
「心をすませて~、意識をお空に浮かべて~、フェアリーズ・ガーデンに溶け込んで~……で、どうするんだっけ~?」
「その上で、自我を保つのです。巨大な力の奔流に飲みこまれないよう、強く、強く」
ユミエルを囲み、何やら助言を行っているのは、妖精郷の住人、フェア、ピーク、ニースの妖精三姉妹だ。彼女らは、ユミエルの意識を繋ぎとめるかのように、忙しなく語りかけている。
花咲く楽園で、彼女らは、一体、何を行っているのか。何をしようというのか。
それは――――
「それにしても、妖精王様の気が知れないわね。いくらお気に入りの子が『強くなりたい』とかおねだりしたからって、よりにもよってここに放り込むんだもの」
「だよね~? フェアリーズ・ガーデンは、強くなりたがりな人を溶かしちゃう場所なのにね~。ちょっとでも間違えたら、ユミエルちゃんも溶けちゃうよ~」
「ですが、理には適っています。この場所には、力を崇拝する者たちを誘き寄せるに足る量の魔素があります。その一欠片でも吸収することができれば、ユミエルさんは劇的なレベルアップを遂げるでしょう」
そう、ユミエルは、レベルアップを求めているのだ。
今より強い自分になるために。貴大の足手まといにならないために。むしろ、積極的に貴大を助けられるように。
できる限り早く。できる限り強く。ただそれだけを願い、フェアリーズ・ガーデンへとやってきたのだ。
そして、妖精三姉妹は、自身の釈放に釣られ、二つ返事で協力することにした。これでここから出られると、惜しみない協力を誓った。
だが、ユミエルの強さへの欲求を目の当たりにして、彼女らにも焦りが生じ始めている。
フェアリーズ・ガーデンの別名は――いや、本来の名前は、『浄化の監獄』。ここは楽園などでは決してなく、その実体は、強さに飢えた魂を分解するための処刑場だ。
そのような場において、ひたすらにレベルアップを求めるなど、自殺行為に等しい。妖精たちのサポートがなければ、とうの昔に溶解し、魔素の粒子へと成り果てていたところだ。
いや、現在も、その危機は去っていない。目を閉じ、両手を握り、魔素の流れを感じ取ろうとするユミエルの輪郭は、おぼろげにぼやけてしまっている。
まるで大海にインクをこぼすように、彼女の姿は、フェアリーズ・ガーデンに潜む魔素へと溶けていこうとしている。その度に、妖精三姉妹はユミエルへと語りかけ、自我を保たせようとする。
強さに魅入られ、我を見失ってしまえば、待っているのは破滅のみ。それは、絶対的なルール。何人たりとも例外は許されない、致死の掟。
決まり事を破ってしまえば、その時点でユミエルはお終いだ。例え妖精王であろうと助けようがない。止める間もなくドロドロに溶けてしまうだろう。
そうさせないための呼びかけだ。巨大な魔素へと引っ張られていくユミエルへ、「貴女はユミエルだ」と教えることで、自我の拡散を防ごうとする。
だが、これはあくまでサポートに過ぎない。大事なのは、本人が引き際を見誤らないこと。必要以上に力を求めないこと。それが、フェアリーズ・ガーデンの魔素を吸収する際に守らなければならないことだった。
妖精三姉妹は、予め、そのことを伝えておいた。欲張らないようにと、何度も何度も念を押した。危険な時は、無理矢理中断させるとも言った。
ところが、どうだ。ついに魔素の流れを掴んだユミエルは、臆するどころか、嬉々として、己の体に魔素を取り込んでいく。妖精三姉妹の忠告を無視して、猛烈な速度でレベルアップを果たしていく。
「ちょっ、ユミエル、ストップストップ!? 消えてる、消えてる! アンタ、はしっこの方から消えてきてる!」
「ま、魔素を食べてるつもりが、魔素に食べられてるよー!」
「魔素吸収が、早過ぎる。これは、もしかして……どちらにせよ、いけません!」
遂にフェアリーズ・ガーデンに隠されていた魔素が現出し、紫の霧となってユミエルを包み始める。
フェアは、そのままユミエルが消えてしまうのだと思った。
ニースは、ユミエルが魔素溜まりに食べられているように見えた。
唯一、ピークだけは、違う可能性を見出していた。
いずれにせよ、三人とも、ユミエルを止めるという意思は同じだった。妖精の粉を散らせながら、力いっぱい、ユミエルへとぶつかっていく三姉妹。
だが、大地から噴き出すようにして現れた魔素の奔流によって、空へと弾かれ、接近もままならない。彼女らは、あくまで、妖精。力ずくの荒事とは無縁の存在なのだ。
対象に近づかなければ、得意の幻惑の術で眠らせることもできない。魔素の風が吹き荒れれば、妖精の粉で意識を奪うこともできない。
結果として、手をこまねくことしかできなくなった三人は、せめて声だけでも届けようと声を張り上げる。だが、目立った効果はなく、魔素の現出は止まらない。
花畑の中央、ユミエルの周囲に現れた魔素は、砂漠に落とした水のように彼女へと吸い込まれていく。強さを求める彼女に引き寄せられて、渦を巻いて注ぎこまれていく。
それと同時に、ユミエルの存在は希薄なものへと変わっていく。強さを求めるほどに輪郭はゆらぎ、手足の末端から解けるように消えていく。
それが、『浄化の監獄』のルール。何人にも等しく布かれた、絶対的な決まり事。貪欲に強さを求めたユミエルは、自身も魔素となり、フェアリーズ・ガーデンへと呑み込まれようとしていた。
――――だが。
だが、様子がおかしい。
消えるよりも早く。溶けるよりも先に。彼女の体に、変異が訪れていた。
「あれは……!? いけない、それはいけません、ユミエルさん!」
ユミエルの変化を目にしたピークが叫び、それはいけない、それだけはいけないと声を張り上げる。
それでもユミエルは止まらない。消えかけながら。変異をきたしながら。彼女は魔素を吸収し続ける。
そうする内に、他の二人もユミエルの変化に気がついた。そして、目を見張って、ピークと同じように叫び声を上げた。
「ヤバイヤバイヤバイ! それはマジで洒落にならないって!」
「ユミエルちゃん、ストーップ!? そこでストップだよー!?」
聞こえているのか、いないのか。ユミエルは魔素の渦の中、うつむいたまま、口を開く。
そして――――
「……ごしゅ、じん」
彼女の肌が
「…………さま」
青く、染まって
「…………」
側頭部からは
「…………ガ、ァ」
悪魔のごとき角が、生えようとしていた。
一方その頃。混沌龍の少女と、東の老龍は、並んでグランフェリアの街を歩いていた。
「ほほっ、血相を変えて飛び込んできたかと思えば、想い人の危機じゃったとはの。まさか、嬢ちゃんの泣き顔を見られるとは、夢にも思わなかったわ」
「そう笑うな。それだけ必死だったのだ」
憮然とした顔で頬をふくらませるルートゥー。その様子に、老龍はますます笑みを深くして、満足げにほっほと息を漏らす。
それがどうにも気に障って、龍の少女は肩をいからせて歩くのだが、そんな姿すら愛らしく、道行く人の心を大いに和ませた。
穏やかな顔をした老人と、その孫と思しき黒服の少女。
街の者は、知っているのだろうか。彼らが、単身で国すら滅ぼすことのできる、強大な龍であることを。時に勇者ですら返り討ちにする、絶対的な強者であることを。
知っていれば、正気ではいられないだろう。姿を目にしただけで、声を聞いただけで、身動き一つ、取れなくなってしまうだろう。
だけど、今の彼らは、好々爺と、愛らしい少女にしか見えない。だから街の者は気づかない。見た目で多くを判断する人間は、気づかない。
まあ、得てして、人間とはそういうものである。たとえ猛獣が近くにいても、一枚の壁で遮られていたり、箱が被されていたりすれば、いつも通り生活してしまう。
要は、気づかなければ、どのような脅威も、どうということはないのだ。
油虫が部屋にいようと、見えなければ気にならない。不発弾が埋まっていようが、気がつかなければ家すら建てられる。神が来ようが魔が現れようが、はっきりと目に見えなければ、いつも通りの生活を送ることができる。
かくも素晴らしき、人間の鈍感さ。それは誇るべき利点ともいえるし、呆れるほどの難点ともいえた。
「何せ、悪神の眷属が街に住んでおるほどじゃからのう」
「ほう、ここか。我が婚約者に毒を盛った、不届き者の住処は……って、滅茶苦茶近所ではないか!?」
ルートゥーと老龍。彼らが見上げるその先には、道具屋〈アップル・バスケット〉の文字が。
そう、アップル・バスケットだ。復讐に燃えるルートゥーが、探知能力に長けた老龍に連れてこられたのは、フリーライフの目と鼻の先にある道具屋だった。
「老龍よ。貴様、いい加減なことをぬかしてはおらんか? ここに住んでおるのは、人の良い親子じゃぞ。先日も、我に林檎飴をくれたのだ。そのような善人が、タカヒロに毒を盛るはずがなかろうが」
どこまでも懐疑的な目で老龍を睨むルートゥー。だが、古老はほっほと笑って、険しい視線を受け流す。
「ほほっ、嬢ちゃんはまだまだじゃのう。薬を扱う店があって、悪神と同じ頭文字を持つ者がおって、それが女子とくれば、他に考えようがあるまい」
「そ、それはそうじゃが……しかし!」
「まあ、見ていなさい」
ルートゥーの反論を右手で制し、老龍はアップル・バスケットの扉をくぐる。
そして、出迎えの言葉に笑顔で応え、そのまま、右手で従業員の娘の胴を貫いた。
「って、はあああああ!? お、おまっ、何をしとるんじゃ、このバカちんがー!?」
あまりにもスタイリッシュな殺害に、わなわなと震える龍人の少女。
まさか、知性をもって名を馳せる老龍が、「疑わしきは罰しろ」、「とりあえず殺す」という、野蛮極まりない解決法を選ぶとは、夢にも思わなかったルートゥーだ。
当然、老龍へと詰め寄り、彼の蛮行を非難しようとするが、
「これこれ。早とちりするではない。治龍とも呼ばれたわしが、生き物を傷つけるはずがなかろう」
「んん? お、おおお?」
胴を貫かれたはずのミーシャから、一滴も血がこぼれてないのを見てとり、目を丸くして硬直した。
気絶して、ぐったりと老龍の腕にもたれかかるミーシャ。それでも、血色はよく、息も乱れてはいない。
「これを抜き取ったから、気を失っただけじゃよ」
そう言って、右手のひらを開いて見せる老龍。その手の中には、黒真珠のような玉が一粒、転がっていた。
「これは?」
「これはな、悪神が気まぐれにばらまく『悪意の欠片』よ。これを植えつけられた人間は、本人の意思によらず、辺りに不幸をばらまいてしまうんじゃよ」
ミーシャを店内の椅子にそっと座らせる老龍。彼は、アップル・バスケットの中を、ぐるりと見まわしながら、説明を続ける。
「よかれと思ってしたことが、不幸を招く。誰かのために精進しようとする意思が、災厄を生む。この娘は、類稀なる薬品精製の腕が災いして、この世のものとは思えぬ毒を生み出してしまったのじゃろう」
ミーシャのオリジナル商品が並ぶ棚へ、老龍はふっと息を吹きかける。すると、瓶に詰められたポーションは、毒々しい色を失い、清水のように透き通っていく。
「それでも、一品飲んだだけでは、人体に深刻な影響を与えるはずはないのじゃが……一体、あの若者はどれほど無茶な飲み方をしたのやら」
最後に、『悪意の欠片』を握り潰し、ほっほと笑ってみせる老龍。後顧の憂いは全て断ったと笑顔で語る老龍に、混沌龍の少女も、笑顔で返した。
「では、これで万事解決、ということなのだな?」
「そうじゃよ。この娘の薬品作りの腕は正常に戻したし、毒は全て消した。数日経てば、毒抜きも済むじゃろうて。お前さんの想い人の、の」
「これ、からかうでない」
そうは言いながらも、ルートゥーは笑顔を絶やさない。彼女は、ようやく、安堵できたのだ。漠然とした不安から、目には見えない恐怖から解放され、ホッとため息をつけたのだ。
視覚に振り回されるのも、人間と暮らしている影響かの、と老龍は呟いて、長いあごひげをさすりながら、意気揚々と店を出ていくルートゥーに続く。
これにて、一件落着。貴大の意識は戻り、ユミエルは無事帰還し、悪神に魔の手から逃れられたミーシャは健全な薬品作りに勤しめるようになる。
――――はずであったが。
「おごおおおおおお……!」
「がぁぁ……!?」
老龍から教わった漢方を積極的に取り込み、これまで以上の効果を誇るポーションを作り出すことができた。
ミーシャが自信満々にそういった時、近所の人々は、引きつった笑みを顔に浮かべた。
しかし、ミーシャの母、アリーシャが、「人間が飲んでも大丈夫なものです」と太鼓判を押すものだから、遂にミーシャの腕が改善されたのかと、皆、胸を撫で下ろした。
更には、自信をもって試飲会を開くというから、体調がよろしくない者、怪我をした者はこぞって駆け付け、乾杯の音頭と共に、香りよい液体を一息に飲み干した。
それが、地獄の始まりだった。
「あ、ああ、ああああ……! マ、ママ、ママァ……!」
「ごぷっ、おう、おうううえええ……!」
床をのたうちまわる者。壁に寄り掛かってぐったりとする者。あたりかまわず反吐をぶちまける者。
三者三様の苦しみを見せる参加者たちに、ミーシャは戸惑いを隠せなかった。
「え、ええ? な、何でぇ?」
参加者たちは、胸をかきむしり、吠え、叫んだ。胸を埋め尽くすかのような気持ちを、言葉にして表した。
それは――――。
「まずい!!!!!!!!」
ミーシャのポーションは、ドブ水のような味がするという、感想だった。
「ほっほ。毒水のようなポーションの効果はともかく、味に関しては、あの娘自身の腕によるものじゃったか」
お医者様でも、治龍様でも治せない、味音痴のミーシャが作った新ポーションの評価は。
効果最高。香り最高。見た目最高。
ただし、味は最悪。
と、いうものだった。
「要努力、じゃな」
「が、がんばります……」
前半と後半のギャップが激しいですね!
悪堕ちユミエルさん、誕生なるか。次回もこうご期待。
なお、ミーシャさんの味音痴はアリーシャさんゆずりの模様。